愛を一輪

短編
     

8307文字(全2ページ合計)

愛を一輪

「長谷部、そっちの水揚げは済んだか?」
「ああ、薬研か。手筈通りだ」
「そうか。こっちも大体終わった。……やっこさん、今日も来るかな」

 ドキリとしたのを気づかれないように、俺はくるりと後ろを向いて手の中の九分咲きのガーベラをスタンド型の花瓶にぽちゃんと落とした。
「…………さぁな」

 俺の本丸は「花屋本丸」と呼ばれている。
 元々花好きだった主が趣味で始めたものが、どういう訳か副業と言っても差し支えない大規模なものになり、今や本丸の土地には広大な花畑が広がっている。主が丹精込めて育てた花を、こうして本丸入り口近くに設置した店舗区画で売るのは、主に修行前のカンスト刀剣達、つまり俺達の役目だ。
 主が大きな神社の神主の家系だからか、うちの花は祈願成就によく効き、本丸ナンバーも八の八つ並びなものだから縁起がいいと評判で、買いに来るのは大概がそんな噂を聞きつけた他所の本丸の刀剣か審神者がほとんどだ。

「本丸二周年の記念のフラワーアレンジメントをひとつ」
「孫の合格祈願に花を一輪」

 そんないつもの注文を同じシフトの連中とこなしていると、薬研がこちらを肘でつついた。
「おい、来たぜ」
 焦って見えないようできるだけゆっくりと店先を見ると、そこには一人の刀剣男士が立っていた。眼帯に燕尾服、すらりとした長身。そして、男は低い艶のある声でいつものようにこう言った。
「やあ。花を一輪貰えるかい?」
「……今日は、何だ」
「そうだな、チューリップがいいかな。そっちの赤いのを一輪お願いするよ」
 そっち、と言われて指差されたのは、花弁の縁が白い、高級感溢れる深い赤色をしたチューリップ、アルマーニだ。俺は手早く茎先を処理し、花をラッピング用紙で包む。
「リボンの色は?」
「いつも通り、紫を」
 注文通りラッピングを終えて手渡すと、代わりに代金を渡される。指先が触れそうで触れないその距離に手が震えぬよう己を叱咤し、なんとか会計を済ませる。

「君の所の花はいつ見ても見事だね」
「当然だ。主が丹精込めてらっしゃるのだから」
 そう返すと、男、燭台切光忠はそうみたいだね、とふわりと笑った。  そんな風に笑われると、どくどくと心臓がうるさいくらい主張をしてきて、俺は途端にどうしていいかわからなくなってしまう。
「……無駄口を叩いてる暇があったらさっさと帰れ」
 心とうらはらにそんな事を言ってしまうが、燭台切は特に気にした様子もなく冗談めかして肩を竦めた。海外の映画俳優のような仕草だった。
「おっと、仕事中に失礼したね。じゃあ、また」
 そうして片手をひらひらと振りながら燭台切は店を出て行った。

「……やっぱり今週も来たな」
 いつの間にか隣に来ていた薬研がぼそりと呟く。
「随分熱心なこった。しかも毎回律儀に一輪ずつ。よっぽど花好きか、叶えたい願い事があるんだな」
「祈願成就ならうちを頼るより、直接神社にでも行った方が良さそうなものだが」
「そこは伊達男なりの流儀ってやつなんだろうよ」
 そう言って薬研はこちらを見上げてにやりと笑う。
「顔、赤くなってるぜ」
「なっ……!?」
 慌てて鏡を確認すると、なんてことはない普段通りの顔色だ。
「っ薬研!」
「はは、すまんすまん」
 そんなやり取りをしていると、入り口から新たに店に客が入ってきたので、俺達は急いで入り口に向き直った。
「いらっしゃいませ! どんな花をお求めですか?」

