本丸ダイエット大作戦!

短編
     

9977文字

 その日の夕方、審神者は自室で目を覚ました。

 壁掛け時計を見れば時刻は十六時で、まだ夕餉前の時間である。昼寝でもしてただろうか、と思ってぐるりと首を動かすと、不機嫌そうな近侍の顔がそこにあって思わず声をあげた。「は、長谷部」「気が付きましたか」 そうして審神者は部屋で目覚める前の出来事を思い出した。

 まだ十四時を少し回った頃、今日の出陣や鍛刀ノルマを一通りこなし、審神者はいつものように横になって児童書を読んでいた。今日の気分は空○勾玉だ。主人公二人が手に手を取り合って外の世界に飛び出すシーンに胸が熱くなる。
 ぐすぐすと鼻を啜っていると、ふと腹に重みを感じ、漫画から視線を外して腹を見る。腹の上に広がる白髪に、にこにこと笑う真紅の瞳。今剣がいつのまにかそこに乗っていた。
 審神者の部屋に刀剣が遊びに来ることは珍しくない。部屋には審神者の趣味で漫画や絵本、児童書といった類が多く取り揃えられており、それを目当てに短刀たちが訪ねてくることは日常茶飯事だった。今剣もそのひとりだ。
「どうした、今剣」
 構って欲しいのだろうかと思い、わしゃわしゃと頭を撫でると、今剣はにこにこと笑って腹に顔を埋めてきたのだ。
「あるじさまのおなかはとと◯みたいですね! ふかふかです!」
 そこからが大変だった。
 今剣の発言を聞いた短刀たちが列を作って次々とト◯ロごっこと称し審神者の腹に乗ってきたのである。複雑な気持ちになりつつも「ああやっぱり子供ってかわいいなぁ」と思いながら対応していたが、段々と胃が圧迫されて気持ち悪くなってきた。昼に食べた唐揚げ丼が体内でプレスされている。しかし短刀くらいならまだ耐えられる。そう思っていたら、鯰尾がやって来た。
「主って◯トロだったんですか!? 俺も触りたい!」
 鯰尾が駆け寄ってくる途中で段差につまづき、腹に思い切り倒れこんで来たところまでは記憶にある。


 どうやら気絶していたらしいということに思い至り、審神者は掛け布団を外して渋面を作っている長谷部をちらりと見た。機嫌が悪そうに見えるが、こうして側についてくれていた以上、一応心配はしてくれていたらしい。
「あとで鯰尾と短刀たちが謝罪に来るそうです。一応俺からも注意しておきましたが、あいつらが来たら主からもきちんと叱ってください。なあなあで済ませないでくださいね」
「ああ、うん……」
「あの騒ぎのせいで夕飯はすこし遅くなるそうです。つなぎに厨当番から菓子を預かってきましたが、食べられそうですか?」
 長谷部の傍らには盆に乗ったパウンドケーキと紅茶が乗っている。それを審神者は無言で見つめ、次いで自分の腹を見下ろした。
 スウェットのゴムの上にどおんと乗った腹の肉。それが邪魔で自分の股が見えなくなったのはいつからだっただろうか。
「主?」
 訝しげに呼びかける長谷部の腕をガシっと掴み、審神者は真剣な表情で問いかけた。

「なあ、長谷部。怒らないから正直に言ってくれるか。俺、太ったかな……?」
「では主、申し上げますが」

 こほん、と長谷部が咳払いをする。
「畑仕事や馬当番、出陣に遠征と日々ハイカロリーを消費している俺達と同じ食事を採って、どうして太らないと思っていたんです?」

 ぐう、と審神者は呻いて枕に突っ伏した。

「基本はデスクワークでそれ以外はごろごろだらだらと惰眠を貪っておいでなのに、唐揚げ丼にクリームあんみつとか、ねえ? 太らない方がおかしいってものでしょう」
「長谷部! おまえなあ!」

 思わず涙目で目の前の胸ぐらを掴み上げると、長谷部は不服そうに唇を曲げた。

「怒らないって言ったじゃないですか、主の嘘つき」
「ちょっとは歯に衣着せろ! 正論すぎて俺のガラスハートはぼろぼろだぞ!」
「別に多少ふくよかだっていいでしょう。どんな姿になろうと俺の主は貴方ですよ」

 審神者は正直その言葉にはちょっとじいんと来た。長谷部ごめん。最初見た時に前の主拗らせ系物語終盤で裏切りそう的男士とか思ってごめん。
 そう思いつつも、審神者は己の出っ張る腹を見下ろすとこれからの自分の行末が不安になってくる。

