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長船光忠、二十八歳独身。職業は保育士。
やはりというか何というか、数合わせで呼ばれた合コンでは女の子達から「子供お好きなんですね」「ピアノも図工も得意なんですか? いいパパになりそう!」と口々に褒め称えられ擦り寄られ大変だった。誘ってくれた友人には悪いけど、もうあまりこの手の話には乗らないようにしようと、僕は最寄り駅の改札を通り抜けながら固く心に誓った。
子供は好きだ。かわいい。未来あるこの国の幼児達の育成に携わる大事な仕事に就いているという誇りと自覚は勿論ある。だけれども、やっぱり仕事は仕事なので、いつもにこにこして優しいんだろうとか、いい父親になりそうだとか、そういうステレオタイプなイメージの押し付けには、ちょっと閉口してしまう。彼女達に悪気がないのはわかっているけれども。
くさくさした気持ちをどうにか切り替えようと、駅ビルの本屋に足を向ける。SNSでフォローしている料理研究家が新しいレシピ本を出したらしいという情報を思い出したからだ。もう何度も来ているので、迷いなくレシピ本の並ぶコーナーに向かうと、そこにはスーツ姿の男性が立っていた。眉間に皺を寄せて親の仇でも見るような顔で、両手に持ったカラフルなレシピ本を見比べている。
その男性の横顔に覚えがあって、僕は思わず声を上げた。
「あれ、長谷部さんじゃないですか?」
僕の声に弾かれたように横を見て、彼は「あ」と口をぱかりと開けた。
「……光忠先生」
彼は僕の勤務する保育園に通う大倶利伽羅広光くんの叔父さんで、名前はたしか長谷部国重さん。シングルマザーの広光くんのお母さんの代わりに、園にもちょくちょく保護者として顔を出すので、僕もよく顔を覚えていた。
「何かお探しですか?」
手元を覗き込もうとしたら、気まずそうにぱっと本を棚に置いて視線を逸らされる。
「い、いえ、その、」
「……お弁当? 広光くんのですか?」
置かれた本を見てみると、幼稚園児向けのキャラ弁についての本だった。卵焼きやのり、桜でんぶでカラフルに彩られたキャラクター達がこちらに満面の笑顔を向けているというのに、長谷部さんの顔は暗い。
「……実は今度の遠足、姉が前日からの急な出張で行けなくなってしまって」
「えっ、そうなんですか?」
「だから俺が代わりに遠足に行くことになって……」
「それでお弁当を?」
「……恥ずかしながら」
先生、と長谷部さんがぎゅっと拳を握る。
「……やっぱり、その、他の園児のお弁当って凝ってますよね」
「うーん、ご家庭にもよりますけど、皆さん色々工夫されてますね」
「やっぱり…………」
がっくりと肩を落とす長谷部さんの様子を見る限り、あまり料理が得意なタイプではないらしい。
「姉には、おにぎりと冷凍食品とミニトマトを適当に詰めればいい、最悪コンビニのおにぎりでも十分だって言われたんですけど、」
「ああ、忙しい親御さんなんかはそういう方もいますよ。あまり気に病まなくても」
「……でも、俺は広光には思い出に残る遠足にしてあげたい。他の子達とお弁当を見せあって笑い合うような、そんな普通の思い出を、あの子にあげたいんです」
長谷部さんの目は真剣だった。淡い藤色の瞳が強い決意を灯してきらきらと光っている。
彼はきっと広光くんをとても愛しているんだろう。ただでさえ片親ということで苦労しがちな広光くんの父親代わりとして、長谷部さんは自分にできることはなんでもしてあげるつもりのようだった。その決意がまっすぐに伝わってくる。
