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「洋菓子が食ーべーたーいー!」
きっかけは審神者のその一言だった。
その本丸の厨を仕切っているのは初期刀の歌仙兼定だった。彼は和食および和菓子全般をそれは手際よく作り上げるものだが、なぜだか洋菓子を作るのが苦手だった。そのうえ審神者の不器用が影響したのか、歌仙以外に料理に適正のある刀剣は本丸にはいなかった。
通販でプリンやゼリー、クッキーなどの洋菓子はちょくちょく仕入れてはいるものの経費がかさむし、やはり手作りの味は格別である。なによりもっと気軽に洋菓子が食べたい。
審神者の言葉に洋菓子好きな面々は大いに賛同した。
「この間演練にいた子たちは、おやつに手作りドーナツ食べてたよ」
「僕も見ました!」
「もっと料理、それも洋食が得意な子とかいるといいんだけど。みんな知らない?」
審神者の質問に平野がはい、と手を挙げた。
「演練で会ったよその五虎退の所は、燭台切さんに作ってもらってると言っていました」
「しょくだいきりですか?」
「ああ、あのたまに演練で見る眼帯の人?」
この本丸はまだ人数が少なく、太刀や大太刀には演練で会うくらいしか接点がない。
そういえば、と平野の言葉を皮切りにそれぞれが燭台切について聞いていることを口にしだした。
「燭台切さんはお料理がとっても上手なんだそうです!よそのいち兄が褒めてました!」
「俺が聞いたところもそうだって言ってたな。この間はトプフェンシュトロイゼルクーヘン作ってくれたって」
「何それ呪文?」
「まほうがつかえそうですね!」
「俺が聞いたところによると、あの眼帯の下の右目からはビームが出るらしいぜ」
「ボクは野菜に興奮する野菜フェチだって聞いたよ!」
「何それヤバイ」
「ぼ、僕はクレイジーサイコホモって噂を聞きましたが……」
「それはそれでヤバイ」
それらの話にツッコミを入れつつ、審神者はうん、と頷いて手を叩いた。
「よし、決めた! 燭台切光忠を顕現させよう!」
そうして、本丸が一丸となって遠征で資材を稼ぎ、太刀レシピを回し続けて数十回。ようやく燭台切が顕現した時、本丸にはこれ以上ないほどの歓声が響き渡った。
◆ ◆ ◆ ◆
燭台切光忠は困惑していた。
顕現した先の本丸では、皆が自分を手厚く歓迎してくれた。それはいいのだ。しかし、なにやら尋常ではない様子なのである。
最初に会った審神者は手を握ってぶんぶんと振り回し、「これでハイデルベーアシャウムトルテが食べれる!」と何やら呪文を叫びだし、周りにいた短刀たちも「マカロン!」「アップルパイ!」「モンブラン!」と同じような呪文を言いながらハイタッチをしていた。あれはここの本丸独自の歓迎の儀式のようなものなのだろうか。
そのうえなぜか野菜の盛られた籠を手渡され、乱と名乗る短刀がウィンクをしてくる。
「これ、ボクたちからのほんの気持ち。好きに乱れちゃっていいよ?」
「あ、ありがとう……?」
とりあえずお礼を言ったが、どうして野菜なんだろう。乱れるってなんだ。わからないことが多過ぎる。燭台切はつやつやに輝くナスやピーマンを見つめて途方に暮れる。
そして極めつけは審神者の台詞だった。
「みんなー! 今度の歓迎会では燭台切がおやつ作ってくれるぞー!」
わあ、と周りじゅうが沸き立ったが、燭台切の疑問は増すばかりである。歓迎会? おやつ? ていうか僕の歓迎会なのに僕が作るの?
とうとう耐え切れずに燭台切は口を開いた。
「あ、主……あの、おやつってなんのことだい」
「あっ悪い悪い。燭台切光忠は料理上手だって聞いてたからさ。みんな燭台切特製のおやつを食べれるの、楽しみにしてたんだよ」
えっ僕料理上手だったの?
