後日談「しあわせのおと」
「まあ、僕が言いたいことは「僕」のことだからよくわかってると思うんだけど、」
自分と同じ顔をした男がそう前置きしてにっこりと笑った。
「今回は政府の高官が絡んでた大型案件だったから、調査も長期間で予算も潤沢だったとはいえ、流石にこれはどうかと思うよ?」
男はそう言って手元の領収書の束をパシリと叩いた。
「ターゲットに上客と思わせる為に頻繁に指名してデートを重ねて……っていうのはまだいいさ。体調不良で休んだへし切長谷部が審神者から折檻等を受けないように見舞金を贈るのもわかる。しかし君、「長谷部くん」へのプレゼントも全部経費で落としたろう」
「……必要経費ってやつだよ」
「僕もね? 同じ燭台切光忠だからわかるよ? 長谷部くんはかわいい。すごくかわいい。着飾ってあげたいし美味しいもの食べさせてあげたいし少しでも喜んで欲しくて好みの品をプレゼントしたい。すごくよくわかる。でも、ねえ、これはちょっとやり過ぎじゃないかなぁ?」
男は手を組んで机の上に乗せ、その上に顎を置く。その顔は先程から笑みのままだったが、目の奥はけして笑ってはいなかった。
こうなるとしつこいんだよなぁ、と心の中でぼやきつつも、燭台切は神妙な顔をして俯いてみせた。
「僕もあまり何度も同じことは言いたくないんだけど、君はちょっと「長谷部くん」のこととなると見境をなくすのが悪い癖だね。改めた方がいい」
「……わかっているよ」
まだまだ続くかと思われた説教は、しかし意外なことにすぐに切り上げられた。
「……まぁ、その辺は君たちへのご祝儀代として今回は多目に見てあげよう」
「えっ」
驚きのあまり声をあげてしまい、思わず口元を押さえると、男はくすくすと肩を揺らした。
「君の長谷部くんが待ってるんだろう。早く帰って顔を見せてあげるといい」
男――ブラック本丸対策本部統括・燭台切光忠――は、そう締めくくってにんまりと唇で弧を描いた。
ブラック本丸対策本部は政府直属の特殊部門で、大きく分けて調査部隊と制圧部隊の二つに分かれている。調査部隊はブラック本丸の疑いのある本丸へ調査・査察を行う部隊で、制圧部隊は調査部隊が黒と判断した本丸を武力行使して制圧する部隊である。形式上主としての審神者は存在しているものの、男士が主体の部門で、多くが他の本丸から引き抜かれてきた面子で構成されている。
今回の件で、制圧部隊所属の燭台切が本来なら調査部隊の担当である仕事もこなしたのは、ターゲットの本丸の近侍と燭台切が顔見知り――実際には一方的に覚えていただけだが――であることを強固に主張し続け、そんな燭台切の姿にとうとう折れた制圧部隊隊長のへし切長谷部から統括の燭台切光忠へと口添えして貰い、やっとのことで許可を貰ったからだった。
結果、長いこと恋い焦がれていた長谷部とは恋仲になれたし、制圧当日に編成された部隊の隊長は譲って貰えたしで、一振り目の長谷部にはしばらく頭が上がりそうにない。今度何か高い料理でもご馳走せねばなるまい。
燭台切は本部の統括室を出ると脇目も振らずまっすぐに自室のある居住棟へと戻った。
先日の制圧後の手続きで長谷部の身柄は正式にこのブラック本丸対策本部へと移ることとなり、その面倒は当面燭台切が見る事になった。元々充分な広さのあった一人部屋は思い切ってリフォームして、空室だった隣の部屋と繋げてしまった。ついでに部屋に付いていたキッチンもシステムキッチンにしたしコンロも三口に増やした。風呂も二人入れる広さにしたし、ウォークインクローゼットだってニつに増やした。二人暮しの準備は万端だった。長谷部と一緒に住む為の愛の巣作りに手は抜けない。
その甲斐あってか、初めて自室に招いた時、長谷部は「……まるでホテルのスイートみたいだな」という感想をぽつりと漏らしてくれた。その言葉で彼がどこぞの馬の骨と過去にホテルのスイートに行ったことがあるということがわかって内心嫉妬したものの、これからここでいくらでも愛を育んでいけばいいと即座に思い直した。自分は彼の過去ごと愛そうと決めたのだから。
「長谷部くん、ただいま」
「おかえり、光忠」
ドアの開く音に気づいたのか、リビングの方から長谷部が現れ、とてとてと小走りに近寄ってきた。右手に本を持っているところを見ると、読書でもしていたのだろう。
