泥中に咲く+後日談

短編
      33161文字(全3ページ合計)

後日談2 花は紅、柳は緑

 目の前の腰を両手で掴んで引き寄せると、組み敷いた体は大げさなくらいに跳ねた。
「ッ、ひ、ぅ……!」
 びく、びくん、と全身を不随意に痙攣させながらぽろぽろと涙を流す彼の瞳へ、宥めるように唇を寄せる。ちゅっと音を立てて目尻に吸いつくと、舌の上にほんのりと塩辛さが広がった。
「や、ぁ、あ、だめだ、イく、イってる……!」
 やだ、やめて、むり、と珍しく本気で泣きの入る彼の余裕の無さに、目の前が真っ白になるくらい興奮した。己の腹の奥底から湧き上がる暴力的なまでの衝動に身を任せ、僕はがぶりと白い肌に歯を突き立てる。ぷつりと皮の切れる感触と、その下のやわらかい皮膚にずぶずぶと歯が食い込んでいく感触。じゅるる、と行儀の悪い水音を立てながらむしゃぶりつけば、先程の塩辛さを塗りつぶすほどの強い鉄の味がした。

「っ、ァ、〜〜〜〜ッッ!」

 僕を包む媚肉が痛いくらいにこちらを引き絞ってくる。互いを隔てる僅かな隙間すら惜しいというような熱烈な締めつけだ。きっともう痛みもつらさもなにもかも、気持ちよくてたまらなくなっているに違いない。
「……やらしいね、長谷部くん」
 掠れた声で耳元にそう囁いてやると、ふるふるとかぶりを振られた。
「ちが、ぁ……」
「違わないだろう?」
 耳介の薄い皮膚と軟骨のこりこりとした感触を楽しむように唇でやわく食み、舌を這わす。その僅かな接触ですら今の長谷部くんにとっては耐え難いほどの快楽だと確信があった。もはや数えるのも面倒なほど枕を交わしてきた相手だ。吐息ひとつ、目線ひとつからだって、どんなことを感じて何を考えているかは大体想像がつく。

 今の長谷部くんは嵐のように荒れ狂う性感の中、理性という名の細い命綱を掴むことで僕からの誘惑を必死に拒んでいる。驚嘆すべき精神力だ。そこは素直に尊敬する。
 でも僕だってここで我を曲げるわけにはいかない。彼の頑なな理性も意地も体面も、何もかも徹底的に剥ぎ取ってやらなければ。
「ほら、認めないと終わらせてあげないよ」
 ずん、ずん、と一定のペースでゆるく奥を突き上げながら、真っ赤に染まった耳元へ毒のような睦言をとびきりの低い声で注ぎ込む。
「言ってごらん。『いやらしい体でごめんなさい』って。思いきり媚びて、甘えてみせて?」
「……だれ、の、せいだとっ……!」
「それが嫌なら負けを認めてみる? たった一言でいいんだ。簡単だろう?」
 奥を押しつぶすようにぐりぐりと腰を押しつける。細い悲鳴を上げながらのけぞって白い喉元を晒す長谷部くんへ、僕は我ながら意地の悪い笑みを浮かべてみせた。

「ちゃんと責任取ってあげるからさ。さっさと告白して楽になろうよ、長谷部くん」
 

◆ ◆ ◆ ◆


「おい、もうそろそろいいんじゃないのか」

 いきなり長谷部くんがそんなことを言うものだから、僕は目を丸くして首を傾げる。
 お互い翌日が非番なので、縁側で並んで月見酒と洒落こんでいたところだった。いつもならとっくに一升瓶を半分は空けている頃合いなのに、今夜の長谷部くんは神妙な顔で自分のグラスをぼんやりと見つめたり、かと思えばこちらの様子をちらちらと窺っていたりしていたものだから、何か言いたいことがあるのだろうとは察していた。
「なんのこと?」
 顔いっぱいに疑問符を浮かべる僕へ、長谷部くんは眉間に皺を寄せ重々しく口を開いた。

「今、俺達は何をしている?」
「晩酌だね」
「この後何をする予定だ?」
「何って、いつもどおりセックスするつもりだったけど」
「明日はどうするって話だった?」
「君と万屋街へ買い物に行くって話だったよね。ついでに最近リニューアルオープンした水族館エリアを見物するつもりだった」