衝撃の新事実に燭台切は言葉を失った。自分のことなのに初耳である。時間遡行軍と戦うために呼び出された、長船派の祖・光忠が一振り。そう思っていたのだが、どうやらこの本丸では違う役割を求められているらしいことがじわじわと燭台切にも理解できてきた。
「そういうわけだからさ、一発すごいの頼むよ!」
この通り、と審神者からは頭を下げられ、周りの刀剣たちからは期待に満ちた視線を向けられれば、燭台切が言うべき言葉はひとつしかなかった。
「……オーケイ、任せてくれ」
そうして練習と称して皆が寝静まった夜中に厨を借りてみたものの、何をどうすればいいかわからない。とりあえずもらった野菜で何か作るべきかと思い、適当にナスやきゅうりをぶつ切りにして醤油で煮込んでみたが、およそ食べ物ではないものが出来上がってしまった。
「どうしよう…………」
皆の前で大見得を切ってしまった手前、今更できませんとは言いにくい。なにより、あの期待あふれる眼差しを失望で曇らせてしまうのだけは避けたかった。
真っ黒な汁の中に浮かぶ野菜の残骸を見て、燭台切は大きなため息をついた。
たしかに前の主・伊達政宗公は料理好きとして知られた武将で自分だって憧れてはいるけれど、そもそも自分は刀だ。切るのが本分で煮たり焼いたり味をつけたりはまた別だと思う。他の燭台切光忠はもしかしたら顕現当初からあの呪文のような料理の数々を作れるのかもしれないが、自分はせいぜいこの程度だ。情けない。
もう一度ため息をついて厨の壁にかかったカレンダーをちらりと横目で見る。
歓迎会は審神者のスケジュールが押していたため一週間後。それまでになんとか秘密裏にそこそこのおやつを作れるようになっていなければならない。
「かっこよく決めたいよね……!」
そう決意して醤油色に染まった野菜たちをこっそりゴミ箱に捨てていると、後ろでカタン、と音がした。
「こんな時間まで何をしている」
まだ会ったことのない刀剣だった。紫色のカソックを翻して厨に入る姿はキリスト教の神父を思い起こさせる。
「あ、初めまして。僕は」
「知っている。燭台切光忠だな。俺はへし切長谷部だ。長谷部と呼べ」
「君があの!」
逸話だけは聞いて勝手に親近感を持っていた相手に名を知られていたと知り、燭台切は一気に舞い上がった。
「わあ、嬉しいなあ。僕ね、君とは気が合うと思ってて……」
「俺は水を飲みたいんだ。すこし後にしてくれるか」
そう言って長谷部は置かれていたコップに水を汲み、口をつけてごくごくと飲み出した。
見れば、未だに防具をつけたままの姿だ。どこかに出かけてきた帰りのようらしい。
「戦の帰りかい?」
長谷部は燭台切をちらりと横目で見て、濡れた口元を豪快に袖で拭った。
「いいや、遠征だ。誰かさんを鍛刀するのに相当な資材を使ったからな」
「それは……すまなかったね」
やはり自分は相当待ち望まれていたようだ。ここはいっそう気合を入れておやつを作れるようにならなければ。
静かな決意を胸に抱く燭台切を見て何を思ったのか、長谷部は慌てたように言葉を重ねる。
「ああ、気にさせたならすまない。俺はどうも言い方がキツイらしくてな。おまえのことは歓迎している、燭台切」
「気にしてないよ。こちらこそよろしくね、長谷部くん」
そう言って微笑むと、長谷部がなぜか顔を赤くしてそっぽを向いた。なにかおかしなことを言ってしまったのだろうか。
「……それにしても、おまえこんなところで何して……ん、なんだ。この黒いのは醤油か?」
鍋をまだ片付けてないことを思い出し、燭台切はわたわたと誤魔化し始める。
「ええと、そう! 今料理の研究をしていて!」
「おやつを作るそうだな。主が楽しみにしていた」
「ああ、そう。そうなんだよ。だからみんなには内緒にしていてほしいなあ! 当日は驚かせたいからね!」
