指定された待ち合わせ場所は遊園地の前だった。家族連れやカップルが行き交う中、光忠の持っていたペアチケットで並んで入園する。
「知人の結婚式の余興で当たったんだけど、せっかくだから君と来たくて」
照れくさそうに笑う光忠に、長谷部は「……そうですか」と返す。いきなり部屋で二人きりになるよりは気が紛れていいかもしれないが、果たして光忠と二人で遊園地を楽しめるんだろうか。
「光忠さん、次はエクストリームループコースター行きましょう」
「長谷部くん、ごめん、ちょっと休んでもいいかな?」
どうせなら目玉アトラクションは全部回ろうと、入園直後からハイペースで絶叫系のアトラクションを中心に回ったのが良くなかったらしい。ぐったりとした様子の光忠を見て、長谷部は慌てて近くのベンチに光忠を座らせ、自販機でペットボトルのお茶を買ってきて手渡した。
「すみません! 俺、気が利かなくて……」
「いやいや。僕もはしゃぎすぎちゃって。情けないなぁ、若い頃はこのくらい平気だったんだけど」
「光忠さんは今もお若いでしょう」
長谷部の記憶がたしかならまだ四十代半ばだった筈だ。一代で世間に名だたる企業を興したにしては異例の若さである。
「そんなことないよ。もうねえ、あちこち結構ガタが来てて」
とてもそんな風には見えなかったので、目を丸くしていると、光忠はペットボトルに口をつけて唇を湿らせた。
「長谷部くんは今二十五だっけ」
「はい」
「僕もね、君くらいの頃は四十代ってすごく大人だと思ってたんだけど、そんなことないんだよ? 気持ちは二十代のままなのに、体だけが日々衰えてく感じ。やんなっちゃうよ。表面を取り繕うことだけ無駄に上手くなってく」
どう相槌を打ったものか困って無言でいると、「ごめんね」と謝られた。
「こんなこと言われても困っちゃうか。自分語りが多いのもおじさんの悪いところだね。もうちょっと休んだら次に行こう」
「あ、いえ、その。光忠さん、普段あまり自分の話をしないので、ちょっと驚いたというか。嫌じゃないです」
「そうだったかな?」
「はい」
考えてみれば、長谷部は業務上知り得る範囲の光忠の個人情報くらいしか知らない。パートナーとして付き合い始めて、食の好みには多少詳しくなったけれど、それくらいだ。いつも光忠は長谷部の話を穏やかに聞いてくれて、その度に適切な相槌やアドバイスをくれた。だけど、光忠がどんな人生を歩んできて、どんな考えで生きているのか、その口から直接聞くのは珍しい気がする。
「……長谷部くんは、」
「はい」
光忠は何か口を開きかけたが、息を吐いてゆるりと首を横に振った。
「…………いや、なんでもない。そろそろ行こうか。次はエクストリームループコースターだっけ?」
よいしょ、と立ち上がる光忠の服の裾を咄嗟に掴む。
「光忠さん!」
「なんだい?」
高い位置から長谷部を見下ろす蜜色の瞳はどこまでも優しい光を讃えている。見ているとなんだかきゅうと胸が締めつけられる。手放したくない、そう思う。だから言う。
「あの、次はその、あれにしましょう」
長谷部が指さした先を見て、光忠は目を丸くした。
「観覧車なんて三十年ぶりくらいに乗ったよ」
日本最大級と触れ込みの大観覧車のゴンドラは、大の男二人が乗るとさすがに少し狭さを感じた。互いにそれなりに足が長いので、膝同士がぶつかる。
「長谷部くんは高いところ平気?」
「じゃなきゃ絶叫系なんて乗りません」
「それもそうだね」
くすくすと笑ってから、さて、と光忠は膝の上で手を組んだ。
「……何か僕に話したいことがあるんじゃないかな」
言ってごらん、と促されて、長谷部はずっと気になっていたことを聞く決意をした。
「……どうして、俺なんですか」
これを聞くのは自意識過剰な気がして、でも聞かないといつまでも先に進めない気がしていた。胸の奥から浮かんでくる疑問を重ねる。
「光忠さんなら、相手なんて選り取り見取りでしょう。俺を選んだのは、どうしてですか」
目の前の整った顔が、すこし意外そうに片眉を上げた。そうして、うーん、とどこか遠い瞳をして唇を緩めた。
「入社後の歓迎会の時に、君、酔っ払ってたの覚えてる?」
「…………はい」
酒豪の先輩に飲めることを知られてどんどん酒を注がれ、気づけば自宅の玄関の床で行き倒れていたことは、未だ記憶に新しい。
「その時に、たまたまトイレで吐いてる君を見かけてさ」
「え」
「背中をさすって、水を差し入れて、帰りも途中まで送ったんだけど」
「えええええ」
頭を抱える。記憶にない。
「その時に僕の眼帯掴んでさ、『これ胡散臭いから外しましょうよ』って絡んできて」
「…………すみません…………」
言葉もなく縮こまる。自分の酒癖があまりよくないのは自覚していたが、それほどだったとは。今度から深酒は絶対に控えようと決意する長谷部に、光忠は「気にしないで」と微笑んだ。
「『綺麗な目じゃないですか。なんで隠してるんですか? もったいない』」
「それは……」
「君が言ってくれたんだよ」
形のいい唇が弧を描き、長い指が革の眼帯を摘まんで外す。顔にかかっていた長い前髪をかき上げると、薄い色の右目が顕わになった。
「こっちの目は生まれつき見えなくてね、気持ち悪い、って言われることもあったから、できるだけ隠すようにしてたんだ」
