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どんなに嘆こうが落ち込もうが、時間は勝手に過ぎていくし腹は減る。仕事だって家事だってある。
ここ最近の好調さが嘘のように、ここ数日はつまらないミスを繰り返してしまった。メールの送信先を間違え、重要書類をシュレッダーにかけ、客先での打ち合わせには名刺とレジュメを忘れた。新入社員でもやらないようなミスを連発する長谷部に、とうとう上司から「もう帰った方がいい」と言われ、仕方なく有休を取って帰宅して今に至る。
味のしないコンビニのおにぎりをもそもそと食べながら、長谷部は自宅のテレビをぼんやり眺めていた。番宣に来ていた俳優が何かかっこいい台詞を言って黄色い悲鳴が上がる。
「……あんなのより、光忠の方がよっぽど」
かっこいい、と言いかけてやめる。首を横に振ってからテレビの電源を消し、そのままベッドにどさりと身を横たえる。
ちらりとスマホの液晶を見てみるものの、光忠からの連絡はまだ来ていない。
自分から連絡を入れてみるか。そう思ってスマホに手を伸ばす。しかしもし着信拒否やブロックをされていたらと思うと、途端に指が動かなくなった。大体、何を言おうと言うのだ。謝罪も懇願も、きっと光忠は求めてはいないだろう。
「っ…………!」
光忠と自分との関係は一体何だったのだろう。
パートナーで恋人だと、この世でただ一人の無二の相手だと、そう思っていたのは自分だけだったのだろうか。結局長谷部は光忠が己の秘密を曝け出せるほど信頼されていなかったと、そういうことなのだろうか。
せめて、光忠の抱えていたものを、もっと早くに気づいてやれれば。悔やんでも悔やみきれないことを、思う。
「…………くそ、」
Domとしての本能が片割れを求めてぐるぐると唸り声を上げるのを感じて、長谷部は起き上がって鞄に手を突っ込んだ。抑制剤はまだあった筈だ。
薬のシートに手が触れるのと同時、カサリとした何かに指先が当たったので、気になって引っ張り出す。
それはいつか光忠とデートした時に引いたおみくじだった。吉という文字の上に光忠の字で「大」と付け足され、恋愛運の欄に赤丸がつけられている。
この人となら幸福あり。
そう書かれた文字を見て、長谷部の瞳からじわりと涙が溢れ出した。
幸福。幸福だった。長谷部は、光忠といて間違いなく幸福だったのだ。光忠だってそうなんだと、疑いもせず馬鹿みたいにそう思っていた。
自分が情けなかった。光忠の悩みに気づきもせず、与えられる愛情に胡座をかくばかりで、のうのうと瑕疵のない幸福を享受しきっていた、自分が。
思えば、長谷部はSwitchとしての光忠を受け入れていたつもりで、その実何一つ理解してはいなかった。知るべきだった。知ろうとすべきだった。怠慢だ。本当に情けない。
でも。こんなに死にたくなるほど自分が情けなくなっても、それでも光忠を手放そうとは思えないのだ。光忠がいいと、あいつでなければ嫌なのだと、心が叫ぶのだ。
――長谷部くん。僕のDom。君が好きだ。君のSubになりたい。
あの時あの言葉を、光忠は一体どんな気持ちで言ったのだろう。
知りたい、と思った。
何が真実で、何が嘘で、光忠はどう思っているのか。どう思ってきたのか。その全てを、長谷部はきっと知らなくてはならない。
長谷部は意を決してスマホに手を伸ばすと、一つの連絡先を入力した。
そうして長谷部が光忠より先に連絡を取ったのは、同じDomの知人である宗三だった。
「貴方から呼び出すなんて珍しいですね」
宗三は席に着くなりそう言うと、おしぼりを持ってきた店員に「ブレンドひとつお願いします」とメニューも見ずに告げた。かしこまりました、とクラシカルスタイルのメイド姿の店員が店の奥へと消える。
「その顔を見ると、例のSwitchと一悶着ありましたか」
「……Switchについて、おまえの知ってることを教えてくれ」
