ぐっと低い呻き声をあげた光忠がその大きな体を折り曲げてげほごほと咳きこんだので、長谷部は内心ちょっとやりすぎたかなと反省した。怒りと悲しみを乗せた、全身のばねを使って入れた渾身のボディブローだった。顔はさすがに跡が目立って可哀想だからなるべく人から見えないところ、と思った結果のボディ狙いである。
以前従兄から「おまえさんは発想がヤンキーなんだよ」と呆れまじりに言われたことを思い出す。ヤンキーなら目つぶしとか金的とかそういうのだから自分はきっと違う、と思いたい。
「光忠さん」
「は、せべ、く」
「……なんで俺を置いて逃げたんですか」
長谷部の問いに光忠は両の瞳を揺らめかせた。家でくつろいでいたからかいつもの眼帯もしていない。どこか無防備な様子の光忠に長谷部は言葉を重ねる。
「俺とはもう一緒にいられない、って、あれはどういうことなんです」
できるだけ冷静に問い詰めようと思っているのに、声が震える。
光忠に置いて行かれたのが、自分で思っていたよりもショックだったことに改めて気づく。
光忠は、光忠だけは長谷部の手を離さないと、そう思っていたのに。
「……僕は君が思っていたようなできた大人なんかじゃないってことだよ」
ため息まじりに吐かれる言葉は暗く沈んでいて、光忠が真実そう思っていることが長谷部にも伝わってきた。
「そんなこと……違います。光忠さんはずっと俺に優しくて、」
「違わないよ。本当の僕は狭量で、嫉妬深くて、駄目なDomなんだ」
光忠は苦しげに唇を曲げて見せた。
「……僕は、君にふさわしくない」
絞り出すように吐き出された言葉が二人の間に重く落ちた。
「…………なんですか、それ」
長谷部は靴のまま玄関を上がり、両手で光忠の胸倉をぐいと掴みあげる。自分より高い位置にある光忠の顔を見上げて、長谷部は低く唸り声をあげた。
「本気で言ってるんですか」
「ああ」
光忠の決意は揺らがないようで、それが悔しくて悲しかった。どうしてわかってくれないんだろう。どうして信じてくれないんだろう。ぎり、と奥歯を噛みしめる。
「殴りたいならいくらでも殴ってくれて構わない。パートナーは解消しよう。今まですまなかった」
「貴方は……っ」
喉が震える。目頭が熱い。胸が苦しい。それほどまでに思いつめる前にすこしも相談してもらえなかった自分が歯がゆかった。結局光忠にとって自分は年下の頼りないSubにしかすぎなかったのかと、絶望感が足元から登ってくるような心地だった。
でも、と思う。
それでも、長谷部の中で変わらない気持ちがあった。
「誰が俺にふさわしいかは、俺が決めます」
Domを信じられずに蹲り、目と耳を塞ごうとする長谷部に手を差し伸べてくれたのは、
「俺は、貴方がいい」
長谷部が手を掴み返して共に歩きたいと思ったのは、
「貴方じゃなきゃ嫌だ」
目の前の長船光忠その人以外にはいないのだ。
涙と共に告げられた言葉に、光忠の瞳がゆらゆらと揺れた。
「……君は知らないんだ。僕がどんなに醜い想いを抱えてるか、知ったらきっと軽蔑する」
「じゃあ、俺に教えてください。貴方のことを、もっと」
胸倉を掴んでいた手を離し、光忠の両手を握る。ひやりと冷たい光忠の手のひらが、悲しくていとしかった。
「貴方が好きです」
今度はきちんと両の目を見据えて言う。掴んだ光忠の右手を自分の頬に触れさせながら、伝われ、と思う。
「俺は、光忠さんを信じてます。だから、俺のことも信じてください。俺は……俺たちは、駄目になったりなんかしない。そうでしょう?」
視線が絡まる。吐息が触れる。一瞬だけ躊躇いを見せた腕を掴んで引き寄せる。唇が触れる。
リップ音を立てながら啄むようなキスを何度か繰り返しているうちに、ぎゅうと抱きしめられた。馴染みのある光忠の匂いとぬくもりに力が抜ける。はせべくん、と名前を呼ばれた。迷子の子供のような途方に暮れた響きをしていた。潤んだ視界いっぱいに広がる光忠の顔をじっと見上げた。