綺麗だな、と思った。長谷部さんの瞳が、心が、純粋できらきらして、とても眩しいもののように思える。
だから、僕は気づけば口を開いていた。
「長谷部さん、よかったらお弁当作りの練習手伝いましょうか?」
「え」
「僕、料理が趣味なんです。職業柄園児のお弁当にも詳しいですし、もし良ければ広光くんのお弁当、一緒に考えましょうか?」
「いいんですか!?」
長谷部さんがぐいと僕に顔を寄せる。見れば見るほど端正な顔立ちだ。期待にぴかぴかと光る瞳を見つめ返して、僕は微笑んだ。
「……本当は、あんまりひとつの家庭に肩入れしちゃいけないんですけど、ここで会ったのも何かの縁ですし。他の保護者の方にはご内密にお願いしますよ?」
唇の前に人差し指を立ててみせると、長谷部さんは生真面目そうに顔を引き締め「わかりました。ありがとうございます」と重々しく頷いた。
そのまま慣れない手つきの長谷部さんとスマホの連絡先を交換して、僕達は書店の前で別れた。
僕は鼻歌を歌いながら人のまばらな帰り道を歩き始めて、ふとミスに気がついてぴたりと足を止める。
「……本、買うの忘れてた」
でも、なんだか気分がいいから、いっか。
止まった鼻歌をもう一度歌いだして、僕は今度長谷部さんと会う日に思いを馳せながら足取り軽く家路につくのだった。
日々の業務をこなしているうちに約束の週末はすぐに来た。
待ち合わせ連絡ついでに尋ねてみたら、なんと同じ町内に住んでいたので、待ち合わせ場所は近所のスーパーマーケット。保育園からは数駅離れているので、他の保護者と顔を合わせる頻度も少ないのが利点だ。
指定した時間の十五分前に着いてみると、スーパーの入り口脇のベンチに姿勢のいい私服の男性が座っていたので、慌てて駆け寄る。
「長谷部さん、ごめんなさい。待たせちゃったかな」
「光忠先生、本日はよろしくお願いします」
読んでいた本を閉じ、すっと立ち上がった長谷部さんはぴしりと型にはまったみたいな一礼をする。入り口真横で大の男二人がそんなことをしているものだから、道行く人からもちらちら注目を集めている。僕は慌てて長谷部さんの肩を掴んで起き上がらせた。
「そういう堅苦しいのはなしで! 今日も僕はオフですし、なんなら敬語や『先生』もなしでお願いします」
「では、ええと、光忠さん……?」
「もう一声」
「光忠。これでいい、だろうか」
「じゃあ僕も長谷部くんって呼ぶね」
お互いの落とし所を見つけたところで並んでスーパーに入る。
「今日は何を作るんだ?」
「うーん、長谷部くん、この間料理はあんまり得意じゃないって言ってたよね? だから、簡単かつ華やかな『おにぎらず』にしてみようかと思って」
「握らないのか」
「そう。握らないで、海苔とラップでご飯と具材を挟むんだ。断面を上にすると見た目がすごく華やかになるよ」
「そういうものなのか……」
藤色の目が丸く開かれ、感心したとばかりに長谷部くんが相槌を打つ。なんだか気恥ずかしくなってきたので、僕は誤魔化すように話題を変えた。
「そうだ。広光くん、好きな具材とかおかずとかある?」
たしかアレルギーはなかったはず、と園の資料を頭に思い浮かべながら尋ねると、すぐに答えが返ってくる。
「オムライスが好きだな。あと唐揚げ」
「じゃあオムライス風のおにぎらずにしよう。長谷部くんは揚げ物はできる?」
「……あまり自信がない」
「じゃあレンジで作るやり方があるからそれにする? いっそ冷食でもいいけど」
「手作りじゃなくても、いいのか」
隣で驚いたように目を丸くする長谷部くんに、僕は安心させるように微笑んだ。
