Kiss me more.

Trust my love and kiss me.
      11607文字

 デスクに置いていたサボテンが蕾をつけた。小さな球が連なった形状のサボテンから濃いピンク色の蕾がぽつぽつと生えているのを見て、こいつも生きていたのだなぁと妙な感慨を抱く。秘書課に配属になってから、あまりにも机の上が殺風景すぎると周りから言われるので仕方なく百均で買ってきたサボテンだったが、蕾がつくのを見るのは初めてかもしれない。

「サボくん、もうすこしで咲きそうだね」
「だから人のサボテンに変な名前つけないでくださいってば」

 PCのモニターから目を離さずに言うと、後ろから苦笑する気配がした。
「だって名前がないと不便じゃないか。それに、毎日話しかけると植物の生育もよくなるって話だよ?」
 ねえサボくん、と語りかける口調はどこまでも柔らかい。

「社長がそうやって話しかけるから蕾がついたんじゃないですか?」
 向かいのデスクの同僚がくすくすと笑いながら茶々を入れてくる。
「だったら光栄だね。やっぱり手をかければかけただけ応えてくれるんだろうな。サボテンも、人も、ね」
 最後に明らかな含みを持たせた言葉に、長谷部はさっと頬を紅潮させた。

「社長、そろそろ」
「ああ、そうだったね。今日は外部の会議の後直帰するから、みんなも早く帰るんだよ」
 ぽん、と長谷部の肩を叩き、光忠は室長と連れだって秘書室を出て行った。その後ろ姿を横目でちらりと確認してからこっそり息を吐く。叩かれた肩が熱い気がする。
 熱を振り払う気持ちでそのまま書類作成をしていると、ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。デスクの下でそっと確認すると、今し方出て行った光忠からだった。長谷部の個人携帯にかけてくるということは百パーセント私用だろう。

(何をしているんだ、あの人は)

 液晶画面には「すこし遅くなりそうだから、先に僕の部屋で待っていてください」と書かれていた。

(……何をしているんだ、あの人は)

 会議中だろう、と思いながら「了解です」と短く返信を打つと、即座に笑顔のマークのスタンプが返ってくる。光忠がよく使う猫のスタンプだ。思わず顔を綻ばせてしまい、はっと我に返る。

(…………何をしているんだ、俺は)

 ほんの数ヶ月前まで、こんなに光忠の言動に一喜一憂させられるなんて思ってもなかったのに。今やこのざまだ。

 近頃は定時のチャイムが待ち遠しくなっているなんて、従兄あたりが聞いたら「おまえさん、熱でもあるんじゃないか」とでも言いそうだ。熱といえば熱には違いないが、これはどんな名医でも治せない。なるほど、四百四病の外とはよく言ったものだと思う。
 長谷部は今、恋をしている。


「ただいま」
「おかえりなさい」
 玄関のドアが開くのとほぼ同時に炊飯器のアラームが鳴った。狙っていたタイミング通りに料理が仕上がりそうでほっとする。
「やあ、いい匂いだね」
「手を洗って先に座っててください。今魚焼いちゃうので」

 味噌を拭きとった鰆をグリルに入れて火をつける。鳥団子を入れたすまし汁の鍋も温め直して、冷蔵庫で冷やしていたほうれん草のおひたしと漬物を出してくる。まだ時間があるし、もう一品くらい作ろうか。
「何か手伝おうか?」
「大丈夫です。座っててください」
 手を洗って洗面所から戻ってきた光忠が台所をうろうろしだしたので、その肩を掴んでぐいぐいと椅子に座らせる。
「はいはい」
 苦笑する光忠をこれ以上待たすのも悪い気がして、もう一品は諦めることにする。グリルの中の焼き加減を確認して火を止め、鰆を皿に盛る。はじかみ生姜でもあったらより見栄えがするのだろうが、近くのスーパーで見かけなかったので仕方ない。家庭料理なのだ、多少雑でも許してほしい。

