Trust my love and kiss me.・6

Trust my love and kiss me.
      9408文字

 ――君が僕を心から信じられるようになった時に、どうか君からキスをしてほしい。
 低く甘い声がまだ耳に残っている気がする。
 額に触れた唇の感触さえ未だ生々しく、思い出すと頬に血が上ってくる心地がした。

(……キス、か)

 ペンを持っていた手でそっと唇に触れる。長谷部は生まれてこの方人と性的接触をしたことがない。小さい頃に両親から頬にキスされたことはあったが、あれはノーカンだろう。

(…………どんな気持ちなんだろうな)

 光忠と心を通わせてあの形のいい唇に自分のそれを寄せる光景を想像して、ぶるぶると顔を横に振る。仕事中に何を考えているんだ、と己を叱咤して、目の前の資料に向き合う。ええと、今はたしか――

「……というわけで、次は長谷部さんにお願いしますね」
「えっ」

 思わず声が出た。何の話だ。慌てて資料を数枚捲ると、今月の社長の出張への同行者の欄に自分の名前があったので、慌てて挙手をした。
「あの、同行はいつも○○さん方がされているのでは」
「それね、そろそろ長谷部さんに引き継ごうと思って」
「私はいいと思いますよ。男同士だから、社長もそれほど気を遣わなくていいでしょうし」

 予想外のことに絶句していると、話はどんどんと進んでいき、とうとう長谷部が異を唱えてどうにかなる段階ではなくなってしまった。先輩社員から同行についての引継書を渡され、当日のスケジュールや、持参する資料についての説明まで受けてしまってはどうしようもない。与えられた業務の重大さの前では長谷部のごく個人的な事情など、吹けば飛ぶ紙切れのようだった。
「……社長は、このことはご存じなんですか」
 会議が終わった後に秘書室の室長に恐る恐る尋ねてみると、室長はこともなげに笑って言った。

「『長谷部くんが構わないならそれでいいよ』ですって」
「そうですか……」

 優しい光忠ならば仮に長谷部が仮病を使って出張同行を回避したとしてもきっと咎めないだろうが、万が一にでも公私を混同する使えない秘書だと光忠に思われるのはどうしても避けたかった。
「なに? 社長となにかあった?」

 さすが、女の勘は鋭い。室長からの鋭い指摘に内心舌を巻きながら、頭の中はフル回転で言い訳を探した。しかし、こういう時にパッとうまい口実をでっちあげられないのはこの二十数年間で痛いほど身に染みている。
「いえ、あの、大したことじゃないので」
 仕方なしにそんなことを言えば、室長は特に気にした風でもなく「ならいいけど」と引き下がってくれた。追求の矢が飛んでこなかったことにほっとする。
「新幹線と宿はもう手配してあるから、長谷部さんは当日打ち合わせで使う資料を用意する……と言っても各事業部から届いてる資料をまとめればいいだけだけど、とにかくよろしくね。頑張って」
 はい、と口から出た声は、自分で思っていたよりずっと硬い響きになった。


「今回は災難だったね」
「……いえ、仕事ですから」

 水菜と白菜をざくざくと切ってボウルに入れていく。人参としいたけは乱切りに、鶏もも肉は一口大に切ってそれぞれ深皿に盛る。切れた具材をテーブルに運ぶと、大根をおろし金でざりざりとおろしていた光忠が「これくらいでいいかな」と見せてきた。

「それで大丈夫です。……すみません、手伝ってもらって」
「このくらい手伝いのうちに入らないよ」
「……ありがとうございます」

 素直にお礼を言うと、光忠はにこにこと笑って「どういたしまして」と返してきた。なんとなく照れくさくなってしまう気持ちを誤魔化すため、長谷部は「じゃあ、そろそろ鍋にしましょうか」とだし汁の入った土鍋をカセットコンロにどんと置いた。
 だし汁と一緒に具材を煮込んで、具材に火が通ったら水気を切った大根おろしをかける。これでみぞれ鍋の完成だ。
「やっぱり冬は鍋だよねぇ」
 はふはふと鶏肉を頬張りながら光忠が言う。
「よかったらこれもどうぞ。ネギ塩だれです」
 事前に作っていた特製だれを手渡すと、光忠の左目が丸くなる。