「全部手作りじゃなくてもいいんだよ。最初から全部手作りしようだなんて肩肘張らないで、冷凍食品も賢く活用するつもりで行こう」
世の中にはお弁当のおかずはすべて手作りで、と指定のある園もあるようなのだが、うちの保育園は園長が話のわかる人なので、冷凍食品も可ということになっている。ただでさえ育児に仕事にと忙しい保護者が多いのだ。そんな保護者の事情を汲んで寄り添ってあげるのも保育士の務めだ。
「卵焼きが巻けなければシリコンカップに入れて蒸したっていいし、揚げ物が苦手なら冷食なりレンジを使ったレシピなりを利用する。そんなんでいいんだよ。大事なのは子供に美味しく食べて貰えることなんだから」
「……そうか、そうだな……」
神妙な顔で頷く長谷部くんと一緒に食材を次々と籠に入れてレジに並び、「今日は教わる身分だから」という長谷部くんがお会計を済ませた。
スーパーを出て僕の住むマンションに向かいながら、色々な話をする。
「えっ、長谷部くん同い年なの?」
「老け顔で悪かったな」
「いや、随分落ち着いてるから年上かなと。そっかあ、じゃあ中学の時とか○○のゲームとかやってた?」
「うちは親が厳しくてあまり。小さい頃は姉のお下がりの本ばかり読んでいた」
広光くんのお母さんとは小さい頃から仲がよかったこと。広光くんのことも本当の息子のように思っていること。家族のことを話す長谷部くんの横顔は穏やかで楽しげで、ああ、本当にお姉さんと甥っ子くんが大好きなんだなぁと春の日差しのようなあたたかな気持ちが胸を満たす。
「……長谷部くんは、本当にいいおじさんだね」
「そんなこと、」
「休みの日までお弁当作りに一生懸命になってくれてるじゃないか」
「それは、だって広光に喜んでほしくてだな」
「そういうところだよ、長谷部くん」
そうこうしているうちに僕のマンションについたので、僕は買ってきたものを手早くキッチンの作業スペースに広げた。長谷部くんは洗面所で手を洗ってから、用意してきたらしい紺色のエプロンを取り出してつけ出した。それを見て僕も手を洗ってからキッチンにかけてあるエプロンを服の上からつける。
「それじゃあ始めようか。まずはケチャップライス作りから」
今回はチキンライスではなく、子供の好きなウィンナーを細かく切って入れるレシピにする。彩りにはミックスベジタブルを使えばいいだろう。
「長谷部くん、お米研いでもらっていい?」
一・五合分の計量したお米とざるとボウルを渡すと、長谷部くんは心得たと頷いて腕まくりをする。蛇口から水を出し、しゃきしゃきと耳に心地よい音を立てて洗米する長谷部くんの隣で、僕は他の材料を計測していく。
ウィンナーを二分の一袋、冷凍のミックスベジタブルを二分の一カップ、玉ねぎは半分に切っておく。
「お米が研ぎ終わったらざるに上げておいて。材料の準備をしよう」
「ああ」
ここで僕は長谷部くんと場所を代わり、出しておいたまな板と包丁の前に誘導する。
「ウィンナーは一センチずつくらいに刻んで、玉ねぎはみじん切りにしてね」
「わかった」
自信がなさそうだったので実は心配していたのだけど、長谷部君は慣れた手つきで包丁を使っている。
「普段自炊とかしてる?」
「一人暮らしだからな。姉が忙しい時なんかは夕飯を作りに行ったりもしているし」
「そうなんだ」
長谷部くんが広光くんに料理を作ってあげている微笑ましい光景が思い浮かんで、僕は思わず頬を緩めた。そんな僕には気づかず、長谷部くんは真剣な顔で食材を次々に細かく刻んでいる。
「お米の水分量は目盛りより気持ち少な目にして、水を入れたら材料と固形コンソメを二つ、ケチャップを大さじ四杯入れて、軽く混ぜてね」
