初恋すてっぷ・あなざー

短編
     

11663文字

 僕は燭台切光忠。長船派の祖・刀工光忠に打たれた刀の一振りで、伊達政宗公に名づけられ、水戸徳川家と長く共にあった太刀だよ。青銅の燭台だって切れるんだ。

 僕の朝は早い。男たるもの、朝起きた時から夜眠る時まで――できれば寝ている時であっても――かっこよく在りたい。僕は眠い目をこすりながらジャージに着替えを済ませ、裏庭で日課の素振り百回と走り込みを始める。いくら出陣がないとはいえ、日頃の備えをおろそかにするのは格好良くないからね。

 日課が終わったら風呂場で軽く汗を流す。服を着替えて髪を乾かし軽く整えたら、身だしなみのため共用の洗面所へ足を向ける。
 この時間起きているのは平安生まれの面々か、畑当番くらいなものである。僕は人の少ない洗面所で一段低くなったところを選んで顔を洗い歯を磨いて、ワックスを使って念入りに髪を整える。こんな時僕は男の姿で本当によかったと思う。化粧があったら僕はあと一時間は早く起きなければならなかったところだ。
 洗面所の鏡と手鏡を使って後頭部がおかしくなっていないかもきちんと確認して、ほっとため息をついた。髪が綺麗に、かつ手早くまとまった朝。素晴らしい一日の始まりを予感させてくれるようだった。

「おや、燭台切殿。お早いですね」

 背後から声をかけられる。鏡を見ればそこには一期くんが映っていた。
「おはよう。一期くんも早いね」
「今日は信濃の初陣ですから、精の付くものを作ってやりたくて」
 どうやら誰かに厨当番を代わってもらったらしい。
「いいお兄ちゃんだね」
 僕がそう言うと、一期くんは照れくさそうに笑い、僕の頭に手を伸ばしかけ――慌ててその手を引っ込めた。

「失礼しました。つい癖で」
「いや……」

 苦笑して前を見る。鏡の中からは短刀くらいの身長をしたいとけない子どもが、やはり苦笑いを浮かべてこちらを覗いている。

 この本丸の燭台切光忠ぼくは幼い子どもの姿をしていた。
 基本的に刀剣男士というものは刀種によってその外見年齢が異なる。短刀なら小学生くらい、そこから脇差、打刀と外見年齢は上がっていく傾向にあり、太刀ともなれば大体成人の姿で呼び出される。例外は一部いるけれど、すくなくとも燭台切光忠という太刀は人間でいうところの二十代半ばの姿で顕現されるのが普通だ。

 僕が普通でない――つまり子供の姿で――顕現をした原因はいまだに特定されていない。政府の担当者によれば、他の本丸での似た事例からいって、おそらく特がつけば自然に通常の姿に成長するだろうとのことだ。うちの主はおおらかな人なので、それを聞いて「じゃあいつもどおりのんびり練度上げてけばいいんだな」とにこやかに頷いた。

 一日でも早く成長したい僕の思いなど知る由もなく、僕は一緒に練度上げができる刀がそろうまで、このとおり子供姿で本丸待機中の毎日である。

 一期くんたち厨当番の手伝いをしてから食堂に向かうと、目当ての人物を見つけたので僕はすかさずその隣の席に陣取った。

「長谷部くん、おはよう!」
「ああ。おはよう、光忠」
「今日も綺麗だね」
「はいはい。おまえもかっこいいぞ」

 長谷部くんが棒読みでそう言ってぽんぽんと僕の頭を撫でる。完全に馬鹿にされている。
「子ども扱いしないでくれないかな!」
 むう、と頬を膨らませると、まんじゅうみたいだな、と笑われてつんつんとつつかれた。長谷部くんに触れられるのは嬉しいけど、この扱いは嬉しくない。ちっとも嬉しくない。

