美味しく料理されたのは

短編
     

2063文字

 つやつやぴかぴかと光る白米の上、さっくり揚がった黄金色の天ぷらたちに、茶色く光るたれを三本口のたれかけから惜しげもなくどぼどぼと降り注ぐ。胡麻油の香る香ばしい湯気の中から、新たに甘辛い香りがぶわりと立ち上った。

「はい、召し上がれ」

 わざわざ合羽橋まで行って仕入れたという漆塗りのたれかけを持ちながら、俺の恋人はにこにこと天丼の入ったどんぶりを示してみせる。
 誕生日はなにか美味いものが食べたい。そんな俺のリクエストに光忠が作ってみせたのは天丼だった。
 てっきりビーフストロガノフだとか、パエリアだとか、そんな洒落た料理を出してくると思っていたから驚きだ。
 しかし驚いている暇はない。なにしろ、天ぷらは揚げたてが命。すくなくとも俺はそう考えている。白米の湯気とたれが天ぷらの衣をふやかしきる前に食べきらなければ。

「……いただきます」

 手を合わせてそう言い、箸を手に取ってまずは好物のししとうから。薄付きの衣にさくっと歯を立てれば、かすかな歯ごたえと共に独特の青臭さと苦みが口の中に広がり、衣の油っぽさを相殺してくれる。心配だった辛みはなかった。いいししとうだ。美味い。

 お次は海苔。こいつはすぐ湿気を吸ってふにゃっとなるから、早めに食べることにしている。パリッと揚がった海苔には既に少量のたれが染みこんでいた。箸でつまめば、きつね色の衣の内側、海苔の表面をたれがゆっくりと流れ落ち、白米の上へと滴った。たれが服に零れないように気を遣いながら、こちらも口の中へと放り込み、すぐに追いかけるように白米をかき込む。
 たれの甘辛さとほかほかの白米のやさしい甘さ、そしてさくさくの海苔の天ぷら。口の中で三品が手を取り輪になって踊り合う。調和の取れた味わいと、日本人である喜びをじっくりと噛みしめながら、今度は茄子へと箸を伸ばす。

 丸々と実の詰まった大ぶりの茄子はたっぷりと汁気を含んでいるので、噛み切る時に注意が必要だ。ふうふうと息を吹きかけつつ、ちょうどいい塩梅に粗熱が取れたタイミングを見計らい、えいやっとかぶりつく。さくっ、じゅわっ、とろっ、という食の三重奏を奏でつつ、火傷をしないようにはふはふと熱を逃しながら咀嚼する。天ぷらの味が口内から消えないうちに、手早く一口分の白米も口に押し込み、また咀嚼。

 思わず俺の口からほう、と感嘆の溜め息が漏れた。たれの染みこんだ白米と天ぷらって、なんでこんなに美味いんだろう。最高だ。

 俺が箸休めに漬物を囓りだしたタイミングで、光忠がさっと湯呑みをこちらへと差し出してくる。熱々のほうじ茶だった。ありがたく受け取り、ぐいと飲み込んで口の中を一度リセットする。そうして俺はきりっと顔を引き締めて、丼の中心で俺を待つ本日の主役――海老の天ぷらへと向き直った。

 堂々とした大ぶりの海老だ。しかもただの海老ではなく、光忠がわざわざ朝から市場まで行って選んできた、選りすぐりの車海老だ。それが豪華に三本も乗っている。
 しっかりとした実の海老を、それでも慎重に箸で掴み、そろそろと口に運ぶ。口を大きく開き、思いきり衣へと歯を立てる。ざくっ、という快音が響いた次の瞬間、俺の口内にとろっと甘みのある海老の味がいっぱいに広がる。これ以上火を通しては硬くなり、これ以下では生になってしまうという、絶妙な火加減。それによっ生み出されるぷりぷりの食感は、新鮮で質の高い海老だけに許されたものだ。さすが光忠、いい海老を選んでくれた。

 気づけば俺はあっという間に尻尾まで食べ終わっていた。余韻が消えないうちにまた白米を二、三口食べる。海老の味が残る舌の上で、白米たちも喜び弾んでいる。
 そしてそれをたっぷり三匹分味わった頃には、丼の中はすっかり空っぽになっていた。
 丼の隣に添えてあった油揚げとワカメの味噌汁をずずっと飲み干して箸を置き、ぱん、と手を合わせる。

「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
「美味かった。ありがとう。そういえばおまえは食べなくていいのか?」
「うん。作ってる間の味見で結構おなかいっぱいになったから」
「なんか悪いな。腹減ったらちゃんと言えよ。カレーとか焼きそばくらいだったら作ってやる」
「うーん、そっちは大丈夫かな」

 にこにこと満面の笑みと共にそんなことを言われる。しかしなんだかその笑顔に穏やかならぬ気配を感じて、なんとなく後ろへと身を引いた。

「長谷部くん」
「なんだ」
「今日は朝もゆっくり寝てたし、天丼もお味噌汁も漬物もしっかり完食したよね」
「あ、ああ」

 テーブルに置いていた手の甲を、光忠の長い指がつつっとなぞってくる。

「睡眠欲と食欲を満たしたら、あともうひとつも満たすべきだと思わない?」

 歌うように告げられてきゅっと手を握られる。逃げ道を失ったことを悟った俺は、観念して大きく息を吐き天井を仰いだ。

 嗚呼、丁寧に料理されていたのは、天丼だけじゃなかったのだ!

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