ぱち、と色違いの双眸が瞬いた。
「まさか知らずに付き合ってたんですか?」
「DomとSub両方の性質を持ってる、その程度だ」
「ああ、なるほど。そういう……」
元々勘のいいところのある宗三は、長谷部の答えですぐにある程度の状況を察したらしい。長い指先が考え込むように己の唇をとん、と叩く。
「そういえば貴方のご両親はNormalでしたっけね。貴方ダイナミクスのコミュニティにもろくに顔出してないですし、柄の悪い客層の店には行ってなかったみたいでしたね。Switchのことを大して知らないと聞けば、まあ、納得はできます」
今でこそダイナミクス性についての性教育は学校で行われているが、ダイナミクス性についての検査や性教育が義務化されたのは長谷部達が高校生を卒業する頃だった。
当時謎の飢餓感と体調不良に苛まれて病院に駆け込んだ長谷部は、そこで初めてダイナミクスの検査を受けてDomと診断され、その性についての簡単な説明を受けた。
この世には男女以外の性を持つ人間がいること、Domは支配欲求、Subは被支配欲求を生まれつき持ち、Switchはそのどちらでもあり、数が少ないこと。事実長谷部が今まで会ったダイナミクス性持ちの中で、Switchに会ったことはほとんどなかった。
「俺はSwitchは文字通りDomとSubどちらにも切り替えられる性なんだと、そう思っていた。だが、」
「現実は違っていた、と」
「……あいつがDomの抑制剤を飲んでいたのを見た。パッケージが昔俺が飲んでいたものと同じだったからすぐにわかった」
そう言って項垂れたタイミングで、店員が宗三の前にコーヒーを運んできた。
「お待たせしました。ブレンドコーヒーです。お砂糖とミルクはおつけしますか?」
「結構です」
「かしこまりました」
店員が立ち去ると、宗三はふーっと長い息を吐いて背もたれに体を預けた。
「……お察しの通り、SwitchはDom性とSub性の両方を持ち、その両方の欲求に振り回される性別です」
予想通りの答えに、長谷部は唇を噛みしめた。やはり。
「大多数のSwitchはDomとSub両方のパートナーを持つか、それでなかったらDomかSubどちらかのパートナーを持った上で、もう片方の性の抑制剤を飲んで過ごすと聞いてます。Switch同士で付き合えたら本当は一番いいんでしょうけど、そもそも絶対数が少ないですからね」
ぐ、とテーブルに載せていた拳を握る。
「……どうしてそんな重要なこと、俺に黙っていたんだ」
「そんなの本人にお聞きなさいな。僕が代わりに答えたところでどうなるって言うんです」
その通りだった。返す言葉もなく押し黙っていると、宗三はコーヒーカップの華奢な取っ手に指をかけて持ち上げる。
「一部の歪んだ思想を持つDomやSub達に、Switchがなんて呼ばれているかわかりますか?」
「いや……」
「『半端者』」
ぴくりと長谷部の眉が動く。
「あとは『できそこない』とか『なりそこない』とか。まあそんな感じで。それで大体Switchのコミュニティ内での立場は察せられるでしょう」
そう言うと宗三はコーヒーカップに口をつけ、眉を寄せ拳を握る長谷部をちらりと見やった。
「貴方はどう思います?」
「……馬鹿げた考えだ」
「同感ですね」
ふふ、と笑みが返ってくる。
長谷部は、今までの光忠の様子を思い出した。笑った顔。困った顔。最後に別れた時の苦しげな顔。それから。
――これからも末永くよろしくお願いします。
あの時の光忠の笑顔は、きっと本物だった。
光忠がその過去に何を抱え、笑顔の裏でどんな思いを抱いていたのか、長谷部は知らない。あの言葉を、どんな思いで口にしたのかも長谷部にはわからない。
嫌われてはいないと思う。向けられた信頼も愛情も、思い出せば出すほど本当だったとしか思えない。そこで嘘をつき続けられる程、長谷部は光忠を器用な人間だとは思っていなかった。
こうして宗三からSwitchについての情報を得て、光忠を知りたいという気持ちはますます強くなった。
