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※実休光忠の実装記念SS
※蜜藤JB2023でコピー本として無料頒布したものです
※実休光忠のネタバレ・織田時代捏造を含みます
「はじめまして、長谷部くん。僕は燭台切光忠。仲良くしてくれると嬉しいな」
本丸で初めて言葉を交わしたあの日、そう言われて無性に泣きたくなったのを覚えている。
◆ ◆ ◆ ◆
「貴方のことだから、顔を見ればすぐに食ってかかるのかと思ってましたよ」
そんなことを言いながら、ばりんと煎餅を囓ったのは宗三左文字だった。
「はぁ? なんのことだ」
不本意な言われように、思わず片眉が跳ね上がるのが自分でもわかった。
「実休ですよ。再会早々嫌味を言ったりとか、『あの男を忘れるとは何事だ』とか文句を言うとか、そういうの、するかと思ってました」
ごりんばりん。華奢で繊細な容姿には見合わない豪快な音を立てて宗三は煎餅をかみ砕き、飲み込んだ。
俺は手の中の湯呑みを傾け、随分とぬるくなった焙じ茶をぐびりと喉に流し込む。
「焼けた刀には記憶が曖昧なやつも多いことは知っている。本刃に覚えのないことで相手を責めるほど、俺も狭量ではない。……業腹なのはたしかだが」
「ふうん。まあ、貴方昔からあの手の顔に弱かったですもんね」
「馬鹿言え」
舌打ちしながら湯呑みを置く。この場に留まる理由もなくなったので、俺は座布団からすっくと立ち上がり、障子の取手に手をかけた。
「どこ行くんですか」
「……光忠に今月の食材の発注について相談することがあったのを思い出した」
おやおや、と宗三は細い指先を口元にわざとらしく当てて見せた。
「どの光忠のことでしょう?」
俺は答えずに部屋を出て、後ろ手に障子を閉めた。苛立ちのままに閉めた障子は、思ったより大きな音が鳴った。
この宵待本丸には現在三人の「光忠」がいる。
伊達政宗に号を貰い、水戸徳川家へと渡った燭台切光忠。
豊臣家家臣、七本槍筆頭・福島正則の佩刀だった福島光忠。
そして、つい先日顕現した、第六天魔王・織田信長の佩刀にして、本能寺の変で魔王と共に燃えた実休光忠。
この三振りには長船派の祖、光忠という刀工に打たれたという以外にも大きな共通点がある。それは、三振りともなんらかの形で焼け身になっている、ということだ。
数多くの刀剣が在るこの本丸では、焼け身になったものの数も少なくはない。先ほどまで話していた宗三左文字もそうだし、一期一振や骨喰藤四郎、御手杵などもそうだ。焼けてもなお再刃されて伝わったものもいれば、そのまま焼失したものもいる。
その中には焼けた影響で記憶が一部失われていたり、炎にトラウマを持つものも、いる。
だから、本丸設立から数年も経った今、焼けて己の記憶が怪しい刀が来てもそう驚きはしない。そういうものなんだと理解はしている。
しかし、理解しているから納得できるかと言えば話は別だ。
自分がまだ織田にいた頃。付喪神として意識を持ち始めたばかりの、まだ号を持たぬ無銘の大太刀だった頃。
刀蔵の中でよく俺の相手をしてくれた、光忠の刀がいた。お互い号なしの、生まれたての付喪神であった気安さからよく言葉を交わした。暇な時は蔵の窓から見える庭を眺めたり、手入れで蔵の外に出された日には城内を散歩したり。
互いに呼ばれるべき号を持たなかったから、代わりに己を打った刀工の名で呼び合った。
あの頃、元の主であるあの男の次に呼んだ名は、間違いなくあの刀の呼び名だった。
あの男からはじめて「へし切」という号を与えられて、嬉しさのあまり真っ先に報告しに行ったことも、そうして呼ばれた号がなんだか聞き慣れなくて、「おまえだけは長谷部と呼び続けろ」と我儘を言って困らせたことも覚えている。忘れたことなんて一度もない。そう、
――一度も焼けることのなかった自分だけが、覚えている。
厨に続く廊下を歩いていると、庭に面した縁側で男が座ってじっと庭を眺めていた。
黙って背後を通り過ぎることもできたが、何故かそれが憚られるのは、やはりこの男から無視できない何かを感じているのだろう。どうにも癪だけれども。
「おい、そこをどけ、実休。邪魔だ」
「ああ、ごめんね」
素直にそう謝り、男は大きな体をいそいそと動かしてどいて見せた。そうしてこちらを振り返り、こてんと首を傾げる。
「へし切くん、どこに行くんだい?」
「……長谷部と呼べ」
「長谷部くん、どこに行くんだい?」
わざわざ言われた通りに言い直してみせる素直さだとか律儀さだとか、どうにも慣れない。そもそも俺の知っているこの実休光忠という刀は、これほどぼんやりした男だっただろうか?
