愚か者たちの挽歌

短編
     

13014文字

※刀剣破壊描写を含みます
※明るい話ではありません

◆◆◆◆

山のあなたの空遠く
さいわい」住むと人のいふ。

ああ、われひととめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。

山のあなたになほ遠く
さいわい」住むと人のいふ。

『海潮音』収録「山のあなた」
(作・カール・ブッセ 訳・上田敏)

◆◆◆◆

 その日、へし切長谷部の目の前で生み出されたのは、華やかな一本の太刀だった。豪壮華麗たる出来で、共に現れた漆塗りの黒い拵には紫の下緒が結ばれている。
 本丸での鍛刀には刀剣男士が一人、必ず立ち会わなければならない。政府から定められた鍛刀の儀式の手順に含まれているのだという。この本丸では多くの場合、近侍である長谷部がその任を負っていた。

 その太刀に対しては、見たことがある、というのが長谷部の第一印象だった。織田の家で大量に蒐集されていた、とある刀工の刀達と同じ雰囲気を纏っている。実休とは違うようだが、光忠の内の一振りには違いないだろう。
 絢爛で力強さを感じる太刀だ。不規則に乱れの入った刃文はどこか炎を思わせる。

 この本丸には太刀はまだ一振りも顕れていなかった。貴重な戦力の到来に、審神者が喜びを噛み締めながら刀に向けて顕現の祝詞を捧げるのを、長谷部もまた嬉しく思いながら眺めていた。

 置いた刀の前に正座をし、二回礼をする。柏手を打ち、低く祝詞が唱えられ始めると、ゆらりと部屋の空気が揺らぐ。さらに祝詞の文言が進むにつれ、太刀は白い光を纏ってふわりと宙に浮き上がった。刀剣に宿る付喪神が実体化する前兆である。
 刀に重なるようにしてふわりと姿を現したのは、燕尾服を来た男だった。
 烏の濡羽色の髪、陶磁器にも似た滑らかで白い肌、人形のように整った顔立ちに、引き締まってすらりと伸びた手足。右目は眼帯で覆われ、左目は軽く伏せられて長い睫毛に縁取られている。
 刀剣男士には見目の整った者が多いが、それらを見慣れた長谷部でさえ、素直に美しいと感嘆せざるを得ない容姿の男であった。
 とうとう審神者の祝詞が終わり、男の閉じられた片目がゆっくりと開いていく。
 現れた輝きは黄金の色をしていた。

 実体を伴って現れた付喪神は、まず審神者に名乗りを上げ、その名を縛られることで肉の身のままこの世に固定される。名乗りと縛り。刀剣にとっても審神者にとっても、鍛刀の儀の中で最も重要な段階である。審神者見習いの中には、ここで失敗して審神者失格と判じられる者も数多く出るほどだ。

 この本丸の審神者は実務経験こそ浅いが、代々神に仕えし家系の末裔である。審神者になるための試験も優秀な成績で通過しており、短刀や脇差なら既にいくつも顕現を果たしていた。この日の鍛刀も緊張こそあったが必ず成功させる自信があった。
 しかし、通常であれば真っ先に名乗りを上げる筈の付喪神は、不思議そうに部屋を見回している。よもや失敗したのだろうか。審神者の表情と肩がわずかに強張る。万一にも鍛刀に失敗すれば最悪の場合呼び出した付喪神が祟り神になることもありうるのである。
「……主、ゆっくりとこちらへお下がりください」
 部屋の隅で控えていた長谷部が己の柄に手をかけ、いつでも男の首を狙えるよう構えた瞬間、金色の眼差しが長谷部を捉えた。
 男は顔に驚愕の色を浮かべ、次にくしゃりと顔を歪めて笑顔になる。

「長谷部くん!!」

 そのまま駆け寄ってきた男に抱きしめられ、長谷部はよろめいて後ろの壁に頭をぶつけた。もがく長谷部を男はさらに強く抱き締めてくる。苦しさの余り長谷部の口からうめき声が漏れる。
「長谷部くん! 無事で良かった!」
 男は良かった、戻って来られた、と呟きながら長谷部を締め付ける。長谷部は苦心しながら片腕を男の拘束から抜き取り、目の前の頭を掴む。
「このっ……なんだ貴様は! 主に名乗るのが先だろう!」
 男の頭をわし掴んだまま、ぐいと審神者の方に向けてやる。常に冷静沈着な主が珍しく目を丸くしてこの状況を遠巻きに眺めていた。
「長谷部くん、あれ誰?」
「俺達の主だ。さっさと名乗れと――」
 長谷部が言いかけた言葉は、続く男の言葉を聞いて飲み込まれた。