 実はこう見えて、僕は長谷部くんと付き合っている。

 この本丸に顕現したその日、一目見た瞬間から僕は長谷部くんに恋に落ちてしまっていた。俗に言う一目惚れというやつである。
 最初は叶うはずのない恋だと思っていた。なんせこの姿だ。事情を知らない一般人が見れば年の離れた兄弟にしか見えないくらい外見上の年齢差があるのである。特が付いてから、大人の姿になってから最高にかっこよく告白を決めよう。最初はそう思っていたのだ。

 けれど、ある日長谷部くんが万屋の店員と仲良く話しているのを見て僕は決意した。こんなに素敵な長谷部くんの心が他の誰かに奪われてしまう前に、僕を男として意識してもらわなきゃって。
 そうして次の日さっそく僕は花束片手に長谷部くんの部屋を訪れた。

「長谷部くん、君が好きなんだ。僕と付き合ってください」
「ああ、いいぞ」

 決死の告白があっけないほどあっさりと受け入れられたので、僕は思わず持っていたブーケを取り落とした。僕のおこづかいでは薔薇なんて到底買えなかったから、庭のシロツメクサとお菓子の箱についてたリボンで作ったそれを、長谷部くんが畳すれすれのところで捕まえる。

「おい、落ちたぞ。もったいない」
「は、はしぇ、はせべくん、本当にいいの!?」
「ん? ああ」

 長谷部くんはブーケの香りをすんすんと嗅ぎながらこちらをちらりと見た。

「おままごととかじゃないよ? 本当に本当の恋人だよ?」
「だから、いいと言っている」
「いいの!?」
「くどい」

 そうして僕と長谷部くんは恋人同士になった。
 僕の一世一代の告白に絆されてくれたのか、長谷部くんの気まぐれなのか、はたまた単に彼がショタコンなのか。交際を了承してくれた理由は未だに定かではないが、重要なのは長谷部くんが僕の恋人になってくれたという、その一点である。

 だから僕ははやく大きくなりたい。一日もはやく大きくなって、長谷部くんにふさわしい強くてかっこいい大人の姿で彼の隣に並び立ちたい。
 いまはこんな形だけれど僕だって立派な男だ。うちの主からは「政府から許可が降りるなら芸能界デビューさせたいくらいの愛くるしさ」と言われる僕だけど、僕はゆるふわ愛され系ではなくクールかつスマートなかっこいい系を目指している。ゆくゆくは長谷部くんにかっこいい僕を見せつけて惚れなおしてもらいたいのだ。

 だから出陣がなくとも日課は欠かさないし、いつか戦場に出る時のために戦術研究だって怠らない。効果があるかはわからないけど、毎朝後藤くんと一緒に牛乳だって飲んでいる。

 いつか必ず大きくなって、改めて長谷部くんに告白する。
 それが僕の、目下の目標である。


「でもさあ、光忠はいいよなあ。特がつけばでっかくなれるんだから」

 飲み終わった牛乳瓶を置き、口の周りの白いひげをぬぐいながらそう言うのは後藤くんである。

「なれる『かも』だよ。百パーセントってわけじゃない」
「俺は九十九・九パーセント身長伸びないからさ。正直うらやましいぜ」

 それでも努力はやめないけどな、と言ってにかりと笑う後藤くんの顔は輝いている。後藤くんは『大きくなりたい』という僕の願いに賛同して本気で応援してくれる、僕のよき理解者だった。
 来た時期はほとんど変わらないのに、後藤くんは既に京都の夜戦でどんどん練度を上げて、今では夜戦部隊の隊長を務めている。彼は僕の友人で、あこがれでもあった。

「後藤くんはかっこいいなあ」
「光忠だって、あの長谷部さんに毎日アタックし続けて、自分磨きだって欠かさねえじゃん。俺、そういうのすげえかっこいいと思う」

 そうかなあ。照れくさくて頬をかいていると、そういえば、と後藤くんが思い出したように口を開いた。

「今日、よその燭台切光忠が来るらしいぞ。なんか大将がそんなこと言ってた」
「よその僕が?」

 それはつまり、大人の僕である。
 僕は演練に出たことがないので、『通常の』燭台切光忠というものをまだ見たことがない。
 わあ、と僕は座っていた椅子をぴょんと飛び降りた。