 鰆の西京焼きと、鳥団子のすまし汁と、ほうれん草のおひたしと茄子の漬物。それと炊き立てほかほかのごはん。二人分の食事をテーブルに並べ終え、光忠の向かいの椅子に腰を下ろす。
「わあ、美味しそうだね」
「……お口に合うかわかりませんけど」
「長谷部くんの手作りならなんだって美味しいよ」
 そんなことをさらりと恥ずかし気もなく言われてしまい、顔が熱くなる。照れ隠しに「さっさと食べますよ」ときつく言うと、何もかも見透かしたような様子でくすくすと笑われた。ふたりでそっと両手を合わせる。

「「いただきます」」

 長谷部は真っ先に鰆に箸を伸ばし、白い身をそっと崩した。スーパーで下処理済みのものを買って作ったから味は間違いないと思うが、問題は火の通り具合だ。おそるおそる一口分を口に含み、もぐもぐと咀嚼する。ふっくらとした魚の身が口の中でとろける。味噌の染み込み具合もちょうどいい。西京焼きの出来栄えに満足していると、光忠がにこにことこちらを見ているのに気づいた。

「……なんでしょうか」
「いや、長谷部くんは美味しそうにごはんを食べるなぁって」
「別に普通では?」
「惚れた欲目ってやつかな。なんでもかわいく見えるから困る」

 ちっとも困っていない口ぶりでそう言うのだから、長谷部はなんだか居たたまれずに箸を噛んだ。硬い。
「鳥団子も西京焼きもとっても美味しいよ。ありがとう」
「……スーパーの味つけが良かったんですよ」
「じゃあそれを選んだ長谷部くんの見る目が良かったんだね」

 時間がなかったのでほとんど出来合いのものを買ってきて焼いたり煮たりしただけだ。褒められるのも申し訳なくて、やっぱりきんぴらごぼうくらい作っておくんだったとすこし後悔する。
「……すみません。次は頑張ります」
「えっなんで?」

 そんなこんなで食事と後片付けを終えた。洗って拭き終わった食器を棚にしまいながら光忠に声をかける。
「風呂、沸かしてあるので先に入ってきてください」
「長谷部くんも一緒に入ろうよ」
「嫌ですよ、恥ずかしい」
「……これからもっと恥ずかしいことするのに?」

 反論しようと振り向いたら、すぐ近くに光忠の顔があった。これだけ至近距離にあってもまったく隙のない顔面に一瞬見惚れてしまう。
「……そりゃ、そう、ですけど」
 じりじりと後ずさると背中に棚が当たった。もうこれ以上後がない。
 長谷部くん、と宥めるように甘えるように名前を呼ばれる。この声と顔に弱いことに長谷部は最近気づいてきた。光忠からの要求を強く跳ねのけることができないのは、長谷部が年下だからか、部下だからか、それともSubだからだろうか。もしSubじゃなかったとしても。長谷部は思う。多分、好きな相手からの要求を固辞することはできなかっただろう。

「ね、一緒に入ろう? きっと気持ちいいから」
 駄目押しのように耳元で囁かれて、とうとう白旗を上げることにした。
「…………変なこと、しないなら」
「変なことって?」
「この間、したでしょう。風呂場でプレイを。ああいうのは、その、できれば控えて頂けると……」

 ごにょごにょ、と後半部分は口の中で唱える。
 先日も同じように風呂に誘われて、「洗いっこしようか」と全身ボディソープでぬるぬると全身ねちっこく洗われて、最終的に挿入までされたことは未だ記憶に新しい。
「気持ちよくなかった?」
「………………よかった、ですけど」
 光忠の大きな手のひらで愛撫された感触を思い出し、顔が赤くなったのが自分でもわかった。