「統括の燭台切はなんて?」
「ちょっと絞られたけど、まあなんとか」
笑いかけると、長谷部は顔を暗くしてしゅんと俯いた。
「……俺のせいで相当無茶をしたそうだな。すまない」
「はーせーべーくん」
白い頬をやんわりと摘んで両側に引っ張って伸ばした。
「そう言うの、言いっこなしだよ。僕が好きでしたことなんだから、君が気にすることはないんだ」
「だが……」
「僕はね、君が笑顔で隣に居てくれればそれが幸せなんだよ。だから笑って?」
摘まれて赤くなった頬を撫でるように両手で包むと、少し戸惑いつつも長谷部は控えめな笑顔を浮かべた。冷たい雪の中で花開くスノードロップのような笑みだった。
「……好きだ、光忠」
「僕も大好き。愛してるよ」
そう言って唇を重ねると、先程まで言われた嫌味や忠告の数々などたやすく脳内から吹き飛ぶのだった。
長谷部が雑誌のレシピを見ながら作ってくれたという夕食を二人で食べて、食後には一緒に後片付けをする。とは言っても食洗機があるので、鍋やフライパンを洗ったら、あとは簡単に食器類を予洗いして機械に放り込むだけだ。
「あとは僕がやっておくから、長谷部くんはお風呂入っておいで」
「……ああ」
長谷部が着替えを持って風呂場の方に消えるのを見送ってから、燭台切は溜息をついた。
成人男性二人が充分に入れる広さのバスルーム。本当は一緒に入りたかった。一緒に入って長谷部を頭のてっぺんから爪の先まで手ずから磨き上げてやりたかった。でも今はまだ駄目なのだ。
長谷部はレンタル彼氏業と言えば聞こえはいいが、実態は売春紛いのことをさせられていた刀である。政府のメンタルケア担当からは長谷部にそのことへのトラウマや罪悪感があるとの報告を受けていた。迂闊に一緒に風呂に入って自分の息子が元気なところを見られて、長谷部に体目当ての男なのだと失望されるのは絶対に嫌だった。
燭台切だって成人男性の体をしているのだからして、性欲は人並みにある。しかしそれが時に愛する人を傷つけるものになり得るということも知っている。
燭台切は長谷部を大切にしたかった。審神者や他の下衆な男どもから心も体も踏みにじられてもなお、しゃんと伸ばし続ける痛々しい背を撫でて「もう大丈夫だよ」と言ってあげたかった。あれからずっと気丈に振る舞い続ける彼を幸せにしたかった。
「我慢……我慢だぞ、僕」
ぱちん、と両頬を叩いて気合を入れ、燭台切は長谷部が風呂上がりに食べる用の桃を剥き始めた。
「光忠、上がったぞ」
「ああ、わかった。桃剝いておいたんだけど、食べ、」
る、と振り返りかけて、燭台切は動きを止めた。
「どうかしたか?」
「は、せべくん、それ、なに?」
長谷部がこてんと首を曲げる。
「バスローブだが」
目にも眩しい純白のバスローブを纏った湯上がりの長谷部がそこに立っていた。ほんのり桜色に染まった肌が襟元やら裾やらからちらちら覗いて視線の置き場がわからない。
「この間ここの一振り目の長谷部に引っ越し祝いにと貰ったんだ。着心地も悪くないし、脱ぎ着も楽だし、なかなかいいな」
「あっ、一振り目の長谷部くんが、そっかー、へー」
なるべく直視しないように脳内で素数を数えながら、桃の乗った皿をダイニングテーブルの上に置く。
「じゃあ僕もお風呂入ってくるから、先に食べてて」
長谷部の脇を通り過ぎようとした時、ぐいっと後ろから服の裾を引かれて立ち止まる。
「長谷部くん?」
「……一緒に食べないのか?」
「あー、えーと、僕も外出て汗かいたからさっと流して来たいなって」
不満げに唇を尖らせた長谷部は、ふと思いついたように桃をピックで刺し、一切れを燭台切の口元に差し出してきた。
「あーん」
「……あ、あーん」
言われた通りに口を開けると、ひょいと口の中に冷えた果実が押し込まれる。濃厚な甘みと程よい酸味。歯を立てるとパリッと新鮮な音が口内に響いた。
「美味いか?」
問われた言葉に思わずこくこくと頷くと、長谷部はそこでようやく満足そうに笑った。
「早く上がって来ないと全部食べてしまうからな」
そうして長谷部はダイニングテーブルの椅子に座り、ぱりぱりと桃を食べ始める。
それを視界の端に入れた燭台切はロボットのようなぎこちない動きで風呂場へと向かい、服と下着を脱いで籠に入れると、温度調節のダイヤルを最小値にして冷水のシャワーを頭からざぶりと浴びた。火照った体と局部が冷えて気持ちがいい。