「僕、よその僕に会うの初めてなんだよね。後藤くんは会ったことある?」
「おう。でっかくてかっこいい大人の男って感じだったぜ」

 大人の男! これはぜひ一目会って僕の将来の参考にしなくては。

 応接室の隣の空き部屋にこっそり隠れていると足音が聞こえてきたので、僕はそうっと障子を数センチばかり開けて覗きこむ。
 すると、目の前を紫色と黒のスラックスがすたすたと通り過ぎていった。顔を見る暇もない。完全に位置取りを失敗した。
 仕方がないので僕は応接室の戸の前で待つという強硬手段に出ることにした。十分、二十分、三十分。まだ出てくる様子はない。

 僕は熱を吸収して熱くなる髪や服をぱたぱたと扇いで風を送る。ただでさえ僕の服装は黒が多いので、こうして日向で立っていると余計に暑い。大きくなったらこういうのも汗一つかかずにかっこよく流せるんだろうか。そんなことを考えながら、部屋に戻ってうちわのひとつでも持ってこようかと踵を返そうとした時、寄りかかっていた戸が開いて僕は大きく体のバランスを崩した。
 とす、と大きな手で背中を支えられ、知らない声が頭上から降ってくる。
「おっと、すまないね。大丈夫かい」

 そこに立っていたのは、まぎれもない『燭台切光忠』だった。
 初めて見る大人の姿の僕に、僕はぱかりと口を開けた。
 かっこいい。どうしよう。ものすごくかっこいい。
 僕が毎朝寝癖と格闘してどうにか整えている髪型もばっちり決まっているし、肌の色艶もいい。髭だってきちんと処理されている。そして何より僕を驚かせたのがその体格だ。胸板はがっちりで腕も足も長谷部くんのそれより筋肉質なのが服の上からでもわかる。身長も長谷部くんより確実に高い。

「おや。小さい僕だ。かわいいね」

 それに声もいい!!!

 これでもう僕の将来は完全に保証されたようなものである。心の中で全力でガッツポーズを決めていると、応接室の中から長谷部くんが僕を見つけ目を吊り上げた。

「おい、光忠! おまえそこで何をしてるんだ」
「ちょっと散歩してただけだよ!」

 しれっと嘘をついたが、長谷部くんには僕のことなどお見通しのようだった。

「行儀が悪いぞ。そんなことでは、」
「まあまあ、いいじゃないか。こんないい天気だもの、廊下でひなたぼっこでもしてたんだろう?」

 ね、と大人の燭台切が僕の顔を覗き込んでくる。今の長谷部くんとのやりとりで事情を察しているだろうに、それに触れてこないあたりは大人の余裕というやつなのだろうか。
「……うん」
 はあ、と大きなため息が聞こえる。長谷部くんである。
「ほら、さっさとそこをどけ。客人がお帰りだ」
 そう言って長谷部くんはつかつかとこちらに近づくと、僕を押しのけて燭台切の通る道を作る。
「またね、小さな僕」
 そう言うと、大きな僕はひらひらと手を振って去っていった。


「あの燭台切は、どうしてうちに来たの?」
「……今度新しくできる演練場の運用試験として、抽選で選ばれた本丸同士が演練をすることになったんだが、うちと向こうの本丸がそのひとつに選ばれてな。わざわざその挨拶に来たらしい。律儀なことだ」

「っていうことはあの燭台切の本丸と戦うんだ?」
「駄目だ」
「まだなにも言ってないよ!」
「おまえ、どうせ自分も演練に出たいとか言うつもりだろう」
「…………なんでわかったの」
「恋人だからな」