「貴様こそ何をやっている。暇なら厨で夕餉の下ごしらえでも手伝ってこい」
疑問と苛立ちは声色の険になって表れた。我ながら刺々しい声をかけたにもかかわらず、実休は特に気を悪くした様子もなく微笑んだままだ。黒の手袋に包まれた長い指が、すっと庭の隅を示す。
「あのあたりに生えているドクダミ、いいお茶になりそうだなと思って。でも、勝手に摘んだら怒られるかな、とか、いろいろ考えていたんだ」
「構わんだろう。花壇の花や畑の野菜だったら怒るやつもいるだろうが、庭の隅の野草くらい誰も咎めん。好きにしろ」
「そうか。なら、そうさせてもらおうかな」
顔や腕に大きな火傷跡を残す男は、そういって沓脱石に置かれた庭歩き用の下駄に足を通した。そうしてこちらに見せる横顔は、自分の見知ったものとよく似ている。
「……貴様もあれか。野菜や花を育てたりするのが好きなクチか?」
思わず投げかけた問いかけに、実休は不思議そうな顔でこちらを振り返った。
「そうなのかな?」
「俺に聞かれても知らん。違うのか」
「どうだろう。ただでさえ僕は記憶が曖昧だし、これが元の主の影響なのか、それとも僕に付与されたその他の逸話の影響なのか、自分でもよくわからない」
今まで本丸にいたどの刀よりも、実休光忠の個というものは炎によって蝕まれていると、そう感じる。しいて言うなら初の頃の骨喰や、そもそも個としての物語を持たない巴形や静形に近いのだろうが、あいつらが修行から帰還してもう随分と経っている。こういう手合いにはどう対応すべきだったか、と俺は思考を巡らせた。下手に記憶を失う前のこの刀を知っているだけに、余計に反応に困る。
「……そもそも、貴様のその『記憶がない』というのは、どういう状態なんだ?」
「うーん、言葉にするのが難しいな。知識として知ってはいるけど、実感がないこともあるし、その逆もある。もしかしたら、忘れたことすら忘れていることだってあるかもしれない」
「……忘れたことすら、忘れている……」
魔王が愛し、その最期まで魔王の手によって振るわれ、そしてその死を看取った刀。その後本能寺の焼け跡から見つけ出され再刃されて、大阪城で再び炎に包まれ、焼け落ちた刀。
時に憧れ、時に苛立ち、嫉妬したこともある名刀の今のありさまを見て、何も思わないといったら嘘だ。
この刀剣男士の抱える壮絶な物語を、羨ましいとも、哀れだとも思う。
「うん、だからこういう、興味の湧くことは大事にしたいんだ」
「というと?」
その先の言葉を促すと、実休は「多分なんだけど」と前置きしながら、ぽつりとこぼした。
「今の僕がすこしでも覚えていたり好きだなって思うことって、きっと記憶を失う前の僕も大事にしていたものだと思うから」
「…………そうか」
「ああ」
俺がそれ以上何も言わずにいると、「それじゃあ」と実休は庭の方へ歩いて行った。でかい図体をしている割に、音を立てずに移動するその動きには、ぼんやりとした影のような、一種の静けさと空虚さがあった。燃えさかる炎の痕をその身に宿して顕現した、今はもう現世からは失われた光忠の刀。
(――あいつも、もしかしたら『そう』なんだろうか)
ドクダミが生い茂る日陰のあたりへ実休が座りこむのをなんとなく目で追っていると、背後から声をかけられた。
「あれ、長谷部くん?」