ひとしきり水を被ってごしごしと顔を洗い、燭台切ははーっと大きな溜息をついて両手で顔を覆った。
「……僕の長谷部くんが最高にかわいい……」
「おやすみ、長谷部くん」
「おやすみ、光忠」
さすがに同棲中の恋人同士で寝室を別々にするのもどうかと思い、夜は不可抗力で同じベッドで寝ている。二人共大柄なのでキングサイズのベッドである。広々とした空間の真ん中で二人身を寄せ合って眠るのだ。
長谷部のバスローブから覗く引き締まった健康な手足にどぎまぎしつつも、そんなことはおくびにも出さずに部屋の灯りを落とす。
万が一にでも手を出さないようにする為に、ここ最近燭台切は一晩中素数を数えている。最近は九万九千九百九十一くらいまでなら空で言えるようになってきた。ただし素数カウントスキルの習熟度具合に反比例して睡眠時間は減っているので、こっそり一口団子を購入して体を保たせている。
それに、長谷部に手を出せない理由はもう一つあった。
夜中の二時を回った頃、隣で穏やかに寝息を立てていた筈の長谷部の体がびくりと痙攣し、眉間に皺を寄せて魘され始める。
「……ぅ、あ、いや、だ……っさわ、るな……!」
やだ、やめろ、と長谷部が何かから逃れるように首を横に振る。煤色の髪がぱたぱたとシーツを叩く。
「長谷部くん、」
思わず呼びかけると、瞼と瞼の隙間からうっすらと藤色の瞳が覗く。
「みつ、ただ?」
「うん、僕だよ。大丈夫?」
汗で額に張り付いた前髪を剥がしてやろうと手を伸ばすと、直前でその手は叩き落とされた。
驚きと戸惑いの顔をしたのは、燭台切よりも長谷部の方だった。
「っ……す、すまない。違う。これは、」
「……大丈夫だよ。僕は離れていた方がいい?」
身を起こそうとシーツに手をついた燭台切を長谷部が慌てて制した。
「大丈夫だ。頼む……側に、いてくれ」
「うん。君が望むならいくらでも」
そう返すと、強張っていた肩からふっと力が抜ける。
「……手を、」
「ん?」
「手を、握ってもらっても、いいか……?」
可愛らしいお願いにくすりと笑みを零し、彼のことを不用意に刺激しないよう慎重に指を絡めていく。
小指の先までしっかりと指を絡めると、少し安心したように息を吐き、長谷部は再びすやすやと寝息を立て始めた。
長谷部がすっかり寝入ったのを確認してから、燭台切はそっと眠る長谷部の額にキスをした。
こんなにも長谷部を傷つけた前の審神者も、客として無体を働いた連中も、みんなみんな切り刻んでやりたかった。たとえ長谷部が許したって、きっと燭台切は一生憎み続けるだろう。
長谷部の心の傷が癒えるまで、いつまでだって側にいる。毎日めいっぱいの愛を囁く。全身全霊をかけて大切にする。彼がいつか、笑って自分を迎え入れてくれるようになるその日まで、自分からは絶対に手を出さない。
それが長谷部の身柄を引き取った、燭台切なりのケジメだった。
翌朝、政府の定期メディカルチェックを受けに行く長谷部を見送り、時間まで本部共用の娯楽室で暇を潰そうと思っていたら、早朝の娯楽室にはほとんど人が居らず、見慣れた人影だけが一人立っていた。
「……長谷部くん」
一振り目の長谷部である。声をかけられてこちらに気づいたのか、構えていたキューを降ろし、ビリヤード台から身を離した。
「おはよう、燭台切。バスローブはどうだった?」
「…………似合ってたしかわいかったけど、今度からああいうのは遠慮して欲しいかな」
「なんだ、結局手を出さなかったのか。つまらん」
そう言って唇を曲げると、一振り目はさっとキューを持ち、台の上に残っていた最後の九のボールを白い手球でサイドポケットへガコン、と落とした。
「おまえもやるか? ナインボール。無論マッセは禁止だが」
「僕、顕現したての時に君に有り金全部毟られたの未だにトラウマなんだけど」
「俺はおまえがムキになって俺のマッセを真似しようとしてラシャどころか台ごと壊したのを未だに覚えてるよ」
「う……」
一振り目の長谷部はかつて燭台切の世話係をしていたので、昔から頭が上がらない。早々に白旗を上げて、燭台切はビリヤード台脇のベンチに腰を降ろした。
「それで、そっちの長谷部の様子はどうだ?」
ポケットに落ちたボールを回収しながら一振り目が尋ねる。