「あの人は僕達の主じゃないだろう? それに、ここはどこだい?」

◆◆◆◆

 鍛刀システムの不具合、というのが政府の調査機関による解答だった。
 どうやら刀工の式神に捧げられた資材の中に、一部不純物が混ざり込んでいたらしい。おそらく折れた刀剣の破片か何かが混じったのだろう、という担当役人からの説明を聞いた審神者は絶句し、同席していた長谷部は眉間に皺を寄せる。
 戦場で折れる刀剣は珍しくない。その折れた刀を依代にしていた付喪神の魂が欠片を媒介として再顕現に近い形で今回鍛刀されたのではないか、ということだった。
 遠征や出陣先から持ち帰った資材は不純物が混ざっていないかを毎回確認してから使用していたのだが、今回は急ぎの鍛刀だったため見落としてしまっていたらしい。
「……すみません、主。完全に俺の失態です」
「いえ、私ももっとしっかり確認すべきでした」
 互いに謝罪をする主従を前に、役人は大きく溜め息をついた。
「そもそも、こんなことは前代未聞ですよ。政府のデータベースにだって記録がない」
 そこで一度湯呑に口をつけ、役人は喉を潤した。
「通常、たとえ折れた刀の破片が混ざっていたとしても、今回のようなことは起こらないんですがね。……まあ、これは稀に見る貴重な症例なので、こちらとしては研究対象としてしばらく経過観察をしたいところですが」

 役人が一度政府へと帰還した後、審神者と長谷部は件の太刀を控えさせていた部屋へと向かった。先程顕現したばかりの黒ずくめの男は、本丸の初期刀たる歌仙に見張られながら緊張の面持ちで沙汰を待っていた。
 あの後すぐに男は一応の名乗りを済ませ、今は長谷部の主の管理下にあるものの、そもそもが例外だらけの顕現である。いつ存在が揺らぎ、祟り神に落ちないとも限らない。部屋の中の空気は弓の弦のようにぴんと張り詰めていた。
「燭台切光忠様」
 審神者が名乗られたばかりの名を口にする。
「もう一度、貴方の境遇をお聞かせ願えますか? 今一度事実の確認がしたいのです」
 ああ、と燭台切が頷く。長谷部を前にした時の笑みは、今はもうすっかり消え去っていた。

「僕はここで目覚める前、とある審神者の元にいた。練度は六十。ここで目覚める前は、本丸の――もちろんここではない本丸だけど、第一部隊として墨俣で戦っていた」

 長谷部は先程取った調書と、燭台切の発言とを照らし合わせ始める。前の発言と食い違っている内容があるならば――それはそれで困ったことにはなるが――単純にこの刀が狂っていて妄言を吐いているという可能性も強まってくる。
 役人が来る前に既にいくつかの質問を済ませていたが、燭台切の記憶には所々穴があるということがわかっている。肝心の本丸や、ほとんどの仲間の名前が思い出せないということだった。
 
「あの日も戦いを終えて帰ろうとしたところで、運悪く検非違使と遭遇してしまってね。重傷ニ名、中傷一名、軽傷三名を出した。僕は部隊の中でも練度が高く、比較的軽傷だったから、殿で囮になって部隊を逃がすことにしたんだ。なるべく多くの敵を引きつけて戦ったところで記憶が途切れていて――それで、目が覚めたらここにいた」

 特に調書との差異はありません、と長谷部が告げると、頷いた審神者が再び燭台切へと向き直る。
「燭台切様はこれからどうなさりたいのでしょうか?」
 燭台切の返答は明確だった。
「僕は元いた主の所へ戻りたいよ」
 長谷部と歌仙が反射的に鯉口を切りかけたのを審神者が手で制する。
「歌仙、長谷部、やめなさい」
「主、せっかくの太刀ですが、こいつはすぐに刀解致しましょう。主に忠誠を誓えぬ輩など置いておく訳にはいきません」
「長谷部に同意だ。不穏分子を飼うだなんて賛同しかねるよ。獅子身中の虫だなんて雅じゃない」
「いいえ、刀解などとんでもないことです」
 審神者は先程より強い調子で咎め、二人の打刀が渋々と下がるのを確認してから、ほっと息を吐く。そうして今度は畳に両手をつき燭台切へ向けて深く頭を下げた。