そういう噂は秘書室の同僚から聞いたことがあったが、光忠の口から詳しい事情を説明されるのは初めてだった。
蜂蜜色の左目と比べると、少しクリームがかったような檸檬色の瞳だ。美味しそうな色だな、と場違いにもそんなことを考える。
「僕はずっとこの右目がコンプレックスだったけど、君はこれを気にしなかった。それが僕にはとても嬉しかった」
「……酔っ払いの戯言ですよ」
「だからこそ本心からの言葉だと思ったんだ。君をいいなと思ったのは、それがきっかけ」
ふふ、と楽しげな声が上がる。
「あれ以来君を目で追うようになって、一生懸命な働きぶりや、誠実な人柄に惹かれて、かわいいなって思った。いつのまにか年甲斐もなく本気になっていてね」
「……そう、なんですか」
じわじわと頬に血が集まってくる。
自分への好意をこれでもかと目の前で語られて恥ずかしい。しかし、光忠が他でもない長谷部自身をきちんと見ていてくれたということを、嬉しくも思う。沢山のSubの中の一人ではなく、長谷部国重という人間として見てくれていた。その事実は頑なだった長谷部の心を揺るがすには十分だった。
「長谷部くん、僕は君が好きだよ」
その言葉は、今度は長谷部の胸の中にまっすぐすとんと落ちてきた。
「たとえ君が僕のことを嫌いでも、僕は君が好きだ」
この光忠の気持ちに、自分もきちんと答えを出さなければいけない。そう思わされるような誠実で熱の籠もった瞳だった。そしてその答えを、長谷部はようやく自分の中で見つけられた気がする。
「…………あ、の、」
からからになった口を開く。膝の上に置いた手をぎゅうと握りしめる。
「うん」
「俺は、Domが嫌いです」
「……そうみたいだね」
「だけど、Domを信じてみたいと思ってた。だって、人を疑い続けるのは、疲れます」
そうだね、と静かに相槌を打つ光忠に、どこまで長谷部の気持ちが伝わっているのかわからない。わかって欲しいと思った。伝わって欲しいと。口下手な自分を内心叱咤しながら、懸命に言葉を紡ぐ。
「最初は誰でも良かったんです。俺に酷いことをしないDomなら、誰でも構わなかった。でも、今は違います」
こんなことをいうのは恥ずかしい。けれど、言わなければ伝わらない。すう、と息を吸って、吐いて、一呼吸。光忠の蜜色と檸檬色の瞳を真正面に捉えて、言う。
「もし信じるなら、俺は貴方がいい」
光忠が息を呑むのがわかった。
「今はまだやっぱり、Domのことは信じられません。でも、『俺』を好きと言ってくれた貴方のことを、俺は信じてみたい」
言い切ってから、急に気恥ずかしくなって視線を泳がせる。窓の向こうはすっかり日が傾いていて、どこもかしこも夕陽色に染まっていた。赤くなった顔がわからないといいなと思いながら、長谷部は指で頬をかいた。
「……ごめんなさい。なんか、返答になってないですね」
「いや、充分だよ。……ありがとう」
その声が本当に嬉しそうだったのでちらりと視線を戻すと、光忠は目尻に皺を寄せていとおしげに笑っていた。
「……キスをしてもいいかい?」
「えっ、あの、」
露骨に狼狽える長谷部を安心させるように、光忠が首を横に振る。
「唇じゃなくて、額に。駄目、かな」
「……それなら」
渋々と頷くと、光忠はありがとう、と微笑んで長谷部の前髪をかき上げ、ちゅ、と小さく唇を落とした。湿った熱い唇の感触が無性に照れくさい。思わず俯いていると、そっと手を握られた。
「……長谷部くん」
「…………はい」
「今日の命令がまだだったね」
ぴくんと肩を跳ねさせる。何を言われるのだろう。長谷部の瞳に不安と、かすかな期待が灯る。
しかし光忠から言われたのは意外な言葉だった。
「君が僕を心から信じられるようになった時に、どうか君からキスをしてほしい」
空いている方の人差し指で、光忠が自分の唇をとん、と示して告げる。
「……それ、命令なんですか」
困惑して尋ねると、困ったように眉を下げて笑われた。
「うーん、お願い、かな。もちろん君には断る権利がある」
「俺、死ぬまで信用しないかもしれないですよ」
「僕はデザートは最後まで取っておくタイプなんだよ。死ぬ間際にでもキスを貰えたら、それで満足さ」
「なんですか、それ」
思わず笑みが零れる。光忠もゆったりと微笑みながら、そんな長谷部を優しく見つめている。窓から差し込む夕陽の色が泣きそうなほどあたたかい。
仕方のない人だと思う。長谷部よりはるかに年上なのに、時折こんななりふり構わず子供っぽいことを言う光忠に、確実に情が湧き始めているのを自覚していた。
「……いいですよ。いつか、……いつか貴方を心から信じられた時に、キスをします」
「うん、約束」
光忠が立てた小指をこちらに差し出してくる。
(……いつか)
いつかきっと、この人に口づける日が来るのだろう。
その日が待ち遠しくなっている自分が嫌じゃないことに気づきながら、長谷部はそっと自分の小指を伸ばし、光忠のそれに絡めた。
Trust my love and kiss me.・5
Trust my love and kiss me.
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