 そう言うと長谷部くんはかがんで僕の頬に唇を寄せる。機嫌を取る目的であることがまるわかりな、幼いキスだった。僕はもちろんそんなことでは誤魔化されず、唇の触れた頬を押さえて長谷部くんを睨みつける。
 長谷部くんはそんな僕を見て困ったように眉を下げた。
「おまえは一緒に練度上げできるやつが現れるまで待機というのが主の方針だ。あんな高練度のやつらと戦ったら、あっという間に練度が上がるぞ」

「僕ははやく大きくなりたいんだよ」
「もうすこし待て。そう慌てなくてももう一振り新しい刀が来て戦場に出るようになれば、すぐに俺など追い越すさ」

 もうすこし。僕が大きくなりたいと訴えるたび、いつも周りはそう言って諭してくる。もうすこし、もうすこし待てば。
 大きい彼らの「もうすこし」は、僕には途方も無く永い。それを知らないからみんな好き勝手にそんなことを言えるのだ。僕のこんなに必死な気持などなにひとつ知らないくせに。

「……長谷部くんには、わからないよ……」

 綺麗でかっこいい、僕の大好きな長谷部くん。その隣に立つ恋人が胸くらいの高さまでしかない子どもの姿なんて、みっともない。そんなのちっともかっこよくない。長谷部くんに、申し訳ない。
 僕は長谷部くんの恋人だと胸を張れるようになりたいのだ。世界中に僕が彼の恋人なんだと誇りたい。長谷部くんにかっこいい大人の僕の隣で、幸せそうに微笑んで欲しい。
 そのために、一日でもはやく大きくなりたい。手段なんて選んでいられない。


 その翌日、演練の選抜部隊が廊下に張り出されたとき、長谷部くんはバッとすごい勢いで僕の方に走ってきた。

「…………光忠、おまえ主になにを言ったんだ」

 貼りだされた名前は六振り。へし切長谷部、鯰尾藤四郎、骨喰藤四郎、小狐丸、次郎太刀、――そして、燭台切光忠。
「なにもしてないよ。ちょっとお願いしただけ」
 実際僕がしたことと言えば、ちょっとプライドをかなぐり捨てて主に上目遣いでお願いしに行ったことくらいだった。かっこよさを信条にしている僕としては非常に屈辱的だったが、可愛さを前面に押し出した作戦は功を奏し、僕は晴れて選抜部隊に選ばれることになったのだ。
 長谷部くんは皺の寄った眉間をぐりぐりと揉みほぐしながら、深い深い溜息をついた。
「…………こうなった以上は仕方ない。迷惑をかけないようにしろよ」
「任せてくれ」
 そう言うと、長谷部くんはわしゃわしゃと僕の頭を撫でてくる。セットが乱れるからやめてほしいけれど、それでも長谷部くんからどことなく嬉しそうな気配が伝わってきたので僕は仕方なくそのまま撫でられるに任せた。
 長谷部くんも、僕と一緒に戦場に立てることを喜んでくれているといいんだけど。

 だだっ広い空間に戦場らしき風景がスクリーンのように映しだされている。僕は頬を撫でるいたずらな風が髪を乱さないように手で頭を抑えた。風があるように感じるのも、そういう風に空調を設定してあるからだという。未来の技術というのはすごいとあらためて思う。土埃だって感じられるのに、これもバーチャルリアリティとかいうものらしい。
 演練場のあちこちに他の本丸の部隊と思しき面々が固まっていて、試合前の作戦会議をしていた。僕達の集団もそのひとつだった。

「いいか、最初に俺と鯰尾、骨喰が切り込んで敵を撹乱する。小狐丸と次郎太刀はその後に続け。向こうは太刀と大太刀の編成で持久戦に持ち込まれると厄介だ。遠戦からの切り込みで一気にカタを付けるぞ」

 了解、とみんなが口々に返事をしていくなか、僕は慌てて声を上げた。

「長谷部くん、僕は!?」
「おまえは次郎太刀の後方で待機だ」
「僕だって戦えるよ!」
「次の相手は古参の高練度揃いばかりだ。おまえがまともに太刀打ちできるような相手じゃない」
「できるってば!」
「できない」
「できるよ! 長谷部くんのわからずや!」
「わからずやで結構」