 俺は、あの燭台切光忠に恋をしている。
 初めてあの燭台切光忠がうちの本丸を訪ねてきたのは、三ヶ月程前の事だった。
「……花を一輪お願いしたいんだけど、いいかな」
 そう言ってにこりと微笑まれた時の衝撃は忘れられない。雪の中からひっそりと顔を覗かせる福寿草のような、芯のある優しさ溢れるその笑顔に、俺は一目で心を奪われたのだ。
 正直、その時何を話したのかは緊張のあまり覚えていない。とにかく言われた通りに花を包んで渡して、金を受け取って。立ち去る背中をしばらくただぼんやり眺めていたのだけはかろうじて覚えている。また、来てくれないだろうか。そんな事を願っていたら、翌週にまた同じ燭台切が本当に現れた。
「花を一輪、貰えるかい?」
 やはり燭台切は初回の時と同じように花を一輪買っていった。

 それから毎週、燭台切は決まって花を一輪買い求めに来るようになった。買う花はストレリチア、アネモネ、スターチス、ゼラニウム、と毎回違っていて、共通しているのはラッピングに紫のリボンを選ぶ事だ。
 あの燭台切と俺は単なる客と店員にすぎなくて、これ以上深入りしてはいけない。そう思うのに、会う度にあいつのちょっとした仕草や表情に魅せられていく自分がいた。
 うちの本丸にも燭台切光忠はいるが、奴はただの同僚だし、客として来る他の燭台切光忠にもこんな感情は抱いた事がなかった。
 あいつはあの花にどんな願いを託しているのだろう。そんな事を考えながら時折ぼんやりするようになった俺を、同じシフトに入ることが多い薬研や鶴丸は面白がってにやにやと眺めてくる。
「そろそろ連絡先くらい聞いてもいいんじゃないか?」
「馬鹿を言え、あいつと俺はただの客と店員だ」
 そう、それだけでいい。顔が見られるだけで、あいつの幸せを祈っているだけで、俺は満足なのだ。

 そう考えていた矢先の事だった。
 たまたま薬研が夜戦に駆り出され、珍しく歌仙と一緒のシフトになった日の事だった。比較的開店直後にやって来る筈の燭台切が店に現れず、そろそろ閉店、という時間になった。
 まあこういう日もたまにはあるだろうと内心肩を落としながら軒先の花達を店内に仕舞おうと外に出ると、突然横から声をかけられた。
「長谷部くん、ごめん! まだ間に合うかな?」
 そこにいたのは、息を切らしてこちらへ駆け寄ってくる燭台切だった。いつもより髪が乱れていて、肩当てや草摺にも細かな傷がついている。
「急な出陣が入って、ちょっと来るのが遅れちゃったんだけど、駄目、かな?」
「……いいぞ。今日はどれを、」
 言いかけて気づく。
「……? どうかした?」
 不思議そうに首を傾げる燭台切の頬には、敵に切られたであろう傷が一筋走っていた。呆れたことに、帰城してから手入れもせずにここに直行して来たのだろう。
「……おい、中に入れ」
「え?」
「とっとと来い」
 そう言って二人で店内に入り、歌仙のいるレジカウンターの前の椅子に燭台切を座らせる。
「おや、彼は?」
「怪我人だ。裏から救急セットを取ってくる。お前はそこで待っていろ」  
 最後の一言だけ燭台切に向かって言うと、燭台切は慌てたように顔の前で手を振った。
「大した怪我じゃないし、気にしないでくれ。どうせ本丸に戻れば、」
「俺が気になるんだ。いいから怪我人は座っていろ」
 そう言って何か言いたげな燭台切を残し、俺はバックヤードから救急セットと濡らしたタオルを持って戻ってきた。
「少し染みるかもしれんが……」
 簡単に傷の周りや汚れを拭いてやり、傷口に絆創膏を貼る。
「これでいい」
「……手慣れてるね」
「うちはよく開店準備の時に葉や棘で怪我をする奴が多いから」
 そのたびに一々手入れ部屋に駆け込むわけにもいかないので、店舗に応急処置用の救急セットが置いてあるというわけだ。
「で、今日は何を買うんだ」
「そうだな……じゃあ、そこのカスミソウを」
「カスミソウ? 一輪でいいのか」
「ああ。一輪でいい」
 花屋の立場として言わせて貰えば、カスミソウは花束の添え役としては非常に便利な花だが、これ単体は地味な花だ。こんな貧相な一輪でいいのかと逡巡したものの、注文は注文である。
 俺はできるだけ花の多くついたカスミソウを選んでやり、簡単にラッピングして紫のリボンを巻くと、押し付けるように燭台切に渡した。
「…………お代はいい」
「え、でも、」
「見舞いだと思って受け取れ」
 カスミソウと俺をきょときょとと見比べる燭台切に、歌仙が呆れたように笑った。
「受け取り給えよ。こうなったら彼は頑固だから」
「……なら、有難く頂いておくよ」
 正面からの微笑みに耐えきれず思わず視線を逸らしている間に、燭台切がカスミソウを手にして立ち上がる。
「なんだか悪かったね。閉店間際にバタバタさせちゃって」
「……いい、気にするな」
「本当にありがとう。恩に着るよ」
 そう言って燭台切は立ち去っていった。