こんなかっこわるい姿を他の男士たちに見られるのは恥ずかしい。しかもずっと話してみたかった相手ならなおさらだ。どうにかして全力でこの場を乗り切らなければならない。
必死に言葉を紡ぐ燭台切に何かを納得したように長谷部は頷き、そういえば、と切り出した。
「主たちの話によると、おまえは右目からビームが出て魔法も使える、野菜フェチかつ料理上手でオカンなクレイジーサイコホモだそうだが、あれは本当か?」
「何それ!!?」
反射的に否定してしまってから、燭台切ははっとして口を押さえる。今、料理上手の部分も否定してしまっていなかったか。
二の句を告げようと口を開くよりも早く長谷部が呆れたように言った。
「やはりな。……おまえ、料理できないんだろう」
長谷部の顔は確信に満ちていた。燭台切はもはやこれ以上ごまかすのは無理だと悟って思わず肩を落とす。
「……幻滅したかい」
「いいや。最初なんだし、誰だってこんなものだろう」
鍋に残った野菜の切れ端をつまみながら告げる背中に、かっこわるいと知りつつも燭台切は言い訳をした。
「切るのはなんとかできたんだよ。他の本丸の燭台切光忠ができるなら、僕もきっと練習すればできるんだと思う」
「適性はあっても経験が足りないというやつだな」
わかるぞ、と言って長谷部は燭台切を振り返った。透き通った藤色の瞳には悪戯っ子めいた光が宿っている。
「……実は俺も顕現したての頃は本丸の備品を何度か壊したことがあってな」
「君が?」
「キーボードを叩けば文字が出ると聞いて、拳を振り下ろして粉砕した」
キーボード、というのが燭台切にはわからなかったが、おそらくそうやって使うものでないだろうことだけは察せられた。
「今では慣れて使いこなせるようになったがな。……だからまあ、おまえの気持ちはわかる」
予想外のあたたかい言葉に涙腺がゆるみそうになるのを燭台切はどうにかこらえた。少々きつい物言いはするものの、目の前の長谷部は優しい。それが何故だかじいんと胸を打ってくる。
燭台切は拳を握りしめ、俯いた。
「……素直に打ち明けるのが一番だってわかってはいるんだ。でも、あんなに期待に満ちた瞳で見てくるみんなを失望させたくなくて。案外厨に立ってみればいけるのかもしれないと思って挑戦してみたけど、結果はこの通り無様なものだよ。けど、やるしかない」
会ったばかりのずっと憧れていた相手に、弱音をぽつりぽつりと打ち明ける現状は情けなくてかっこ悪い。けれど長谷部は笑わずに真剣な表情でそれを聞いてくれるものだから、ついつい口が滑ってしまった。
一通り話し終えておそるおそる長谷部の様子を伺うと、うん、と何かを納得したように頷いたところだった。
「たしかに無様だな」
「……だよね」
「だが、その心意気は嫌いではない」
にやりと長谷部は口の端を上げ、軽く握った拳を燭台切の胸にノックするように押し当てた。
「俺もできる限り協力してやる。当日主や他の連中に目にもの見せてやれ」
◆ ◆ ◆ ◆
協力すると言ったのは夢ではなかったらしく、その次の晩になると、長谷部は洋菓子のレシピ本と小袋を携えて厨に現れた。見れば既にいくつか付箋が貼られており、尋ねれば燭台切に作れそうなものを見繕っておいたのだという。
「ありがとう。でも、そこまでしてもらってなんだか申し訳ないな」
「気にするな。協力すると言ったからには全力で支援するまでだ。それに今日は非番で暇だったしな」
まさかここまでしてもらえるとは思っていなかった燭台切は恐縮してしまう。こんな時料理ができればさっとなにか作ってお礼にごちそうできるのに、と口惜しく思う。これはもう絶対に料理ができるようにならなければ、といっそう決意を新たにしていると、厨のテーブルに長谷部がレシピ本を開いて置いた。
「俺の見たところではこれとこれなんか、簡単かつ見た目が豪華でおすすめだ」
「このHMってのはなんだい」
