諦めないから、というのは本気だったようで、あれからも燭台切はめげずに長谷部に話しかけてきた。
「長谷部くん、茶碗蒸しの試作品作ったから、味見してくれないかな?」
「万屋に行ったらスミレの砂糖漬けが売ってたから、お土産だよ。長谷部くんの目の色みたいで綺麗だろう」
「長谷部くん主からいいお酒をもらったんだ。一緒に飲まない?」
「長谷部くん、今度の部隊編成の件だけど--」
「おはよう、長谷部くん。寝癖ついてるよ。直してあげようか」
「長谷部くん」
「長谷部くん」
「長谷部くん」
おまけに贈り物や手紙などもたんまりもらった。その都度すげなく扱ってみたり無視してみたりしてはみたものの、ここまで来ると本丸の仲間たちも自分たちの関係に気づき「たまには相手してやれよ」「他に好きなやつでもいるのか?」などと見当違いなことを言ってくるようになって、長谷部は手入れがなければおそらく禿げていただろうと思われた。
日に日に深くなっていく眉間の皺に、薬研に「ありゃしつこいぜ。そろそろ堪忍したらどうだ。いい男じゃねえか」と言われたものの、長谷部に折れる気はなかった。
燭台切がいい男であることなどとうに知っていた。
事務仕事で根を詰めていると絶妙なタイミングで差し入れられる茶や菓子、向けられる労りの言葉や優しい眼差し。燭台切は長谷部と違って、素直に人を思いやれる男だ。長谷部はひそかに燭台切のそういうところを高く評価していて、それ故に思うのだった。
まっとうな燭台切は、自分などよりもっとまともなやつと幸せになるべきだ。
こんな、尊く素敵な感情を向けてくれる相手に対して、甚振って欲しいとか詰って欲しいとか、欲にまみれた醜い感情を抱くような、そんな性根の歪んだ男ではなく。
もっと同じようにきらきらと澄み切った、慈愛のこもったぬくもりのある感情を返してやれる相手こそがふさわしい。
自分のこれは恋ではないのだから。
しかしいつまでもこの状況を放置しておくわけにもいかず、一度面と向かってこっぴどく振ってやろうと長谷部は決意した。
燭台切を捕まえるのは簡単で、主の部屋へ遠征の報告をして自室に戻ろうとしたところ、案の定終わるのを待ち構えていたらしい燭台切と鉢合わせた。向こうから挨拶をされるよりも先に「おい。今晩、暇か」と聞くと一瞬固まった後にものすごい勢いでがくがくと首を縦に振られる。燭台切ご自慢の髪が乱れていたが、そんなことはすこしも気にならない様子だった。
「暇だよ!! 暇じゃなくても暇にする!!」
「そうか。ちょっと飲みたい気分なんだ。晩酌に付き合ってくれ」
「わかった。おつまみのリクエストはある?」
「だし巻きが食べたい。あとはまかせる」
オーケイ、と答える声が緊張と興奮のせいでかすこしうわずっていて、ああこいつ、本当に俺のことが好きなんだなぁ、と長谷部はどこか他人ごとのように思った。
枝豆に始まりホッケの開きに揚げ出し豆腐、鯵の梅味噌叩きと数種類の串かつ、エビとブロッコリーのサラダに牡蠣のガーリックオイル漬け、牛すじの煮込みにつみれ汁、それから、だし巻き卵。
晩酌に、と用意されたつまみはあきらかに二人分より多いもので、長谷部は並べられたそれらの品々を見て絶句した。
「ごめん……ちょっと作りすぎちゃって」
「食うぞ」
