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運命の出会いというものがあるなら、僕はあれだったと確信を持って言える。
あれはまだ夏になったばかりの頃だった。
職場の飲み会の帰り、繁華街を歩いていると、道の途中で男女が言い争ってるのが聞こえた。慌てて足を止めたのは、視界に入った女性の方に見覚えがあったからだ。
彼女は僕の患者のSwitchで、勤め先のキャバクラでタチの悪いDomに絡まれて困っているのだと、最近聞いた話を思い出す。
Switchは珍しいので、いつもと毛色の違った相手を屈服させたいという歪んだDomの標的になりやすい。Glareを出しているところを見ると、あの男がそのDomなのだろう。
Glareで容易に女性を屈服させられないと見ると、Domの男は暴力に訴えることにしたらしい。大きく拳が振り上げられる。あちこちから悲鳴が上がった。
「Switch風情が生意気言ってんじゃねぇよ!」
僕が駆け出すより早く、男の顔に高級そうな革靴がめり込んだ。
女性を背中で庇うように立ちながら、男の顔にハイキックを食らわせたその人は、ネオンを反射して鋼のように輝く煤色の髪を揺らして馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らした。
「言葉で説得できないなら次は暴力か。見下げ果てた奴だな。同じDomとして軽蔑するぞ」
男は打ち所が悪かったのか地面に転がったままぴくりとも動かない。完全に昏倒しているようだった。やっと近くの店から警備員らしき男達が出てきて、ずるずると倒れたDomを引きずって路地裏に運んで行った。
それを一瞥してから、彼はくるりと振り返った。藤色の優しい視線が女性に注がれる。
「怪我はないか?」
「あ、はい。あの、巻き込んですみません……!」
慌てて頭を下げる女性に、彼は苦笑を返した。
「あの男が全部悪いんだ。君のせいじゃないだろう」
「あの、でも、私、Switchだから……」
彼女の言いたいことはよくわかる。歪んだ思想を持つDomやSubの欲望に巻き込まれることに、Switchは慣れざるを得ない。悲しいことに。
できそこない、半端者。昔父親に言われた言葉が脳裏を過ぎって気分が悪くなる。違う。そんなことない。頭ではとっくにわかっているのに。
思わず唇を噛みしめそうになった時、耳に凛とした声が届いた。
「いや、Switchは恥じるような性じゃないだろう。Dom性とSub性どちらも持っているんだ、人生を二倍楽しめる、素晴らしい性だと思う」
何を知ったふうなことを、といつもなら思っただろう。Switchとして生きる息苦しさも苦労も知らないくせに、綺麗事を言うなと吐き捨てただろう。
だけど、彼が本気で彼女を慰めようとしてるのがわかったから。
不器用そうに、拙い言葉で、まっすぐにその目を見つめながら注がれる優しさを、彼女はしっかりと理解したようで、涙ながらに頷いていた。
「っ……ありがとう、ございます……」
「一人で帰れそうか? 良ければ駅まで送っていくが」
「大丈夫、です。今日はこの近くの友達の家に泊めて貰うので」
「そうか。気をつけてな」
彼女が雑踏に消えるまで、彼はじっとその後ろ姿を注意して見守っていた。彼女が完全に見えなくなってからようやく彼は鞄を持ち直して駅の方面に歩いて行く。そのまっすぐに伸びた背中から目が逸らせずに、僕はいつまでも彼を眺めていた。
『人生を二倍楽しめる、素晴らしい性だと思う』
はたして僕はそう思えたことはあっただろうか? もうこの性を恥じてはいないけれど、Switchでなければ、と思ったことは今までの人生何度もある。DomとSub両方の欲求を手軽に満たす為、行きずりの相手と一晩限りの合意のプレイをするか、抑制剤を飲んで我慢するか。それが二倍の面倒な性だと、そう思っていたけれど。
「そういう考え方も、ある、か……」
ああ、いいなあ。そう思った僕はいつの間にか笑みを浮かべていた。
彼のパートナーになれたら、きっと幸せだろうな。
それから僕はこの辺りのダイナミクスバーに片っ端から顔を出して情報収集をした。煤色の髪に藤色の瞳。僕よりは低いけれど高い身長のDom。知り合いが世話になったようだからお礼がしたいとあながち嘘でもない理由をつけて彼の特徴を話してみると、四軒目で「それなら長谷部だろう」と彼の知人に当たったのは僥倖だった。
長谷部国重。二十八歳会社員。パートナーとは長く続かないことで有名なこと。それから、今は十何人目かのパートナーと交際中であるということ。
それを聞いた時の僕の落ち込みようは相当なものだった。
どうにかして彼とお近づきになりたいと思ってはいたけれど、略奪愛は僕の主義に反する。
けれど、彼はパートナーと長続きしないことで有名なDomだ。聞いた情報を総合するに、あと三ヶ月、早ければ一ヶ月保てばいい方だろう。
僕は最低なことに彼がパートナーと早く破局するように毎日祈りながら過ごした。
そんなある日のことだ。
久々に親戚の経営してるダイナミクスバーに顔を出そうと足を向け、店内で彼を見つけた時には心臓が止まるかと思った。