 そう言うと、長谷部くんは聞く耳持たぬとばかりに背中を向けて、次の対戦相手の隊長に挨拶をしに行ってしまった。
 僕は俯いて主から持たされた刀装を眺める。特上の重騎兵は擬似太陽光に照らされて、僕の不満とは裏腹に準備万端とばかりぴかぴかに光り輝いている。指で弾くと高く澄んだ音がした。
「長谷部さん、心配してるんだよ」
 鯰尾くんがいつの間にか隣に来て僕の肩を叩く。
「いくら試合が終われば体は元通りとはいえ、ここはできたばかりの演練場だし、何かしらの不具合で怪我が治らないこともあるかもしれない。それを考えて、あんまり無理してほしくないんじゃないかな」
 鯰尾くんの言ったことはわかる。その不具合があるかどうかをたしかめるのが今回の演練の目的な訳で、長谷部くんが僕の傷つく姿を見たくないんだろうってことは、僕にだってなんとなく察せられる。

「……でも」

 でも、やっぱり僕はちゃんと戦いたい。
 僕にだってちゃんと戦えるんだってこと、長谷部くんにも知ってほしい。かっこいいところを見せたい。見てほしい。
「焦らないほうがいい。先はまだ長い」
 そう言って骨喰くんも慰めてくれたけど、僕の心の空は分厚い灰色の雲で覆われたままだった。

「訓練といえど、主が勝て、と言っているんでな」
「訓練だからって手を抜くのは格好悪いだけだからね」

 そう言って長谷部くんと同時に刀を構えるのは、向こうの燭台切光忠だ。彼は先日挨拶したあの燭台切のようで、僕の方に気づくとにこりと視線だけで笑みを送ってきた。ぺこり、と僕も慌てて頭を下げると、どっと対戦相手の隊が沸いた。
「随分かわいい燭台切光忠だな! 燭台切もあの可愛げ見習ったほうがいいんじゃないか」
 そう言って燭台切ににやりと笑ってみせるのは向こうの獅子王くんだ。燭台切はいつか見た映画に出てくる俳優のように軽く肩をすくめた。さまになる仕草だった。
「冗談。生憎と僕はかっこいいのが信条でね!」
 ズキッと胸が痛む。僕だって、好きでこの姿で顕現したわけではない。なれることなら僕だって、かっこいい大人の姿で長谷部くんの前に現れたかった。
 刀を構える。呼吸を整えて腹に力を溜める。戦に出るのは初めてだけど、今までずっと練習してきたんだ。大丈夫、大丈夫――――。

 試合開始のサイレンが鳴ると同時に、脇差の弓と長谷部くんの投石が敵に降り注いだ。パリン、と相手の刀装がいくつか砕ける音が響き渡る。
 僕の脇を紫と金色の突風が吹いたかと思ったら、長谷部くんだった。カソックとストラで宙に軌跡を描き、弾丸のように飛び出していく。それに紺色の粟田口の制服が続く。長谷部くんが真っ先に切り込んだのは隊長の燭台切だ。すでに刀装がひとつ砕けているところに長谷部くんの皆焼の刃が刺し込まれ、薙ぐようにしてもうひとつの刀装を削る。

「いけっ!」
「突きだ!」

 脇差の二人が見事な連携で相手のひとりに膝をつかせる。残り五人。
「来るぞ!構えろ!」
 小狐丸さんと次郎太刀くんが次の行動に移るより早く向こうが攻めてくる。僕は間一髪でその斬撃を避けたが、剣圧で頬が切れる。熱にも似た痛みが一瞬遅れてやってくるが、そんなの構っている暇はない。視界の端に、燭台切からの反撃を受けて中傷になっている長谷部くんが見えたからだ。