「ホットケーキミックスという粉らしいな。元々はホットケーキという洋菓子の材料らしいが、他の菓子にも流用できるそうだ。最初から最低限菓子に必要な粉が混ざっているから、粉類をいちいち計ったり混ぜたりせずに済むらしい」
HM、と書かれた解説を長谷部が読み上げる。
「ホットケーキ……」
つぶやきながら燭台切がページを覗き込む。見た目はどら焼きの皮に似た菓子のようだった。
「俺も食べたことはないが……この粉に卵と牛乳を混ぜて焼くとできるとのことだ」
「それなら僕にもできそうだね。まずはそれを作ってみようかな」
「そう言うと思って、すでに万屋でホットケーキミックスを経費で買ってきておいた。失敗分も考えて大量に買ったから安心しろ」
脇に抱えていた小袋はそれだったらしい。燭台切は長谷部の準備の良さに舌を巻いた。
卵を割って、きちんと計量カップで計った牛乳を注ぎ、泡立て機でカシャカシャとかき混ぜる。全ての動作をおっかなびっくりで行い、ボウルの中が段々と白と黄色の斑模様からやわらかいクリーム色に変わっていくのを見て燭台切は歓声を上げた。
「混ざってる! 混ざってるよ、長谷部くん!」
「うるさい。いいから次だ。粉入れるぞ」
長谷部が燭台切の抱えるボウルの中にばさばさとホットケーキミックスを入れていく。先程まで軽かった泡立て機が嘘のように重くなる。ホットケーキミックスって案外重いんだな、と燭台切は思った。もちろん、本体の比ではないが。
もったりとした液体がボウルを満たした頃、長谷部がもういいんじゃないか、とストップをかける。混ぜるのに夢中で気づいていなかったが、長谷部はいつの間にかフライパンを火にかけてあたためていた。
「生地を流し込んで、表面に小さな泡が浮かんできたらひっくり返すそうだ」
そう言って長谷部があたためたフライパンを濡れ布巾の上に置く。じゅわりという音とともに布巾から湯気がたった。
「何してるんだい」
「こうするといいと本に書いてあったからな。なんでかは知らん」
ふうん、と答えながら、燭台切は言われた通り再び火にかけられたフライパンに生地をとろりと流し込んだ。燭台切が付属の説明書を読めば、大体弱火で三分でひっくり返す頃合いになるらしい。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ふふ」
大の男が二人肩を並べてホットケーキの表面に泡が浮かぶのをじっと眺めている様子がおかしくて、燭台切は思わず笑みをこぼした。
「なんだ、急に笑い出して」
「いやあ、なんとなく」
変なやつだな、と顔をしかめられたが、いきなり会ったばかりの相手と即席の料理教室を開く長谷部だって変わっていると燭台切は思う。変わり者同士がこうして夜中に厨に並んでいる光景はきっと滑稽だろうな、とも。
でも、ちっとも嫌じゃない。
もう一度ひっそり笑うと燭台切はそういえば、と話題を変えた。
「長谷部くんはなにか食べたいものある?」
「急にどうした」
「今は僕、お菓子作りの練習で他に手が回らないけど、これが終わったら長谷部くんに何かお礼をさせてほしいんだ。君の好物を作るからさ」
クリーム色のまるい生地の表面に、ひとつ、ふたつ、ぷくりと泡が立つ。
長谷部は口元に手を当ててしばらく考えこんでいたが、ふうと息を吐いて首を横に振った。
「……別になんでもいい。初心者に大して期待してない」
「そんなこと言わずに。僕頑張るから」
そう言って食い下がると、長谷部は苦笑した。そうして笑うと目尻が下がって優しい印象になるのだなと燭台切は新鮮な気分になる。藤紫の瞳がきらきらと光るさまは雨に濡れた紫陽花のようだった。
「そうだな……なら味噌汁でいい。朝に飲むのがいっとう好きなんだ」
「オーケイ。とびっきり美味しいお味噌汁を作るね。約束するよ」
そうこうしているうちに視線の先でホットケーキはぷつぷつとこまかな泡を立て始めた。
「そろそろかな……よっ、と」