 ――長谷部くん、ほら、気持ちいいね?
 ――駄目、目を逸らさないで。ちゃんと見て、君のえっちなところ。”Look”。

 洗い場の鏡を見せられながら背面座位で挿入された時の、光忠の息遣いや挿入された性器の感触、蕩けきった自分のだらしのない表情まで思い出して、吐き出す息に甘さが混じる。
「なら問題ないじゃないか」
 あ、これは駄目なパターン、と頭の中で警鐘がけたたましく鳴り始める。

 するりと腰を撫でられて、耳にやわらかく歯を立てられる。この一か月ですっかり光忠好みに開発された体は次を期待して火照りだしている。あう、とあえかな声が漏れた唇を指でそっとなぞられた。
「長谷部くん」
 じっと蜜色の目で見つめられるともう駄目だった。

「…………お手柔らかに、お願いします」

 脳内で鳴り響く警鐘に、長谷部は耳を塞ぐことにした。惚れた側の立場が弱いのは世の常である。


 結局散々舌と指で高められたものの「約束だからね」と挿入してもらえず、ぐずぐずに蕩けたところをベッドでこれまた丹念に愛された。泣きながら「挿れてください」と懇願してようやく入れてもらったと思ったら、そこからも長かった。「年寄りは何発も出せないから、一回一回を大事にしたいんだ」と言われたけれど、それにしたって限度があると思う。

 途中からSub spaceに入り数えきれないほど絶頂してしまい、体はもうくたくただった。労るように頭を撫でてくる光忠の腕の中でとろとろとまどろんでいると、スマートフォンの呼び出し音がリビングから聞こえた。マナーモードに切り替えるのを忘れていたらしい。
「……止めてきます」
「こんな時間に電話?」
「多分」
 夜の零時を回ったところで電話をかけてくる相手なんて光忠以外には一人しか思いつかない。このまま放っておくことも考えたが、出ないと出ないで文句を言われそうだったので、渋々重い体を引きずってバスローブ姿でぺたぺたとリビングまで歩き、未だ鳴り続ける『日本号』と表示されたスマートフォンの画面の通話ボタンに指を滑らせる。

「なんだ、こんな夜中に」
『この間いきなり呼びつけて飲みに誘ったやつが言う台詞かあ? 今おまえさん家の近くまで飲みに来てるんだ。暇なら来ねえか』
「……暇じゃない」
『なんだ。歯切れが悪いな。彼女でも来てんのか?』
「…………まあ、そんなところだな」

 当たらずとも遠からずといったところだったのでそう返すと『は? まじかよ』と向こうが慌てだしたのがすこし愉快だった。
「まじだ」
『彼女って言うか、あれか。前におまえがぐだぐだ言ってた社長。結局くっついたのかよ。聞いてねえぞ』

 そういえば言っていなかった気がする。次に一緒に飲んだ時にでも話そうと思っていて、しかしここ一か月週末はずっと光忠と会っていたので、従兄――日本号と会っている暇がなかったのだ。
「次に会った時にでも説明する」
『ああ、そうしてくれ。そんで、その社長さんだがな、』
 電話の向こうの声が低くなる。

『…………大事に、してもらってるんだろうな?』

 長い付き合いだ。長谷部のトラウマのことも、今まで長谷部がDomのことをどう考えて生きてきたのかも、日本号は知っている。それゆえの問いかけだった。
「……ああ。とても」
『そうかよ。じゃあまあ、今度紹介でもしてくれ』

 ああ、と頷くと通話が切れた。ふうと息を吐いてスマートフォンを鞄にしまって再び寝室へと戻る。光忠は目を閉じて寝ているようだった。起こしてはまずいかと無言でもぞもぞとベッドに潜り込むと、横から腕が伸びてきてぎゅうと抱きしめられる。
「おかえり」
「……起きてたんですか」
 腕の中から見上げると、薄暗闇に金の目がきらりと光った。
「まあね。誰からだった?」
「従兄です。前に話したでしょう、大酒飲みの従兄がいるって」
「ああ、そういえばそうだったね」
「飲みの誘いだったので、断ってきました。あと、光忠さんを紹介してほしいって」
「僕を?」
 意外そうに首を傾げられる。