「へえ! 美味しそうだね」
「ごま油とネギと塩だけなんですけど、美味しいですよ。実家で母がよく作ってくれて」

 光忠が取り皿にネギ塩だれをかけて一口食べる。どきどきしながら見守る長谷部の視線の先で、光忠はほう、と息を吐いて目を細めた。
「ああ、本当だ。がらっと風味が変わっていいね」
「ちなみにゆず胡椒も合います」
 さっと冷蔵庫からゆず胡椒の瓶を取り出してくると、苦笑を返された。
「まずいなぁ。節制してるのに食べ過ぎちゃいそうだ」
「光忠さん、充分痩せてるじゃないですか」
「いやいや、この年になると太らないためっていうか健康のために痩せなきゃいけなくてね」

 そんなことを話しながら二人でぺろりと雑炊まで平らげ、食器や器具を片付ける。
 カセットコンロをキッチン上の棚にしまいながら、そういえば、と長谷部は以前聞いた話を思い出した。

 食欲と性欲を司る脳の部位はそれぞれ近いところにあって、その二つの欲求は密接に関係しているのだという。特に男性の場合、食欲を満たすと性欲も満たしたくなる、らしい。飲みの席で聞いた話なので真偽のほどは定かではないが。

 思い返してみれば、光忠とのプレイは食後のことが多かった。プレイをした後にその相手と普通に食事ができる神経の太さを長谷部は持ち合わせていなかったので、ありがたい流れだったが、あれは本能が無意識下でそういう風にしていたのかも、だなんて、益体もないことを考える。

 土鍋と食器もすべてしまい終わってからくるりと振り返ると、長谷部のベッドに腰を下ろしていた光忠とぱちりと視線が合った。向けられる視線の中にたしかに熱情が込められているのを感じて、思わず頬が赤くなってしまう。

「長谷部くん、おいで」

 呼ぶ声はどこまでも優しい。
 あの観覧車での告白以来、光忠はプライベートの時間中は長谷部への好意を隠さなくなった。業務中の申し分のない上司としての顔と、業務時間外の恋する男としての顔を巧みに使い分ける光忠に、長谷部はずっと翻弄されている。
「”Kneel”」
 光忠のコマンドが甘やかに長谷部の体を支配する。逆らわずにそのまま光忠の足下にぺたんと座り込むと、ほう、と温泉に浸かった時のような満足げな息が長谷部の口から漏れた。

「……気持ちいい? 答えて。”Say”」
「……きもちいぃ、です」
「そう。いい子だね。”Good boy”」

 教師が出来のいい生徒を褒めるような口ぶりで褒められる。
「じゃあ、次は”Hug”。できるかな」
「……はい」
 のろのろと立ち上がり、ベッドに座っている光忠に抱きついた。自分より背の高い光忠のつむじが見えるのは変な感じだ。とろけそうな思考の中でそんなことを考える。腕の中に抱き込んだ光忠が、ふ、と笑うのがわかった。

「…………勃ってるね」
「ぁ、う……」

 指摘されて、恥ずかしさで長谷部の顔が真っ赤になった。
 光忠は長谷部の体には指ひとつ触れていない。光忠からの言葉だけで長谷部の体は反応し、兆していた。それがとても恥ずかしくて、気持ちがいい。
 ぐらぐらと沸き立つような羞恥と快感で、頭がどうにかなってしまいそうだった。

「光忠さ、俺、」
 涙の滲む瞳で助けを求めると、ふっとコマンドの効力が緩むのを感じた。
「……今日はここまでにしよう。”Good boy”、よく我慢できたね、長谷部くん」

 優しい声でそう告げられると、安堵と寂しさが同時に襲ってくる。
「頭を撫でてもいいかい?」
 こういう時でも、きちんと許可を得る光忠の律儀さに頬が緩んだ。
「……はい」
 光忠の撫でやすいように頭を前に傾けると、大きなあたたかい手がくしゃりと触れてきた。
「いい子、いい子」
 ひたすらに”Good boy”と褒められ甘やかされるのは気持ちいい。光忠の優しい命令は瑕疵のない快感を長谷部に与えてくる。ぽやぽやと緩んだ顔の長谷部を見て、光忠がふふ、と笑った。