フライ返しで恐る恐る生地をひっくり返すと、きつね色の表面が目に眩しい。ふわりと香ばしい香りが鼻をくすぐり、燭台切は思わず顔をほころばせた。
「できた! できたよ、長谷部くん!」
「あとは弱火で二分だな」
「ところでこれ、どうやって食べるんだい」
「基本はバターとメープルシロップとやらをかけるそうだ。好みで生クリームや果物、アイスなんかを乗せてもいいらしい。小さいのをいくつも焼けばちょっとしたパーティにも使えるようだぞ」
「今日は最初だし、とりあえず基本の食べ方をしてみようか。ええと、バターとメープルシロップは…」
「バターは冷蔵庫、メープルシロップはテーブルの上の袋の中にある」
どうやら長谷部はホットケーキミックスと一緒にメープルシロップも買ってきたようだった。本当に準備がいい。
燭台切が言われた通りに皿やバターを用意している間に三分が経った。フライパンからおっかなびっくり皿に乗せると、まあるい皿の真ん中に、同じくまあるいホットケーキが一枚。自分が主役だと言わんばかりにきつね色が主張する。
黄金色に輝くメープルシロップをとぷりとぷりとかけて、小さく切ったバターを乗せれば、ホットケーキの完成だ。
香ばしくてあまい匂いが厨いっぱいに広がった。
「さあ、召し上がれ」
ナイフとフォークを差し出しながら燭台切がそう告げると、長谷部は不思議そうにパチパチと目を瞬かせた。
「……おまえの成果だろう。最初はおまえが食べるべきだ」
「君がいなかったらこのホットケーキはなかったんだ。僕は君に一番に食べて欲しい」
「いやしかし」
「どうぞ」
しばらく燭台切の顔とホットケーキを見比べていた長谷部だったが、やがて諦めたように差し出されたナイフとフォークを受け取り、ホットケーキにそっと差し入れた。
一口分に小さく切られたホットケーキを、ぱくりと一口。
その瞬間、ぶわりと長谷部の周りに桜の舞う幻影が見えた気がした。頬は薔薇色に紅潮し、瞳はきらきらと星のように輝いている。幸せそうに目を細めてもぐもぐと咀嚼し終えるのを、燭台切は驚きとともに見つめていた。自分の作ったもので、他人がこんなに喜んでくれるなんて。あの凛々しい長谷部の顔がホットケーキひとつでへにゃりと緩むとは思わなかった。嬉しいような面映ゆいような不思議な気分だった。
「長谷部くん、おいしい?」
答えは聞かずともわかっていたけれど、聞かずにはいられない。
「…………うまい。おまえも食え」
ずい、と皿を目の前に置かれ、燭台切も一口分を切り分けて口の中に放り込む。
甘い。最初に感じたのはそれだった。次いで焼きたてのえも言われぬ香ばしさと、卵と牛乳のまろやかな味、ほんのりしょっぱいバターとメープルシロップの豊かな風味、それらすべてが口いっぱいに広がる。ほかほかの陽だまりを口の中に含んだような幸せな味。
「長谷部くん、おいしいねえ!」
「ああ」
歌仙から振る舞われた料理も勿論美味しかったが、甘味、しかも自分で作ったものというのはまた格別である。
二人してちまちまと惜しむようにホットケーキ一枚を食べきると、どちらからともなくふうと満足気な息を吐いた。
「……もう一枚、焼こうか」
「そうだな。どうせなら次は生クリームやアイスも盛り付けてみるか」
そうしてその夜、燭台切と長谷部は実に三枚のホットケーキを平らげたのだった。
次の日は燭台切の初めての出陣だった。
練度の高い打刀や脇差にフォローをしてもらいつつ、何度か誉も取って本丸に帰還すると、廊下に見慣れた紫色のカソックが見えたので思わず声を上げる。
「長谷部くん!」
「燭台切か、そういえば今日は初出陣だったな。どうだった」
「おかげさまで順調だったよ。誉も取れたしね」
「それは重畳」
そんな風にやりとりしていると、鯰尾が不思議そうに首を傾げる。
「あれっ燭台切さんと長谷部さんていつのまに仲良くなったんです?」
「ああ、ええと……」
「こいつの世話を主から頼まれていてな。仕方なく、だ」