そして、光忠が今も苦しんでいるなら、どうにかして救ってやりたいという気持ちも湧き上がってくる。光忠がまだ長谷部を諦めていないのなら、いや、たとえ諦めていたとしても、その手を取って暗闇から救い出してやりたい。決意の炎が胸に宿る。
「…………ありがとう。決心がついた」
「どうするんです?」
「光忠に会いに行く。会って、話をする」
「会話を拒否されたら?」
「コマンドでもGlareでもなんでも使って聞き出してやる」
「傲慢ですね」
「Domだからな」
そう言うと、宗三は唇で弧を描き、テーブル脇の伝票をぴっと指で挟み取った。
「ここの会計は僕が済ませておいてあげますよ。ご祝儀代わりにね」
「恩に着る」
「そんなのいいから早くお行きなさい。……パートナーが待ってるんでしょう」
ありがとう、と頭を下げ、長谷部は荷物を持って立ち上がった。
腕時計を見る。まだ正午になったばかりだ。この時間ならきっと光忠はまだ職場にいるだろう。
以前伝え聞いた光忠の職場は、比較的大きな病院だったので、この辺りの地理に詳しくない長谷部でもすぐに辿り着けた。
来たはいいものの、どうやって光忠に会ったものか。個人情報保護に厳しい昨今、友人ですなんて言って即面会できるとは思えない。ここはやはり正攻法で診察とカウンセリングを受けるべきか。長谷部が病院の受付の前で考え込んでいると、目の前を看護師達がばたばたと走っていく。
「誰か警備の人呼んで!」
「今長船先生が対応を……」
そんな声が聞こえ、長谷部は慌てて看護師達の来た方向を見た。長船なんて名字がざらにあるとは思えない。十中八九光忠のことだろう。
精神科と書かれた病棟の廊下に進んで行くと、一人のDomらしい男が白衣を着た医師に羽交い締めにされていた。男がDomだとわかったのは男から激しいGlareが発されていたからだ。この距離でもわかるのだから、男はよほどの興奮状態にあるらしい。もしSubがまともに食らっては敵わないだろう。加勢をすべきかと長谷部が一歩を踏み出した時、診察室のドアが開いて中から見覚えのある顔が現れた。光忠だ。
「いい加減にしてください、□□さん」
凛とよく響く声が廊下に響く。
「僕は貴方とは付き合えません」
「俺の話をあんなに一生懸命聞いてくれたじゃないか!」
「仕事だからです。貴方は患者で、僕はカウンセラーです。貴方とそれ以上の関係を結ぶ気はありません」
どうやら男は光忠に交際を迫って断られ、逆上して暴れだしたようだった。長谷部の胸中にもやもやしたものが湧きだしてくる。
「くそっ! 半端者のSwitchが!!」
男が拘束を振り切って光忠に殴りかかろうとして、そのままその場に崩れ落ちた。廊下中にびりびりとGlareが満ちている。喉元に鋭い刃物を突きつけられているかのような冷酷で容赦のないGlareは、光忠から発せられていた。
「へえ?」
光忠が片眉を上げて愉快そうに唇をくっと曲げた。
「その半端者のGlareで動けなくなってる情けないDomはなんなんだろうね」
至近距離から光忠のGlareをまともに浴びたDomの男は、青い顔で脂汗をかきながら床に膝をついている。
「……ぐ、ぅ……」
「ねえ、もう一回言ってみなよ。半端者がなんだって?」
酷薄な笑みを浮かべた光忠が男の前髪を掴んでぐいと引っ張り、無理矢理に顔を上げさせた。
「半端者のSwitchに膝を屈する気分はどうだい?」
冷たく嘲笑する光忠は、長谷部の知っている光忠とはまるで別人のようだった。
「あ……あ……」
がくがくと震え口の端から泡を零しだしたDomの男は、ようやく駆けつけた警備員達に引きずられるようにして運ばれていった。その光景を冷めた目で見送り、そこで初めて光忠は長谷部に気づいたようだった。ぎくりと光忠の顔が強張り、思わずといったように後ずさる。
「は、せべくん」
「光忠」
もう光忠からGlareは発されていない。今光忠の顔に浮かんでいるのは怯えだった。