「でも俺はかわいい彼女作って結婚するのが夢なんだよ……! インドア系デブなんて彼女作れるわけないじゃないか!」
「かつて平安の世では肉付きの良い女性こそうつくしいと言われたそうですし、今でも外つ国の中にはふくよかな男性が富の象徴としてもてはやされるところもあるとか。今後主のような体型が世のスタンダードになることだってあり得ますよ。異性にモテないと嘆くのは早計かと」
「本当!? 来るかなあ、トト◯系男子の時代!」
「それは俺にはなんとも。ですが……」

 そう言って長谷部はにっこりと微笑んだ。

「安心してください。◯トロ系男子とやらになろうが、正視に堪えない醜い豚になろうが、主は主です――――主命さえくださるのであれば」
「ぶひいいいいい!!」

 屠殺される家畜のような悲鳴を上げて審神者は泣き崩れた。
「もうやだ! 長谷部の鬼! 外道! ひとでなし!」]
「実際人ではありませんからねぇ」
「くっそぉ、絶対痩せてやる! 見てろよ長谷部」
「はあ、そうですか」
 藤紫の瞳には本当にできるのか、という疑念がありありと浮かんでいる。
 この主を舐め腐った態度の小生意気な近侍にどう言い返してやろうかと歯噛みしていると、ふと不要品を詰めたダンボールが視界に入り、審神者はそれを掴んで引き寄せて中の一枚を取り出した。
 箱から出てきたのは、以前くじ引きで当てたコスプレ用のセーラー服である。
「よし、三ヶ月以内に七キロ落とせなかったら、俺は宴会でこのセーラー服着て芸でもなんでもやってやる。その代わり俺が見事ダイエット成功したら、セーラー服着て宴会芸するのはおまえだからな!」
「……いいでしょう。ならこれから痩せるまで主のおやつは抜きだと厨の連中に伝えておきます」
「えっ」
「あたりまえじゃないですか。あとは減量用の運動メニューも考えねばなりませんね」
 そう言って長谷部はケーキの乗ったお盆を手に持って一礼した。

「俺は一度失礼します。夕飯の二時間後にまた来ますから、それまでにダイエット計画の草案を立てておいてください」
「おまえ今日非番だろ? 夕飯後になんかあったっけ?」
「燭台切の新作甘味の発表会ですが」
「ちょっと待ったあ!!!」

 それを聞いて審神者はスライディングして長谷部の足にすがりついた。その衝撃で荷物が散らばり畳の目が傷つくのを視界の端に入れたらしく、煤色の眉がきゅっと顰められる。
「俺が食べられないのに長谷部ばっかりずるくねえ? ずーるーいー! 俺も燭台切の新作甘味食ーべーたーいー!」
 肥満の原因の何割かは燭台切の料理にあると審神者は確信していた。とにかく何を作らせても美味いのである。燭台切の料理の腕は本丸の誰もが認めるところで、審神者自身も燭台切が厨当番の日はいつもより多くおかわりをする。特に皆から絶賛されているのが菓子で、本人もよくあちこちの国のレシピを取り寄せて研究しているのは本丸の誰もが知っている。 発表会をしていたことまでは初耳だったが、聞いてしまえばお腹がぐうと鳴ってよだれが出る。どんな甘味が出て、どんな味なのか。しかしどれも美味であることにはかわりないのだろう。

「明日から! 明日から頑張るから! 俺もそれ行きたい! 長谷部!!」
「何を子供のようなことを言ってるんですか」
「うるせえ。おまえらに比べたら俺なんて赤ん坊もいいとこだろうが。もうすこし優しくしろ」
「赤ん坊……ああ、その腹ですと中に何人か入ってそうですね。赤飯でも炊いてさしあげましょうか?」
「くっ……」

 嘲笑する長谷部の言葉に言い返せずに唇を噛んで俯くと、スライディングした衝撃で倒れたダンボールの中身が畳の上に散乱しているのが目に入る。そのなかのひとつを見て、審神者は瞳をぎらりと光らせた。