 僕の言葉を聞いて長谷部くんは「そうだな」と大きく頷く。
「じゃあ、この間の非番に俺達は何をしていた? そして、次の非番は何をする予定だ?」
 いつまで経っても質問の意図がわからず、僕の顔も次第に怪訝なものになっていく。
「この間も似たような感じで君と映画を見に行っただろう。次の非番に何をするかは決めてなかったけど、最近外出が多かったから久々に僕の部屋でのんびり過ごすのもいいかなと――」
「それなんだが、」
 長谷部くんの眉間の皺が一段と深くなる。

「俺達、もう付き合ってるって言ってもいいんじゃないか?」

 ちりん。誰かが外し忘れていたらしい季節外れの風鈴の音が響いた。

「…………それは、」
「非番が合えばほとんど一緒に過ごして、セックスして、デートして。これで恋人じゃなかったらなんなんだ? おまえは一体どういうつもりでいる?」

 面倒なことになったなぁ、と僕は内心溜め息をついた。何か言いたいことがあるのだろうとは思っていたけれど、このタイミングでこういう方向から攻めてこられるとは思ってもみなかった。


 二十年ほど前、僕達は互いの肉欲を処理するために双方同意の上で爛れた関係を始めた。いわゆるセックスフレンドというやつだ。その後僕がよその本丸の長谷部くんに恋をしてフラれるという事件をきっかけに長谷部くんから告白され、それに対し僕は思わせぶりな返答をして、そこからなんやかんやで今に至る。
 曖昧な態度でずるずると返事を先送りにすること、およそ十年。自分でもよくぞここまで引き延ばせたなと思う。これが麺だったら伸びきるのを通り越して干乾びるか腐っているところだ。

 ――――俺が好きなのはおまえだ!

 あの怒声混じりの告白を経てから、長谷部くんの態度はすこしずつ変わっていった。僕へと向けてくる視線の中には時折隠しきれない甘さが含まれるようになったし、以前はヤることをヤったらさっさと自室へ帰っていたのを、僕の隣で朝まで眠るようになった。僕のことも「燭台切」ではなく「光忠」と呼ぶようになった。最近ではいちいち自室に戻るのが面倒だからと、僕の部屋に大量の私物を置き始める始末である。

 僕はというと、元々長谷部くんのことは気に入っていたので、告白後も変わらずに一緒に出かけたし、体も重ねた。晩酌に誘うこともベッドに招くこともあった。その頻度がここ数年、もはや言い逃れできないほどに増えてきている。その自覚はあった。まずいな、とも思い始めていた。

 二十年近い付き合いとなった今ではもう長谷部くん以外の相手なんて考えられなかったし、もし今後長谷部くんが僕以外の存在に鞍替えすることがあればその相手を彼の目の前で細切れにするつもりだった。この感情を世間一般的になんて呼ぶのかくらい、僕だって知っている。それは長谷部くんも同じだろう。 

 だからあとはいつ僕があの告白へ返事をするかの状態で、僕としてもそのタイミングを測っていたところだったのだけれど、長谷部くんの我慢は今ここで限界を迎えてしまったようだった。とうとう、と言うべきか、やっと、と言うべきか。

「――なあ、光忠」
 手袋の取り払われた白く骨ばった指が、僕の頬にそっと触れた。

「もうそろそろ、俺のことを愛していると認めてしまえ」

 高慢な物言いなのに、響きにはどこか健気さと切実さがあった。告白へ返事をするなら然るべき場所とタイミングで、と考えていた僕の決意がぐらりと揺らぎかけたが、どうにか意地の方が勝った。

「……なにか、この流れで言わされるのはすごく癪なんだよね」
「なんでだよ」
「だってそしたら僕、すごくかっこ悪いじゃないか」

 藤色の瞳をきょとりと丸くしたかと思えば、長谷部くんは次の瞬間腹を抱えて笑い出した。

「ふは、は! おまえ、今まで自分がかっこ悪くないとでも思ってたのか?」
「今も思ってるよ」
「諦めるんだな。そういう意味だとおまえはとっくにかっこ悪かった」

 長谷部くんはくつくつと肩を揺らし、滲んだ涙の粒をを指先で拭った。何もそこまで笑わなくたっていいのに。なんとなく面白くない気持ちで、なかなか笑いの止まらない様子の長谷部くんをじとりと睨みつける。