「彼が、この所毎週来るっていう燭台切かい?」
 歌仙からの質問に思わず溜め息をついた。噂の出処は鶴丸辺りだろう。あとでシメておかなければ。
「ああ、そうだが?」
「彼、いつもはどんな花を買うんだい?」
 俺は記憶をひっくり返して数えていく。

「……ストレリチア、アネモネ、スターチス、ゼラニウム、それに最近は赤のチューリップを、」
「赤のチューリップだって?」

 歌仙が素っ頓狂な声を上げたので思わずびくりとする。
「……長谷部、君がそういう事に疎いのは知っていたが、今回は相手が悪い。諦めた方がいい」
「なんだ急に。何の話だ」
「気づかないのか? どれもこれも恋愛に関する花言葉がつく花達じゃないか!」

 恋愛の二文字が脳内で変換されるまでに数秒のラグがあった。
 恋愛。恋愛ってどういう事だ。
 混乱する俺にダメ押しのように歌仙が告げる。
「特に赤のチューリップ。そのものズバリ『愛の告白』が花言葉だよ。カスミソウの花言葉だって、『無垢な愛』に『清い心』、あとなんだったかな……まあいい。彼にはおそらく想い人がいるんだ」
 がぁんと頭を殴られた心地だった。

 それから歌仙とどうにか閉店の支度を終え、ふらふらと自室に戻って布団を敷くと、俺はその上にどさりと横になった。
 燭台切に、想い人。
 あいつが願っているのは、恋愛成就だったのだろうか。
 ぐるぐると色んな想いが渦のように脳内を回る。なんで。どうして。それなら俺は、どうしたら。

 次の週、俺は宗三に頼み込んで店当番を代わってもらった。どうしても燭台切と平静な状態で顔を合わせられる自信がなかったからだ。
 夕方、臨時の出陣を終えて主への報告をしに執務室へ行く途中の廊下に宗三が立っていた。通り過ぎようと前を通ろうとすると「長谷部」と名前を呼ばれる。
「……何だ宗三。お前、店番は」
「人が少なくなってきたので薬研に任せて来ましたよ。それより、」
 宗三が俺にひらひらと一枚の紙を見せる。
「例の燭台切から、花束の注文が来ましたよ。真っ赤な薔薇の花束を来週の同じ日に作って欲しいそうです。作り手は貴方指定で」

 いくら俺でも、赤い薔薇の花束の意味を知らない程野暮ではない。燭台切はきっと来週の今日、とうとう想い人にプロポーズをするのだ。きっと、今まで花を渡してきた相手に。

「……わかった。わざわざ悪かったな。礼を言う」
「貴方、それでいいんですか」
「いいも何も、注文なら受けるまでだ」
「……長谷部、」
「俺は所詮、あいつにとってただの花屋の店員に過ぎないんだ。最後まで店員に徹してみせるさ」
 そう言って何もかも振り払うように執務室へと足を進めた。