光忠の左手が壊れ物を扱うような手つきで長谷部の前髪を梳き、頬に触れる。
「…………君を僕のものにしたい」
欲望と懇願と諦めと哀愁とを溶かし込んだような声だった。
「駄目なんだ、君といると。君が大切なのに、酷いことなんてしたくないのに、君を組み敷いて僕の存在を刻み込みたい、君をめちゃくちゃにしたいって、そう本能が囁くんだ」
震える左手にもそっと己のそれを重ねて握り、頬を擦り寄せる。戸惑いで揺れる蜜色と檸檬色の瞳をまっすぐに見据えて、長谷部はふっと微笑んだ。目の前の光忠の懊悩も躊躇いも、全てがいとおしいと、そう思う。
「……馬鹿ですね」
自分も光忠も、本当に馬鹿だ。遠回りに遠回りを重ねた自分たちは、傍から見たらきっと滑稽だろうと思う。
指と指を絡めて、光忠の手のひらを引き寄せてキスをする。
ずっとDomが嫌いだった。Subを支配して踏みにじって嘲笑うDomのことなんて、二度と信じられないと思っていた。でも、そんな気持ちをゆっくりと溶かしてくれた光忠になら、何をされても構わないと思う。
「いいですよ。全部、あげます」
だから貴方を俺にください。
囁いた言葉はすぐに互いの唇の間に飲み込まれた。
初めて入る光忠の寝室は、嗅ぎなれた光忠の匂いでいっぱいで頭がくらくらした。
溺れた者が助けを求めるような必死さでお互いに口づけあう。もつれ込むようにしてベッドに倒れこむと、体中を光忠に包まれているような気分になった。どこもかしこも光忠の匂いがする。そしてこれからその光忠に抱かれるのだと思うと、恥ずかしいような胸が締めつけられるような不思議な心地だった。
光忠の手が長谷部のシャツのボタンに躊躇いがちに触れる。
「…………自分で脱げる?」
「……コマンド、使わないんですか」
「君が嫌なら――、」
「貴方になら、構いません」
胸元に置かれた手のひらに自分のそれを重ねると、光忠の唇から溜め息のようにコマンドが吐かれた。
「…… “Strip”」
告げられる命令通りに動く自分の体を、もう怖いとは思わなかった。ゆっくりとシャツのボタンを外していき、袖から腕を抜く。昨夜とは違って、光忠からの視線にたしかな熱情が込められていることが嬉しかった。
ベルトを緩めてスラックスを脱ぐ。本当は下着も一緒に脱いでしまいたかったけど、なんだかはしたない気がして一枚ずつ。注がれる視線の熱さに、むき出しになった肌がじりじりと焦がされるようだった。
靴下に手をかけたところで、はたと気づく。
「…………あの、」
「なんだい?」
「…………靴下は、つけたままがいいんでしょうか」
一瞬目を丸くした光忠は、すぐに意図を悟ったようで、眉を下げて「ごめん」と謝罪した。
「……昨日は、本当にどうかしてた」
「それ以上謝ったら怒りますよ。……俺は、光忠さんがこういうのが好きなら、別に、」
長谷部の脚を光忠の手がするりと撫でる。
「……好き、だけど」
「なら、こっちはこのままに」
靴下とソックスガーターはそのままに、下着の縁に両の手をかける。脚を曲げて脱いでいくと、既に熱を持ち始めていた性器が外気に触れて心もとない気持ちになる。
ほとんど生まれたままの姿になった長谷部を、光忠の瞳が頭のてっぺんから足の爪先まで舐めるように見つめた。
「…………綺麗だ」
脇腹を撫でられて、くすぐったさに思わずぶるりと震える。
「ずっと、君とこうしたかった」
長谷部の額に唇を落としながら、光忠が微笑む。
「”Good boy”」
「ぁ、」
心身を預けたDomからの誉め言葉に、長谷部の体は素直に反応した。ぴくりと立ち上がった性器を隠そうとした手をやんわりと掴まれて止められる。
「駄目。君の全部を見せて。”Present”」
「…………ぅ、あ」
優しいけれど有無を言わさぬコマンドをかけられ、自然と光忠に向けて腰を突き出すような格好になってしまう。顔が熱い。恥ずかしい。でも、気持ちがいい。