「その、色々と相談に乗ってもらっていたので」
「……そうか」
 それで光忠は何かを察したらしかった。
「それは、僕も一度きちんとご挨拶しないとだな」


 それから数週間後、待ち合わせに指定していた居酒屋の前で、長谷部は意外な人影を見つけて目を丸くした。
「……日本号、か?」
「おうよ」
 日頃から生やしている無精髭を綺麗さっぱりと剃りあげて髪も整え、かっちりとしたスーツに身を包んだ見慣れぬ従兄の姿を、爪先から頭のてっぺんまでじろじろと眺める。普段は実家の酒屋を手伝っているのでラフな姿しか見たことがなかったが、

「……ヤクザかと思ったぞ……」
「うるせえ。福岡のおばさんからもおまえさんのことは頼まれてんだよ。一応俺なりのケジメだ、ケジメ」
 そう言いつつも髭がないのはやはり気になるらしく、日本号は「ちっとすーすーするがな」と自分の顎をつるりと撫でた。

「そういやあ、その社長さんとやらはまだか? そろそろ待ち合わせの時間だが」
「ああ、さっき駅に着いたって連絡があったからもうじき来ると思うが――」
「ごめん、お待たせ」

 そう後ろから聞き慣れた声をかけられ、長谷部はぱっと顔を輝かせて振り返り、固まった。
「電車がちょっと遅延してて。待たせてすまなかったね」
 黒のロングコートに、同じく黒に極細の白縞が入った三つ揃えのスーツを着こなし、胸ポケットには臙脂色のチーフをあしらった光忠がそこに立っていた。

「……おい、あれマフィアのボスじゃねえのか」

 背後でぼそりと呟いた日本号の腹にすかさず肘鉄を入れた。低く呻いて体を二つに折る従兄のことは無視することにして、長谷部は光忠に笑顔を向ける。
「いえ、こっちも今来たところなので」
「そうかい?」

 自分たちの脇を通り過ぎる女性が振り返ってこちらを見ている。すこし離れたところに立っていた二人連れはこちらを見て何かひそひそと話していた。

 目立つ。非常に目立っている。長谷部は内心冷や汗をかいた。
 ヤクザの若頭とマフィアのボスに挟まれた自分は一体何者に見えているのだろうか。ちなみに長谷部の服装はジャケットにシャツに綿のパンツといった比較的ラフな格好だ。

 今日の店のセレクトは長谷部だったが、それなりの価格帯で個室の居酒屋を取った過去の自分に最大限の感謝を送る。さすがにこれだけ衆目を集める二人を連れて鄙びた定食屋に入る勇気は長谷部にはない。
「とりあえず中に入りましょう。紹介はその後で」
 二人の背中をぐいぐいと押しながら居酒屋に入る。店員に名前を告げると奥まった個室に通され、長谷部と光忠が並んで座り、光忠の向かいに日本号が腰を下ろした。

「……ええと、光忠さん、こちらが俺の従兄の日ノ本号です。あだ名は日本号」
「初めまして、長船光忠です」
「初めまして、日ノ本号です」
 どちらも笑みを浮かべてテーブルの上で握手を交わす。
「日本号というと、もしかして三名槍のあの日本号が由来?」
「ああ、元々親が歴史好きでな。家が酒屋ってのもあって昔から周りには日本号って呼ばれてるぜ」
「そういえば長谷部くんも刀工の名前だね。日本刀に縁のあるお家なんだ」

 表面上和やかに会話が進んでいることにほっとしていると、店員が水とおしぼりを運んで来た。湯気の立つ熱々のおしぼりで手を拭き、メニューを机の上に開いて置く。
「俺はとりあえずビールにしますけど、光忠さんはどうします?」
「僕も最初はビールでいいかな」
「俺は日本酒にしようかね。ちょうどよく純米の新酒があるみたいだしな。あんたらも飲むかい?」
「僕は貰おうかな。長谷部くんは?」
「貰います」

