どうしてこんなことになってしまったんだろう。
疑問と困惑と悲しさで頭がいっぱいなのに、体は光忠からの命令に従順に、ゆっくりとシャツのボタンをぷちぷちと外していく。そんな長谷部を、光忠は運んできた椅子に座ってじっと見つめている。
一番下のボタンまで外し終わり、袖からもするりと腕を抜く。インナーシャツも脱いでしまうと、肌が直接空気に晒されて思わずぶるりと身震いする。これでいいのだろうか、と恐る恐る光忠の方を見れば、冷たい叱責が飛んで来た。
「何止めてるんだい? 下もだよ」
「っ……」
ひく、と喉が震えたけれども声は出ないままだ。緩慢な動きでデニムジーンズに手をかけて脱いでいく。
「”Stop”」
靴下に手をかけたあたりでいきなりコマンドを告げられて、長谷部の動きがぴたりと止まる。
「……へえ。君、そんなの着けてたの」
何のことを言われているのかわからずに、光忠の視線を辿る。自分の足下、正確に言えば脛のあたりに行き着いて、ようやく長谷部は何を言われているのか思い至った。ソックスガーターだ。
「気が変わった。それと靴下は残して、あとは全部脱いで。下着もだよ。”Strip”」
さっと長谷部の顔が赤くなる。声が出るならセーフワードを叫ぶのに、それもできない。今の長谷部にできることは、ただ光忠の命令に従うことだけだった。
悔しい、と思う。Subの本能はコマンドを出されれば意思とは関係なしに従おうとするし、そのことに快感を覚えてしまう。事実、長谷部の性器は徐々に反応を示している。悔しい。でも、それ以上に――悲しい。
光忠に信じて貰えないことがこんなにも苦しくて、悲しい。胸の奥がしくしくと痛む。
自分がされてようやく気づく。好きな相手に信じて貰えないことは、悲しくて寂しくて、つらいことなのだ。今まで自分のことばかりで気づかなかったけれど、やっとそれが身に染みてわかった。
指示されたとおりに下着まで脱ぎ去ると、今度は「”Present”。隠さないで、全部見せて」と冷たい声で命令される。いつもなら優しく”Good boy”と褒める声は、今はない。頭の後ろで手を組んで膝立ちになると、光忠が立ち上がってつかつかとベッドの上の長谷部に近寄り、手袋をつけたまま無遠慮に長谷部のむき出しの股間を掴んだ。
「っ! っふ、」
「すこし硬くなってるね」
そのままぐりぐりと刺激されると、長谷部の呻きに徐々に甘さが混じってくる。
「っ、……ん、っく、んんっ」
「はは、痛くしてるのに、こんなのも気持ちいいんだ?」
息が上がる。それと同時に視界が次第に端から狭まってきて、足下がどこまでも沈んでいくような感覚がした。
(…………やばい)
覚えのあるこれは、おそらくSub dropの兆候だ。まだ完全に落ちるところまでは行っていないが、それも時間の問題だろう。
(光忠さん、)
心の中で必死に名前を呼ぶ。視線を上げて光忠の顔を見て、そこで予想もしなかった光景に驚いた。
てっきり笑っているのかと思っていた光忠が、苦しげに眉根を寄せていた。蜂蜜色の瞳にははっきりと傷ついた色が宿っている。一瞬だけきらりと光ったのは、涙だろうか。そうであってほしいと思う。
胸が痛い。苦しい。信じてほしい。こんなことはやめてほしい。でも、それよりも。
「……なにか言いたそうだね。いいよ。言ってごらん」
“Say”、とコマンドをかけられると、ふっと口の中で張りついていた舌の力が抜ける。同時に”Present”の効力も切れたらしく、腕が自由に動く。
視界はいよいよ暗くなってきていて、ほとんど見えていない。でも、長谷部の好きな金色だけはすぐにわかった。暗闇の中ただひとつ光る蜜色の方向に向けて、そっと手を伸ばす。みつたださん、と名前を呼ぶと、びくりと震える気配がした。
「泣かないで、ください」
光忠の傷を癒やしたいと思った。その傷に寄り添うのは、自分でありたいと思った。
「長谷部くん、」
「貴方が悲しいのは、嫌なんです」