「……心理的な傷はまだ大きいみたいだけど、体調は問題なさそうだよ。今日のメディカルチェックで異常がなければ、すぐにでも実戦投入できるって」
「そうか。まだ俺達本隊とは練度差があるから、上限に達するまでは新人連中と厚樫山に籠もってもらうかな」
「……そうだね」
一振り目の手の中で、ボールが規則正しく配置されていく。コトン、コトン。ひし形の並びだからおそらくまたナインボールをするつもりなのだろう。
「……長谷部くんはさ、」
「どっちの?」
「君」
「なんだ?」
「心の傷って、癒えると思う?」
コト、と最後のボールを並べ終えてから、一振り目がこちらを振り向く。
「体の傷は、僕ら手入れでいくらでも治るじゃないか。でも心の傷って、そういう訳にもいかないだろう」
燭台切だってまだ顕現して日が浅いけれど、ブラック本丸対策本部の刀として、それなりの修羅場は見てきた。審神者に心を壊された刀、ブラックだと認定された審神者を慕いなおも庇おうと刃を向けてくる刀、審神者を殺して祟り神と化した刀。様々な刀がいた。今もまだ刀解されずに治療を続けている刀も多くいる。任務中にはやるせないことも飲み込めないことも憤ることも、いくらでもあった。
「僕らの仕事って、言わば各本丸の暗部と相対することだろう? 僕の長谷部くんは、それに耐えられるだろうか。彼のトラウマが刺激されてしまったりしないだろうか。勢いでうちに勧誘してしまったけど、政府内の他部署なら居住区を変えずに異動できるし。今からでももっと平和な部署を――」
「馬鹿かおまえは」
カンッ!
快音を響かせてブレイクショットが行われた。色とりどりのボールが緑のラシャの上に勢いよく散らばっていく。
「差し伸べた手を怖気づいて途中で離す奴があるか。それこそトラウマだ、大馬鹿者」
「長谷部くん、」
「あいつにはここに来る際に業務内容の説明は充分にした。メリットもデメリットも余さずな。それを全部聞いて最終的に異動願にサインしたのはあいつの意志だ。あまりへし切長谷部を見くびるなよ」
それに、と一振り目は燭台切の鼻先にキューを突きつけた。
「……おまえが支えると決めたんだろう」
そう言われて、燭台切はハッとしたような顔をして唇を引き結んだ。
「……そうだね。僕が彼の手を引いたんだ。地獄の底まで付き合わなきゃ」
一振り目は燭台切の眼前からキューを引き、ふんと鼻を鳴らして唇の端を上げた。
「気分転換に撞いてくか? ゴサキでどうだ。先攻は譲ってやる」
「……やってみようかな」
「おまえ馬鹿力なんだからブレイクシート敷けよ」
「わかってるよ」
やはりというか、結果はボロ負けだった。
長谷部のメディカルチェックが終わる頃にゲートに迎えに行くと、先に終わっていたらしく、燭台切の姿に気づいた長谷部がこちらへと駆け寄って来た。
「光忠!」
「長谷部くん、おつかれ。どうだった?」
「カウンセリングはしばらく続行することになりそうだが、体調は異常なしだ。これで俺も晴れてこの本部の一員として働ける」
よほど働いてなかったことを気に病んでいたのだろう、にこにこと笑う長谷部があまりにも嬉しそうだったので、燭台切も微笑んで長谷部の頭を撫でた。
「そっか。なら今日はお祝いに君の食べたいものを食べに行こう。お腹空いただろう? 何かリクエストはある?」
この本部の近くには刀剣男士用のショッピングモールの他にも、政府役人御用達の高級レストランがいくつかあった。
しかし長谷部は何か言いにくそうに目を泳がせた。
「……あの、な」
「うん」
「……レンタル彼氏をしていた頃、最初におまえと行った甘味処があっただろう。またあそこのパフェが食べたい」
駄目か、と上目遣いで聞かれれば、嫌とは(そもそも言う気もなかったけれど)言えなかった。
近くのうどん屋で軽く小腹を満たしてから甘味処に向かうと、運良く空きがあり、すぐに席に通された。
「こっちの焙じ茶パフェも美味そうだな……いやしかし季節の桃パフェも……」
長谷部が季節メニューと通常メニューを見比べてうんうん唸っていたので、燭台切は早速店員を呼びとめて注文する。
「すみません、焙じ茶パフェと桃パフェを一つずつお願いします」
「おい、」
「いいんだ。僕も両方気になってたし、せっかくだから半分こしようよ」