長谷部は一歩を踏み出す。光忠はさらに一歩後ずさった。
「光忠」
もう一度しっかりと、確かめるように名前を呼ぶ。今長谷部の前にいるのは、間違いなく長谷部の恋人で、パートナーだ。
怯えなくてもいい。どうか向き合うことを怖がらないでほしい。そんな思いを込めて、長谷部は光忠にまっすぐな眼差しを向けて微笑んだ。
「なあ、聞いてくれ。話がある。俺は、おまえとちゃんと話がしたい」
光忠の仕事が終わるのを待って、長谷部は光忠と二人で光忠の家に入った。道中光忠はずっと無言で気まずい雰囲気が漂っていたが、長谷部がその手を握っても振り払われなかった。拒まれてはいないことに安堵する。
ドアを閉めて互いにリビングに入ると、ようやく光忠が口を開いた。
「……そんなに掴まなくても、逃げないよ」
意外な答えだったので長谷部は片眉を上げる。
「そんなつもりはない。俺が、ただ手を繋ぎたかっただけだ。迷惑なら離す」
それを聞いて光忠の顔が泣きそうに歪む。
「…………でも、君はもう知っちゃったんだろう」
「何を」
「Switchのこと。DomとSubの両方の欲求に苦しめられる性だって」
「……気づいてやれなくて、すまん」
長谷部の謝罪に光忠がゆるりと首を横に振る。
「君に気づかせなかったのは僕だよ。気づいてほしくなかった。君には、君にだけは知られたくなかった」
僕はね、長谷部くん。光忠がぽつりと呟く。
「Domの父とSubの母の間に生まれたんだ。父はね、離婚した母に似ていた僕に昔から当たりがきつかったけれど、僕が小学校の時に検査でSwitchだとわかると、『できそこない』って殴るようになった」
光忠は空いている手で右目の眼帯に触れる。
「酔った時に一回割れた酒瓶で殴られてね。……これは、その時の傷」
「……父親は、今は?」
「中学の頃かな。結局虐待が児童相談所にバレて僕は施設に引き取られて、父とはそれっきり」
は、と息が吐き出される。
「大きくなって、施設や病院できちんとケアを受けて、Switchはできそこないなんかじゃないって僕自身ちゃんと理解できるようになったけど、それでも自分のことなんだからよくわかってる。……Switchは、面倒な性だよ」
長谷部は繋いだままだった手にそっと力を込めた。長谷部が今までずっと握っていたというのに、光忠の手は指先まで冷たく、小さく震えていた。
「Dom性もSub性も両方持っていて、その両方に振り回される。僕は、君の重荷になりたくなかった」
「重荷になんて、思う訳がないだろう」
長谷部は病院で垣間見た光忠のGlareを思い出す。Glareの強さは欲求の強さでもある。あれだけ強いGlareを持っている光忠のDom性が弱いわけがない。光忠はずっとその強いDom性ゆえの欲求に苦しめられていたのだろう。長谷部にはその辛さがよくわかった。
「僕は純粋なSubじゃない」
光忠は長谷部の手をそっと掴み返して手の甲にキスをする。ぞろりと舌を這わせ、歯を立てる。ぴりりとした痛みが指の付け根に走った。
「君に甘やかされるだけじゃなくて、甘やかしてあげたい。服従もしたいけど屈服もさせてやりたい。Dom性もSub性も両方持ってる面倒なSwitchだ。…………僕はいつか君がSwitchなんかより純粋なSubの方がいいと、そう言い出すんじゃないかって、ずっと怖かった」
「…………それが、おまえがずっと隠し事をしていた理由か」
「そうだよ」
ぎゅうと胸が締めつけられる。光忠が抱えていたものの一端に触れて、自分より大きい筈の光忠がまるで小さな子供のように見えた。
「僕はSwitchだ。その事実はどうしたって変えられない。でもね、僕はやっぱり君のことが大好きだから、」
そこで一呼吸置いて、光忠は苦しげに笑った。
「君が望むなら、一生君だけのSubになってあげたい」
「……その場合、おまえのDom性はどうなるんだ」
Dom性が満たされない時の苦しみは、長谷部が一番よく知っている。