どうして、なんで、彼が、ここに。
今日はここはカップルデーだから、まさかパートナーとデート中なのだろうか、と思ったけれど、こちらに背中を向ける彼の足元にはSub用のラグは敷かれていないし、両隣の席は空いている。完全に一人のようだった。まさか、別れたのだろうか。
ドキリと心臓が脈を打つ。やっと、彼が、フリーに。
なんとかして近づけないだろうか、と入口でカウンターの方を眺めて逡巡する僕を、近くの席のカップルが怪しげに見てくるが知ったことじゃない。
どうしよう。なんて声をかけよう。迷っているうちに彼は慌てたように鞄をごそごそと漁り、銀色にきらめく薬剤のシートを取り出した。
職場でも自宅でも見覚えのありすぎるそのシートと、その薬を明らかに酒で流し込もうとしている彼の様子を見たら、自然と体が動いていた。
「そういう飲み方は感心しないなぁ」
彼の腕を掴み、やんわりと動きを止めさせる。
「隣、いいかい」
答えを待たずに強引に椅子に座った。
親戚のマスターにカクテルと水を注文し、二言三言交わしながら、必死に頭を巡らせる。
彼について知ってることはそれほど多くはない。名前とダイナミクス性、パートナーとはあまり長続きしないこと、生真面目で頑固で、そして、とても優しい人だということ。
水を渡す為に腕を離し、隣の彼の様子を伺う。なんとなくプライドが高そうだな、と職業的な勘を働かせる。
「それ、抑制剤だろう。服用するならちゃんと水で飲まないと」
一応医療関係者の端くれとして注意をすると、明らかに彼は気分を害したようだった。それでも素直に薬を水で飲むあたり、根はきっと素直なのだろう。
ならば、と僕は作戦を定めた。
「君は薬に頼らなきゃならないほど欲求の強いDomなのかな」
「は?」
「うーん、でも支配欲が強いタイプでもなさそうだね。単純に長期間いいパートナーに恵まれてないのかな」
失礼なことを言っている自覚はある。
視界の端で普段の僕をよく知っている親戚のマスターが驚いたような顔をしているのが見えた。僕だってこんなことを言うのは本意ではない。それでも。
彼のプライドを傷つけることで印象を強く植えつけて、その隙に入り込む。我ながら下衆で姑息な手段を僕は選んだ。
「……彼らのことを悪く言うな」
けれど、彼は自分のプライドよりも悪く言われた過去のパートナー達の名誉を守った。
ああ、好きだな。そう思う。潔くて、優しくて、ほんのすこし不器用で。
彼の中の僕の印象を和らげる為に、慌てて謝罪する。名刺を差し出すと、びしっと両手で受け取られた。そんな生真面目で律儀そうな様子も好ましく思えてしまう。
「僕は長船光忠。ダイナミクスカウンセラーをしているんだ。職業柄、ダイナミクスで悩んでそうな人は放っておけなくてね」
半分本当で、半分嘘だ。仕事以外で他人のプライベートに踏み込むほど、僕はお人好しじゃない。あるのは純然たる下心だ。
僕の紫のネックストラップを見て、彼は薄い藤色の瞳を丸くする。
「Switch…?」
そうだよ。僕はSwitchだ。
あの日、君の知らないところで君によって救われたSwitchだよ。
心の中でそう囁きかける。きっと彼にはわからないだろう。知らなくていいし、教えるつもりも今はない。
初めて心の底から欲しいと思ったひと。彼の為なら、僕は彼の必要とする器用なSwitchを完璧に演じきってみせる。たとえそれがどんな茨の道であろうとも。
◆ ◆ ◆ ◆
「光忠、この荷物こっちでいいか」
「うん。ここにまとめて置いちゃって」
長谷部くんが引っ越しの荷物を運びながら尋ねて来たので、僕は手元のダンボールを開封しながら返事をした。よいしょと僕の隣にダンボールを下ろす長谷部くんの首元にはラベンダー色の首輪がその存在を主張し、僕のイニシャルの刻まれたタグが小さく揺れている。
僕と長谷部くんと出会ったあの夏からもう半年が経った。
長谷部くんはSwitchとしての僕のことを理解し、己のDomとしての挟持を曲げてでも僕のダイナミクス性を受け入れてくれた。今でもまるで夢のようだ。心底惚れ抜いた恋人と甘ったるい毎日を送っている僕だったが、実は長谷部くんには僕達の本当の初邂逅のことは未だに話していない。
「ふう……疲れたな。夕飯は外食か、出前でも頼むか」
「近所に美味しい蕎麦屋さんがあるよ」
「本当か。じゃあそこに行こう」
僕の隣で子供みたいにはしゃぐ長谷部くんが、愛しくてたまらない。
いつか、全部君に話せる日が来るだろうか。本当はずっと前から君が好きだったこと。君の手を掴む為に、君に見えないところで僕がみっともなく必死に藻掻いて足掻いていたこと。格好いい君は「無様だなぁ」なんて苦笑して、それでもまるごと包んで許してくれるのだろう。
「光忠? どうした?」
でも今はまだ、もう少し。臆病な僕があと一歩を踏み出すまで。
「待っててね、長谷部くん」
「うん?」
「君が大好きだよって、そういう話」
さっと頬を染めたこの世で一番愛しいDomに、僕は心からのキスを贈った。
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