「”Good boy”……長谷部くんはここも綺麗だね」
立ち上がった茎を人差し指でつうっと撫でられて息が乱れる。そんな長谷部の反応をさらに引き出そうと光忠の指が先端に絡みつく。
「っ、んん、っふ」
羞恥と快感に思わず目を閉じると、耳元に吐息を感じた。
「……見ててごらん。君が僕で気持ちよくなってるところ。”Look”」
「……っ!」
ぱちりと目を開けると、唇で弧を描いた光忠が長谷部の性器を握りこんでいる光景が目に入った。光忠と目が合ってしまい、にこりと微笑まれる。
「嫌だったら、言ってね」
そんなことを言いながらゆるゆると手を上下される。
「あ、光忠さ、んっ、ぁ、あ、んん」
恥ずかしいのに目が逸らせない。長谷部の性器はすっかり固くなり、先走りを零している。潤んでぼやけていく視界に反して、ぐちゅぐちゅといやらしい水音がやけにはっきりしていた。
「かわいい」
手の動きは止めないままに、光忠が身を乗り出して長谷部に口づけをする。舌でつつかれて反射的に唇を開くと、ぬるりとしたものが口の中に差し込まれる。光忠の舌だった。生まれて初めての深い口づけに、うまく息ができない。上顎をなぞられて鼻にかかった声が出る。勝手がわからずに縮こまる舌を絡められて引きずり出されて、じゅうと吸われると腰が震えた。光忠の大きな手のひらに包まれた性器が今にも爆発しそうだった。
「っん、みつただ、さ、俺、もう……」
「うん、一回出しておこうか」
手の動きが早まった。唇を噛みしめようとするのを咎めるように再びキスをされる。
「ぅ、ん、っふ、ぁ、だめ、ですっ……! 出ちゃ、」
「いいよ。出して」
「っっっっっ……!」
視界が真っ白に弾けて、光忠の手の中に白濁を吐き出した。びくびくと震える腰を労わるように左手で撫でられる。は、は、と荒い息を吐いていると、「上手に出せたね。”Good boy”」と褒められた。思わず目を伏せてしまうくらいに恥ずかしいのに、Subの本能はそんな言葉からも快楽を拾う。
「……みつただ、さん」
気持ちよさがずっと続いていて一向に引かない。快楽の渦に飲み込まれているようで、すこしだけ怖い。助けを求めるように光忠の顔を見上げると、宥めるように微笑まれた。
「怖い?」
「ん、はい……なんか、ずっと、気持ちよくて、」
「そっか。ここでやめる?」
「それは嫌です」
はっきりと即答すると失笑された。
「嫌なんだ?」
「……俺は今貴方に抱かれたいんです」
「………………すごい殺し文句だなぁ」
我ながら恥ずかしいことを言っている自覚はあった。思わず視線がふらふらと泳いでしまう。
「……じゃあ、長谷部くん、」
前に触れていた指が、会陰を通って長谷部の後ろにひたりと押し当てられる。
「指、入れてもいい?」
「……は、い……」
「本当? もし嫌なら、」
「いいって言ってるでしょう。…………早く、」
「……うん」
吐き出された精液をまとった指がぬるりと体内に侵入してくる。異物感に眉を寄せる。ぐち、ぐち、と内部で指が動く。エイリアンが腹の中で生まれたらこんな気分だろうかと場違いなことを考えてしまう。
「っふ、く、んん」
不快とまではいかないが、気持ちよくはない、と思う。シーツを掴んで得体の知れない感覚に耐えていると、それに気づいた光忠が反対の手で性器に触れて来た。
「こっちも、触るね」
「え、あ、……っんん!」
萎えていた性器は光忠に触れられただけですぐに硬さを取り戻した。「さすが、若いなぁ」と呑気に感心されて反論したくなったが、同時に後ろをいじられて余裕なんて消し飛んでしまう。
「く、ぁ、んっ、ん、あ」
性器への刺激で後ろへの異物感が幾分か薄くなってきた頃、二本目の指を差し込まれる。腹側の壁を探るような動きに息が詰まる。
「多分、このへんだと思うんだけど」
「は、ぁ、なに、……っっ!」