「長谷部」
「なんですか、いい加減離してください」
「俺をデブと侮ったこと、後悔させてやる! 身をもってな!」

 親愛なる初期刀の真剣必殺と似た台詞を叫び、審神者は畳の上から一枚の札を引っ掴み、長谷部に貼り付けた。札は一瞬だけ光り、すうっと長谷部の体に吸い込まれるようにして消える。
 長谷部は慌ててぱたぱたと体に触れて点検するものの、目に見えて不審なところはない。
「……何をしたんです?」
「はっはっは。前に知り合いの審神者からもらった、甘味を食べられなくなる呪いの札だ。思い知ったか!」
 審神者の発言を聞き、長谷部は疑わしげな顔をしつつ盆の上のケーキを一口齧る。しかしその瞬間顔色を変えて口の中のものをおしぼりの上に吐き出した。ごほごほと咳込み紅茶を飲み干しながら涙目で審神者を睨む。
「くそっ苦…………また随分姑息な真似をなさいましたね、主」
「俺とおまえは一蓮托生だからな。どうしてもってお願いするなら解いてやらんこともないけど」
「結構です」
 そう言って長谷部は腹立たしげにパン、と勢い良く障子を開いた。

「……それに後悔するのは主の方ですから」

 審神者が長谷部の捨て台詞の意味を理解したのは三日後のことだった。


 強制おやつ抜きの刑に処された審神者は、真面目に筋トレに励むかと思いきやダラダラと児童書を読んでいた。今日はロー○ンシリーズを最初から読んで主人公の成長に涙ぐんでいる。
 初日こそ少しは頑張ったものの、普段食べてるおやつの分のカロリーが消えたぶん体を動かすのがなんとなく億劫で、気づけばこの有様だった。
 明日から筋トレしよう。部屋の隅で埃を被りつつあるダンベルを見やって、審神者はふわあと大きな欠伸をした。
 今日の夕飯はなんだろうな、とぼんやりと考えていると、廊下に面した障子に人影が映る。
「主、ちょっといいかい」
「おー。燭台切か。入れ」
 すらりと開いた障子の間から、出陣の予定もないのに何故かきっちり戦装束を着込んで本体を手に持った燭台切の姿を見て、審神者は猛烈に嫌な予感がした。
 しかし時既に遅し、燭台切はすでに部屋の中に入って審神者の目の前に座っていた。思わず後ずさった審神者の背中にトンと壁が当たる。前には本体を持った燭台切光忠、背後は壁。完全に退路を塞がれていた。にこにこと貼り付けたような伊達男の笑顔が不気味だ。
 そうして燭台切はゆっくりと口を開く。

「……長谷部くんが最近僕のお手製おやつを食べてくれなくなったのは君のせいだって聞いたけど、本当?」

 この本丸の燭台切光忠は、普段は料理上手で比較的優しく気のいい兄ちゃんなのだが、恋仲の長谷部が絡むと理性の目釘が外れるという悪癖を持っていた。
「あの、それはだな……」
「どういうことか説明してくれるね? 答えてくれないというなら実力行使も辞さないよ」
 静かに鯉口を切ろうとした燭台切だったが、違和感を覚えて手元に視線を移す。改めて力を入れなおしても、刀が鞘から抜けない。
 その様子を見て審神者は得意気にふんぞり返った。

「ふっ甘いな燭台切! 刀剣男士には審神者を切れないよう呪がかかってるんだぜ?」
「それなら拳を使うまでだね。ほら歯を食いしばって?」
「すんませんっしたー!!!!!」

 打撃73の脅しに屈し、審神者は聞かれるままにべらべらと事情を説明した。

「――つまり長谷部くんは君のダイエットに無理矢理付き合わされて、甘味を食べられない体にされてるってわけか」
 燭台切が刀を鞘のままパシン、パシンと手のひらに打ち付けながら言う。
 怒っている。かつてないほど燭台切が怒っている。手を出してはいけない相手に手を出してしまったことに、審神者は今更ながら後悔した。元々整った顔立ちをしているだけあって、笑顔が消えるだけで凄みが増して怖い。

「僕さぁ、長谷部くんが僕の新作楽しみにしてるって言ってくれたから、この間も長谷部くんの喜ぶ顔想像しながら腕によりをかけて色々用意してたんだよ。ハイデルベーアシャウムトルテ、カルディナールシュニッテン、ツィトローネンルラーデ、シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ、あんずのトプフェンシュトロイゼルクーヘン……なのにそれ全部無駄になった時の気持ちわかる?」

 何それ呪文?と思ったが審神者は黙っていた。半端にツッコんだら本丸屈指の打撃力が襲ってくる気配を察知したのだ。

「『光忠すまん。理由は詳しく言えんが主命でしばらく菓子が食べられなくなって』って上目遣いで謝ってきた長谷部くんあざとかわいかったけどね! そこだけは礼を言っておくよ、主」

