泥中に咲く+後日談

短編
     

33161文字(全3ページ合計)

後日談1 花落ちて水流るる

「ちょっと飲み物買ってくるね」

 そう言って立ち去る燭台切の背中がすっかり見えなくなってから、俺は息を吐き、ベンチの背もたれにぐったりと体を預けた。
 見上げた空は青く高くどこまでも透き通り、綿菓子をちぎったような雲がぽつぽつと浮かんでいる。見事なまで快晴だ。これが歌仙や五月雨だったら歌でも詠み出すところなのだろうが、生憎と俺からは「綺麗だなぁ」くらいの月並みな言葉しか出て来ない。
 
 四季折々の花が植えられたこの遊歩道は万屋街の中でも有名な観光エリアで、今はちょうど紫陽花が見頃だった。現世の不忍池を参考に作られたという池の周りには、俺が今座っている他にもいくつかベンチが設置されていて、散歩中の審神者や刀剣男士たちが日光浴をしたり読書をしたりと、思い思いの時間を過ごしている。
 そこらを行き交う人や刀の中には恋人同士と思しき二人組の姿も少なくない。無言で人間観察をしていると、寄り添いあいながら紫陽花を眺める燭台切光忠とへし切長谷部のカップルが目に入ってしまい、思わず舌打ちしそうになって、やめた。おそらく俺と燭台切も他からはそう見えてるに違いない。

「……くそ、」

 浮かんだ考えにじわじわと顔が熱くなってきて、それを紛らわすためにごしごしと袖で顔を拭う。刀剣男子として顕現されてもう十年以上経っているというのに、なんというざまだ。情けない。どうにか燭台切の前で態度に出すのは我慢できていると思うが、あまり自信がない。それくらい浮かれている。
 それもこれも、燭台切が急に「デートをしよう」だなんて言い出したのが悪い。

 そう、俺は現在、この身に生まれて初めて「デート」なるものをしている。

 燭台切とはキスもセックスも数え切れないほどしてきたし、二人きりで遠征や買い出しに行ったことだって何度もある。
 だが今までは燭台切には意中の相手がいて、俺も自分の気持ちをひた隠しにしていた。対して、今では俺は燭台切に自分の想いを告げ、燭台切の方も俺をこれからは恋愛対象として見ると宣言している。今の俺達はセックスフレンドでも恋人でもない、実に微妙な関係である。そんな状態でのデート――これは燭台切がはっきり「デート」と口にしたので間違いない――とくれば、どうしても期待してしまう。

 ――来週、デートしない?

 そう誘われた時は一瞬耳を疑ったし、その後すぐにデートという言葉を辞書で確認したほどだ。震える手でページを捲った結果『恋い慕う相手と日時を定めて会うこと』という文章が視界に飛び込んできて、俺は正気を保つためにひとり自室で柱に頭を打ちつける羽目になった。
 昨夜は緊張のしすぎであまり眠れなかったし、今朝は今朝で無駄に早起きして身だしなみを整えていた。とはいえ気合いを入れていると思われるのも癪だったので、最終的にいつもと変わらないくらいの見た目に仕上げてきている。表情筋のコントロールには自信があるので、俺のこの浮かれきった心情はまだなんとか燭台切にバレていない、と思う。多分。
 
 自分でもみっともないとは思うが、これは動揺するなというほうが無理だ。十年近く片思いしてきた相手が俺を恋愛対象として見ると言い、あまつさえ一緒に出かけることをデートと表現するだなんて。今でも夢を見てるみたいだ。
 しかし燭台切のことだから、単に俺が自分に振り回される様子を楽しみたくてあんなことを言ったという可能性も捨てきれない。というか充分にあり得る。俺が惚れたのは、そういう意地の悪い男なのである。

 今のところデートは何事もなさすぎるくらいに順調だ。だらだらと雑談を交わしながら万屋街の外れにある公園を散歩して、移動販売車のホットドッグやたこ焼きを買い食いして、現在は遊歩道のベンチで休憩中。その間に手を繋いだりキスをしたりといった色っぽい接触は一切なかった。俺達の今までの関係からは考えられないくらいの、いたって健全な道中だ。あんなに緊張していた俺が馬鹿みたいだ。
 ぎゅうと眉間に皺が寄るのがわかって、ぐりぐりと指で挟んで揉み解す。思わず大きな溜め息まで吐いてしまった。