ね、と微笑むと長谷部は渋々と引き下がった。
「……俺はおまえに甘やかされてばかりいる気がする……」
「好きなだけ甘えてよ。彼氏なんだから」
そう言うと、長谷部は顔を真っ赤にしてから、無言でこくりと頷いた。
ああ可愛いなぁと思う。戦場ではあんなに勇ましい彼が、自分の一挙手一投足でころころと表情を変えていくのはなんて楽しいのだろう。
「……ここは、」
「?」
「……ここは、初めておまえとデートした場所だから、付き合ってからもう一回ちゃんとデート、したくて」
今度は燭台切が顔を赤くする番だった。
「長谷部くん、」
「……なあ、おまえは、」
長谷部が口を開いた瞬間、二人分のパフェがテーブルに届き、会話はそこで一旦打ち切りになった。
その後二人で分け合い、黙々と食べたパフェの味は、あの日と変わらずに美味しかった。
食事の時間が遅かった為、帰宅後の夕飯は簡単に具だくさんスープと温めたバケットで済ませ、いつものように別々にシャワーを浴び、一緒のベッドに潜り込む。
「おやすみ、長谷部くん」
久々の長谷部とのデートが楽しかった為か、枕に頭を乗せると珍しくとろとろと睡魔がやってきた。逆らわずにその波に身を委ねると、燭台切の意識は闇に沈んでいった。
「…………おやすみ、光忠」
眠りに落ちる寸前、長谷部の指が髪を撫でる感触がした。
初めに感じたのは違和感だった。
下半身がスースーとして寒い。にも関わらず局部だけは何か心地よいものに包まれてるような安心感がある。いや、安心感というよりこれは――
「長谷部くん!?!?!?!?」
慌てて身を起こし掛け布団を剥ぎ取ると、そこには燭台切の下着を下ろして股間に顔を埋めている長谷部の姿があった。
ん、ちゅ、となおも陰茎に吸いついてくる腔内の温度と感触は名残惜しかったものの、なけなしの理性を総動員して長谷部の体を自分の上から押しのけた。
「ま、待って。待ってくれ。なんで、どうして、君、何して……!」
ただでさえ寝起きのところにこの状況だ。混乱してうまく頭が回らない。慌てふためく燭台切に、長谷部は一言「フェラチオをしていた」と答えた。くらりと目眩がする。
「君はもうそんなことしなくていいんだよ!」
「なんでだ」
「……だ、って、君、仕事でそういうコトは散々させられてきただろう? 無理しなくていいんだよ。僕らはゆっくり関係を進めていけば……」
「…………好きな奴に触れたいと思うのは、いけないことなのか?」
「そういうことじゃない。僕らにはもっとたくさん時間が必要で、」
「俺は今おまえに触れたい」
「長谷部くん、」
「…………それとも。それとも、俺が汚れているからか」
ぽたり、とシーツに雫が吸い込まれる音がした。間接照明の灯る薄暗闇の中で、長谷部がぽつりと言葉を落とす。
「こんな中古品の俺など、汚らわしくて抱きたくもならないか……?」
長谷部の嗚咽だけが部屋に響く中、燭台切は意を決して小さな声で恋人の名前を呼んだ。
「長谷部くん」
「……なんだ」
「長谷部くん、大好き」
「……っなら、なんで!」
「君が好きだからだ」
伝わって欲しいと思いながら、金の眼差しをまっすぐに長谷部に向ける。
人の体は不便だ。鳳仙花の種のように、胸の内を開いて互いに真実を見せあうことができたらどんなにかよかったことだろう。けれどそんなことは不可能だから、こうして自分達は言葉を尽くす。何度もぶつかったり間違ったりしながら不器用に。
「君のことが大好きで、誰よりも大切で、一緒に幸せになりたいから、君の心の傷が癒えるまでは、絶対に手を出さないと決めていたんだ」
長谷部の涙で濡れた頬を撫でながら、燭台切は眉を下げる。
「……でもそれが、結果的に君を傷つけてしまったね。ごめん」
「……光忠、」
「僕だって君を抱きたい。君の白い肌のいたる所に僕のものだって証をつけて、君の奥の奥まで暴いて貫いて、君とひとつになりたい」
長谷部の頬が目に見えて朱色に染まった。
「……ぁ、う、」
少し腰を揺らして、上に乗った長谷部に当たるように動かしてやる。
「ほら、わかる? 君と抱き合うこと考えただけで勃ってきてる」
「……本当に?」
「九万九千九百九十一」
「は?」
「素数だよ。毎晩隣で無防備に眠る君を襲わないように数えてたら、いつの間にか九万九千九百九十一まで空で言えるようになったんだ。今ここで言ってみせようか?」