「なら、そういう君はどうなの?」
「は?」
「君が僕への好意をはっきり口にしたのなんか、あの一回きりじゃないか」
「……一回言えば充分だろ」
「僕は充分じゃない。それにあの頃とは気持ちが変わってる可能性もある。今の君から今の僕への気持ちを、はっきりと言葉で聞きたい」
「そんなの言わなくったって、」
「それなら僕も同じだよね?」

 僕の言葉に長谷部くんはぐぬぬと歯噛みした。
 お互いを無二の相手だと思い合っていることは僕も長谷部くんもとっくに理解していたし、相手が理解していることも察していた。それくらい長い時間を共に過ごしてきている。

 僕はこれからどうすべきか、頭の中で素早く算盤を弾く。考えをまとめる時間を稼ぐように、持っていたグラスをゆっくりと盆の上に戻し、恭しく長谷部くんの手を取ってその甲にそっと唇を落とした。
「……なら、勝負をしようよ。長谷部くん」
「勝負?」
 長谷部くんの瞳に剣呑な光が宿った。負けん気の強い彼のこと、僕からの挑戦に乗ってきてくれるとは信じているが、すこし心配になる。でもそんな不安はおくびにも出さず、僕はにっこりと微笑んでみせた。

「この後のセックスで、先に射精した方が負け。勝負で負けた方は素直に相手へ告白する。どうだい?」
「……待て。それは俺がだいぶ不利だろ」

 長谷部くんの懸念はもっともだ。普段僕がイくまでに長谷部くんは複数回イってしまうことが多い。長谷部くんの名誉の為に言い添えておくと、彼が特別早いというわけではなく、単に感度と、あとは僕のテクニックの問題だ。

「この場合射精が敗北条件だからね。長谷部くんなら出さずにイけるだろう?」
「だとしても、だ。おまえがその条件を出すのなら、俺からもハンデを要求する」
「とりあえず聞こうか。なんだい?」

 長い人差し指が僕の目の前でぴっと立てられた。

「勝負中は俺の性器や乳首、アナルには触れないこと」

 なるほど、と僕は鷹揚に頷いた。そのあたりはまあ、想定の範囲内だ。
「一応確認しておくけど、挿入するのはセーフなんだよね?」
「ああ。一応準備してあるから、洗浄も拡張も必要ない。おまえはただ突っ込んで腰を振ってくれればいい」
 こんな状況じゃなかったら願ってもないお誘いだったのにな、と残念に思いつつも、僕は勝負のルールをひとつひとつ詰めていくことにする。

「挿入中に前立腺を集中的に刺激するのはあり?」
「そこは構造的にある程度仕方ないからな。構わない」
「潮吹きは射精に含める? 含めない?」
「含めてくれていいぞ」

 薄い唇にはほんのりと笑みが浮かんでいる。どうやら長谷部くんにはそれなりに勝算があるようだった。僕は腕組みをして考え込むそぶりを見せた。
「……OK。そのルールで行こうか」
 提示された条件を呑むと、長谷部くんは満足気に笑って立ち上がった。
「先に部屋に行っている」

 散らかしていた酒器を片付ける僕に声をかけ、長谷部くんは去って行った。その気配が完全に遠ざかったのを確認して、僕はふうと息を吐く。

 我ながら突拍子もない提案だったが、無事に長谷部くんが乗ってきてくれて助かった。当初の予定とはだいぶ異なってしまったが、これはこれで悪くない。

 僕は媚薬を塗っていたお猪口だけ・・・・・・・・・・・・・を懐へ回収し、他は盆の上にまとめていったん厨へと戻しに行く。
 部屋に戻った頃の長谷部くんの状態を想像したら、思わず鼻歌を歌いだしそうな気分だった。


 果たして、僕が部屋に戻った頃には、すっかり媚薬が回りベッドの上ではふはふと身悶える長谷部くんが待っていた。

 卑怯者、こんなの聞いてない、と喚いて暴れる長谷部くんを押さえつけ宥めすかし、長谷部くんの提案通り性器や乳首を避けた愛撫を施していけば、抵抗がやむのにさほど時間はかからなかった。