「ええと、君、大丈夫?」

 耳に馴染んだ響きの声に、俺はのろのろと顔を上げた。烏羽玉の髪に、金の隻眼、革の眼帯。先ほど飲み物を買いに行った燭台切と同じ顔をした男がそこに立っていた。格好こそ内番服だが、こんなに近づかれるまで足音ひとつこちらに気取らせなかった。確実にうちの燭台切よりも練度の高い個体だ。
 初対面の相手だが、見飽きたと言ってもいい顔が心配げな表情で俺の顔を覗きこんでくる。
「具合でも悪いのかい?」
「ああ、いや、俺は――」
 大丈夫だ、と口を開き描けた瞬間、ほとんど殺気に近い気配が背後から近づいてきて、俺の名を呼ぶ。

「長谷部くん」

 そのままひたりと首筋に冷たいものを押し当てられて「ひっ」と声が出た。
「ごめんね、遅くなって。自販機が思ったよりも遠くってさ」
 声色こそ朗らかだが、付き合いの長い俺には顔を見ずともわかる。これは目が笑ってないやつだ。
「ああ、連れがいたんだ。よかった」
 燭台切の剣呑な笑顔に動じた様子もなく、俺に声をかけてきたよその燭台切はほっとした様子で胸を撫で下ろした。
「ごめん、邪魔しちゃったみたいだね。それじゃあ、僕はこれで」
 そう言って爽やかな笑みを残して立ち去っていく背中をなんとなく視線で追っていると、燭台切は首筋に押し当ててきていたペットボトル飲料を俺の手の中に落とし、空いていたベンチの隣にどすりと座りこんだ。

「何話してたの?」
「体調を心配されたから平気だと返してただけだ」

 ペットボトルの蓋を回しながら答える。ふうん、と明らかに不機嫌そうに相槌を打たれ、俺は溜め息をついた。たかがセックスフレンドとはいえ、自分の縄張り内のもの――この場合俺のことだ――に手を出されて臍を曲げているらしい。どの面下げて、と思わなくもない。自分は他の本丸の長谷部に声をかけるどころか横恋慕してたくせに。

「あのなぁ、燭台切。大体あの燭台切は――」
「それ、いい加減どうにかならない?」

 こちらが言いかけた言葉を途中で遮って、燭台切は湿度たっぷりの視線をこちらへ向けてきた。
「『燭台切』が二振りだと紛らわしいだろう」
「は? そうは言うが、あっちもおまえも燭台切光忠だろ」
「光忠」
 いきなり自分の刀工の名を口にしたので何かと思えば、燭台切は自分の胸をとんと指さした。

「僕のことは、光忠って呼べばいい」

 言われた意味を咀嚼して飲みこみきるのに、優に十秒はかかった。

「『燭台切』と『光忠』だったらまだ呼び分けしやすいし、それに君が『光忠』って呼ぶなら同じ本丸の僕の方が妥当だと思うんだよね。どう?」

 なおも無言で固まったままの俺の返事を、燭台切は辛抱強く待っている。
 なにか、言わなくては。乾いた唇を舐めて湿らせる。今朝塗ってきた薬用リップクリームの味がした。声が震えないよう、丹田に力を込めて慎重に口を開く。

「……光忠」
 
 そのたった四文字の言葉を口にするだけで、相当な精神力を必要とした。これなら単騎で青野原に出陣するほうがずっと気楽だ。胸の奥で心臓が暴れ回って、今にも口から飛び出すんじゃないかとひやひやする。
 そんな俺を見て、光忠はふっと唇を緩めた。

「なあに、長谷部くん」

 まるで悪戯が成功した子供のような笑みだった。こんなにでかい図体をして、花街で遊女を千人斬りしていてもおかしくないほどの色気があるのに、その実、この男もまだ人の身を得て十年かそこらなのだなぁ、と改めて思う。きっと、自分が今どんな目をして俺を見ているかなんて、気づいてないのだろう。
 俺は開けかけたペットボトルを再び閉め、中身の入ったそれで光忠のみぞおちをどすりと突いた。

「痛っ……!」
「そろそろ帰るぞ。夕餉に遅れると厨当番の連中からどやされる」

 痛みに呻く光忠に構わず、すたすたと本丸への道を歩いて行く。後方から待ってよ、と叫ぶ光忠の情けない声に思わず笑い声を上げた。

「待っててやるから、とっとと来い」

 ああ、そうだ。待つのは得意だ。おまえが追いかけてきてくれるというなら、いつまでだって待ってやるとも。
 いつかおまえが俺を「僕の長谷部くん」だと認めてくれるその日を、ずっとずっと待っている。

「長谷部くん!」

 足音が近づいてくる。あと五歩、四歩、三歩――。
 指折り数える俺の横で、池の水面から蓮の芽がひょろりと顔を出していた。

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