長谷部くんから切った材料を受け取り、僕は手早く炊飯器の釜に材料を入れた。ケチャップが全体に行きわたるように底からざっと混ぜ合わせて蓋を閉じ、炊飯器の炊飯スイッチを入れる。今回は時間短縮の為早炊きモードだ。
「ちょっと待ってくれ。メモを取る」
「レシピと注意点は後で渡すから安心して」
「そうか。ありがとう」
さっきから思っていたけれど、この生真面目そうな彼に素直にお礼を言われると、なんとなく面映ゆい。広光くんも素直にありがとうの言える子だから、きっとお母さんだけでなく長谷部くんの影響もあるのだろう。
「次はどうするんだ?」
「レンジでからあげを作ってみよう」
「スーパーでも言っていたが、レンジで作れるものなのか?」
「それが結構うまく作れるんだよ」
僕がレジ袋から取り出したのはレンジ調理専用のからあげ粉だった。僕の好みとしてはちゃんと各種調味料で漬け込んだからあげの方が好きだけれど、今回は長谷部くんが手軽に作れるようにするためにちょっと手を抜いておく。
「鶏肉を切って、粉をまぶすだけだから漬け込みの時間もいらないし、手軽にからあげを楽しみたい時には便利なんだ」
ビニール袋の中に一口大に切った鶏肉とからあげ粉を入れてしゃかしゃかと振ると、長谷部くんは面白そうに僕の手元を覗き込んだ。
「そうやってまぶすだけでいいのか。……広光が喜んでやりそうだな」
「広光くんは家でよくお手伝いしてくれるの?」
「そうだな。なんでも興味のある年頃だからか、すぐに色々やりたがる。一緒にファーストフード店に行くと、俺の分までチキンをしゃかしゃかしてくれるぞ」
「あはは。かわいいな」
「ああ。自慢の甥っ子だ」
ふっと微笑む長谷部くんの横顔は優しげで、どちらかといえばシャープな印象の彼がぐっと柔らかく親しみやすい雰囲気に変わる。
いいなあ、と僕も唇を緩めた。彼とはなんだか気が合いそうな予感がしていたが、改めてもっと仲良くなりたいなと思う。
「おい、次はどうするんだ」
手の止まった僕を見て不審げに声をかけられ、慌てて作業を再開する。
「あ、っと、ごめん。キッチンペーパーを敷いたお皿の上にお肉を等間隔に並べるんだ」
僕から袋を受け取った長谷部くんは、菜箸を突っ込んでお肉をお皿の上に並べていく。
「こんな感じか?」
「そうそう。そうしたら粉の表示時間通りにレンジにかけて、最後に軽くオーブントースターにかければ完成だよ」
「なるほど、サクッとさせるのか」
「そうそう。レンジだけだとどうしてもサクサク感が出ないからね。まあそれはそれで美味しいから、ここは好みかな」
最新式のレンジだとサクッとさせる機能もあるようだけれど、残念ながら我が家の電子レンジは僕が一人暮らしを始めてからずっと使っている年代物だ。
長谷部くんは恐る恐るといった様子でレンジにお肉の並んだお皿を入れ、からあげ粉の袋を見ながら時間を設定していく。
スタートボタンを押すと同時、ブゥンと低い音が鳴りだした。
「からあげをチンしてる間に、卵焼きを作ろうか」
「あー、俺は巻くのはちょっと……」
「大丈夫! 今日はシリコンカップに入れて蒸すタイプにするからね」
僕は戸棚から細長いシリコンカップと、ステンレス製の蒸し器を取り出した。
これ全部百均で買ったんだよ、と長谷部くんに教えると、長谷部くんは「百均ってすごいな……」としみじみと頷いた。
「今はお弁当グッズも充実してるからね。シリコンカップも色んな色があるし、おかずが茶色系オンリーになってもシリコンカップに入れるだけで結構華やかになったりするものだよ」
「なるほど」
