白く丸い花びらが何百、何千と幾重にも重なっているさまは、まるで淡雪のようだった。
「ああ、ちょうど満開だね」
雪の溶けきった山道を分け入りしばらく歩き進めると、そこに広がっていたのは一面の梅林だった。
先導して歩いていた燭台切がどうかな、とこちらを振り返る。
「君の知る梅には劣るかもしれないけど」
「……いや、見事だ」
俺は辺りを見回す。息を吸い込めば肺いっぱいに梅の香りが満ちる。咲いているのはほとんどが白梅だったが、彩りを添えるようにところどころに紅梅が咲いていて、それもまたうつくしい。晴れた冬の空に梅の花はよく映えた。
「綺麗だな。ありがとう、燭台切」
そう言うと、燭台切は何かを耐えるような顔をして、その顔を近づけてくる。その動きに逆らわずにすこしだけ顎を上向かせて目を瞑ると、そっと唇が降りてくる。
ちゅ、と触れるだけのもどかしい口づけが終わり瞼を上げると、気まずげに目を泳がせる燭台切がいた。
「…………また、なんとなくか」
「……そうだよ」
そうか、と頷いて、俺はそっと燭台切の指に自分の指を絡ませた。
俺と燭台切が紆余曲折を経てもう一度関係をやり直すことになって大きく変わったことは、こうして時折唇を交わすようになったことだ。
ひゃっこい、とぼやく燭台切に笑いながら、俺はそのきっかけとなったあの日のことを思い出す。
唇にやわらかく湿ったものが触れた。ふに、と押し付けられたそれが燭台切の唇であることに気づいた時には既に顔は離れていて、目の前には戸惑うようにぱちぱちと瞬きを繰り返す金の隻眼があった。
「っな、んで……」
慌てて口を押さえる。今。つい数秒前まで。ここに、燭台切の、唇が。
そう思うと顔から火が吹き出るかと思った。心の臓がどくどくと勢い良く全身に血液を送り出し、肌が火照って熱い。
「…………ごめん、迷惑だったかな」
「そんなことはないが……」
むしろ触れて欲しかったくらいだったけれど、どうして、今。
燭台切は目もとにほんのり朱を乗せて言った。
「君を見てたらなんとなく、したくなって」
その時の俺ときたら、周りじゅうに花が咲き鳥が歌い祝福の鐘が鳴る幻覚および幻聴があったほどだった。ふら、と一瞬足元がおぼつかなくなったのを、燭台切のたくましい腕に支えられる。
「長谷部くん、大丈夫?」
「……大丈夫、大丈夫だ」
答えながら何が大丈夫なのだろうと自問する。全然大丈夫じゃない。それでもこのまま天に上れそうなくらいに幸福だ。幸福すぎて大丈夫じゃないのである。
「なんとなく、したくなったのか」
「……ああ」
「そうか」
いとおしさがあとからあとからこみ上げて、胸の奥から溢れ出しそうだった。しかし実際に溢れだしたのは涙で、俺に触れていた燭台切の腕がびくりと震えるのがわかった。
燭台切が謝罪の言葉を告げるより前に俺はすこしだけ背伸びして燭台切の唇に触れる。二度目の口吸いはやはりやわらかくて、泣きそうなくらいしあわせだ。
「……俺も、なんとなくだ」
これであいこだな、と言うと燭台切は困ったように眉を下げて、その顔がなんだかひどく面白かったので、俺は大声で笑い飛ばしたのだった。
枯れ草の生い茂る乾いた地面に持参したござを敷き、二人で並んで梅を見る。風はまだ冬の寒さを乗せていたが、日差しには春の陽気が感じられた。
俺は風呂敷から二人分の団子を取り出し、燭台切は水筒から湯気の立つほうじ茶を湯のみに注いで俺に渡してくる。
ふうふうと息を吹いて冷ましながら湯のみに口をつけていると、燭台切がこぼすように笑った。
「…………なんで笑ってる」
「なんか、君を見てると笑えてくるんだ」
普通なら噴飯物の言葉も、燭台切が言うなら仕方ないと許せてしまうのだから不思議だ。そもそも、おそらくこいつに悪気はひとかけらもない。怒るほうが馬鹿らしい。
ため息をついて改めて周りを見渡せば、梅林の周りには桜とおぼしき木もちらほらあった。この梅が散るころには、きっと代わりに桜がうつくしく咲き誇るのだろう。
「……春になったら、また来るか」
「ああ、桜? この間は気づかなかったな」
今気づいたと燭台切が言う。偵察力は俺のほうが高いのだから当たり前だ。
「いいね、またお花見に来ようよ。夏は……虫が多そうだなあ」
「なら夏は川か海にでも行こう。秋にまた紅葉狩りに来ればいい」
「冬は遠出は避けたいな。君が冷えてしまいそうだし、本丸の炬燵でゆっくりするのがいい」
季節の巡りに思いを馳せながら、二人でそんなことを言い合う。一年先だって、百年先だって、こいつの隣にいられる自分を想像できるのは満ち足りた気分だった。
好きだ、と思う。燭台切のことも、燭台切と過ごす時間も、燭台切といる俺も、すべて。
「……好きだ、燭台切」
こうして素直に思いを告げるのが許される距離にいることも、全部が大切でいとおしい。
燭台切の手を握るとやんわりと握り返された。藤と金の視線が絡み合い、やがてどちらからともなく唇を重ねる。遠くで小鳥の鳴く声が聞こえた。
「……なんか、こうしてるとさ」
燭台切が唇を離して言う。触れる吐息がすこしだけくすぐったい。
「僕達恋仲みたいだ」
「恋仲だろう」
「そうなんだけど」
うまく言えないな、とどこかもどかしそうに頬をかく燭台切に、俺はこっそり口の端を上げる。
この恋はとっくに成就している。知らないのは燭台切だけだ。
だけどもうすこし、あとすこし。幸福な片思いを続けるのも悪くはない。
世界でいっとう格好のいい男がそう遠くないうちに必ず迎えに来てくれるのを、俺は知っている。
春来たりなば恋遠からじ
こころなしてとて春を知る
2272文字
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