 主命って言ってる時点で元凶が誰だかバラしているも同然である。汚いなさすが長谷部きたない。
「とにかく全部君のせいだったんだね……?」
「すんませんでしたあ!!」
「謝罪なんていいからさ。誠意見せてよ、誠意」
 こいつ刀剣男士辞めたら地上げ屋かヤクザになれるな、と審神者は思った。脅しの入れ方が堂に入ってるってどういうことだろう。前の主の影響か。奥州筆頭こわい。それとも先の副将軍の影響だろうか。

「誠意っつったってそんなすぐには痩せないし……」
「主、頭部の重さって成人男性で体重の十パーセントになるらしいよ」
「いや、おまえなに遠回しに死ねって言ってるの? 審神者ぞ? 我審神者ぞ?」
「じゃあ手でも足でもいいよ。手っ取り早く体重落として長谷部くんを解放してくれる? いっそ一週間くらい執務室に軟禁して食事抜きってのはどうだい?」
「ちょっとそれは……」
「じゃあやっぱり余分な肉だけピンポイントで削いであげた方がいいかな? 言ってくれれば好きなところ削いであげるよ」

 以前クリスマスパーティで鶏の丸焼きを切り分けていた時と似たような台詞で恐ろしいことを提案する燭台切に、審神者は震え上がった。目が笑ってない。怖い。
「いや切れないだろ!? そうだよな!?」
「本体じゃ無理みたいだけど、肉切り包丁ならいけるんじゃないかな。せっかくだし試してみる?」
 ちょっと取ってくるね、と立ち上がりかけた燭台切に審神者は必死でしがみついた。

「ま、待て!! おまえ、長谷部のセーラー服見たくないか!?」

 ぴたり、と燭台切の動きが止まる。
「セーラー服?」
「俺が無事痩せたら長谷部がミニスカセーラー服で宴会芸してくれるって約束したんだ! いいか、無事に痩せたら、だからな! 『無事に』だぞ!」
「やっぱり痩せるからには健康的にかっこよく痩せたいよね! 僕も協力するよ!」
「お、おう」
 一瞬で殺気が消え、燭台切は既に元の位置に腰を下ろしていた。いつもの人の良さそうな笑みを浮かべる姿と先ほど鬼気迫る表情で切りかかろうとした人物の姿がなかなか一致しない。
「でも八つ当たりはかっこわるいよ。とりあえず先に長谷部くんにかけた呪い解いてくれる?」
「アッハイ」

 その後札についていた説明書を見ながらどうにか長谷部の呪いを解き終わると、燭台切がいつの間にか机の上から「ダイエット計画書」と書かれた紙を手に取り、ううん、と唸った。

「それにしても三ヶ月で七キロとは、結構無茶なラインを設定したね……」
「適正体重まであと七キロだったんだ」
「ちなみに痩せなかったらどうなるんだい?」
「俺がセーラー服着て宴会芸」
「視界の暴力だね。ここは筋トレガチ勢を呼んで是が非でも痩せてもらわないと」
「筋トレガチ勢?」

 燭台切がパチンと指を鳴らすと同時に部屋の障子がタンッと勢い良く開かれる。

「拙僧を呼んだか!」
 筋トレガチ勢が現れた。

「山伏くん、実は主がダイエットをしたいそうなんだよ」
「カッカッカ! そうであったか。ならば拙僧に任されよ! 拙僧と共に修行に励めば、主殿の筋肉が必ずや余分な脂肪を焼きつくしてくれるであろう!」
「え、ちょっ、山伏……えっマジ?」
「マジである! さあ主殿、そうと決まれば共に山へ行こうぞ」

 にょきっと伸びてきたたくましい腕に首根っこを捕まれ、審神者はずるずると引きずられるようにして部屋の外に連れ出される。救いの手を求めるように燭台切の方を見たが、相手は無情なまでに爽やかな笑顔でひらひらと手を振っていた。
「夕飯までには戻ってきてね」
「カッカッカ! 相分かった!」
 そうして「裏切り者おおおぉぉぉぉ!」と怨嗟の声が廊下に響き渡ったのだった。

◆ ◆ ◆

 部屋の主の姿が完全に見えなくなってから、燭台切はおもむろに隣の執務室に繋がる襖を開け放った。
「言われたとおり主を襲撃したけど、あれで良かったかな?」
 襖の前に座っていたのは、何を隠そうこの本丸の近侍、へし切長谷部である。