「ええー仕方ないにしては長谷部さん随分と……」
「うるさい! 余計なおしゃべりをしている暇があるならとっとと主に報告に行け!」
そう言って長谷部はくるりと踵を返して廊下の角を曲がっていく。
「あんなに照れなくてもいいのに。燭台切さんも苦労しますね」
そう言って訳知り顔でぽんぽんと肩を叩かれたものの、燭台切は首をひねるばかりだった。
その夜もやはり長谷部は厨に現れた。
今日の目標はプリンで、長谷部の読み上げるレシピの通りに手を動かすと、あっという間にカラメルソースとプリン液が完成した。
カラメルソースを容器に手早く注いでいく燭台切の手つきを見ながら、長谷部がほうと溜息をつく。
「やっぱりおまえ器用だなあ」
「長谷部くんの指示通りやっただけだよ。みんなが期待してる水準にはまだまだ」
少し容器を冷まして、こし器を通してプリン液を注ぐと、見た目はもう立派なプリンだ。あとはオーブンで焼くだけである。オーブンは既に長谷部が温めてくれている。燭台切はプリン容器の並んだトレイを持ちながら、そういえばと口を開く。
「そういえば長谷部くん、君なら洋菓子くらい簡単に作れるんじゃないかい?」
びく、と長谷部の肩が動いた。
「手際はいいし、几帳面だし、向いてるんじゃないかと思うんだけど」
「…………」
そう言って顔を覗きこめば長谷部は気まずげに目を泳がせた。不思議に思ってそのままじっと見つめていると、沈黙に耐えかねたように長谷部が溜息をつく。
「……ちょっと見ていろ」
長谷部はおもむろに冷蔵庫から卵を取り出して軽く握り、流しの縁に振り下ろす。
ぐしゃり、と嫌な音を立てて、長谷部の手の中で卵は粉々になった。指の隙間から白身と黄身が混ざった液体がどろりとあふれだす。
「………………えーと、」
「…………見ての通り、不器用でな。切ったり混ぜたりはなんとかできるんだが、卵だけはどうにも」
卵の殻を三角コーナーに捨て、手を洗いながら長谷部は答える。
「一応主のためにこっそり練習はしてみたんだが、卵を三十個無駄にしたあたりで諦めた。俺に洋菓子は向いてない」
たしかに洋菓子は卵を使うものが圧倒的に多い。長谷部が諦めるのは無理からぬことのように思われた。
「で、でも、ほら。本にフルーツゼリーやパンナコッタとか載ってるし、こういうのなら!」
「毎回ゼリーやババロアで茶を濁すわけにもいかんだろ」
「それはそうだけど……」
「なんでそう俺に作らせようとするんだ」
おまえの役目だろ、と呆れたように告げられれば、燭台切は肩をすくめて答えた。
「僕はただ……君ともっと色々なお菓子を作れたら素敵だなと思って。だって君とこうしてるとすごく楽しいから」
「…………楽しいのか」
「ああ。とても」
「………………そうか」
そう言って、長谷部は燭台切にくるりと背を向けた。「長谷部くん?」と問いかけると、どことなく上ずった声が返ってくる。
「…………用事を思い出した。今日は帰る」
長谷部の耳は、なぜか赤かった。
次の日は長谷部が用事があるとのことで、一人でクッキーに挑戦した。
しかし、出来は散々なもので、オーブンから出した天板には茶色く焦げたクッキーが並ぶという惨憺たるありさまだった。生地を薄くしすぎたのがいけなかったらしい。
使った道具を片付けながら、燭台切は長谷部がいたらどんなことを言っただろう、とぼんやり考えた。
『残念だったな。まあ次頑張ればいいさ』とか、きっとそんなことを言うんだろう。ふっと笑みが溢れる。
焦げたクッキーをごみ箱に捨てようとした時、厨の扉ががらっと開く。
「あれっ燭台切さん、何作ってるんですか?」
五虎退だった。
「ご、五虎退くん、どうしてここに?」
「虎くん達が焦げ臭い匂いがするって落ち着かなくて、様子を見に来たんです。それは……?」
五虎退の視線が燭台切の持っているクッキーの残骸に注がれる。
「あ、えっと、これは、その、」
「クッキー、失敗しちゃったんですか?」