話しながら僕は鍋に水を張り、折り畳み式の蒸し器を開いて鍋にセットして火にかける。その間に長谷部くんには卵液を作ってもらう。卵一個と牛乳を大さじ一杯、それから粉チーズと塩胡椒。長谷部くんの骨ばった手がくるくると動いてボウルの中にあっというまに黄金色の卵液が完成する。
「そうしたら卵液をシリコンカップに注いで……そう、上手上手」
鍋が沸騰してきたタイミングで蒸し器の中に卵の入ったシリコンカップをセットする。隙間が空いていたので、ついでに冷蔵庫からブロッコリーを取ってきて、小房をいくつか空いているところに放り込む。
「今はレンジが塞がってるけど、もし蒸し器を使うのが手間だったらレンジを使っても大丈夫だよ」
蒸気に気をつけながら蓋をして。そうこうしているうちに炊飯器からケチャップのいい匂いの湯気が立ち上がってくる。
「腹が減ってくるな」
「ね。いい匂いだよね」
ふふ、と笑みまじりの視線を交わしあうと、炊飯器から炊き上がりを知らせるメロディが流れ始めた。
しゃもじを用意しながら炊飯器の蓋を開くと、ぶわ、とケチャップライスの酸味のきいた香りがあたりに立ち込める。隣で長谷部くんがごくりと喉を鳴らすのを聞きながら、僕は愉快な気持ちになった。これで終わりじゃないんだよ、長谷部くん。
「これだけでも十分美味しいんだけど、仕上げにバターをひとかけ入れて、ざっくりと混ぜ合わせるんだ」
バターナイフで切ったバターを内窯にぽとりと落とし、真っ赤な米粒の中に白いしゃもじを差し込んで混ぜ合わせる。するとどうだろう、ケチャップライスがつやつやと輝き、味にも深みが加わるという寸法だ。ケチャップライスの合間に混ざるウィンナーとミックスベジタブルが、まるで宝石のようにぴかぴかと光って食欲をそそる。
「長谷部くん、そっちにラップ敷いてもらえるかい? あと海苔もお願い」
「了解」
まな板をシンクにどかし、長谷部くんがその上にラップと海苔を広げる。僕はケチャップライスをボウルに移して長谷部くんに手渡した。
「海苔の中央にご飯を薄く広げて。角を折りたためるように、量は加減してね」
「む。こうか?」
「うん、そうそう」
言いながら僕は蒸し器の蓋を開け、ぶわっと大量の蒸気が立つ中からトングでシリコンカップとブロッコリーを取り出してお皿に乗せる。
火傷しないように気をつけながらシリコンカップを持ち、底を上にしてぐにりと曲げると、にゅるんと細長い卵が飛び出してくる。おにぎらずの幅に合わせて卵を包丁でカットし、菜箸でご飯の上へ持っていく。
「そうしたら、この卵を真ん中に置くんだ。あとは、海苔の角をご飯の上で合わせるように折っていく。……うん、上手だよ」
海苔で覆われたご飯をラップで包む。
「こうして、ラップの上からちょっと形を整えてあげたらしばらくこのまま馴染ませるんだ。あ、からあげもできたみたいだね」
タイミングよく電子レンジからピーっと電子音が響き、扉を開けると、鶏肉とスパイスの香ばしい匂いがキッチン中に広がった。
ミトンを手にはめて中からからあげの乗った皿を取り出すと、長谷部くんが手元を覗き込んできた。
「見た目は完全にからあげだな」
「そりゃあね。そうだ。長谷部くん、味見してみる?」
「いや、俺は……」
その言葉と同時、長谷部くんのお腹からぐうというお腹の音が聞こえてきたので、僕はにっこりと笑って大皿を作業スペースに置き、お箸と小皿を長谷部くんへと差し出した。
「はい、どうぞ」
「うっ……いただきます」
最初は気まずげだった長谷部くんだったが食欲には勝てなかったらしく、しぶしぶとからあげを箸でつまみ、形のよい歯をがぶりと肉に突き立てた。
「あつっ」