「長谷部くん、顔、とろんってしてる」
「……してません」
「してるよ」
「してませんっ!」

 むう、と唇を尖らせると、光忠はますます笑みを深くするだけで、なんだか子供扱いされているようで悔しい。
「俺のこと、馬鹿にしてるでしょう」
「してないよ。可愛いなって思ってるだけ」
「それが馬鹿にしてるって言うんです」
「いくつになっても、好きな子のことは可愛く見えるものだよ」

 いとおしげに目を細められて、指先で前髪を梳かれる。そうするとなにを言うべきかわからなくなってしまって、長谷部はそっと目線を下にやる。

(…………あ、)

 長谷部の視線の先、光忠の股間もわずかに盛り上がっていた。長谷部が気づいたことに光忠も気づいたらしく、気まずげに眉を下げて笑われる。
「ごめんね。放っておけば治まるから、気にしないで」
「え、あっ、はい」
 気まずいは気まずいが、光忠も自分とのプレイに快感を感じてくれていたことがわかって安心する気持ちの方が大きい。DomはSubを支配することに本能的に喜びを覚えるものだが、その衝動のままに長谷部を無理矢理襲ったりしないことに、感謝と尊敬の念も湧いた。やはり、光忠は他のDomとは違う。そんな風に感じさせられる。

(…………本能、か)

 理性的な光忠も、本能に流されることなんてあるんだろうか。
 もし、と思う。もし、光忠が本能に流されてしまったら。
 その時、長谷部は光忠のことを嫌いになるんだろうか。


「長谷部くん、おはよう」
「おはようございます……!」
 三十分前には着くようにしたのに、光忠が既に待ち合わせ場所に立っているのを見て、長谷部は急いで駆け寄った。
「すみません、お待たせして」
「気にしないで、今朝は早く目が覚めちゃったんだ。それより、出張中はよろしく頼むよ」
「お任せください。最善の結果を出してみせます」

 昨日はずっと出張中のシミュレーションをしていたし、資料も何度も見直した。睡眠時間も充分に取ったし、特に問題はないはずだ。
 光忠はにっこり笑ってみせた長谷部になにか言いたげな視線を向けてから、いや、と思い直したように首を横に振った。
「じゃあ、行こうか」

 新幹線に乗ってからも特に会話することなく、光忠はノートパソコンで長谷部のまとめた資料に目を通し、長谷部はその隣でメールや現地の交通状況をチェックした。あんなことがあった後、光忠と二人きりになったらどんなことを話すべきか、なんて悩んでいたのが馬鹿らしくなるくらい真剣な空気で、これなら特に問題なく出張を終えられそうだ。
 心の中でほっと胸を撫で下ろしつつ、隣をそっと盗み見る。真剣な眼差しで液晶画面を見つめている光忠は、元々の顔立ちも相まってすこし近寄りがたさすら感じるくらいだった。笑みを浮かべていない時の光忠の目つきは鋭く、まるで日本刀みたいだと長谷部は思った。触れればすっぱりと切れてしまいそうだ。

(…………かっこいいな)

 自然とそう思ってしまって、はっと我に返る。いや普段がかっこわるいとかそういう意味ではなく、あくまでも上司として、人生の先輩としてかっこいいと、そう、思っただけで。深い意味などなくて。
 誰に弁解しているのかわからないことを考えながら、長谷部は考えを振り払うために無理矢理指を動かしたが、勢い余って書きかけのメールを削除してしまう。思わず「うわ」と声が出た。

「どうかしたかい?」
「いえ、ちょっと書きかけのメールを消してしまって。すみません、大丈夫です」
「……もしかして、緊張してる?」

 どう答えるべきか数秒迷ってから、「すこしだけ」と口を開いた。
「なにぶん、初めての同行なので」
「……長谷部くん」
 整った顔に苦笑を貼りつけながら、光忠はパチンとノートパソコンを閉じた。
「今は業務中で、僕と君はただの上司と部下。その姿勢を崩すつもりはないから、安心してくれ」
「……わかっています」
 うまく線引きができていない自分がただ情けない。今の光忠はあくまでも「社長」で、自分はただの「秘書」だ。秘書はただ秘書の仕事を完遂すればいい。