「残してもいいからね?」
「食い物を残すのは性に合わん」
そう言うと燭台切がふふ、と笑みをこぼしたので長谷部は怪訝な顔で振り返る。
「なんだ」
「長谷部くんって、嫌いなものがあってもいつも絶対完食するもんねえ」
「それがどうした」
「ううん。僕、そういうの好きだなって思って」
さっそく口説かれて長谷部は口をへの字に曲げてみせた。
「おまえは口を開くとそればかりだな。他のことは言えないのか?」
「今日は晩酌に誘ってくれてありがとう。何か心境の変化でもあったのかい」
燭台切の瞳がきらきらと期待で光っている。今から振られるとも知らずに。長谷部は「気まぐれだ。とりあえず飲んで、食うぞ」と箸に手を伸ばした。
多いと思われたつまみは大の男二人にかかって意外なほどあっけなく消費された。用意してきた酒も随分と進み、長谷部にしては珍しくほろ酔いの状態で燭台切を眺める。
いい男だ、と思う。腕利きの職人が藍を塗り重ねて作り出したような色の髪はつやつやと輝き、白磁の肌は酒気のせいでほんのりと赤く色づいている。片側だけ覗く瞳は蜂蜜のようにとろりと零れ落ちそうだった。がっしりとした体は武人のそれで姿勢もいい。
いい男だ。だからこそ、自分には勿体無い。そう結論づけて長谷部はじゅわりと出汁の染み出す卵焼きを齧る。
「……そんなに見つめられたら穴が空いちゃうよ」
笑い混じりにそう言われて、自分が随分と長く燭台切を眺めていたことに気づく。
「すまん」
「いいよ。君になら」
そう言って男らしい所作でぐいと盃を傾けると、燭台切はこちらに身を乗り出してきた。
「ねえ、こうやって晩酌に誘ってくれたってことは、すこしは期待してもいいってこと……かな?」
「自惚れるなよ。まだ最高練度にも達してないくせに」
長谷部が鼻で笑ってみせると、そこをつかれると痛いなあと燭台切はかりかりと頬を掻いた。
「じゃあ、僕が最高練度に達したら付き合ってくれる?」
「付き合わない」
きっぱりとそう言い切ってみせる。
「おまえとは、絶対に、付き合わない」
「どうして?」
「理由がいるのか」
「そりゃあ気になるよ」
あくまでも食い下がる燭台切にどう言ったものかと考えながら言葉を選ぶ。
「あー、おまえにはもっといい相手がいるはずだ」
「僕は君がいいんだ」
「……その、俺には恋愛をする余裕がない」
「そんなのいつまでだって待つよ」
煮え切らない長谷部に業を煮やしたのか、燭台切の手が長谷部の手首を掴んだ。
「教えてくれ。僕のことが嫌い?」
鷹のような眼光が長谷部の目を射抜く。
「…………き、」
嫌いなわけがない。嫌いだったらここまで己の心に振り回されることもなかった。
咄嗟に嫌いと言えなかった時点で長谷部の負けも同然だった。
唇を引き結んで視線をそらすと、燭台切の手がそっと長谷部の手に触れる。
「どうか僕と付き合ってくれ。君を絶対に幸せにするって誓うから」
「……駄目だ。おまえとは付き合えない」
燭台切は綺麗だった。まっすぐ恥じることなく思いの丈をぶつけてきてくれる。そんな燭台切を自分の醜い欲で汚してしまうわけにはいかなかった。好きだからこそ、誰よりも自分から遠いところで幸せになってほしかった。
どうしよう。どうすればいい。なんと言えば燭台切は諦める?