「長谷部くん!」

 僕は敵の刃の下をかいくぐり、長谷部くんのところへ向かう。長谷部くんは脇腹に大きく走った傷口を庇いもせずに、相手に斬りかかろうとするところだった。しかし、長谷部くんの刃は燭台切に届く前に彼の刃によって弾かれ、喉元に白刃をつきつけられる。
 長谷部くんが危ない。
 僕は腹の底から声を出し、そこへ切り込んでいく。

「長船派の祖光忠が一振り、参る!」

 僕は地面を蹴って燭台切に飛びかかった。重騎兵の力が僕の打撃を後押しする。
 しかし、僕の渾身の一撃は燭台切にいともたやすく止められてしまった。一度後ろに引こうとした瞬間、足払いをかけられてその場に崩れ落ちる。
 それでも僕は刀を構えたけれど、次いで襲ってきた斬撃に手がしびれて本体を取り落としてしまう。

「あ…………」
「光忠!」

 長谷部くんが叫ぶ。駄目だ、戦わなきゃ。僕だって戦えるって、長谷部くんに。
「どんなに防御しても無駄だよ!」
 銀の閃光のような太刀が裂帛の気合ととともに振り下ろされ、試合終了のサイレンが鳴った。

 空中に文字が投映され、全員の目の前に大きく試合結果が表示された。こちらの敗北は明らかだった。
「光忠! 無事か!?」
 長谷部くんが必死の形相で駆け寄ってきて僕の顔をぺたぺたと触る。どこにも異常がないと確認すると長谷部くんはほっとした顔で肩の力を抜いた。見れば長谷部くんの脇腹にあった傷は血の跡も含めて影も形ももなくなっている。これが演練終了の効果、というやつなのだろう。長谷部くんの砕けたはずの刀装まで元に戻っていた。

「長谷部くんも、大丈夫?」
「俺はいいんだ」

 そう言って長谷部くんが僕を抱きしめてきた。人前での熱烈な抱擁に僕の顔が赤くなる。無事でよかった、と長谷部くんが小さくつぶやいたので、僕の胸はきゅうきゅうと締め付けられるように軋んだ。
「微笑ましいね」
 そう言って向こうの燭台切がこちらに近寄ってきた。
「そっちの長谷部くんが小さい僕のお兄さんなのかな」
 恋人だよ、と普段の僕ならそう返したはずだけど、僕は迷った末に唇を噛み締めて俯いた。真正面から挑んで負けた僕に、長谷部くんの恋人を堂々と名乗る資格なんてないってそう思ったから。
 不意に強い力でぎゅうと抱きすくめられ、手にあたたかいものが触れる。長谷部くんの手だ。

「こいつは俺の恋人だ」
「え、恋人?」

 驚いたように笑い混じりで返す燭台切のこの態度が、世間一般の「普通」だった。
 どんなに真剣でも、どれだけ僕が長谷部くんを好きでも、僕は長谷部くんの恋人には見えない。
 僕はじわりと涙の滲む目もとを拭い長谷部くんを突き飛ばすと、一目散に演練場の出口へと駆け出した。


 自販機の立ち並ぶ休憩室の奥、非常階段で僕は蹲っていた。
 負けて悔しくて、相手の燭台切に言われた一言がショックでふてくされるなんて、本当に子どもそのものだ。しかも長谷部くんに当たるなんて最低だ。
 頭ではわかっているのに、僕の感情はまるで獰猛な猛獣か吹き荒れる嵐のように暴れ狂って、僕の理性をたやすく置き去りにしてしまう。

 なにもかもが悔しかった。真正面から挑んで負けたこと、長谷部くんが気を遣って僕を恋人だと宣言してくれたこと、それを笑われたこと。小さな僕、弱い僕。僕は僕が嫌いだ。
「光忠」
 ガチャリという音が鉄筋の無骨な階段中に響き渡る。ぼんやりと顔を上げると、非常口のドアから煤色の頭がそこから顔を出すところだった。

