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「長谷部くん、こっちは?」
「ああ、似合ってる」
「うーん、でもこっちも捨てがたいな」
「それも似合ってるぞ」
長谷部くん、と苦笑混じりに名前を呼ばれる。
「ちゃんと選んでくれないかな。さっきからそればっかり」
「だっておまえ全部似合うんだから仕方ないだろう」
スタッズのついたごつめの革の首輪も、細いチェーンを連ねた首輪も、リボンタイプの首輪も、どれも着こなしてしまうんだから困ってしまう。
店員もにこにこと「お客様はどれもお似合いですよ」と加勢してくれたので、長谷部は「ほら見ろ」とふんと鼻を鳴らした。
「どうせなら君の趣味に合うものを着けたいんだけどなぁ」
「……マズルがついていたり、リードをつけられたりするような、あんまりハードなのは好みじゃない。細めのレザータイプか、ファッション系のチョーカータイプなんかいいんじゃないか」
すかさず店員が長谷部の言った条件に合致する首輪をいくつかショーケースから取り出してくる。
「今お客様が仰った条件だと、このあたりの品がおすすめですよ」
ショーケースの上に並べられる首輪の中で、長谷部が目を留めたのは細いレザーに金属製のタグのついた首輪だった。以前別な店で目にしたタイプに似ている。金具もゴールドで、光忠の眼帯の留め具とおそろいだった。
「……これなんかどうだ」
「へえ、いいね」
頷き合う二人に店員からの補足説明が入る。
「そちら今人気のファッションタイプの首輪なんですよ。タグにはパートナーのイニシャルと好きな宝石を入れることができるんです」
長谷部は光忠の様子をちらりと窺った。それに気づいた光忠からはにこりと笑顔が返ってくる。決まりだった。
「これにします」
「お色はブラックでよろしいですか? こちら多色展開していますので、レッドやイエロー、グリーンやパープルなど多種多様に取り揃えておりますが」
すこし考えて、長谷部はブラックを選んだ。光忠の白い肌にはやはり黒が映えると思ったからだ。
「宝石は何になさいますか?」
渡された宝石の一覧表を二人で覗き込んで考え込む。
「こういうのって誕生石とか入れるんだったか?」
「うーん、でも僕アメジストがいいな」
「なんでだ? おまえたしか五月生まれだろう」
「君の目の色だから」
さらっと言われてさっと長谷部の顔が赤くなる。こういうことを恥ずかしげもなく言うのだから、この男ずるい。
「うん。やっぱりアメジストにします。イニシャルは彼のものを入れて貰えるかな」
「わかりました。ではこちらにご記入お願いします」
「あ、それは俺が」
長谷部が購入書に記入をし、会計を済ませてから振り返ると、光忠はショーケースの中身をぼんやりと見つめていた。
「なんだ? やっぱり他の色が良かったか?」
「いや、うん、大丈夫」
煮え切らない返事をするものだから、長谷部は怪訝そうに眉を寄せた。
「気に入らないんだったら正直に言えよ。おまえの着ける首輪なんだから」
「気に入ってるよ! 本当にいろんな色があるんだなってちょっと見てただけ」
顔の前で両手を振って必死に弁解され、長谷部は納得はできなかったものの仕方なく上げかけた矛先を下ろした。そのタイミングで様子を窺っていたらしい店員が声をかけてくる。
「……あの、お引き渡しは来週になりますので、ご都合のいい時間帯にご来店を……」
「ああ、すまない。わかった」
恐る恐る告げてきた店員から引き渡し書を受け取り、長谷部は光忠の腕をぐいと掴んで店を出た。
「行くぞ。昼飯はごちそうしてくれるんだろう? 腹が減った」
「あ、えっと、そうそう。この近くに美味しいイタリアンがあってね」
楽しみだな、と本心からそう言って返すと、ようやく安心したように光忠が笑った。
「うん。楽しみにしてて」
連れて来られたイタリアンは生ハムがおすすめだとかで、メインのパスタの他に思わず生ハムの食べ比べセットまで頼んでしまい、昼間からしこたまワインを飲んでしまった。
「背脂の生ハムって初めて食べたが、めちゃめちゃ美味いな。ラルドって言ったか」
「クリーミーで美味しいよね。酸化しやすくて管理が難しいから、食べられるお店が少ないんだ」
「カロリーを直に食べてる感じがしていいな。罪の味だ」
長谷部の例えにくすくすと笑いながら光忠がナプキンで口元を拭いていると、不意にテーブルの下から振動音が聞こえた。
「あれ、電話だ。ちょっと出てくる」
「ああ。会計済ませておこうか?」
「駄目。首輪のお礼にここは僕が奢るんだから」