「……今まで通り抑制剤を飲むよ。君が気に病むことじゃ、」
「許さない」
光忠の言葉を遮り、長谷部はそれを否定してやる。
届け、と思う。暗闇の中でたった一人で藻掻く光忠に手を伸ばす。この手を取ってくれと強く願う。
「おまえの中のDom性もSub性も、全部俺のものだ。勝手に捨てるなんて許さない」
Domは支配し、甘やかし、信頼されることで充足感を得る性だ。長谷部は光忠といたこの数ヶ月、これ以上ないほどに満たしてもらった。
これまで長谷部に目いっぱいの信頼と愛情を、身を削りながらも注いでくれた目の前の男の気持ちに、今こそ長谷部が全霊で応える番だった。
「俺は長船光忠というSwitchを好きになったんだ。おまえの中のDom性もSub性も、まるごと全部受け入れて全力で甘やかしてやる。それが俺の、長谷部国重というDomの愛し方だ」
掴んだ手を離さずに、長谷部は心の底から言ってやる。
「もっと俺に頼って、甘えてくれ。だって俺達は恋人で、パートナーなんだから」
金色の隻眼が見開かれる。瞬く間に透明の膜が張って、決壊した目の縁から大粒の涙がぼろりと頬を流れ落ちた。
その涙を拭おうと手を伸ばすよりも先に、強い力で抱き寄せられる。長谷部の肩に光忠が顔を押し当ててくる。
はせべくん、と震える声で名前を呼ばれた。応じる代わりに髪を撫でてやる。はせべくん、はせべくん。何度も何度も確かめるように呼ばれる名前が、自分の名であることが誇らしい。
「……君は最高のDomだ」
「おまえのおかげだ」
Domとしての正しい振る舞い方を知らなかった長谷部を励まし、手を引いて導いて、ここまで連れてきてくれたのは光忠だった。
「おまえがいてくれたから、俺はDomとして成長できたし、その悦びを知ることができたんだ。なあ、だから」
光忠の頬を両手で包んで顔を上げさせ、まっすぐに見つめて言ってやる。
「今度は俺がおまえにSwitchとしての悦びを教えてやる」
くしゃりと顔を歪めた光忠が、ぼろぼろと涙を零しながら、それでも笑顔を浮かべる。
「長谷部くん、愛してる」
俺もだ、と返すと、噛みつくようなキスをされた。息継ぎの仕方も忘れるくらいの激しい口づけに頭がくらくらする。たまりかねて光忠の二の腕を小さくタップするとようやく唇は離れたが、今度はぎゅうぎゅうと痛いくらいの力で抱きしめられた。
光忠、と名を呼んで嗜めようとして、止めた。耳元に小さな小さな声で、それでも祈るような強さでもって囁かれたからだ。
――君を好きになって良かった――。
なんだかこちらまで涙が溢れてきて、それを隠すように長谷部は愛しいSwitchの胸にそっと頬を寄せた。
ひとしきり抱きあって互いに涙を零していたら、とっぷりと夜が暮れてしまった。
「…………長谷部くん、この後どうする?」
「明日は特に予定も入れてないし、おまえが良ければ泊まっていく」
光忠の胸元を指でくすぐるようになぞり、言外に色を含ませてみせる。
「んー……」
曖昧な笑みを浮かべて光忠が考え込むそぶりを見せたので、長谷部は不思議そうに首を傾げた。
「何か予定があるなら後日出直すが」
「いや、そういうことじゃなくてね。……ちょっと抑制剤飲んで来てもいい?」
「は?」
盛大に眉をひそめた。よりにもよってなんでこのタイミングで。
「今ちょっと君に優しくできる自信がないんだ。……君を屈服させてめちゃめちゃにしたいって欲がね、その、」
「おまえは一体さっきまで何を聞いていたんだ?」
はあ、と盛大に溜め息をついて長谷部は光忠の眼前に人差し指をつきつけて言ってやる。
「あのな。俺を屈服させたいならすればいい。めちゃめちゃにしたいって言うならそうしろ。俺は拒んだりしない」
「長谷部くん……」
再びぎゅうと抱きしめられて息が詰まる。
「……俺はDomだからな。Subみたいに完全に従順にはなれないかもしれんが、おまえの納得するまで付き合うから」