 ビールを二杯と日本酒二合とお猪口を人数分、それから料理を適当に数品頼むと、すぐにお通しの肉じゃがと一緒に酒が運ばれてきた。手酌で日本酒を注ごうとする日本号の手元からさりげなく徳利を取り、光忠がお猪口に注いでいく。
「お、社長さんに酌させちまって悪いねぇ」
「はは、今日はプライベートだし、そういうのはなしで頼むよ」
「そうかい」

 なんとなく不穏な空気を感じて来たので、長谷部は慌ててビールのジョッキを持ち上げた。
「あー、酒も来たことですし、さっさと乾杯しましょう、乾杯」
「……おまえ、敬語似合わねぇなあ」
「うるさいぞ日本号。乾杯!」
 なかばやけくそのように音頭を取ってグラスを掲げると、二人も苦笑しながら「乾杯」とそれぞれ手元のグラスとお猪口を持ち上げた。

◆ ◆ ◆ ◆

 それなりに順調に会話が進んだあたりで、酒で顔を赤くした長谷部が「ちょっと手洗いに」と言って席を外した。個室の扉をカラカラと開けて出ていく背中を視線で見送ってから、「さて、」と日本号が腕を組む。
「俺に何か話があるんじゃないですかね」
「それは君の方じゃないかな?」
 しばし睨みあいが続いた後、先に視線を外したのは日本号の方だった。はあと溜め息を吐いてテーブルの上に頬杖をつく。

「やめやめ、腹の探り合いは苦手なんだ。さっさと本題に入るぞ。……あんた、本当に長谷部を大事にする気はあるんだろうな?」
「勿論」

 間髪入れずに返って来た答えを、それでもその真意を探るように日本号はじっと見つめている。そんな相手の様子に苦笑しながら、光忠は言葉を重ねた。
「……生まれて初めて、心からいとしいと思える相手に出会えたんだ。僕の生涯をかけて大事にしようと、そう思っているよ」
「あの坊ちゃんはあれでなかなか繊細だし、面倒だぞ」
「寂しがり屋で素直じゃないところも可愛いと思ってるよ」
「いつか、あんたより若い奴に心変わりするかもしれねえ」
「それは、」
「それはないな」

 口を開きかけた光忠の言葉を遮るように個室のドアが開いた。現れた長谷部の姿に二人が目を丸くする。
「俺も、光忠さんと生涯添い遂げるつもりだ」
 長谷部くん、と名前を呼ぶ声に長谷部が照れくさそうに笑みを返す。

「あーあー、わかったよ。お幸せに、お二人さん」

 日本号はがしがしと頭をかいてやけっぱちのようにそう言うと、ぐびりとお猪口の酒を飲み干した。
「…………いい相手捕まえたじゃねえか、長谷部」
 ぼそりと零れた言葉に、椅子に腰かけた長谷部が「当然だろ」と返すのを、光忠は微笑みを浮かべながら眺めていた。


「酔い覚ましに、すこし散歩でもしようか」
 店を出て日本号と別れた後光忠がそんなことを言ったので、近場の公園まで歩くことにした。人気のない夜の公園には梅の木が植えられていて、冷たい夜風に素朴な香りが乗って流れてくる。はあと吐いた息が白く曇らなくなったのはいつだったか。気づかないうちに季節はゆっくりと、しかし確実に春へと向かっている。
 遊歩道沿いの紅梅を見上げていると、そっと手を握られる。振り返ると、まっすぐな金色の視線とぶつかる。