「は、ッ、ぁ、あ…くそ、んんっ」
 ほとんど殺気の籠もった視線を送っていた瞳はどろどろに蕩けて焦点を失い、隙あらば殴りかかろうとしていた手は、今では誤って射精しないようにと自分の陰茎の根本をぎゅうぎゅうと健気に握っていた。
 かろうじて射精だけは免れているものの、ドライでは既に何度かイっている。そのせいで長谷部くんの引き締まった尻のあわい、受け入れることに慣れてぷっくりと縁が膨らみ縦に割れた穴は、本人の意思とは関係なく、そこに咥えこむためのモノを求めてひくひくと蠢いていた。

「…………絶景だなぁ」
「っは、おまえ、おぼえてろよ……!」

 長谷部くんが憎まれ口を叩けたのもそのあたりまでだった。
 そこからさらに焦らしに焦らして挿入した頃には、長谷部くんがナカイキした回数は両手指では足りないほどになっていた。もう何をされても快感に変換されてしまう己の体に、長谷部くんの理性もいい加減限界らしく、藤色の瞳からはぽろぽろと涙が溢れている。

「ちゃんと責任取ってあげるからさ。さっさと告白して楽になろうよ、長谷部くん」

 そう言い放ちながらも、僕もそろそろ限界が近かった。なにせ焦がれていると言ってもいい相手の、これだけの痴態を目の前にしているのだ。一刻も早く腰を叩きつけその最奥へどろどろの精液をぶち撒けてしまいたい欲望をどうにかこうにか宥めすかし射精をやり過ごしているのが、今の僕なのである。
「ゃ、あ、やら、あっ、ぅ、あ、」
 僕からの提案を、長谷部くんはあえかな息の中からも否定してみせる。とはいえ、長谷部くんの真っ赤に張り詰めた亀頭の先端からは我慢汁がだらだらと流れっぱなしで、少量だから見逃してはいたものの精液だって零している。
 勝負は既についていた。それなのに、長谷部くんがどうしても負けを認めない理由は、彼自信のプライドの高さゆえと、もうひとつ。

「やだ、みつたら、おれ、こくはく、ほし…っ」

 ――僕から告白してほしいから。
 ただそれだけの、かわいらしい願いのためだ。

 はーっと深く深く息を吐き、顔にかかる前髪をくしゃりと握る。
 僕から仕掛けた勝負だ。初めから勝算はあった。なにせ、元々晩酌の後のお楽しみにとこっそり媚薬を仕込んでいたし、長谷部くんの体のことなら彼自身よりもよほど知り尽くしている。想定外だったのは、僕が考えていたよりも、長谷部くんが僕からの告白を待ち望んでいたらしいという、その一点だった。

 まあでも、と僕は思い直す。当初の予定からは大分外れてしまったものの、目的自体は果たせそうだ。
 ひぐひぐと涙を流す長谷部くんへ、僕はうんと甘い声で囁いた。

「すきだよ」

 贈った言葉はふやけた長谷部くんの頭でもきちんと受け取ってくれたらしい。藤色の瞳が大きく見開かれ、きゅん、と孔の縁が締めつけてくる。

「長谷部くん、だいすき」

 駄目押しでそう言って優しく口づけてやると、長谷部くんは唇をわなわなと震わせて何かを言おうとした。けれど僕はその言葉を聞くよりも早く腰を引く。
「ぁ、っ! まて、やだ、だめ、まって、」
「待たない」
 孔から抜けきる限界まで引いて、再び一気に押し込む。ただそれだけの単純な、だけどそれ故に強力な重い一突き。
 お互いの肉と骨がぶつかる鈍い音と共に、先端がやわらかいものをぐちゅりと押しつぶし、はまり込む感触がした。
「ッッッ〜〜!!」
 完全に気が抜けていたところでの一撃に、長谷部くんの我慢もとうとう決壊したらしい。限界まで張り詰めていた陰茎から手が外れ、ぶしゃりと透明な液体が噴き出した。
 ざりざりと互いの陰毛が擦れるくらい密着して、くぐり抜けた肉の輪をぐいぐいと刺激すると、決壊したばかりの砲門はその動きに合わせるようにしてぶしゃぶしゃと体液を撒き散らした。

「ぅあ、あ、あ! やら、やぁ! とまって、いやだ、みつ、」
「あっはは! お潮吹いちゃったねぇ? 勝負は僕の勝ちかな」
「ひっ! ッ、あ、ァ、あ、〜〜〜〜っっっっ!」