「現地まであと一時間くらいか。すこし仮眠を取るから、着いたら起こしてくれ」
「はい」

 光忠が腕を組んで背もたれに寄りかかって目を閉じる。長谷部はそれを横目で確認してから、削除してしまったメールを復元するべくキーボードに置いた指を動かした。


「そうだね。じゃあ来期からはその方向で行こうか」
 全体の意見を取りまとめた光忠がそう言ってにっこり笑うと、会議は終わりになった。ばらばらと全員が緩慢に立ち上がる室内で、長谷部は隣の光忠に声をかける。

「社長、この後の食事会はどうされますか」
「予定通り出席するよ」
「では車の手配を致します」

 ビルの駐車場で待たせていた運転手に連絡を入れる。ビル入り口まで車を回すように伝えて通話を切り、長谷部は光忠に鞄を手渡した。
「食事会の後ですが……」
「こっちにいる友人と飲みに行く約束をしているから、ここで一度解散にしようか。先にホテルに帰っていてくれ」
「承知しました」

 一礼する長谷部の肩をとんと叩いて「おつかれさま」と言うと、光忠は役員たちと連れだって会議室を出て行く。長テーブルの上の荷物をまとめて会議室の片付けを手伝い、長谷部がビルを出る頃にはすっかり日が暮れていた。
 そのまま徒歩でホテルに向かい、二人分のチェックインを済ませておく。カードキーを受け取ってエレベーターに乗りこみ、他の乗客がいないことを確認してから長谷部は長い長い息を吐いた。

(…………疲れた)

 エレベーターの壁にこつんと頭をもたれる。大理石のパネルの冷たさが心地いい。思っていたよりも緊張で疲労していたらしい自分に苦笑する。

(部屋を別々にしてもらったのは正解だったな)

 こんな状態で同室だなんて、何をやらかすかわかったものではない。
 最初は男同士だからツインの部屋でいいのでは、という周囲の意見もあったが、「恐れ多い」と固辞してなんとか回避したのだ。光忠は上層階のシングルルーム、長谷部は中層階のシングルルームを取っている。光忠の部屋のカードキーはフロントに預かって貰っているので、明日の朝まで光忠と顔を合わせることはないだろう。

 チン、と音を立ててエレベーターがゆっくりと止まった。ゆるやかな重力を体に受けながら、ふかふかの絨毯の敷かれた廊下に出て、自分の部屋番号を探す。
 目的の部屋を見つけてカードキーをかざし、部屋に入って荷物を下ろす。今朝駅からホテルに直接送っていた宿泊用の荷物がきちんと部屋の隅に置かれているのを確認して、ネクタイを緩めてジャケットを脱ぐ。なんだか喉が渇いたので、備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してぐびぐびと飲んでようやく人心地がついた。

「…………腹、減ったな」

 気が抜けたのかぐうと鳴る正直な自分の腹に笑いを零し、よし、と立ち上がる。着替えて夜の町に繰り出すとしよう。


 以前知人から教わった店でお好み焼きと酒をたらふく飲み食べして、そのままいい気分で目に留まったバーに適当に入ったのがいけなかった。
 入ったバーはダイナミクス用のバーだったらしく、あちこちでパートナー同士と思しき二人組が雑談や簡単なプレイに興じていた。床に専用のラグを敷いてSubが”Kneel”の姿勢を取り、Domが手ずから食事を与えている二人組もいる。
 なんとなくまじまじと見つめるのも失礼な気がして視線を逸らし、カウンターの隅の空席に腰を下ろす。メニューをさっと見て、無口そうなバーテンダーにスクリュードライバーを注文した。一杯だけ飲んだら出て行こう。そう決めて、チャームとして出されたミックスナッツをぽりぽりと囓る。

「お兄さん、一人?」
 不意に後ろから声をかけられて振り向くと、眼鏡をかけたショートカットヘアの小柄な女性が立っていた。
「隣、座ってもええかな?」
「…………どうぞ」