「長谷部くん」
「はい」
「本当は君のご両親にご挨拶した後に思っていたんだけど」
「はい」
「君に首輪を贈らせてくれないか」

 ぱちりと藤色の瞳が瞬いた。
「僕は君よりかなり年上だし、会社では君の上司だし、これから障害もきっと沢山あると思うけど、僕は君を幸せにしたい。君と幸せになりたいんだ」
 目元に優しく皺を寄せながら、光忠が口を開く。

「僕を君だけのDomにさせてくれ」
「……光忠さん」

 声が震える。ぶわりと視界が滲んで歪んで、目から涙が零れ落ちた。
「俺も、これからもずっと、貴方だけのSubでいたいです」
 握られていた手を両手でしっかりと握り返すと、光忠の顔がゆっくりと近づいてくる。瞼を下ろす。唇が触れあう。

「…………あ、」

 数秒だけ触れて離れていった唇に、思わず追い縋るような目を向けてしまう。そんな様子をくすりと笑われてゆるりと頬を撫でられた。
「……ホテルと家、どっちがいい?」
「家が、いいです」
「僕の家でいい?」

 ここからなら光忠の家の方が近い。こくこくと頷くと、「じゃあ行こうか」と手を引かれた。いつもよりペースの速い歩き方に、長谷部も慌てて足並みを揃える。いつになく急いた仕草に、光忠も待ちきれないのだと知れて、長谷部はひっそりと笑みを浮かべた。


「……ん、む」
 ぴちゃ、ぺちゃ、と水音を立てながら、長谷部は椅子に座る光忠の下肢に顔を埋めている。
 シャワーを浴び終わってから愛し合おうと主張した光忠に、待ちきれないから風呂場でしたいと言い出したのは長谷部だった。それを特に咎めるでもなく艶のある笑みを浮かべて「じゃあ、”Lick”して貰おうかな」と言ったのは、光忠もやはり長谷部とのプレイを待ち望んでいたからに他ならなかった。

 光忠に口で奉仕するのは初めてで、長谷部は勝手がわからないなりに自分が普段されているやり方を真似てみる。ゆるく立ち上がったモノの、ぷくりと膨らんだ先端にキスをして舌でそっと触れる。事前にボディソープで洗った陰茎からは、石鹸の清潔な香りがする。

 亀頭を舌で撫で、鈴口をそっとほじるように動かすと、手の中で陰茎がむくむくと硬くなっていく。普段自分の中を蹂躙してとめどない快楽をもたらすものが自らの手で育っていくのを見るのは、すこし楽しい。光忠がいつもよく長谷部に”Present”させて口淫を施す気持ちがよくわかる。
「唇で挟んで、そのまま飲み込んでごらん。歯は立てないで、そう、上手」
 指示される通りに唇を触れさせ、そのまま口の中に迎え入れる。熱くて硬い。舌を動かして裏筋をつうっとなぞると、頭上から息を詰める音がした。
「っ、ん、そう、そのまま上下に動かしてみて」
 じゅるじゅると音を立てながら光忠のペニスに奉仕する。そのやり方を褒めるように撫でてくる光忠の手の感触が気持ちいい。

 口の中に塩気まじりの味がする。きっと先走りの味だ。光忠が自分の稚拙な愛撫で感じてくれているのがわかって嬉しくていとしい。喉奥まで飲み込んで口の中をきゅうと絞り込むと、光忠の太股がぴくりと震えた。
「は、ぁ……うん、いいよ。そろそろ離して」
 ずるんと口から砲身を引き抜くと、光忠は猫の子をあやすように長谷部の喉を撫でた。

「”Good boy”。次は長谷部くんの下のお口で可愛がって貰おうかな。そこの壁に手をついて立ってごらん。お尻はこっちに向けて。上手に”Present”できたら、いっぱいご褒美をあげる」

 バスルームのひやりとした壁に手をついて、光忠に向けて腰を突き出すようにすると、すぐにぬるんとした感触が尻に当たった。光忠の舌だ、とわかると同時にぶわりと体温が上がる。光忠にそこを舐められるのは恥ずかしくてたまらないのに、気持ちがいい。気持ちよすぎて駄目になるのを光忠もわかってやっているのだから、意地悪だと思う。