「結構だ」
そう言って、長谷部はくすくすと笑いだした。
「素数って……馬鹿じゃないのか」
「僕なりに必死だったんだよ」
「………………馬鹿だなぁ」
俺もおまえも。
そう言って長谷部が燭台切の胸の上に倒れ込んで来た。猫が甘えるようにすりすりと頭を擦り付けてくる長谷部の髪を、指で優しく梳く。さらさらと指通りのいい髪からは、自分と同じシャンプーの香りがした。
「……ねえ、長谷部くん。今から君のこと抱いてもいい?」
長谷部が顔を上げてじっとこちらを見つめる。
「もしかしたら手加減できないかもしれないけど、もし君が嫌って言ったら舌を噛み切ってでも止めるよ。ねえ、僕本当に君のこと大事にしたいんだ。それだけはわかってくれないか」
「…………ら、」
「うん?」
「おまえになら、俺は何をされたって構わない」
目の眩むような回答に、燭台切は素数を一気に五千七百三十七まで数える羽目になったのだった。
「光忠は余計なことをしなくていい、面倒なことは俺がひとりでやる。後ろの準備もしてきたからすぐに好きなだけ突っ込んでくれ」
そう言い張る長谷部をどうにかこうにか宥めすかし、燭台切は長谷部のバスローブの腰の紐を緩めて左右に開き、そのままシーツにゆっくりと押し倒した。
初めて見る長谷部の裸体は、橙色の間接照明越しにも白く眩しかった。シミひとつないきめ細やかな肌にゆっくりと手を這わせると、ぴくりと長谷部の腹筋が動いた。
「ごめん、こういうの嫌?」
「嫌、じゃないが、すこし、くすぐったい」
「……こういうのは?」
れろーっと臍の辺りから胸元まで舐め上げると、長谷部は「ん」と小さく声を上げて眉を寄せ、身を震わせた。
「嫌じゃない?」
「……ああ」
触れられることに嫌悪感がないようなのに安心しながら、燭台切は慎重に長谷部の乳輪の周りをなぞったり舐めたりしていく。
「……ぁ、ぅ、っく、ん……」
鼻にかかった甘い声を出しながら、長谷部が仰け反る。弄られぬままにぴんと立ってしまった慎ましい乳首が強調されて絶景だ。
「み、つただ、」
「なあに?」
「そこ、も、いいから……」
「乳首弄ってほしい?」
「……ん、うん」
顔を真っ赤にしてこくこくと頷く長谷部の顔を覗き込み、耳元で囁いてやる。
「長谷部くんは乳首どうされるのが好き? 指でぐにぐにって潰して欲しい? 舌でれろれろって舐めて欲しい? それとも爪や歯を立ててちょっと痛くして欲しい?」
燭台切の言葉に来る快楽を想像したのだろう。長谷部の瞳がとろりと蕩ける。
「……ぅ、あ、」
「今日は長谷部くんの好きなこと、全部してあげる。だから僕に教えて。僕にどうされたい?」
そう言って長谷部の顔を両手で包んで覗き込むと、長谷部はきょときょとと視線を忙しなく動かしてから、ようやく観念したように口を開いた。蚊の鳴くような声だった。
「……を、」
「ん?」
「……口を、吸ってくれ」
「…………仰せのままに」
長谷部の柔らかい唇に己のそれを重ねると、珍しく長谷部の方から舌を絡めてきた。懸命に燭台切を求めるような動きに胸がいっぱいになって、気づけばお互い口の周りをべたべたになるほど夢中でキスをしていた。
名残惜しい気持ちを抑えてなんとか唇を離すと、唾液の糸が二人の間を繋いでぷつりと切れる。お互いの瞳には情欲の炎が轟々と燃えていて、この先の快楽への期待が高まっているのが感じられた。離れがたいのを誤魔化すように、長谷部の唇の端に軽くキスをして、燭台切は眉を下げて笑った。
「駄目だな……キスだけでイっちゃいそう。かっこわるい」
「……イってもいいんだぞ?」
「駄目。今日は全部君に注ぐって決めたから」
真っ赤になって唇をわななかせる長谷部の頬を撫でながら、はは、と燭台切は愉快げに肩を震わせた。そのままコツン、と長谷部の額に己の額を当てる。
「もちろん、嫌ならしないけど」
「…………嫌じゃ、ない」
「本当? ここに、」
燭台切の大きな手が長谷部の薄い腹に乗せられる。
「僕の大きなの奥まで飲み込んで、溢れて泡立つほど精液注がれるんだよ。それでも大丈夫?」
それを聞くと長谷部は「くどい」と唇を尖らせた。
「俺はおまえになら何をされても構わないと言っただろう。何を怖がってるか知らんが、俺はそんなにヤワでも無知でもない。全部承知づくでおまえを受け入れてるんだ」