 渋々といった様子を隠さずに置いていた荷物をどかすと、女性は「おおきに」と笑って隣のハイスツールに腰かけた。
「ミスティアのウーロン割りとドライフルーツ盛り合わせ」
 慣れた様子で注文してから、女性はバッグから煙草を取り出して火をつけ始めた。

「お兄さん、ここら辺の人やないやろ? 出張かなんか?」
「ええ、まあ」
「Dom? Sub?」

 図々しい女だな、と思いながら「Subですが」と答えると、「へー。ちなみにうちはSwitch」と返って来たので、長谷部はすこしだけ目を丸くした。
「……珍しい、ですね」
 それは本心だった。世の中の大半は第二性を持たないNormalで構成されていて、DomやSub等のダイナミクスは少ない。そして、その中でもさらに少ないのがDomとSub両方の性質を持つSwitchだ。長谷部もほとんど会ったことがない。

「せやろ? うちレアなんよ。お兄さん今日めっさ運ええで」

 そこでバーテンダーからグラスが二つ目の前に置かれる。女性は円柱型のグラスを華奢な指でさっと掴んで、目の高さに掲げてみせる。
「運のええお兄さんに乾杯」
「…………乾杯」

 気づけば酒と相手のペースに飲まれて色々なことを話していた。Domが嫌いなこと、今は上司と仮のパートナーを組んでいること、その上司から告白されて返事を保留していること、その上司を信じてみたいと思っていること。
 自らを砂月と名乗った女性は、三本目の煙草に火をつけながら「そっかぁ」と相槌を打ってぷかぷかと煙を吐いた。

「長谷部クンはその上司さんが好きなんやねぇ」
「好っ……はぁ!?」
「えっ、ちゃうの? そうとしか聞こえへんかったけど」
「違う! いやその、上司として、人として尊敬してはいる、が……」
「じゃあ嫌い?」
「……嫌いではない」
「なら好きってことやないの」
「なんでその二択なんだ!」
「ええでー! ナイスツッコミ!」

 ぐっと親指を立てられてがくりと肩を落とす。
「……もういい。帰る」
「あっ待って待って! ごめんて!」
 立ち上がりかけたところをぐいぐいと腕を引かれて強引に着席させられる。
「じゃあ真面目な話。長谷部クン、例えば上司さん以外のDomにコマンド出されるのは、嫌やろ?」
「……嫌だな」

 想像するだけで苦々しい気持ちになる。
「でも、上司さんだったらかまわんのやろ?」
「それは……あの人の人柄なら仕事で充分知っているし、」
「うーん、じゃあ質問変えよか。もし長谷部クンがSubやなくて、上司さんもDomやなかったら、長谷部クンは上司さんのことどう思う?」

 予想外の質問に固まってしまう。
 もし長谷部も光忠もNormalだったとして、それで光忠から告白されたら。あのまっすぐな蜜色の視線で、甘やかな声で愛を告げられたら。だっていつか思った事がある。「社長、Domでさえなければなぁ」と。Domでさえなければ、なんだというのだ。
 徐々に顔に血が集まってくる。だって、そんな、まさか。

「……それが答えなんと違う?」
「いや、待て、待ってくれ。違う、これは、その、」
「しゃきっとせえ!」

 わたわたと言い訳を繰り返す長谷部の背中を、細い腕がばしんと叩いた。意外なくらい強い力だったので思わずげほごほと咳き込む長谷部の眼前に、砂月の人差し指がびしっと突きつけられる。
「DomやSubやいう前に、まず一人の人間やろ。そこはき違えたらあかんわ」

 ――一生懸命な働きぶりや、誠実な人柄に惹かれて、かわいいなって思った。
 ――僕は君が好きだよ。

 光忠は、長谷部をSubではなく一人の人間として好きになってくれた。その光忠をDomというだけで心の距離を取っている長谷部は、長谷部の人格や尊厳を無視してSubとして虐げて来たあのDom達とどれほど違いがあるというのだろう。
「…………そう、だな」
 光忠を、一人の人間として見ていなかったのは、長谷部の方だった。それは間違いのない事実で、反省すべき点である。
 重々しく頷く長谷部ににこっと笑いかけ、砂月は枝つきのレーズンから一粒摘まんでぽいっと口の中に放り込んだ。