こり、と内部のしこりを刺激されてぴんと爪先が伸びる。今まで体験したことのない未知の感覚にぱちぱちと瞳を瞬かせる。そんな長谷部を見て光忠は満足げに笑った。
「ああ、ここか」
「え、や、ぁ、あっ」
二本の指で挟むようにしこりを強く弱く刺激される。先ほど精液を吐き出したばかりの性器はもう元の硬さに戻って、再び光忠の手の中でだらだらとはしたなく涙を零している。
「ここ、前立腺って言うんだって。見つけられてよかった」
前を擦られながら内部からしこりを押されるとたまらない。いつの間にか指は三本に増えていて、ばらばらと中で動かされている。最初は違和感だけだったのに、今はそんな動きにも快感を拾ってしまう。ばちばちと視界がスパークする。光忠はまだシャツ一枚脱いでいないのに自分だけ上り詰めるのがただただ恥ずかしい。
「あ、ぁ、やっ、みつた、さっ、だめ、またっ……」
「イきそう?」
こくこくと必死に頷くと、ふっと微笑まれた。
「もうちょっと我慢してね。”Stay”」
そこでようやく指が抜かれた。胸を荒く上下させながら放心して見慣れない天井を見上げていると、カチャカチャという音と衣擦れの音がして、膝に手をかけられた。のろのろと視線を下半身の方にやると、前を寛げた光忠が、長谷部の脚を抱えていた。ジーンズと下着の向こうから逞しく立ち上がった性器が覗いていた。
「……入れても、いい?」
この期に及んで長谷部の意思を確認する優しくて臆病な光忠が好きだと思った。シーツを掴んでいた手を離し、光忠に向けて伸ばす。
「来て、ください」
うんと小さく頷かれて、光忠の昂ぶりが長谷部の穴にぐ、と押しつけられた。
光忠が腰を押し進めるごとに、慣らされた穴はすこしずつその砲身を飲み込んでいく。めりめりと音がしそうなほどの圧迫感を息を吐きながらやり過ごす。
「っ、ん、っは、ぁ……」
「ふ、……はは、きつい、な」
再び光忠の手が長谷部の性器に回る。
「長谷部くん、こっちに集中して。力、抜ける?」
「は、いっ……ん、ふぅ、ぁ、あっ」
吐き出される声に甘さが含まれてきたのを確認してから、光忠は徐々に奥へ奥へと侵攻を再開した。
「あ、ぁっ、みつただ、さん、っは、んん」
「……長谷部くん、」
こつんと額を当てられる。涙で滲む視界に、うつくしい顔がいっぱいに広がっている。
「入ったよ。わかる?」
感覚を確かめるように、長谷部は己の腹を撫でた。どくりと脈打つものが身の内に収められている。いとしい相手の一部がたしかに体内にあることを確認して、長谷部はゆっくりと顔を綻ばせた。
「わかり、ます。光忠さん、俺、」
「うん」
「俺、幸せです」
「……うん。僕も、幸せ」
どちらからともなく唇が重なる。光忠の背中に手を回して引き寄せると、意図を察したように腰を小刻みに揺らされる。
「っふ、ん、んん、ぅ、あ、あっ」
次第に深くなっていくストロークに振り落とされないように必死に光忠にしがみつく。キスの合間に光忠が囁く。
「好きだよ、」
下半身から上ってくる快感の波を漂いながら「俺も」と返す。俺も、好きです。嬌声まじりのその告白に、光忠は眉根を寄せ、長谷部の体をぐんと引き寄せた。
「っひ、あ!」
前立腺と説明された箇所をごりごりと擦られ、信じられないくらい深いところに光忠が入ってきた。奥の行き止まりのところをごつごつと突かれ、痺れるような快感にはくはくと唇を開閉すると、開いた唇の間から舌を絡められた。
「っ、! ん、ちゅ、ぅ、っ……!」
互いの腹の間で擦られた性器がどろどろと濡れてそのまま蕩けていきそうだった。どこもかしこも信じられないくらい気持ちがいい。舌を吸われて歯を立てられるとまるで食べられてるみたいでぞくぞくする。
「は、みちゅ、た、さっ……!」
「気持ちいい?」
腰の動きは止めずに光忠が尋ねてくる。唇を親指でなぞられる。
「ねえ、答えて。”Say”」
「っ、きもちぃ、です……は、ぁ、光忠さんは……?」
「僕も、すっごく、いい、よっ……!」