「こんなところにいたのか。戻るぞ」
「…………僕抜きでやっていいよ」
「そうもいかんだろ。ほら、とっとと戻るぞ」
「……………………長谷部くんは、」

 僕がぽつりともらすと、その言葉は思ったよりも大きな音になってわんわんと階段のあちこちに跳ね返った。
「長谷部くんは、僕と付き合って後悔してる…………?」
 しばらくの間があって、長谷部くんははあと大きな息を吐いた。
「光忠、そこに立て」
「…………なんで」
 いいから、と長谷部くんに腕を掴まれる。僕は渋々と促されるままに階段の指定された段に立つ。長谷部くんはそれを確認してから二段ほど下がったところに立った。そうすると、僕と長谷部くんの目線はちょうど同じくらいになる。

「聞け。俺の知っている燭台切光忠はすごいやつだ」

 ぴんと背筋を伸ばして、藤色の瞳が僕の目をまっすぐに見据える。

「小さい体でも刀を扱えるよう、日頃から短刀や脇差たちに体術を習ったり、蛍丸から戦場での戦いかたのコツを聞いたりしていることを、俺は知っている」

 長谷部くんの指が僕の小さな手をぎゅっと握る。信じろ、と言われている気がした。

「戦場で活躍できない分すこしでも力になろうと内番や厨当番を率先して引き受けているのも知っている。毎日の素振りと走りこみを欠かしていないことも」

 僕は目を見開いた。こっそり隠れていてやっていたことも、長谷部くんにはお見通しだったらしい。すこしばかり照れくさくて視線を泳がすと、長谷部くんはこっちを見ろ、と僕の両頬に手を当てて強引に自分のほうへと向けた。
「俺にとっておまえが世界一の燭台切光忠だ。だから胸を張れ」
 長谷部くんの藤紫の視線が胸を射抜く。気づけば僕の左目から、ぼろりとなにかが溢れでた。それは後から後から湧いてきて僕の頬を濡らす。泣いているのだ、と自覚するのと同時に、僕は長谷部くんを抱きしめていた。

「長谷部くん……!」
「うん」
「長谷部くん、僕、君が好きだよ」
「ああ、知ってる」

 笑いながらそう返される。涙で頬に張り付いた髪を優しくよけられて、唇にやわらかいものが触れる。

「俺も、おまえが好きだ」

 僕は長谷部くんの肩を掴んで引き寄せ、今度は僕からキスを送った。ふふ、と唇と唇の間でお互いの笑みが漏れる。

「…………なあ、おまえ、雪辱を果たす気はあるか?」
「雪辱?」
「一部組み合わせに変更があって、さっきの相手と再戦が決まった。おまえ、もう一回あいつと戦う気はあるか? 俺にすこしだけ考えがあるんだ」

 僕は考える。あの燭台切ともう一度戦って、勝てたなら。僕は僕を誇れるだろうか。長谷部くんが僕を信じてくれているように、自分を信じることができるだろうか。
 気づけば、僕はこくりと頷いていた。
「…………ある」
 それでこそ俺の恋人だと満足気に微笑まれたので、僕は赤くなった顔を隠すのが大変だった。


 演練が始まって再び先程の対戦相手たちと向かい合うと、向こうの燭台切がこちらを見ておや、という顔をした。それもそのはず、こちらは配置換えをして、隊長は僕になっていた。疑問符を浮かべている様子の向こうに、僕はすっと右手を上げ、向こうの隊長である燭台切をまっすぐに見据えた。

「そちらの隊長殿に一騎打ちを申し出るよ」
「……オーケー。ここで華麗に決めてこそ、だよねっ」

 まともに受けたんじゃさっきと同じだ。悔しいけれど、今の僕にはこの燭台切の太刀を受け止める程の力はない。
 この勝負が始まる前、廊下で長谷部くんが耳打ちしてくれたことを思い出す。