「少なくとも、うちはそう思って生きとるで。知らんけど」
「知ってるのか知らないのかどっちなんだ」
「あはは! ナイスツッコミ入りましたー!」


 結局砂月とは連絡先を交換して別れた。なんだかんだ酒もそれなりに飲んでいたので、足下がふわふわとしている。聞き慣れないイントネーションの言葉が飛び交う雑踏の中をホテルまで歩く。

(……今度、「光忠さん」と会ったら)

 上司と部下ではなく、一人の人間同士として顔を合わせたら、言ってしまおうか。貴方のことが好きです、と。Domは嫌いでも貴方のことは好きです、と。
 さすがに素面では言えそうもないので、飲みにでも誘って、それで。
「長谷部くん?」
 ホテルのロビーを通り過ぎて、エレベーターホールに来たあたりで後ろから声をかけられた。頭の中で思い描いていたのとぴったり同じ声の響きに弾かれたように振り返る。そこには、光忠が立っていた。
「み……社長」
「……飲んで来たの?」
 光忠が長谷部の前ですん、と鼻を鳴らす。こころなしか表情が険しい。

「あ、はい。ちょっと、バーで」
 気恥ずかしくて視線が泳ぐ。顔が熱い。
 チッと音が聞こえて、一瞬何の音かわからなかった。光忠が舌打ちしたのだと気づいた時には、到着したエレベーターの中に強引に連れ込まれていた。
「っ……社長!?」
「光忠さん、だよ」
 苛立たしげに階数ボタンを押しながら、光忠が言う。反対の手で捕まれた腕が痛い。

「今は業務時間外で、僕達はパートナーだ。ほら、ちゃんと言って」
「……光忠さん、」
 困惑混じりに名前を呼ぶと、すこしだけ腕の力が緩んだ。それでも、光忠の横顔は険しいままだ。
 エレベーターが長谷部の泊まる階に近づいてきた。
「あ、俺、降ります……!」
「駄目」
 階数ボタンに伸ばそうとした手を止められる。

「このまま僕の部屋に来るんだ」
 固く冷え切った声は、まるで光忠の声じゃないようだった。ちらりとこちらを見る視線にはDom特有の眼力、Glareが込められている。そこでようやく長谷部は光忠がなにかに怒っているらしいことに気がついた。けれど、それが何故か、なにに怒っているのかがわからない。

 ベルの音がしてエレベーターのドアが開くと同時に、光忠は再び長谷部を引きずるようにしてまっすぐ自分の部屋に向かい、乱暴な動作で扉を開けた。そのままぐいぐいと寝室まで長谷部を連れてくると、どさりとベッドに突き飛ばす。
 ぼす、と分厚いマットレスの上に転がされた長谷部は、信じられない気持ちで光忠を見上げた。

 なんで、どうして。疑問を唇に乗せるよりも、光忠がコマンドを出す方が早かった。

「”Strip”」
「…………!」
「聞こえなかったかい? 脱ぐんだ」
 長谷部の指がゆるゆるとシャツのボタンにかかる。からからに乾いた口を「どうして、」と動かすと、光忠はネクタイを緩めながらくっと唇を曲げた。

「どうしてなんて、僕が聞きたいよ。どうして君から他のDomの匂いがするの」

 砂月のことを言われてるのだと気づいて、「誤解です……!」と悲鳴のような声が出た。
「あいつはSwitchで、それに俺は貴方が、」
「Switch? あいつだなんて、随分親しげじゃないか。Domが駄目だからそっちに行ったの?」
「違っ、」
「……もういい。黙って。”Shut up”」

 弁解も懇願もすべて封じられてしまう。ひゅっと鳴った長谷部の喉を人差し指でなぞりながら、光忠は信じられないくらい冷酷な顔で嗤った。それは刃物に似た鋭さでもって長谷部の心を突き刺してくる。

「おしおきの時間だよ、長谷部くん」

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