「…………そっか」
「だから、はやく」
来て、と唇だけ動かして告げられた言葉に理性の糸が焼ききれそうになるのをなんとか堪え、燭台切は長谷部の後ろに手を伸ばした。そこは長谷部によって慣らされていたせいか、入り口からしっとりと濡れていて、おそるおそる指を差し込むとつぷりとたやすく迎え入れられた。
長谷部の中は狭くて熱くて、とろとろと濡れていてやわらかかった。皮膚に覆われていない内蔵に触れているという感動と恐怖が同時に襲ってくる。大事にしなくては、とも。
一応男同士の性交渉の知識はあった。慣らしているとはいえ、万一にでも痛みを感じてほしくない。光忠は一度指を抜き、この日の為に用意していたローションをサイドチェストの抽斗から取り出して手のひらの上にぶち撒けて温める。そうして再び長谷部の後膣に足していくようにローションを纏った指を入れていく。初めは一本、慣れてきたら二本、三本と。広げる為の動きは苦しいだけなのか、長谷部は眉を寄せ、は、は、と違和感を逃がすように浅い息を繰り返している。先程までゆるく立ち上がっていた雄芯も力なく横たわっている。
後ろには前立腺、というものがあるらしい。そこを刺激すれば快感が得られるということを知識としては知っていた。燭台切は焦る気持ちを抑えつつ、中でぐるりと指を回しながら丹念にその位置を探っていく。
「……っ」
ほどなくして、長谷部が小さく息を詰めた箇所が見つかった。
「ここ?」
たしかめるようにくりくりとその部分を撫でると、長谷部の性器がゆるゆると立ち上がっていく。
「ぁ、ん、や、だ、そこ、だめ」
「……駄目なら、やめるけど」
燭台切がするっと指を抜くと、長谷部は信じられないものを見る目でこちらを見てきた。
「言っただろう。僕は君の嫌がることはしないって」
本心からそう言い放つと、長谷部は真っ赤な顔で数秒口をぱくぱくさせると、ぐっと唇を引き結んで俯き、唸るような低い声で言った。
「…………嫌じゃ、ない」
「本当?」
「…………そこ、気持ちがよくて訳がわからなくなるんだ。でも、嫌、じゃない」
「本当に? ちゃんと気持ちいい?」
「っっっ……何の羞恥プレイなんだこれは! いいからさっさと突っ込んで終わりにしろ!」
げし、と足で蹴られる。力が入ってないからあまり痛くはないものの、燭台切は困ったように笑って、もう一度長谷部の後ろに手を伸ばした。
「待って。もう一回場所を覚えておくから」
「な、ひゃっ……!」
さっき指に感じたわずかなしこりを探り当て、二本の指で挟んだり撫でたり押し込んだり。そのたびに全身をびくびくさせて快楽を享受する長谷部のことがいとおしくてたまらない。
今、長谷部は他ならぬ自分の手で気持ちよくなっているのだと思うと、得も言われぬ満足感があった。
「ぁっ、あ、そこ、だめ、押しちゃやら、みつた、みつただっ」
きもちいい、きもちいい、と涙と涎を流しながら首を横に振る長谷部の媚態に燭台切の理性もそろそろ限界だった。
いつの間にか三本に増やしていた指を抜き取り、感触を確かめるように己のモノを二、三回扱いてから、ひくひくと震える穴にひたりと屹立を押し付ける。
「長谷部くん、入れてもいい?」
こくりと頷いて、長谷部が口を開く。
「……俺、汚れてるし、初めてじゃない、けど、それでも、良かったら……」
その言葉を聞いて燭台切は一瞬身を離した。長谷部がその行動に焦って身を起こすよりも早く、燭台切は長谷部の体を強く抱きしめる。
「……長谷部くんは好きな人とセックスをするのは初めて?」
質問の意図がわからなかったけれど、長谷部は素直に頷いた。どうやら機嫌を損ねてしまった訳ではないらしい。
「僕も初めてなんだ。一緒だね」
そう言って慈愛のこもった笑みを向けられて、長谷部の藤紫の双眸から真珠のような涙が溢れた。
目の前の男への感謝や愛情が次から次へと溢れてくる。胸がいっぱいで、何も言えなくて、でもなにか伝えたくて。口を開いてようやく出た言葉は愛しい相手の名前だった。
「……みつただ……っ」
「誰が何と言おうと長谷部くんは綺麗だよ。綺麗でかっこよくてかわいい、僕の大切な宝物なんだ」
そう言って目尻に唇が寄せられ、涙をそっと吸い取られる。
長谷部はそっと両腕を光忠の背中に回して、強く抱きしめた。