『おまえがあの燭台切より勝っているものを教えてやる。速さだ』

 僕は短刀たちよりは動きが遅いけれど、それでも大人の僕よりは身軽だ。小狐丸さんと交換してもらった特上の軽騎兵の力を感じながら、紙一重で斬撃を避け続ける。刀は未だ抜かないままだ。
「いい動きだ! けど避けてるだけじゃ勝てないよ!」
 言われなくても、打撃と持久力なら向こうが遥かに上だ。このままではジリ貧なのは目に見えている。
 横薙ぎの鋭い一閃が迫る。ギリギリまで膝を曲げて避けると髪の何本かが断ち切られるのを感じた。あと数瞬遅れていたら胴が真っ二つになっていたところだ。
 避けた勢いのまま身を沈めて足に力を貯める。狙うは一箇所。非力な僕でも確実に有効打を与えられる場所だ。追撃が来るよりも一瞬早く、そこから伸び上がると同時に柄を握りしめて鞘ごと振りかぶり、

――――相手の燭台切の股間を思い切り殴打した。

 ぐふ、と低い呻きをあげて燭台切が刀を取り落として前かがみにうずくまった。それと同時にぶはっと向こうの獅子王くんと御手杵くんが吹き出す。少し遅れて向こうの伽羅ちゃんも口を押さえて肩を震わせ始めた。
 ちっとも華麗なんかじゃない、無様でかっこわるくて泥臭い方法を僕は選んだ。
 それでも、勝ちは勝ちだ。

「決まった……かな?」

 ビーッと試合終了のサイレンが鳴り響くのを合図に僕の仲間たちがこちらに駆け寄ってきた。
 骨喰くんと小狐丸さんが無言で僕の肩をぽんぽんと叩き、鯰尾くんと次郎太刀くんがやったね、とバシンと背中を叩いてくる。

「よくやった」

 そう言って長谷部くんがわしゃわしゃと僕の頭を撫でる。いつもなら髪が乱れるからと止めるその動きを、僕は甘んじて受け入れた。だって長谷部くんがあまりに嬉しそうで、笑い混じりに涙ぐんでいるものだから。これは彼へのサービスだ。
 ふと向こうを見れば、試合が終わったことにより負傷が消えたのだろう、あっちはあっちで気まずげな顔をした燭台切が仲間たちに笑われながら肩や背中をバシバシと叩かれているところだった。
 ひいひいと笑い転げる仲間たちをじろりと睨んでから、燭台切が僕の方に近寄ってくる。

「小さな僕」
 そう言って、燭台切は僕の前にかがみ目線を合わせて微笑んだ。
「君は君ができる最善の方法で、最大限の力を尽くして僕に勝った。……手段はどうあれ、その姿勢はとてもかっこよかったよ」
 さっきは笑ってすまなかった。そう言って相手の燭台切が僕に右手を差し出してくる。大きな手だった。
 いつか僕も、こんな風に大きな手を持てるんだろうか。
 僕は差し出された手をぎゅうと力強く握る。

「次は負けないよ」
「僕だって」


 向こうの燭台切と別れて部隊に戻ると、既に帰り支度が始まっていた。長谷部くんはちょうど主に演練が滞り無く終了したことを伝え、通信機を切るところだった。

「長谷部くん」
 長谷部くんの服の裾を引っ張る。

「なんだ」
「ちょっとかがんでくれる?」

 長谷部くんが不思議そうに首をかしげ、言われた通りに身をかがめる。階段二段分、僕らの間にはまだそれだけの距離がある。だけど僕はもうその距離を恐れない。
「どうした、みつた」

 ちゅっ。

 長谷部くんが言い切る前に、僕はその白く滑らかな頬にキスをした。ひゅう、と周囲から歓声が上がる。
 僕は長谷部くんの驚愕に見開かれた目を見て、不敵に笑ってみせる。

「僕、すぐ君に追いついてみせるから。それまで待っててね」
「なっ…………!?」

 ほんのり顔を赤くして頬を抑える長谷部くんを眺めながら僕は、

 この初恋の行く末はそう悪くはならないんじゃないかなって、そう思ったのだった。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!
     
error: 右クリック禁止
タイトルとURLをコピーしました