「僕は君がいい。君じゃなきゃ嫌だ。でも……」
「くどい」
長谷部は目の前の男の形のいい鼻をぎゅむっと摘まんだ。
「は、はせふぇふん」
「俺に何をさせたいのか言ってみろ。Kneelか? Lickか? そうだ、Presentだっていいぞ」
「君にコマンドは効かないだろう?」
「わからない奴だな。俺が、俺の意思でおまえに服従してやるって言ってるんだ」
ぱちぱちと長い睫毛が上下した。
ほら言え、と脚を蹴ると、光忠はおずおずと口を開いた。
「に、”Kneel”」
長谷部はぺたりとその場に座り込んだ。もちろんDomの長谷部に対してコマンドが強制力を持つことはない。それでも、長谷部は自らの意思でKneelをしてみせた。
「痛っ……この座り方結構つらいな」
両脚を外側に開いて座るやり方はできなくはないけれど、関節がミシミシと軋む。思わず長谷部が顔をしかめるのを光忠はおろおろと見下ろした。
「無理しなくていいんだよ?」
「無理じゃない。次だ、次」
「…………”Strip”」
無言でシャツのボタンをぷちぷちと外していく。もう少し色っぽい脱ぎ方をした方がいいかもしれないと思ったものの、色気のある服の脱ぎ方など生まれてこの方したことがないのでよくわからない。長谷部がちらりと光忠を見上げると、困惑の中にも興奮の炎の灯った視線とぶつかった。一応、これで正解ではあるらしい。
ふっと微笑んで袖から腕を抜き取った。インナーシャツも脱いで、下にも手をかける。
「”Stop”」
靴下とソックスガーター以外すっかり脱ぎ去った辺りで声がかけられる。光忠の金の瞳はぎらぎらと光っていた。たしかに欲情してくれているらしいことにほっとする。
「……次は?」
「”Present”。……四つん這いになって、お尻をこっちに向けて」
言われた通りカーペットの上に手をついて四つん這いになる。ただ尻を向けるだけでは駄目かと思い、挑発するように軽く左右に振ってやると、ごくりと唾を飲む音が聞こえたような気がした。
「……いいね。そういうの、たまらない」
光忠の手が尻に触れる。むにむにと感触を確かめるように何度か揉まれてから、指で左右に割り開かれる。急に外気に触れた穴がひくっとうごめくのを感じる。
「今、ここびくっとしたね」
指で穴の縁をそろりと撫でられて腰が震える。尻で快感を得ることに慣れた体は、そこを刺激されるとその先を予感して勝手に体のスイッチを切り替えてしまう。じわじわと前が立ち上がって来ているのだって、光忠にはきっと丸見えだろう。
「おちんちんも勃ってきたね」
笑いながら性器をつつかれる。
「っ…………」
顔を赤くして唇を噛み締める長谷部に、光忠が「かわいい」と欲の滲む声で零す。
恥ずかしい。今更ながら、まだ夜になったばかりのこんな時間にほとんど裸でこんな体勢になっているこの状況を思い、恥ずかしさが込み上げてきた。頭が煮えそうだ。でも、それ以上に光忠が興奮してくれていることが嬉しい。
ぴちゃり、と尻に生温く濡れたものが触れる。一瞬遅れて舐められている、と気がついた。
「ぅ、あ、そんな、とこ、舐めなくて、いいっ……!」
「僕が舐めたいんだよ。おとなしくして。”Stay”」
そう言われればその通りにするしかない。言われたとおりにおとなしく力を抜くと、太股がさわさわと撫でられる。
「ん。いい子だね。”Good boy”」
そう言うと光忠は再び長谷部の蕾に唇をつけた。
じゅる、ちゅ、じゅう。
耳を塞ぎたくなるような水音が下半身から響いている。尖らせた舌の先で何度かつつかれると、長谷部の穴は従順に光忠の舌を飲み込んだ。
「っひ、あ、あ、んんっ」
じゅぽじゅぽと水音を立てながら何度か出し入れされる。そうされるうちに舌では届かない部分が疼いてたまらなくて、長谷部は口を開いた。
「みつ、ただぁ……! もっと、奥、欲し……ゆび、いれて」
「……ん、指だけでいいの?」
ねっとりと尻の穴から腰の辺りまで舐められる。
「もっと熱くて太いの、欲しくない?」