はふ、はふ、と口の中の蒸気を逃がす長谷部くんに慌てて水を差しだそうとすると右手で制された。
「ん、大丈夫だ」
ごくり、と長谷部くんは口の中のものをどうにか飲み込み、そうしてからようやく自分で水の入ったグラスに口をつけた。ぐび、と白い喉が上下する。
「はあ、うまかった」
「本当? 味が濃すぎたりとか薄すぎたりとかしなかった?」
「ちゃんとからあげの味がしたぞ」
それは褒められているのだろうか。曖昧な笑みを浮かべる僕に長谷部くんは慌てて言い直す。
「味はちょうどよかった。これなら広光も食べられると思う」
「そっか、よかった」
「おまえも食べるか?」
長谷部くんがからあげをつまんだ箸を僕に向けてきたので、え、と思わず固まってしまう。これは、ええと、なんていうか。
男二人が「あーん」をしている状況に長谷部くんもようやく気づいたらしく、「す、すまん」と頭を下げられる。
「つい、広光に味見させる時の癖で」
「いや、大丈夫。いただくよ」
「え」
僕はなかばやけくそになって長谷部くんの手からからあげをむしゃりと奪い取った。香ばしい醤油と、鶏肉の脂の風味が口の中に広がる。
そのまま何度か咀嚼している間、僕はもちろん長谷部くんも無言だった。僕は気まずい空気を払拭するように「さて」と努めて明るい声を出した。
「おにぎらずも馴染んできたようだから切ってみようか!」
「ああ」
僕はラップの上から包丁をおにぎらずに入れていく。
「ラップの上から切るのか?」
「うん、こうすると、食べるときに手が汚れないだろう?」
「なるほど」
切ったおにぎらずの断面を上にして並べる。そうして現れた色とりどりの断面に長谷部くんは「おお」と感嘆の声を漏らした。
「こうなるのか。これはたしかに華やかだな」
「だろう? 他にも、ハムとチーズを挟んだり、焼き肉のたれで痛めたお肉とレタスを挟んだりしても美味しいよ。これはオムライス風」
僕は用意していたお弁当箱におにぎらずとからあげ、彩りにブロッコリーを入れる。マヨネーズを詰めたミニチューブも忘れずに。
「あとはこうしてお弁当箱に詰めて、粗熱を取ったら蓋を閉めて完成。熱いうちに蓋を閉じちゃうと蒸気が中に籠って傷みやすくなるか、必ず冷ましてから閉めること。時期的にまだ大丈夫だと思うけど、もし心配だったら市販のお弁当用の抗菌シートを上に被せてあげるといいよ」
「わかった」
「彩りが足りないと思ったらプチトマトや、デザート用にミニカップタイプのゼリーを入れても見栄えがするよ」
「何から何まで感謝する」
深々と礼をする長谷部くんに「気にしないで」と笑い肩を叩く。
「いい遠足になるといいね」
「……ああ」
そうして長谷部くんがふっと微笑んだので、僕の心臓はまたおかしな音を立てるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「いただきまーす!」
園児と保護者達が口々にそう言って公園のあちこちでお弁当を開いていく。僕もどこかに座ってお弁当を食べようかと思っていると、くいくいと裾を引っ張られる。視線を下にやると、少し色の濃い小さな手が僕の服を掴んでいた。
「広光くん?」
「……こっちだ」
広光くんにつれられてちょうど大きな木の陰になっているあたりに向かうと、そこには長谷部くんがベンチに座っていた。お弁当の準備をしていたらしい長谷部くんは、僕と広光くんの姿を見つけて目を丸くした。
「広光!? すみません、光忠先生。こいつが勝手に連れてきてしまったみたいで」
こら広光、と長谷部くんが叱って見せるが、広光くんはぷいとそっぽを向いたままだ。