ちゅ、と一度だけ短くキスをして、光忠が獰猛に笑う。初めて見る雄としての顔の壮絶な色気にしばしの間見惚れてしまった。
「長谷部くん?」
「……光忠さん、かっこいい」
ぐう、と低い唸り声があがったかと思うと、腰の動きが早まる。
「ぁ! や、ぁ、なんで、」
「っ、君って子は、本当に……!」
長谷部くん、長谷部くん、と名前を呼ばれながら、共に上りつめていく。
「あ、ぁ、っ、は、ぁあ、あっ、あ、あ、出ちゃ、あ!」
「っは、……く、ぅ……!」
噛みつくようにキスをされる。視界が白く弾ける。長谷部の性器から白濁が吐き出されるのとほぼ同時に、光忠が低く呻いて長谷部の上に倒れこんだ。腹の奥で熱い液体がじわじわと広がっていく感触がする。中に精液を塗り込めるように、ぐ、ぐ、と腰を動かしてから、やがてずるずると光忠は長谷部の体内から出ていった。それが寂しいと思う自分がいるのにこっそりと苦笑した。
お互いに荒い息を整えながら、顔を見合わせる。
「…………大丈夫?」
「………………すごかった、です」
「はは、すごかったかぁ」
汗で張りついた前髪を優しく払われる。
「…… “Good boy”。大好きだよ、僕の長谷部くん」
「ぁ、」
きゅうと胸が締めつけられて、それなのに雲の上にいるようなふわふわとした感覚が長谷部を包む。光忠への愛情と多幸感で頭がいっぱいで、全身がどこまでも蕩けだしていくようだ。
「……長谷部くん?」
ぼんやりと顔を紅潮させる長谷部を不審に思ったらしく、光忠が肩を掴んで顔を覗き込んでくる。
「なんか、俺、変、です……ふわふわして、きもち、よくて」
顔に触れている光忠の手に頬をすり寄せる。不思議そうな顔をしていた光忠がやがて合点がいったというように頷き、じわじわと耐えきれないといったように笑みを浮かべる。
「Sub space、だね」
信頼関係を築いたDomとのプレイでのみSubが入るというトリップ状態のことだ。
「Sub space……」
これがそうなのか、と信じられない気分だった。知識では知っていたが、自分がそんな状態になれるなんて思っていなかった。ただただ、信じられないくらい気持ちがいい。
「気持ちよさそうな顔してる。……ちょっとコマンド出してみようか」
「? ……はい」
「”Present”。お尻の穴、見せてごらん」
恥ずかしいと思うよりも先に体が動いた。ゆっくりと四つん這いになると、光忠に向けて尻を突き出すような姿勢になる。
「ああ、まだひくひくしてる。”Good boy”。ちゃんと見せられて、いい子だね。大好き」
「あ、んん」
二度も吐き出したはずの性器に血が集まっていくのが自分でもわかった。思わず力の入った後膣からとろりと精液が流れ出す感触がして、ぶるりと震える。恥ずかしいのに、それを上回る快感で思考回路がショートしている。
気持ちいい、気持ちいい。もっと。もっと、
「みつただ、さん」
「うん?」
腰を高く上げながら、長谷部が口を開く。
「もっと、貴方をください」
笑いまじりの声が長谷部の鼓膜をやわらかく揺らすのがたまらなく幸せだった。
「……いいよ。そのままお尻上げててね」
◆ ◆ ◆ ◆
気づけばどろどろと暗くねばついた液体の中でゆらゆらと揺蕩っていた。周りを見渡しても長谷部の他には誰もいない。生温い水中には魚や海藻の影さえない。
水底から濁った虹色の被膜に包まれた泡がゆらゆらと浮かび上がってきて、長 谷部の目の前でぱちんと弾けた。
――Subのくせに生意気なんだよ。
弾けた泡の中からいつか言われたあの言葉が聞こえてくる。泡はいくつもいくつも絶え間なく立ち上ってくる。
――Domの言うことだけ聞いてりゃいいのに。
――できそこないのSubが生意気に。
――Subのくせに選り好みしてんじゃねえよ。
ぱちんぱちんと泡が弾ける度に響く罵声に、長谷部はくっと唇を曲げて笑った。
「それがどうした」