どう答えるべきだろう。真っ先に思ったのはそれだった。長谷部以外の本丸の仲間たちは皆燭台切が料理上手だと勘違いしている。そんな自分がクッキーを失敗していると知れたら、皆の期待を裏切ることになりはしないか。
どうしよう。どうするのがいいのだろう。いっそ正直に言うべきか。でも。考えは渦を巻いてまとまらない。
「あの、ね、五虎退くん。これは……」
「俺だ」
厨の中に凛とした声が響く。
視線を向ければ、五虎退の後ろに紫と白の内番服の長谷部が立っていた。
「主のために燭台切から洋菓子の作り方を教わっていてな。しかし洋菓子はなかなか難しくて、ご覧のありさまだ。片付けを任せてしまってすまなかったな、燭台切」
そう言って長谷部が燭台切の持っていたトレイを手に取り、五虎退を振り向く。
「という訳だ。皆には内密に頼む。できれば主をあっと驚かせたいんでな」
「わ、わかりました! みんなには内緒にしておきます!」
失礼しました、と言って五匹の虎たちを連れて五虎退が去っていった。
完全に足音が遠ざかったのを確認してから、二人分の溜息が厨に落ちた。
「……危なかったな」
「……助かったよ、長谷部くん。でもどうして厨に?」
「書類が片付いたから様子を見に来たんだ。来て正解だったな」
そう言って長谷部は焦げたクッキーをひとつ手に取った。
「失敗したか」
「ああ。生地を薄くしすぎたらしい」
「次に生かせるよう気をつければいいさ。どれ」
そう言ってひょいっとクッキーを口に放り込む長谷部に、燭台切はあっと声をあげた。
「ちょ、長谷部くん!」
「少々苦いが食えないこともない。生地の厚ささえ気をつければ次はうまくいくんじゃないか」
がりごりと音を立ててクッキーを咀嚼する長谷部に思わず溜息が漏れる。
「長谷部くんには成功作を食べてほしかったんだけどなあ……」
「特訓に付き合うのを決めた時点で、失敗作が出るのは想定済みだ。安心しろ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
かといって燭台切自身もどういうことなのかうまく説明できない。ううん、とひとつ唸ってからまあいいかと気分を切り替える。
使い終わった道具たちを棚に戻しながら、燭台切は長谷部を見る。いつもと変わらないすまし顔だ。そのすまし顔がなんだか寂しく思われて、燭台切は口を開く。
「でも、長谷部くん、良かったのかい? あれじゃ君が洋菓子作りが下手って思われちゃうんじゃ……」
「実際下手だからな。問題ない」
「……けど、」
「俺が好きでやっているんだ。気にするな」
すっぱりとそう言い切られると、それ以上何か言うのもはばかられる。
しかし、この感謝の気持ちをどうにかして伝えたい。
「じゃあ、今度クッキー成功させたら、長谷部くんに一番に食べてもらうことにするよ」
「それは楽しみだな。期待しておく」
そんなことを話しながら、その夜は二人で片付けをした。
長谷部と別れて自室へ戻った燭台切は、ある事を決意してレシピ本のとあるページを開いた。
いよいよ歓迎会当日の日になった。
長谷部が厨を覗くと、燭台切は何やらひたすら生地を混ぜている。当初の予定ではミルクレープやクッキー数種類を作る予定だったが、今から焼いたのでは間に合わない。何かイレギュラーがあったのかと長谷部は慌てて燭台切の肩を叩いた。
「おい、今から焼いたんじゃ間に合わないんじゃないか。手が足りないなら……」
「大丈夫。長谷部くんは座っていて」
「おまえ、どうするつもりだ」
問われた燭台切は、内緒と人差し指を唇に立ててみせる。長谷部は呆れたように溜息をつくと、トン、と拳で燭台切の胸を叩いた。
「よくわからんが……信じてるぞ。最後まで気張ってみせろよ、伊達男」
長谷部はそのまま大広間の方へ向かっていく。
叩かれた胸をぎゅうと押さえて俯くと、燭台切は唇を引き結んで厨へと足を踏み出した。