こんなことをされても、光忠のことを嫌いにはなれない。だって、光忠はずっと長谷部に優しくて、誠実だった。あの日々を、長谷部は嘘だとは思わない。
(……なんだ、簡単なことじゃないか)
ゆっくりと意識が闇に落ちていく中で、見つけた答えは笑ってしまうくらい単純明快なものだった。
光忠の顔を手探りで探し当て両手で頬を包むと、その中央にゆっくりと唇を押し当てた。
「――貴方が好きです」
そこで長谷部の記憶は途絶えている。
◆ ◆ ◆ ◆
ゆらゆらと暗い海の上を漂っている。
――くん、はせべくん、
どこからか声が聞こえた。自分を呼ぶ、そのあまりに悲痛な響きに、長谷部の胸まできゅうと締めつけられる。
――ごめん。ごめんね。
ぽつ、ぽつ、と曇天から降ってきた雨が長谷部の頬を濡らす。ああ、あの人が泣いてるんだな、とそんなことを思う。
(泣かないで、って、言ったのに)
でも長谷部の知る光忠らしいとも思った。どこまでも優しくて、あたたかい人。長谷部の好いた光忠は、きっと長谷部に酷いことをした自分を許せないだろう。
(……俺も、きっと貴方のこと沢山傷つけたから、だから気にしないで)
泣かないでほしい。笑っていてほしい。
困ったように笑う顔、楽しそうに目を細める顔、瞳をきらめかせて長谷部の名前を口にする時の顔。一度自覚してしまうと、あれもこれも全部好きだと思う。目尻に寄ったしわでさえいとしいと、そう思う。
――君が好きだよ。
(知ってますよ。俺もです)
――だから、もう君とはいられない。
(……………………………………は?)
待って欲しい。意味がわからない。唯一動く手足をばたつかせながら叫ぶ。
「光忠さん! 待ってください!!」
そこで意識が浮上した。
◆ ◆ ◆ ◆
気づけばベッドから落ちていた。床にぶつけて痛む腰をさすりながら状況がわからずにあたりを見渡す。部屋の隅に置かれていた宿泊用の荷物があるところを見ると、長谷部の泊まっていたシングルルームで間違いないなさそうだ。
「…………夢?」
脱いだはずの服は元通りきちんと着ている。慌ててベッド脇の時計を確認すると、朝の九時半だった。既に一晩が経過している。もしや昨日のあれは全部夢だったんだろうか。
しかし、備え付けのテーブルの上に置いてあったメモを見て、昨日のことが夢じゃなかったことを思い知る。
そこには見慣れた光忠の字で、昨日のことへの謝罪と先に帰っている旨が簡潔に書かれていた。時間からして、朝一の新幹線で帰ったなら既に本社に着いている頃だ。急いで秘書室に電話を入れる。
「おはようございます。長谷部です。社長はもうそちらに戻られましたか?」
『おはようございます。社長なら急に二、三日有休を取るとかで、帰宅されましたけど』
「そう、ですか……」
『それより、長谷部さん、体調が優れないって聞きましたよ。今日は出社せずにゆっくり休むようにって、社長から言付けです』
「…………了解しました」
愕然とした思いで電話を切った。次いでメッセージアプリ経由で光忠に連絡を取ろうとしたが、ブロックでもされているのか繋がらない。ためしにメッセージをいくつか送ってみたものの、いつもならすぐにつく既読がいつまで経ってもつく気配がなかった。スマートフォンの液晶を切り、深い深い溜め息をつく。
(……これは、あれか。合わせる顔もないとか、そういう……)
ずきずきと痛む頭を押さえる。予想もしていなかった光忠の行動に昨日から驚かされっぱなしだ。正直、ちょっと呆れた。
(――でも、)
それでも、嫌いになれないんだから、仕方がない。
がしがしと頭をかきながらシャワールームに向かう。とりあえず熱いシャワーを浴びて、着替えて、荷物をまとめよう。そうしたら、
「………………逃がしませんよ」
土壇場で尻尾を巻いて逃げ出した思い人を、一発殴りに行こう。
Trust my love and kiss me.・7
Trust my love and kiss me.
3152文字
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