こいつ、と長谷部は歯を食いしばった。エロいことを言わせようとしている。
反射的に反抗心がむくむくと芽生えるのはDomだからだろうか。しかしこのプレイを始めたのは自分だ。恥を忍んで噛みしめた唇を開く。
「ほし、い」
「何が?」
穴の縁をくるくると指でなぞられる。まだ足りないらしい。
「……みつただの、おちんちん」
「どこに何が欲しいのかな? ちゃんと僕に教えて?」
「ぅあ、あ、あ、んんっ」
比較的浅い所を指でくちゅくちゅと抜き差しされる。時折前立腺を掠めていくのがたまらない。
「ほら言って。お利口な長谷部くんならできるよね?」
「ふ、ぁ、あ、そこ、だめ、あ、あん!」
駄目押しのようにぐりぐりと中のしこりを刺激されて、とうとう長谷部は根負けした。
「っ……俺のお、おまんこ、に、みつただのおちんちん、くださいっ」
恥ずかしさで死にそうだ。こんな時間から一体自分は何を言っているのだろう。
耳まで真っ赤にして小さく震える長谷部を見て、光忠はぺろりと唇を舐めた。完全に捕食者の顔をしているその様子を長谷部が見ることがなかったのは、幸か不幸か。
「……よくできました」
性急な動きで指を増やされ、そのままぐちゃぐちゃと中を掻き回される。
「あ、ぁ、や、ああっ、あ、みつただっ」
「力、抜いててね」
「ぅあっ」
ずるりと指を引き抜かれたかと思ったら、ひたりと熱いものが尻に触れた。大きな手が長谷部の腰をがしりと掴む。
ずんっ。そんな音が聞こえそうなほど勢いよく奥まで突かれて目の前が真っ白にスパークする。
「っっっっ!!」
ぱたた、とカーペットに液体の落ちる音がして、自分がイッたのに気づいた。
「長谷部くん、トコロテンしちゃったの?」
「え、あ……?」
困惑で目を白黒させる長谷部の背中を労るように撫でると、光忠ははあ、と大きく息をついた。長谷部の中のものがどくりと脈を打つ。
「……どうしよう。長谷部くんがかわいい」
「かわい、く、なんか、ぁあああっ」
ない、と言いかけた辺りで一度抜け落ちそうなほど楔を引き抜かれ、再び奥まで突かれる。
「は、あ、ぁ、んんんっあ、みつ、みつただっ」
「っく、かわいい、はせべくん……!」
腕の力が抜けてがくりと床に突っ伏す。腰だけを高く上げた後背位で、がつがつと腰を使われて息をつく暇もない。馬鹿になりそうな程の快感が腰から背骨を伝って脳に響く。脳がとろけて耳から流れ落ちてしまうんじゃないだろうか。
「はぁっ、ん、はせべく、すき、すきだっ」
ぽたりと背中に水滴が落ちた。汗だろうか、それとも涙だろうか。その正体を確かめたくて、長谷部はふやけそうな頭でなんとかコマンドを口にした。
「”Stop”……!」
低く呻きながら光忠が動きを止める。コマンドはうまく効いたようだった。よろよろとどうにか首を後ろに巡らせると、光忠はぽろぽろと涙を零していた。
「……ばか。なんでまた泣くんだ」
「…………君が、君のことが、好きで好きでたまらないんだ。どうしよう。長谷部くん……」
ん、と長谷部は萎えそうな脚に力を入れてずるっと屹立を引き抜いた。
「そこ、座れ。”Kneel”」
光忠が言われた通りぺたりとカーペットに座る。膝立ちでにじり寄って光忠の脚の上に乗ると、長谷部はそのまま腰を下ろした。
「っっく、ん!!」
自重で先程より奥に届いてびりびりと快感が走る。
「長谷部く、ん、」
慌てて長谷部の腰を掴んで抜こうとする光忠を口づけで黙らせる。僅かに空いた隙間から舌を差し入れると、最初は戸惑うように縮こまっていた舌が徐々に長谷部に応えるように動き、反対に舌を吸われて歯を立てられた。気持ちよさで腰が震える。
お互いの気持ちを伝え合うような深いキスを交わし、息が上がってきた頃にようやく唇を離した。
「……好きなのが、おまえだけだと思うなよ」
こつんと額をぶつける。焦点がぼやけるほど近いところに、金色の眼差しがゆらゆらと揺れている。
「愛してる、光忠。こんなことを許すのは、世界中でおまえにだけだ」