「礼を言う、燭台切。名演だったぞ」
「他ならぬ長谷部くんの頼みだったからね。あとまあ九割くらいは本気だったし」
「それもうほぼ本気だろうが」

 やはりここに潜んでいて良かったと長谷部はため息をついた。襲撃の際は燭台切が勢い余って主に危害を加えないようこっそり隣の部屋から見張ることにして正解だった。
 長谷部の恋人は執念深くて嫉妬深いのである。
「やだな。さすがにこのくらいで主を害すほど僕も馬鹿じゃないさ。そんなことしたら政府に通報されて即刀解処分じゃないか。長谷部くんと離ればなれになるくらいなら豚にでも頭を下げた方がマシだよ」
「口を慎め。主を豚と言っていいのは俺だけだ」
「誰も主のこととは言ってないんだけど?」
 にっこりと笑う燭台切に軽く蹴りを入れようとしたものの、ひょいと避けられて長谷部は舌打ちをした。

「冗談はさておき、こんな回りくどいことしなくたって、長谷部くんが直接叱ればよかったんじゃない?」
「俺は主につい甘くしてしまうところがあるからな。主もそれをわかってて俺相手だと手を抜くから困ってたんだ。おまえに脅されてあの方も随分懲りただろう」
「長谷部くんのそういうところ本当にかわいいよね。相手が僕じゃないのが妬けちゃうなぁ。やっぱりカッターとかで皮一枚くらい切っておけばよかった」
「やめろ。おまえが言うと洒落にならん」

 はあ、と溜息をついて長谷部が立ち上がる。
「しかしこの間は新作の発表会まで開いてくれたのに、行けなくて悪かったな。他の奴らにも迷惑かけたんじゃないか?」「ううん、大丈夫だよ。ちょうど君以外の全員都合が悪くて来れなくなってたところだったから」
「……おまえな」
「それより、さっきおやつ作り直したんだ。呪いも解いてもらったことだし、今度こそ食べてくれるよね?」
 優しげに微笑む燭台切に若干引きつつも、長谷部は応と返したのだった。

◆ ◆ ◆

 審神者はあの後何故か合流した蜻蛉切と岩融と同田貫に囲まれて、筋トレガチ勢の筋トレガチ勢による筋トレガチ勢のためのガチ筋トレに強制参加させられた。
 なんとか本丸まで辿り着いて夕飯と風呂にはありつけたものの、未だ生まれたての子鹿のような足取りである。

「くそぉ……駄目だ、かわいいものが見たい……五虎退や秋田に癒やされたい……平野と前田によしよししてほしい……蛍丸でもいい……」

 審神者の脳裏に筋トレ時の光景が蘇る。迸る汗と照り光る筋肉。右も左も前も後ろも筋肉に次ぐ筋肉。どこもかしこも筋肉筋肉筋肉筋肉――。
 過酷な筋トレと瞼の裏に焼き付くむさ苦しい光景のせいで審神者の心身は共に限界だった。このまま寝ては確実に悪夢を見る。安眠のために少しでも癒やし、つまりかわいらしい光景と優しい言葉が欲しい。本丸にいるの全員野郎だけど。
 そうだ、短刀部屋に行こう。そう審神者が決心するのは早かった。
 この本丸では基本的に各自個室を与えているが、短刀の、特に粟田口はみんなでワイワイ寝るのが楽しいとのことで大部屋で一緒に寝ている。実年齢は自分より上ではあるが、子供の姿の短刀たちが和気藹々としている姿はいつ見ても心がなごむ。
 決心するが早いが、疲労と贅肉で重い体を引きずりながら審神者は四つん這いで廊下をずるずるぺたぺたと這い出した。 道中、風呂あがりらしき石切丸に「祓いたま……なんだ主か」と妖怪と勘違いされるというアクシデントもあったものの、なんとか短刀部屋のある一角まで足を運ぶことができた。あとは一部屋、長谷部の部屋の前を通り過ぎるだけであるが、その長谷部の部屋の障子がほんの少し開いて、隙間から灯りが漏れ出している。
 どうせまた書類仕事でもしてるんだろうと何の気なしに覗いた瞬間、審神者は自分の選択を後悔した。