 頂を駆け上がったまま降りてこられないのだろう。長谷部くんはびくんびくんと体をしならせ、ほとんど悲鳴のような嬌声を上げ続けている。
 焦点の合っていない藤色の瞳から。もはや意味のある言葉を紡げなくなった唇から。くぱくぱと開閉する尿道口から。あらゆるところから体液をだらだらと垂れ流して法悦の限りに感じ入っている長谷部くんは無様で、それでいてとても綺麗だ。

「は、ぁ……僕も出すよ、長谷部くん」
 もう意味なんてろくに理解できていないだろうに、僕が吐息混じりに囁けば長谷部くんの孔は意思があるかのような動きで僕をきゅんきゅんと締めつけてくる。その律儀さと健気さに思わず笑みが漏れた。
「っ、あン、ぁ、あ、あ……ッ」
 長谷部くんをさらに追い詰めるように、長谷部くんのところまで追いつけるように、僕は腰の動きを早めていく。肉の器に備わった本能のままに腰を振るえば、長谷部くんの股間に僕の張り詰めた陰嚢がぶつかって湿った音が立った。
「っふ、んん、はせべく、はせべくん……!」

 視界がちかちかと瞬く。流れる汗が顎を伝い、ぽたぽたと長谷部くんの体へと滴っていく。心の臓が弾むようだ。そろそろ僕にも限界が近づいていた。今、無性にキスがしたい。
「ん、んんっ、ふ、ぅ」
 噛みつくように唇を寄せると、待ち構えていたかのように舌を絡め取られた。弾力のある肉同士を擦り合わせて吸い合う。上からも下からもひっきりなしに水音が響く。
「ぁ、んぅ、ン、〜〜〜〜ッ」
「っ、ぅ……!」

 一際大きく腰を振るい、隘路の奥の奥へと叩きつける。下腹からこみ上げる欲求に逆らわずに精液を吐き出すと、長谷部くんは二度、三度と身を震わせ、とうとう意識を失ったようだった。

 はぁ、と熱い息を吐いて、気絶してすっかり力の抜けた体をぎゅうと抱きしめる。首筋に顔を寄せると、未だ血の滲む痛々しい噛み跡が目に入った。浮かんだ衝動のまま傷口をべろりと舐めてみる。塩辛くて鉄臭くて生臭い、長谷部くんの味。これを知っているのは、長谷部くん本人を除けばきっと僕だけだ。主だって知らない、僕たちだけが知っている味。その事実にどうしようもなく昂ぶってしまう自分がいる。

 僕しか知らない声、僕しか知らない顔、僕しか知らない長谷部くん。僕に向けられるそのすべてが今、この腕の中にあった。
 僕は万感の想いで口を開く。

「――――僕の長谷部くん」


◆ ◆ ◆


「おまえ、あれは卑怯だろうが。ノーカンだノーカン」

 長谷部くんが目を覚まして最初に口にしたのはそんな台詞だった。
 鋭い目をして凄んではいるものの、僕に腕枕をされながらのことなので、さして恐ろしくもない。僕は唇を吊り上げて問いかける。
「卑怯って、どれのこと?」
「何から何まで全部だ。どこから仕組んでやがったんだ」
「ナイショ」
 僕の答えに長谷部くんは憮然とした顔をしているが、僕が仕組んだのは長谷部くんを晩酌に誘ったことと、媚薬を仕込んでいたことくらいで、あとは行き当たりばったりだった。

 だって、まさか僕が告白しようとしたまさにそのタイミングで、長谷部くんから告白を催促されるだなんて思わなかったのだ。

 そんなことは露も知らない長谷部くんは、僕の腕の中でまだぶうぶうと文句を言っている。

「ほら、負けは負けなんだから、そろそろおとなしく告白してよ」
「……ちっ」

 くそ、と舌打ちして悪態をついてはいるが、本気で怒っているならとっくに僕をベッドから蹴り落とすくらいのことはしているはずなので、ただ悔しくて納得が行かないだけなのだろう。そんなところもかわいいなぁと眺めていたら、ひょいと手が伸びてきて僕の鼻をぎゅむりと掴んだ。

「……おい。一度しか言ってやらないから耳の穴をかっぽじってよーく聞け」

 およそ告白の前置きとしてふさわしくない台詞を吐いてから、長谷部くんが小さく深呼吸する。


「   」


 長谷部くんがどんな言葉で僕に愛を告げてくれたかは、僕たちだけの秘密だ。

 

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