ちゅ、と触れるだけのキスを贈ると、後頭部を掴まれて深く深く口づけられる。同時に腰を動かされて、ん、と長谷部から鼻にかかった喘ぎ声が上がる。
「んんっ、ちゅ、ん、みつ、んんんんっ」
お互いの限界が近いのを感じ取る。長谷部は光忠を、光忠は長谷部を、絶頂に導くべく動く。
「――っく、はせ、くんっ、も、イく、出る……!」
「は、っん、俺、も――!」
その時間は一瞬で、永遠のようだった。長谷部の奥深くに熱い飛沫が注がれるのと同時、長谷部も己の欲を吐き出した。触れ合ったところから蕩けてひとつになってしまうような心地だった。
荒い息を吐いて互いの肩にもたれかかる。どくどくと脈打つお互いの心臓の音に耳をすませながら、どちらからともなく視線を合わせて、力の抜けた笑みを浮かべる。
「……すごかった、な」
「すごかったねぇ」
「……一言、おまえに言ってやりたいことがあるんだが」
「奇遇だね。僕もだよ」
「じゃあせーので言うか」
「せーの」
二人の言葉がぴたりと重なる。
「「”Good boy”」」
◆ ◆ ◆ ◆
グレーのシャツの襟元から、ラベンダーの色の首輪が覗く。下げられたタグには「M.O」というイニシャルが刻まれ、黄色に光るシトリンが嵌まっている。
「お似合いですよ、お客様」
店員が褒めるのと同時、隣に立っていたパートナーが長谷部の全身をしげしげと眺め、そうして満足げに微笑んだ。
「うん、その色、よく似合ってるよ」
「おまえも、よく似合ってる」
光忠の白い首に光る首輪には「K.H」というイニシャルとアメジスト。金属製のタグをぴんと指で弾いてやると、光忠ははにかむように微笑んだ。
互いのイニシャルと目の色の宝石をつけた首輪を着けたカップルに、近くにいた客達からちらちらと興味深そうな視線が投げられる。
「……ごめん、やっぱり目立っちゃうね。仕事中は外してもいいから」
「馬鹿言え、おまえからのプレゼントなんだ、外すわけあるか」
そう一蹴すると、光忠はそれはもう嬉しそうに相好を崩した。
光忠のDom性との付き合い方はまだまだ模索中で、まずその手始めとして長谷部は首輪を選んだ。Switchの光忠相手なら自分も光忠からの所有の証を身につけるのが筋だろうとの主張は最初は渋られたが、長谷部が頑として譲る気がないのを見ると、光忠は仕方ないなと笑って折れた。そして実は首輪を選びに行った時にショーケースを眺めていたのは長谷部に似合う色の首輪を見つけたからだったと白状された。そういうことはもっと早く言えと文句を言ったのは言うまでもない。
「嬉しいな。本当に君が僕のものになったみたいだ」
「みたいじゃなくてそうなんだ。それに、おまえだって俺のものだ」
長谷部は照れ隠しにぷいと横を向き、ついでに壁にかけられた鏡で首輪を着けた自分の姿を見てみる。存外、悪くない。
店内に入ってきたパートナー同士らしい二人が、双方で首輪を着け合っている長谷部達を見て、ぎょっとしたように立ち止まった。にこりと見せつけるように笑顔を向けると、そそくさと店を出て行く。
「営業妨害だな。……そろそろ出るか」
「そうだね……」
視線を交わして苦笑する。お互いにとんでもなく浮かれている自覚があった。
長谷部は首輪の感触を確かめるようにそろりと撫でる。今はまだすこし違和感があるけれど、それもすぐに消えてなくなるだろう。
世界中の皆に間違っていると言われても構わない。Switchに傅くDomなんて、と馬鹿にする奴は勝手に言わせておけばいい。心からそう思う。
誰がなんと言おうと、これが長谷部と光忠の正しい関係で、正しい恋愛のその形なのだから。
「あ、長谷部くん、早く行かないと。映画始まっちゃう」
「ああ、急ぐか」
互いの首に所有の証をきらめかせ、二人はどちらからともなく手を絡め合い、歩き出した。
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