「長谷部くん、はい、あーん」
「……あーん」
「どうかな?」
「ああ、美味いぞ」
「ならよかった。長谷部くん復活記念に腕によりをかけたからね。口に合うといいんだけど」
「おまえの作るものはなんでも美味いから大丈夫だろう」
「ふふ、ありがとう。じゃあ君のことも美味しく料理してあげようかな?」
「んっ……燭台切……こら、くすぐったい」
「ニ人の時は光忠、だろう?」
「っあ、んん、光忠……」
「長谷部くん、クリームついてる。かわいい」
「馬鹿、そんなところにクリームなんて、んぅっ」

 審神者は両目から血の涙を流しながらその場を走り去った。
「リア充爆発しろ!!」
 その夜、そんな叫びを聞いた刀剣が続出したとか、しないとか。

 それからあのバカップルを見返してやるために審神者は頑張った。朝晩山伏と共に山で筋トレをし、昼は非番の打刀たちと共に川で投石練習をし、夕方には走り込みを行い、食事はすべて江雪左文字と数珠丸恒次監修のスペシャル精進料理。 事情を説明すれば本丸の刀剣たちは皆快く協力してくれて、庭で走りこみをする審神者の姿を見ると遠くから応援してくるようになった。
「おっ、主の走りこみだな。そろそろ畑当番切り上げるか」
「主さん頑張れよー!」


 そうして本丸を走る審神者の姿が本丸の時報代わりになってきた頃、ダイエットの第一回中間報告がやってきた。

「長谷部! 聞け! ニキロ痩せたぞ! 腹回りもちょっとすっきりしただろ?」
「……ああ、体脂肪も順調に落ちてますね。江雪と数珠丸の料理はどうです?」
「三食きちんと食べてるぞ。あいつらすごいな。ローカロリーなのにちゃんと美味い」
「それは重畳。本人達にも伝えておきましょう。それでこの後のご予定は?」

 審神者はビッ、と親指を立てた。
「博多や愛染と鬼ごっこだ」
「主が望月に乗っても追いつけないでしょう、それ」
 つまりずっと審神者のターン。走りっぱなしである。
 結果を用紙に記入し終わり、長谷部がパタンとファイルを閉じた。

「……それだけ元気があれば大丈夫そうですね。では、俺はこれで」
「まあこのまま行けば三ヶ月より前に目標達成しそうだな。長谷部のセーラー服楽しみにしてるぞー」
「リバウンドしなければ、の話です。主こそ当日披露する芸を考えておいた方がいいのでは?」

 いつも通りのすまし顔で煽ってくる近侍に、審神者は首を横に降って溜息をつく。
「おまえは本っ当に憎まれ口ばっかりだなぁ。よそのへし切長谷部はみんな主にはにこやかだってのに、可愛げのない」
「そうでしょうね。俺をかわいいと言うのは燭台切くらいなものです」
 さいですか、と審神者は肩を落とした。煽り返したつもりが躱され、さらに惚気のカウンターまで喰らってしまった。 長谷部は記録用紙の入ったファイルを書類棚にしまい、「では俺はこれで」と言って立ち上がった。
 障子を開きかけた手がぴたりと止まり、そうそう、と思い出したように長谷部が振り返らずに告げる。
「主」
 どうした?とその背中に問えば、長谷部は世間話でもするかのように軽い様子で続けた。

「その調子でせいぜい健康に長生きしてくださいね? ――――それでなくとも、貴方がたは俺達より先に逝くのだから」

 そう言って、トン、と後ろ手に障子が閉められる。
 ひとり取り残された審神者は言われた言葉の意味をぼんやりと噛み砕き、しばらくしてからにっと口の端を上げる。
 目標は残り五キロ。けして楽な道のりではないが、可愛い刀剣たちのためにいっちょやってやろうじゃないか。胸の奥からやる気が溢れ出てくる。
 晴れやかな顔で審神者はうーんと伸びをした。

「よーし。あと五キロ、あいつらの為にも頑張るかぁ!」

◆ ◆ ◆

 長谷部が審神者の部屋から自室に戻ると、当たり前のように燭台切が部屋の中でくつろいでいた。もはや見慣れた光景だったので、特に何も言わず戸を閉める。
「おかえり。主どうだった?」
「油断しているようだったから、少々発破をかけてきた」
「あの人も懲りないなぁ」
 そう言って燭台切が長谷部にお茶の入った湯のみを手渡す。丸い水面に浮かんだ茶柱をなにとはなしに眺めながら、長谷部は口を開いた。
「光忠、ちょっと練習に付き合ってほしいんだが」
「いいよ。なんの練習?」
 問いかけに答えるのはふふんと鼻を鳴らした得意げな笑顔だ。

「決まってるだろう、宴会芸の特訓だ」

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