待っててね、と念押しして光忠がスマートフォンを持って早足で店の外に向かった。取り残された長谷部はグラスの底に残ったワインをちびちびと舐める。スパイシーでタンニンの強い味が舌を刺激した。
「……長谷部さん?」
背後から急に名前を呼ばれて振り返ると、そこには見覚えのある人影が立っていた。
「……君は、」
背後に立っていたのは長谷部の前のパートナーだった。思わず長谷部もガタリと立ち上がる。
「やっぱり。見覚えのある後ろ姿だったから……お元気そうで何よりです」
「ああ。君も、その、元気そうで良かった。本当に」
長谷部の言葉に笑みを返す元パートナーの首元には、細い革の首輪が見えた。
「……正式なパートナーができたんだな。おめでとう」
「ありがとうございます」
幸せそうに微笑む元パートナーの姿を見ても、もう胸の痛みはない。かすかな寂しさと、幸せそうで良かったという思いがあるだけだ。
「長谷部さんは、その……」
「ああ、俺もパートナーができてな。今日は首輪を選びに来たんだ」
「そうなんですか。良かった……!」
ほっと胸を撫で下ろすかつてのパートナーの姿を見て、相手も自分のことをそれなりに気にかけてくれていたことを知る。
――長谷部さんの支配は安心できないんです――。
別れる時に絞り出すように告げられた言葉を思い出す。今の元パートナーは、首輪を誇らしげに着けてしゃんと背筋を伸ばしている。そういえば、まだパートナーだった頃は萎縮して丸めた背中しか見ていなかったかもしれない。
「……すまなかったな」
「え?」
「俺は、駄目なDomだった。君をうまく褒めることも甘やかすこともできずに、君の存在を持て余していた。今のパートナーと付き合って、俺はそれを気づかされた。今更かもしれないが……君に言ってやりたかった言葉があるんだ」
「……なんでしょう」
すこし怯えたそぶりを見せる元パートナーを、安心させるように微笑みを向ける。
「”Good boy”」
そう言うと元パートナーは大きく目を見開き、じわりと目を潤ませた。
「ありがとう。君はとてもいいSubだった。俺には勿体無いくらいの」
相手の唇が震え、何かを言おうと開き、閉じた。そうしてなんとか絞り出すように「ありがとうございます」と元パートナーはようやく口にすると、泣き笑いの表情を浮かべた。
「……ずっと、長谷部さんに褒めてほしかったんです。私を肯定してほしかった。あの頃の長谷部さんは、何かあるとすぐ「自分が悪い」って一人で責任を被って謝ってばかりだったから」
指で目元を拭いながら言葉を連ねられる。
「もっと私にも頼ってほしかった。信頼してほしかった。だって、パートナーだったんだから」
「すまん。今更遅かったな」
「本当ですよ。……お互い、言うのも気づくのも遅すぎました」
そう言われすこし寂しげな顔で俯かれる。ここで肯定をするのも無粋な気がして、長谷部は押し黙った。二人の間に場違いなくらい明るい有線の音楽が横たわる。
きっとお互いあの頃のままではこうして向き合うことはけしてなかっただろう。互いに違うパートナーを得て、あの頃とは変わったからこそ、改めて向き合うことができた。
光忠。長谷部は心の中で大事なパートナーの名前を呼んだ。光忠、俺はおまえのおかげで、ちゃんと過去にケリをつけられたぞ。
元パートナーが再びその顔を上げる。そこにはもうふっきれた表情が浮かんでおり、首輪を指先で撫でて微笑んだ。
「長谷部さん、すごく変わった。……きっと、いいパートナーに巡り会えたんでしょうね」
「ああ。自慢のパートナーだ」
「お幸せに」
「……君もな」
「ええ。……さようなら」
「ああ」
そう言ってぺこりと頭を下げると、元パートナーは店の奥の席へと戻っていった。さようなら。小さく別れの言葉を口にする。おそらくもう会うことはないだろう。
「長谷部くん?」
肩を叩かれて慌てて振り返ると、不思議そうな顔をした光忠が立っていた。
「待たせちゃってごめんね。今の人は?」
「ああ、昔の知人だ」
わざわざ前のパートナーと説明するのは憚られたので、そうぼかして返すと、光忠はなんだか腑に落ちない顔をしていたが、長谷部にそれ以上話す気がないのを見て取ったのか、すぐに切り替えたらしく、にこりと笑ってみせた。
「会計は終わらせて来たから、出ようか」
「ん。ありがとう。”Good boy”」
わしゃわしゃと頭を撫でてやると、光忠がくすぐったそうに首を竦める。
「わ。急に外でどうしたの。嬉しいけど」
「無性におまえを甘やかしたい気分なんだ」
「ええ?」
「俺はいいパートナーに巡り会えたなって、改めてそう思ってな」
そう言ってするりと光忠の頬を撫でると、光忠は目を丸くした。数秒の間を置いて、光忠が口を開く。