聞き慣れている声とはいえ、完全に気を抜いていたのでびくりと肩が跳ねる。思わず眉間に皺を寄せ、溜め息をついて振り返れば、黒くてでかい眼帯の男が立っていた。
「……光忠、本丸内で気配を殺して近づくのをやめろ」
「このくらい、いつもの君なら気づいていただろ」
そう言いながら、光忠――燭台切光忠は俺の隣へと並んだ。
「……そんなに実休さんが気になる?」
「気にならないといえば嘘になるな」
「そっか。妬けるね」
このかっこつけが素直に嫉妬を口にするのが珍しかったものだから、俺は目を丸くして隣を見た。形のいい唇がすこしだけ尖り、金色の隻眼は面白くなさそうに細められている。予想していたよりも明らかに拗ねていることを主張するその様子に、思わず顔がほころんでしまう。
「嫉妬か?」
「そうだよ。恋人が他の男――それも、自分の兄弟にあたる刀を熱心に見つめていたら、誰だって面白くないと思うけど」
そう言ってするりと指を絡められ、きゅっと握りしめられる。どこか縋るような力加減だった。
「君は僕の長谷部くんなのに」
不満げな光忠の手の甲を、俺はあやすように親指で撫でた。しばらくそうしていると、すこしだけ光忠の纏っていた険のある空気が和らいでくる。
「――そういえば、おまえなんで初対面から俺のことを『長谷部くん』って呼んだんだ?」
本丸で最初に出会って自己紹介をした時、光忠は俺を迷わず『長谷部くん』と呼んだ。『へし切くん』ではなく。
「旧知の大倶利伽羅あたりならともかく、おまえ普段は他のやつのことを号で呼ぶだろう。どうして俺は『長谷部くん』だったんだ?」
握られた手を、同じ力加減で握り返す。その蜜色の瞳に浮かぶものを何ひとつ見逃さぬよう、顔も覗き込む。俺からじっと見つめられた光忠は、長い睫毛をぱちぱちと瞬かせ、「考えたこともなかったな」と顎に手を当てた。
「なんとなくだよ。君を呼ぶなら『長谷部くん』しかないと、なんとなくそう思ったんだ」
「はは、そうか」
「えっ、なに、なんで笑ってるの」
「内緒だ」
「ええ……」
きっと聞いても明確な答えなど得られないのだろう。真相は燃えさかる炎の奥に攫われたまま、永遠に戻ることはない。
それでも残されたものを、俺を、大事だと思ってくれているなら、それでいい。そう思うことにする。
眉を下げて困ったようにこちらを見つめる恋人の頬を、空いているほうの手でするりと撫でる。
本丸で再会した時、光忠は俺に『はじめまして』と言った。けれど、いつかの約束どおり、俺のことを『長谷部くん』と呼んでみせもした。
たとえ焼けて無くなっても、残るものがあるというのなら。遠い日に交わした約束が、この刀の内に未だ残されているというのなら、俺はそれで構わない。
あの幼かった日々を覚えているのが俺だけでも、この声が俺を『長谷部くん』と呼び続けてくれるのなら、俺はもう、それだけでいい。
本丸で再会し、告白され、戸惑い、それでもこの手を取ることを選んだ理由を久しぶりに再確認して、俺はふっと眦を緩めた。
「……俺が光忠と呼ぶのは、おまえだけだよ。これからも、この先も、ずっと」
白い肌が赤くなるとわかりやすい。さっと桃色に染まった頬にくつくつと笑いながら、俺はすこしだけ背伸びし、その顔を引き寄せて。
いとしい恋人の唇を、そっと食んだ。
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