酔った頭でぐるぐると考えて、長谷部は口を開く。
「…………実は、他に好きなやつが」
「誰?」
ぐるんと天地がひっくり返り、気づけば天井と燭台切の顔が視界を占めていた。押し倒されたのだ、と気づいた時には、燭台切の手が長谷部のそれを床に縫い止めていた。
「薬研くん……は違うよね。宗三くん? それともまだ本丸に来てない誰か?」
「……おまえには関係ないだろう」
燭台切の顔からは完全に表情というものがすっかり削ぎ落とされていた。恐ろしいほどに整った美貌はそうすると人形めいてすらいた。
「あるよ。君が誰を好きでも――絶対に僕を好きにさせてみせる」
顔を近づけられたかと思うと、がり、と首筋を噛まれた。そのまま鎖骨まで舌で辿られ、強く吸い付かれる。
股の間に硬いものが押し付けられた感触で長谷部の背は震えた。恐怖ではなく、歓喜で。
「君が欲しいんだ」
燭台切のひとつきりの瞳にはごうごうと炎が燃えていた。嫉妬と独占欲と恋情と性愛と。そのほかたくさんの感情が混ざり合って感情の坩堝と化していた。
それは長谷部が燭台切に抱くものと限りなく同じ色をしていて、長谷部の胸は喜びに満ち溢れた。
おまえも。おまえもなのか。
おまえのそのお綺麗な胸の内にも、俺と同じくどうしようもなく澱んで醜く穢れたものが巣食っているのか。
「……おまえ……」
呼びかけと同時にぐらり、と燭台切の体がこちらに倒れ込んでくる。
「…………燭台切?」
受け止めた男の顔を見れば、目を閉じてすうすうと安らかな寝息を立てていた。そういえば、大分飲んでいたのだと思い出す。強張っていた体からどっと力が抜けた。
仕方なしに押し入れから予備の布団を出してやってずるずると重い体を引きずってやっとのことで燭台切を寝かせる。
ついさきほど押し倒してきた強引な男はいまや赤い顔ですやすやと眠っていた。
長谷部は息を吐いて、愛しい男の名前を呼ぶ。
「燭台切……」
手を伸ばしてもいいのだろうか。
掴んだその手を振り払われたりはしないだろうか。そんな人だとは思わなかったと離れていかないだろうか。
嫌われたくない。受け入れてほしい。今よりもっとずっと好きになってほしい。できることなら自分と同じ温度の感情を向けて、それで、それで――――
「困った」
これで、本当に、断る理由がなくなってしまった。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日、長谷部の部屋で目を覚ました燭台切は顔を青くして土下座した。
「長谷部くん! ごめん、僕昨日途中から記憶がなくて……変なことしてなかった?」
「いつも通り、俺に好きだなんだと言っていたな」
「……それで、返事は」
「いいぞ」
「そうだよねやっぱり駄目だよねでも僕諦めないからって……え!?」
「付き合ってやっても、いい」
燭台切はぽかんと口を開けて、右頬を大きくつねってみせた。頬肉の伸び具合からして相当な力でつねっているようだったが、燭台切はそれどころではないようだった。
「……夢じゃない……!」
長谷部くん、と抱きつかれ抱き上げられ、そのままその場でくるくると回された。
「ありがとう! 一生幸せにする! 大好きだよ!」
くしゃくしゃの笑顔でそういうものだから長谷部もなんだか笑えてきて、とうとう観念して自分の気持ちを口にした。
「ああ、俺も好きだ」
そう言って額を合わせて互いにくすくすと笑っていると、通りかかった加州に「お! やっとくっついたんだ! おめでとー!」と祝福され、新しい二人の関係はすぐに本丸中に知れ渡ることとなるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
今回の審神者との面談は長谷部が最初だった。
本丸中を湧き上がらせた大事件のことなど知らない様子で審神者が長谷部に問いかける。
「長谷部、なにか変わったことはあったかい? そういえば前は恋愛小説を気にしていたようだったが、なにか取り寄せを――」
「いえ、まあ大したことではないのですが――」
いやらしくて汚らしい、たわんで歪んで捻じくれきった、欲に塗れたいびつなこころ。
胸の内にうずまくその痛みも煩悶も、あの男からもたらされていると思えばたちまち甘美なものに変わってしまうのだから、本当に自分というやつは度し難く面倒なやつだと思う。
普通じゃない。頭がおかしい。――――それがどうした。だってあいつも同じだ。
不思議そうにこちらを見つめる己の主に、長谷部は幸せそうに笑みを向けた。
「俺は恋をしているようです、主」
それでもきっとこれは、恋だ。
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