「……長谷部くん酔ってる?」
あまりにも失礼な言い草だったので、長谷部は無言で光忠の鼻先をぴんと指で弾いた。
◆ ◆ ◆ ◆
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
薄く目を開けると既に見慣れた光忠の部屋の天井が目に入った。夜光塗料の塗られた時計の針が早朝の四時を示していた。
デートの後は結局いつも通り光忠の部屋に泊まって、そのままプレイをして。そういえば今日の光忠はなんだかいつもよりしつこかった。”Stop”と”Stay”を長谷部がへろへろになりながら口にしたところまでは覚えているので、そこで寝落ちたのだろう。体にもシーツにも違和感がないので、後始末はすべてやらせてしまったらしい。申し訳ない。
隣に光忠の姿はなかった。トイレにでも行っているのだろうか。倦怠感の残る体を起こして寝室からリビングの方を伺うと、光忠が椅子に座っているのが見えた。
「光忠?」
「あ、起きたんだ。おはよう」
「……おはよう」
光忠がテーブルの上に乗っていたごみを捨て、冷蔵庫からミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出すと長谷部に手渡した。
「喉乾いただろう。飲むといいよ。飲んでまた寝るといい」
「おまえは?」
「僕も喉乾いて起きちゃって。これ飲んだら寝るよ」
飲みかけのグラスを示して光忠が笑う。
「光忠」
名前を呼ぶとやわらかい声で「なあに」と返ってくる。
「俺達は、パートナーだ」
「……そうだね」
「パートナーの間に隠し事は無しだ」
「たまにはサプライズだって必要だと思うけどな」
光忠はゆったりとした笑みを浮かべたままだ。のらりくらりとした受け答えに長谷部は舌打ちをした。
「単刀直入に言うぞ。今捨てたものを見せてみろ」
「嫌だと言ったら?」
長谷部はぎゅっと唇を噛みしめると、光忠の脇をすり抜けてリビングのゴミ箱に躊躇なく手を突っ込んだ。すぐに目当てのものを見つけ、それを引っ掴み、光忠の目の前にそれを突きつける。
そこには空になった錠剤のシートが握られていた。
「……これは、なんだ」
「風邪薬だよ。最近あまり体調が」
「嘘をつくなよ」
長谷部は知っている。長谷部だからこそ知っていた。これは。この薬は。
「Domの抑制剤だ。それも、俺が飲んでいたのと同じ」
光忠は表情のごっそり削げ落ちた顔で長谷部を見ている。元々整いすぎているくらいの容姿の光忠がそうすると、まるで人形のようだった。
「なあ、何か隠してるなら言ってくれ。俺達は、パートナーだろう」
「君にそれが言えるの? 昔のパートナーと会っても黙っていた君に」
言ってしまってから、光忠は自らの発言に顔を歪めた。驚きに固まる長谷部の脇を通り過ぎて、壁のハンガー掛けからジャケットを掴むと光忠はリビングのドアを開ける。
「……ごめん。ちょっと頭を冷やしたい。僕達、しばらく会わないでおこう。合い鍵はそのままでいいから」
ばいばい。そう言ってドアが閉められる。ガチャン、と玄関のドアが開閉する音が聞こえてからしばらくして、長谷部はのろのろと握っていた拳を開いた。見慣れたDom用の抑制剤を見て、「馬鹿か、俺は」と一人呟いた。
――僕はSwitchだからね。君に甘やかされたいし、甘やかしてあげたいんだ。
いつかの光忠の言葉が蘇る。そうだ。光忠はSwitchだ。Subの衝動だけではない、Domとしての衝動も当然抱えているわけで。
――ケアが大変でしょう、Switchは。
宗三の言葉を思い出す。ケア。今まで長谷部は光忠の、SwitchのことをDomとSubどちらにでもなれる性だと思っていた。だからSubとしての面を満たしていればそれでいいと、けれど。そうではなかったことをこの手の中の抑制剤が物語っている。
長谷部が幸せだと、満たされていると、そう感じていた裏で、光忠が満たされない欲求に苦しんでいたとしたら。
Domとしての欲求が満たされない辛さを、長谷部は知っている。光忠はそれをずっと耐え続けながら長谷部に隠してきたというのか。
今までずっと、信頼されていると思っていた。お互いを信頼し合い、愛し合い支え合える最高のパートナーだと。だけどその認識が足元からがらがらと音を立てて崩れ落ちるような感覚がする。
へたり、と長谷部はその場に膝をついた。
「…………俺は、駄目なDomだ」
絞り出すように呟いた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
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