 それでも、その意地悪さえ好ましいと思うのだから、救いようがない。

「っひ、ぁ、んん」
 光忠の長い指が長谷部の尻たぶをゆっくりと割り開く。普段は秘められている場所が空気に晒されてなんとなく心もとない。つん、と後孔をつつかれて背筋にぞくぞくとしたものが走る。
「や、ぁ、あ!」

 とんとんと穴の縁をつついていた舌がやがて体内に押し入ってきた。にゅる、じゅく、とはしたない音を立てて吸われ舐められ、長谷部の頭の中は羞恥と快感でぐらぐらと煮えたぎるようだった。それなのに、光忠によって拓かれた身体は、その先の快楽を求めて今か今かと涎を垂らして待ち望んでいる。
「み、みつ、たださ」
 名前を呼ぶとすぐに舌を引き抜かれ、指が入ってきた。
「んんっ、あ、いい、です、そこっ……」

 この一ヶ月で長谷部の体をすっかり知り尽くした指が、的確に中のイイところを刺激してくる。ふっくらと膨れたしこりを二本の指で挟むようにして刺激されると、快感で膝ががくがくと震えた。
 長谷部の陰茎はまだ触れても触れられてもいないのに立ち上がってだらだらと先走りを流している。気持ちがいい。だけど、まだ足りない。

「あっ、んぁ、みつたださ……も、欲し、ぃ」
「……どこに、何が欲しいのかな? 言ってごらん。”Say”」

 ぐりぐりと前立腺を刺激されてばちばちと視界が瞬く。こういう時に光忠が好む言い方も、長谷部はもう知っている。既に張り詰めていた理性の糸がぶちりと切れる音がした。
「ぁ、光忠さんの、おっきなおちんちんで、俺のはしたないおしりまんこ、じゅぽじゅぽしてくださいっ……!」

 “Good boy”と告げられるのとほぼ同時に指を引き抜かれ、代わりに熱くて硬くて太いものが体内をみちみちと満たしていく。
「あぁあああっ、ん、っ」
 腰をがっしりと掴まれ、隘路をごりごりと擦りながら最奥まで埋められると、快感と充足感で頭がいっぱいになる。

「……入れただけでイッちゃったね」
 視線を下げると、バスルームの壁にべったりと白濁が飛び散っている。挿入されただけで達したのだとわかったが、それを恥ずかしく思う理性なんてもう残っていない。

「ん、光忠さん、うごいて……」
 この先の快感を求めて腰を揺らめかすと、こめかみにキスをされた。
「感じやすくてかわいい、僕の長谷部くん」

 律動が始まる。嵐の海に浮かぶ小舟のような心地で必死に光忠の動きに合わせながら快楽を貪る。ぱん、ぱん、と肉のぶつかる音が響く。
「ぁ、ん、ア、ああっ、や、」
「は、好き、好きだよ、長谷部くんっ……!」
「おれ、俺も、好きです、んっ」
 口寂しくなって後ろを振り返るとすぐに唇を塞がれる。上も下も頭の中も光忠で占められていて、それが幸せでたまらない。
「っく、ん、出す、よ……っ」
 光忠が眉を寄せて歯を食いしばると、腰の動きが速くなる。長谷部だって限界が近い。

「光忠さ、俺も、」
 一緒に、と切れ切れに呟くと前に手を伸ばされて上下に扱かれる。
「あ、あっ、あああぁっ」

 絶頂と共に後膣をきゅうきゅうと締めつけると、光忠が最奥で果てる感覚がした。
 は、は、と荒い息を吐いて射精の余韻をやり過ごしていると、光忠がずるずると体内から抜け出て行く。
「……あ……」
 寂しげな声が出てしまったのをなだめるように頬を撫でられる。
「ん、みつたださん……」
 甘えるような声で手に頬を擦りつける長谷部をいとおしげに見つめながら、光忠はそっとその耳元で囁いた。