 それから一週間、俺は目の前の事だけに集中した。普段は主に任せている畑の花の選定作業も自ら行い、花束に相応しい咲き頃の花を選んだ。
 約束の日の朝、俺は丁寧に棘を落とし水切りした満開の薔薇達を花束に仕立てていく。心は切り裂かれたように痛むのに、手は慣れた手順に沿って淡々と動いた。
 顔が見られるだけで、あいつの幸せを祈っているだけで満足だなんて嘘だ。あいつに触れたい。好きだと言って欲しい。抱きしめて、キスをして、それから。
 今更気づいたってもう遅い。
 俺は血の色をした大輪の薔薇の花束を用意し終え、燭台切を待った。指定の時間は開店直後だった。
 秒針がカチリと音を立てて頂点を刻むと同時に、燭台切の姿が店先に現れた。いつもの戦装束ではなく、黒に近いグレーのスーツに、胸ポケットに金の刺繍の入った白いポケットチーフを入れている。
 ああ、こいつは本気なんだ。本気でこれから好きな奴にプロポーズに行くんだ。ズキズキと胸が痛む。

 ――でも、これが俺の仕事だ。

 深呼吸をひとつして、大丈夫、と自分に言い聞かせる。俺は、プロなんだ。
「注文の品はこれだ。振込は確認してある」
 花束を見せると、燭台切は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「オーケー。ありがとう。見事な出来栄えだね、想像以上だよ。流石長谷部くんだ」
「……俺は俺の仕事をしたまでだ」
「そうだね、うん、君はそういう刀だ」
 燭台切に花束を手渡す。指先がちらりと掠めて、それだけで泣きそうに嬉しかった。これから、この男は他の奴にプロポーズして、きっと俺の知らないところで幸せになっていくのだろう。

「……その花、収穫から俺が選んだんだ」
「そうなんだ? 嬉しいなぁ」
「……お前に、幸せになって欲しくて」
「……じゃあ、僕も頑張らないとね」
「ああ、頑張ってくれ」

 どうか。せめてどうか幸せになってくれ。こんなどろどろの想いを抱える醜い俺の事なんて忘れてくれ。
 そうして静かに俯いた俺の視界が、突如真っ赤に染まる。

「…………え?」

 気づけば燭台切が俺に花束を差し出して、にこりと笑ってこう言った。

「長谷部くん。君の事が大好きです。僕と付き合って下さい」 「………………は?」

 俺が思わずぽかりと口を開けると、燭台切は驚いたように目を丸くした。
「……ええと、長谷部くん?どうしたの?」
「……お前、好きな奴がいるんじゃ、ないのか?」
「君だけど?」
「はぁ?」
「えっ、だって僕ずっと君の事口説いてたじゃないか。最初に言ったよね。毎週君に会いに来るよって」
「そんなこと、」
 言われた覚えがない、と言いかけて口を噤む。言われなかった覚えも、ない。ないのである。最初の会話なんて緊張しすぎてろくに覚えてなくて、それで。

「そうしたら君、勝手にしろって言うから、僕なりに花言葉でずっとメッセージを送ってたつもりなんだけど……えっ? まさか伝わってなかったの? 一度も?」

 伝わっていた。途中から伝わってはいたのだ。その好意を向けている相手が今まではわからなかったけれど。

「この間ようやく君から花を貰って、すごく嬉しくて。早速今までの花と同じようにプリザーブドフラワーにして保管してあるんだよ」
「……いや、待って、待ってくれ、頭が追いつかない。えっ、お前は俺のことが好きなのか?」
「そうだよ。半年前に演練で見かけてからずっと君に恋してた」

 そうして、燭台切はとろけるような笑顔で俺を見つめ、「長谷部くん」と蜜のように甘い声で俺の名を呼ぶ。
 灯火の滲む金色の瞳の中に、戸惑いの表情を顔いっぱいに浮かべた俺がただひとり映っていた。
「ねえ、君は僕の事、好き?」
 嬉しさと困惑と驚きが渦巻いて纏まらない思考の中、俺はとりあえず花束から震える手で薔薇を一輪抜き取ると、無言で燭台切の胸ポケットに差したのだった。

 

【注釈】:ヨーロッパの古い慣習で、プロポーズでブーケを渡された時、了承の返事の代わりに一輪取って相手に飾ってあげるというものがあります。ブートニアの事です

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