「なにがでてくるんでしょうねえ!」
「すっごく楽しみ!」
「だよな!」
大広間の各テーブルには何故かホットプレートが並べられていて、皆が興味津々に覗き込む。ホットプレートは以前本丸でお好み焼きパーティをした時に使われたものだった。
しばらくして燭台切がボウルを持って大広間に現れた。歓声が上がる中、燭台切は静々と上座に座り、事前にスイッチを入れていたホットプレートに生地を流し込んだ。
すっと顔を上げて部屋中を見渡すと、燭台切はにこりと笑顔を浮かべ、言うことには。
「今日、僕がみんなに提供するのはホットケーキだよ」
「……ホットケーキ?」
「これだけ?」
ざわつく室内に向けて、燭台切は大きく頭を下げた。
「ごめん、みんな。実は僕、まだ料理に慣れてないんだ」
「がっかりさせるかもしれないって思ったらなかなか言い出せなくて、こっそり特訓してたんだ。けど僕が間違ってた。最初から事情を話すべきだったね。長谷部くんも、ずっと黙っててくれてありがとう」
「これが今の僕の精一杯。でも、これから沢山努力して、よその燭台切光忠に負けないくらい料理上手でかっこいい燭台切光忠になってみせるよ。だから、それまで待っててもらってもいいかな」
しん、とした大広間で真っ先に立ち上がったのは審神者だった。
「燭台切いいいいいごめんねえええええええ!! こっちが勝手にイメージ押し付けて、プレッシャーかけちゃって本当にごめんんんん!!」
そう言って燭台切に向かって土下座したのを皮切りに、鍛刀や脇差たちが並んで頭を下げる。
「燭台切さん、ごめんなさい!」
「俺が悪かった!」
「ううん、ボクも!」
「いいんだよ、主もみんなも気にしないで」
そう言って順々に頭を撫でていき、ふと顔をあげると、長谷部と視線があった。
やわらかな藤色の瞳に笑みを返すと、それでいいとばかりに満足げに頷かれる。きゅうと胸が締め付けられる感覚に首を傾げつつも、燭台切は広間に並んだ仲間たちに促す。
「さあ、ホットケーキパーティをしよう。各テーブル、ホットプレートを持っていって。生地もトッピングもたっぷり用意してあるから、順番に取りに来てくれ」
わあ、と歓声が上がると共に、めいめいが用意されたホットプレートや生地を楽しそうに運び出した。
「……よく、思い切ったな」
「思いきれたのは君のおかげだよ。君が僕の見栄のために泥を被ってくれたのを見て、このままじゃいけないと思って」
各テーブルで楽しそうな声が上がる中、燭台切は手慣れた手つきで目の前のホットプレートに生地を流していく。
「それに色々考えてみてさ、僕が今まで特訓した中で一番美味しかったのってこれだったんだよね。気心の知れた相手と一緒に作って食べるのが一番楽しかった。だから、みんなにもそんな楽しさを分けられたらと思って。あとは、」
「あとは?」
「簡単だし」
ふは、と長谷部が吹き出した。
「笑うことないじゃないか」
「いや、すまん。まあそうだな。料理初心者のおまえでも作れたもんな」
黒い手袋に包まれた手が長谷部の手をそっと握った。
「長谷部くん、ありがとう。全部君のおかげだよ」
「できれば、これからも練習するから僕の料理を食べて欲しい。毎朝僕の味噌汁を飲んでくれないか」
「なっ……」
言われた長谷部の顔が真っ赤に染まる。
「あの、待て、俺たちまだ出会ったばかりだし、その、」
「? だって君、朝の味噌汁が一番好きだって言ってただろう?」
「ああ、うん。そういう……そうか、そうだな」
そう言って長谷部はコホンと咳払いをする。
「俺も、毎朝おまえの味噌汁が飲みたい」
ひゅう、と誰かの口笛が鳴り響き、わあと周囲が盛り上がる中、燭台切はにこにこと、長谷部はこころなしか頬を紅潮させてほかほかのホットケーキをたいらげるのだった。
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