「……俺も、おまえに会えてよかった。俺を見つけてくれて、あそこから救ってくれて、ありがとう……っ」
「好き」も「愛してる」も、この想いを伝えるには到底足りない気がした。千の言葉でも万の囁きでも足りない。一生かかったってこの気持ちを伝えきれることはないのだろうと思う。一生かけて思いを伝え合える相手に出会えた幸せに、長谷部は泣いた。ただただ目の前の相手がいとおしくてたまらなかった。
「…………入れるよ」
耳元で囁かれた言葉にうん、うん、と頷く。かつて怖くてたまらなかった尻に当たる熱が、今は欲しくてたまらない。
ぬぷ、と音を立ててゆっくりゆっくり燭台切が長谷部の体に身を進ませた。今まで感じたことのないくらいの圧迫感と重量感だったが、これが愛しい男のものだと思うと幸福だった。は、は、と浅く息をして体の力を抜こうと努めていると、不意に上に乗っている燭台切の表情が目に入った。眉間に皺を寄せて歯を食いしばり、強引に腰を押し進めたいのを堪えている男の顔だ。
正真正銘初めての快楽に顔を歪ませている恋人の姿を見て、長谷部の胸の中にちょっとした悪戯心が芽生える。
「……っわ、はせ、べ、くん」
長谷部からも光忠の腰にぐいと足を絡め、燭台切が動きやすいよう腰を浮かせて角度を合わせる。その拍子にずず、と奥まで屹立が埋まり、どちらからともなく呻き声が漏れた。
「っく、あ、んんっ」
「ちょっ……と、無茶、しすぎ」
「入ったんだからいいだろ」
「あのねえ」
そう言って溜め息をつくと、燭台切は長谷部の額に汗で張り付いた前髪を払った。
「大丈夫? つらくない?」
「大丈夫だ。思ってたよりでかくて硬くて長いな……」
明け透けな物言いに苦笑する燭台切を見ながら、長谷部は腹に手を置いて微笑んだ。
「……ここにおまえがいるんだな」
「…………そうだね」
「やっとおまえとひとつになれた」
そう言って長谷部が心底幸せそうに笑うものだから、燭台切の胸がぎゅっと締めつけられる。
「長谷部くんっ……!」
「わ、馬鹿、これ以上大きくするな!」
「好き。大好き。僕の一生をあげるから、君の一生をください」
「…………わかった。やる。やるから、落ち着け」
「返品はなしだよ。クーリングオフも認めない」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて苦しくなってきたので、長谷部は腹いせに思い切り尻の中のモノを締めつけた。
「っっ痛」
「落ち着け、馬鹿」
そう言って、燭台切の顔を覗き込む。
「……今日は、全部俺に注いでくれるんだろう? 奥まででかいの飲み込ませて、溢れて泡立つほどザーメン注いでくれるんだろう?」
恥を忍んでできるだけ妖艶に微笑んでみせると、燭台切はごくりと唾を飲み込み、「……動くよ」と律動を開始し始めた。
直腸全体、特に前立腺を的確に刺激してくるその動きに、長谷部は早々に白旗を上げ、理性と記憶を手放すことにした。
あの後結局ベッドで三回、ぐちゃぐちゃになったシーツを洗っている間のシャワーで一回、リビングのソファで一回の計五回戦を終え、真新しいシーツを敷いてベッドに潜り込む頃には既に日は高く上っていた。
「……長谷部くん、水飲む?」
「飲む……」
がらがらの長谷部の声に、あとで飴湯でも作って差し入れようと思ったものの、燭台切も体力と眠気の限界だった。なんとかペットボトルの口を開けて長谷部に渡すと、長谷部も寝ぼけ眼を擦りながらなんとか水を飲んでいる有様だった。倒れ込む前になんとか精液は掻き出したから、あとは起きたら軟膏も塗って、と考えているうちにとろとろと瞼が降りてくる。
水を飲み終わったらしい長谷部がいそいそと燭台切の腕の中に潜り込んで来る。あれだけ抱いたのにまだ性欲が頭をもたげたものの、もう無理だ。出ない。起床後の自分に期待をすることにして、燭台切は空いていた手で長谷部の手をそっと握る。やわらかな、けれどたしかな力で握り返してくる力に安心して、今度こそ燭台切は瞼を閉じた。もう素数を数える必要も、悪夢に怯える必要も二人にはなさそうだった。
そして数分後、穏やかな寝息が二人分、部屋の中にすうすうと響く。
幸せの音だった。
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