「……続きはベッドで、ね」
「ふ、ぁ」
 思わず力が入ってしまった後ろの孔からとろりと精液の溢れ出る感触がした。


 ゆっくりと意識が覚醒する。
 ぱちぱちと瞬きしながら寝返りを打つと、光忠の整った寝顔が視界いっぱいに入って狼狽えてしまう。付き合いたての頃はなかなか見せてくれなかったこういう隙のある姿も、最近は見せてくれるようになったので、長谷部はそれがすこし嬉しかったりもする。

 しかし、寝起きにいきなり好きな相手の顔がアップで視界に入るのは、あまり心臓によろしくない。理不尽な言い分だとわかっていても、長谷部は口を尖らせつつ八つ当たり気味に光忠の鼻を軽くつまんだ。起きている時はきりりとした眉がへにゃりと情けなく下がるのにくすりと笑いが漏れる。
「……随分楽しそうだね」

 え、と身構える間もなく、腕の中にぎゅうと抱き込まれてしまう。
「起きてたんですか」
「起こされたんだよ」
 おはよう、と言いながら光忠は長谷部の額に唇を落とした。あれだけ体を重ねても、光忠のこういう仕草にはいつまで経ってもどきどきしてしまう。これにもいつか慣れる日が来るんだろうか。

「長谷部くん、体調は?」
「ちょっとだるいですけど、大丈夫です」
「そっか。じゃあご飯食べたら、首輪を見に行こうか」
「え、もう?」

 昨日の今日でいきなり見に行くとは思っていなかったので、まんまるに目を見開いてしまう。
「善は急げってね。駄目かな」
「駄目、じゃないですけど」
「けど?」
 光忠の手がさわさわと長谷部の脇腹を撫でる。
「ん、くすぐったい」
「それとも、今日はずっとベッドでいちゃいちゃする?」

 それはそれで魅力的な誘いに聞こえてしまって、長谷部は自分に呆れてしまった。我ながら快楽に弱すぎる。
 さすがに怠惰が過ぎるとどうにか自分に言い聞かせ、長谷部は「メシにしましょう」と誘惑を振り切るようにがばりと起き上がった。
 ベッドから降り、着替えのシャツと下着に手足を通してぺたぺたと歩き出すと、追いかけるように光忠も起きてきた。

「長谷部くん、今日はキスしてくれないの?」

 振り返ると、にこにことした笑顔があった。
「……素面だと、ちょっと恥ずかしいというか」
「でも、僕は好きだな。長谷部くんから愛情表現されるのは嬉しいよ」
「命令してくれればいつだってするのに」
「それじゃあ意味ないだろう?」

 それはもっともな話だったので、ぐうと言葉に詰まる。

「君からキスされるとね、愛されてるって感じがするんだよ」
 そう言っていとおしげに微笑まれると、長谷部にはもう断れなくなってしまう。

 顔を上向けて、すこし高いところにある唇に自分のそれを重ねる。ちゅ、と触れるだけの子供だましみたいなキスでも、光忠は本当に嬉しそうに子供みたいに笑うのだ。その顔を見ると、泣き出したいような、目の前の年上の恋人に抱きついて頭を撫でてやりたくなるような、不思議な心地がする。
「ちゃんと好きですよ」
「うん、わかってるよ」

 この先、きっと自分たちを沢山のことが待ち受けているのだろう。またすれ違ったりするかもしれないし、喧嘩だってするかもしれない。泣いたり笑ったり怒ったり、そういうことを一緒にひとつずつ乗り越えて、その度にキスができたらと思う。

「…………これからも、いっぱいキスしましょうね」

 告げた言葉はすぐに唇の間に飲み込まれた。

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