「いいんですよ。僕も食べる場所探してたところなので。長谷部さん、良かったら隣、いいですか?」
今の僕と彼はあくまでも園児の保護者と保育士だ。口調と呼び方は堅苦しいけれど知り合う以前のものにすると、長谷部くんはちょっとだけ瞳を揺らした。
「え、えっと、はい」
広光くんの隣に空けられたスペースに腰を下ろし、膝の上にお弁当を広げ、ぱしりと手を合わせる。
「「「いただきます」」」
三人分の声が揃ってちょっと気恥ずかしい。
いそいそと広光くんがお弁当箱を開け、「おお」と感嘆の声を上げた。
「ちゃんとおべんとうだ」
「あたりまえだ。おじさんをなんだと思ってるんだ」
「はせべははせべだ」
二人の微笑ましいやりとりを眺めながら僕もお弁当箱を開く。
「あ」
広光くんが自分のお弁当箱と僕のお弁当箱を見比べて目を見開いた。
「……みつただのべんとう、おなじだ」
「え、あ!」
実は僕も今日はお弁当をなんとなくおにぎらずとからあげとブロッコリーにしてしまっていたのだった。
「えと、本当だ。一緒だね。奇遇だなぁ」
長谷部くんからは練習のことは広光くんには内緒にしてほしいと事前に頼まれていたので、僕は偶然を装ってハハ、と乾いた笑い声を立てた。
「こういうの、うんめいっていうんだろ」
「こら広光、おまえどこでそんな言葉覚えたんだ」
長谷部くんが唇をへの字に曲げる。
「光忠先生、すいません。うちの子が変なことばっかり言って」
「いや、本当に気にしないでください。この間戦隊物でそんなセリフがあったのでそれかな?」
「ああ、そういう……」
僕達のやりとりなんかどこ吹く風というように、広光くんはさっそくお弁当箱の中のからあげにかぶりついた。
「はせべ、これうまい」
「そ、そうか」
長谷部くんの口の端がひくひくと動いている。平静を装っているが嬉しいのだろう。
広光くんはからあげを飲み込んでからとうとうおにぎらずを手で持ち、不思議そうな顔で眺めてから、ぱくりと口に入れる。
瞬間、広光くんの顔がぱあと明るくなる。
「ど、どうだ?」
「オムライスのあじがする!」
広光くんはそう言うと二口三口とあっという間におにぎらずを食べていき、すぐに二切れ目に手を伸ばした。そのきらきらした瞳を見れば、味の感想なんて聞かなくてもわかるだろう。
ほっとしたように胸を撫で下ろす長谷部くんの姿を見て、僕まで嬉しくなってきた。
「よかったね、長谷部くん」
「ああ、ありがとう、光忠」
きょとんと僕達を見上げる広光くんの視線に、はっと我に返る。
「ふたりは、ともだちなのか?」
友達。僕と長谷部くんが。
でも彼は園児の保護者で、僕は保育士で。あまり私情を挟んだ付き合いは立場的によろしくないのでは、とか、ぐるぐる考えてる僕の隣の隣で、長谷部くんは「違う」と口にした。僕の胸がずきりと痛む。
「おじさんと光忠先生は、この間知り合ったばかりでな。……でも、友達に、なれたらいいなと、思っている」
長谷部くんのその言葉を聞くと、広光くんはそっと僕の手と長谷部くんの手を握って引き寄せた。
「じゃあ、あくしゅだ。こういうときはじこしょーかいして、あくしゅって、みつただがいつもいってる」
僕は長谷部くんと視線を交わし、互いに照れまじりの苦笑を浮かべた。どちらからともなく、僕らは口を開く。
「俺は長谷部国重だ。よろしく」
「僕は長船光忠だよ。こちらこそ、よろしく」
そうして二人手を握り合ってにこりと笑い合う。
「お友達から、お願いします」
顔を赤くした長谷部くんを見て僕が失言に気づくのはそれから三秒後のこと。
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