口にしてみれば、あれほど恐れていた泡はただの泡で、心ない言葉たちはただの雑音に変わった。
「おまえらの言葉なんか、もうどうでもいい。だって、俺にはあの人がいる」
長谷部くん、と名前を呼んで、抱きしめて。それで幸せそうに笑う顔を思い出すだけで、胸の奥があたたかくなる。このまま翼を生やしてどこまでも飛んで行けそうな気持ちだ。今ならどんな悲劇だって笑い飛ばせそうな気がする。
俯いていた顔を上げ、胸を張って宣言する。
「俺はあの人に愛されているし、あの人を愛している。だからもうひとりで立ち止まったりなんかしない」
雑音まじりの泡がごぼごぼと長谷部を包む。負けないように声を張り上げる。
「俺はあの人と歩いて行く」
◆ ◆ ◆ ◆
目を覚ますと、あたたかな腕の中にいた。
見慣れない部屋の様子に一瞬どこにいるのかわからずに頭を動かすと、素晴らしく整ったうつくしい顔が目に飛び込んできた。蜜色と檸檬色の瞳が開いている。
「おはよう」
「……おはよう、ございます」
挨拶をすると同時、脳内に今までの記憶が怒涛のように流れた。眠りに落ちる前の自分の痴態を思い出して顔が熱くなる。
あの後、光忠に「今度はもうすこしゆっくり、ね」と言われ、これでもかというほど全身をくまなく愛撫され、それでもなかなか射精を許してもらえず、泣きながら懇願して――、
「あ、こら、布団被らないの」
布団の海の奥底に潜ろうとした長谷部を光忠の両腕が抱き寄せて阻止する。長谷部の耳朶を唇で食みながら光忠が囁く。
「そんなかわいいことして……まだ抱かれ足りない?」
「ばっ……!」
「冗談だよ。僕もさすがに腰が痛い。……歳は取りたくないものだねぇ」
ぽんぽんと頭を撫でられ、額にキスをされる。
「まだ夕方だよ。もうすこししたらシャワー浴びて、一緒に夕飯を食べようね。ああ、それから――」
「それから?」
長谷部の問いに悪戯っぽく微笑むと、光忠は長谷部の手を取ってこう言った。
「改めてきちんと口説かせてくれないかな。……さっきのあれじゃ、かっこつかないから」
ぽかんと口と目を丸く開く。そういえばボディブローを叩き込んでからの両者泣きながらの告白だったことを思い出し、今更ながらその滑稽さに腹の底からくつくつと笑いが立ち上ってきた。
「っふ、もしかして、セックスの時にかたくなに服を脱がなかったのって、」
「絶対痣になってるから、さすがにね?」
「謝りませんよ」
「構わないよ。あれは僕が悪かった。ごめん」
素直に謝る光忠に目を細めながら、やっぱり好きだなぁと思う。かっこわるい光忠も、かっこいい光忠も、どちらもいとしいと思うのだから仕方ない。
けれどなかば頭に血が上っていた時や快感で思考力が落ちていた時ならいざ知らず、素面の状態で正直に好意を伝えるのは気恥ずかしい。
こほんと咳払いをして、長谷部はすまし顔で目の前の手をぎゅうと握り返した。
「――わかりました。口説かれてあげます。どうぞ」
「えっ、今?」
「はい」
力強く頷く長谷部に引き下がる様子がないのを見て取ったらしく、光忠はすこし照れ臭そうに笑ってから長谷部の頬にそっと触れた。
「長谷部国重くん、君が好きです。僕を信じて、僕のパートナーになってください」
この世でただ一人のいとしいDomの告白に、長谷部はとびきり甘いキスで返事をした。
◆ ◆ ◆ ◆
人を信じることは難しい。
裏切られるのは嫌だ。見捨てられるのも、置いて行かれるのも。
でも、もう一度信じたい人ができた。手を取り合って生きていきたいと思う人が。
どんな困難も共に乗り越えていきたいと、そう思い合える相手に出会えたことはきっと幸せなことだ。
互いの手のぬくもりを支えに、今日もふたりで生きていく。
Trust my love and kiss me.・9
Trust my love and kiss me.
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