「申し訳ありませんが、此度のことは前例がない故、貴方様のことは時の政府からしばらくこの本丸で様子を見るよう仰せつかっております。記憶に穴もあるとのこと、貴方様のかつて居た本丸を突き止めるにしても時間がかかるでしょう。どうかしばらく、この本丸の戦力として私達にお力添え頂けないでしょうか」

 これには一度引き下がった長谷部も眉をひそめた。
「主、お気は確かですか?」
「私は正気です」
「危険です。主に仇なす可能性のある者など置いてはおけません」
「主命ですよ、長谷部」
 そう言われてしまえば、長谷場は従う他なかった。
「……主命とあらば」

 くすり、と目の前の男から笑い声が漏れたので、長谷部は声の方向をきっと睨みつける。
「なんだ?」
「いや、ここの長谷部くんも主命には弱いのかと思って」
 抗議をしようと口を開いた所を審神者に三度止められる。
 その様子を眺めていた燭台切はさらに笑みを滲ませ、審神者へ声をかけた。
「ねえ、」
「なんでしょうか」
「僕の元いた本丸が見つかるまででもいいかい?」
「ええ」
 オーケー、と言って燭台切は畳に拳をつき深く礼をする。洋装に似合わず武士のような所作だった。
「長船派の祖、光忠が一振り。暫しの間貴殿の為に尽力致すことをお約束申し上げる」

 今回のことは特例であるため、政府から審神者へいくつかの注意事項が伝えられ、箝口令が敷かれた。燭台切の記憶のことを知っているのは、審神者と近侍の長谷部、初期刀の歌仙だけで、本丸の皆にはこの本丸初の太刀が顕現されたとだけ伝えられた。
 新たな仲間の顕現で沸き立つ中、長谷部と歌仙だけが静かに目配せをしあう。本丸での主なお目付け役は鍛刀に立ち会った長谷部が務めることとなっていた。怪しい動きがあれば報告と然るべき対処をするのが長谷部の任務である。
 しかし長谷部達の懸念をよそに、燭台切はすぐに本丸に馴染んでいった。元の本丸での経験があるため、本丸内での振る舞いも心得ているのだろう。事情を知らない短刀や脇差、打刀たちは、燭台切によく懐いた。
「燭台切さん、またあのほっとけーきというおやつを作ってください!」
「ボクはこのちょこふぁうんてんっていうのをやってみたい!」
「はいはい、順番だよ」
 長谷部はそんな光景を眉間に皺を寄せて、少し離れた所から眺めるのが常であった。

 戦闘でも燭台切の働きは目覚ましかった。現在の練度こそ低いものの、元の本丸では墨俣攻略の部隊にいたという。実際の練度では足りない筋力や足さばきを、経験から来る機転でもって補うことでめきめきと実力をつけ、すぐに長谷部と同じ第一部隊へと配属されることになった。
 人品骨柄卑しからぬ好漢として本丸の輪へ迎え入れられる燭台切を、警戒と敵意の眼差しで見つめ続ける長谷部のほうが仲間たちから奇異の目で見られ始めてきた頃、燭台切の方から長谷部へ気さくに話しかけてくるようになった。
「長谷部くんはいつも仏頂面だね。たまには笑ったら?」
「面白くもないのに笑えるか」
「僕の元いた本丸の長谷部くんは、時々笑っていたよ。固い花の蕾が綻ぶようで、すごく綺麗なんだ」
 無意識の癖なのか、左手の薬指を撫でながらはにかむように笑う燭台切のその様子を見て、さすがの長谷部にも思い当たるものがあった。
「……元いた本丸のへし切長谷部とは、親しかったのか」
 その言葉に「うん」と首肯され、続く言葉を聞いて長谷部は盛大に顔をしかめてみせた。
「……恋仲、だったんだ。僕が最後に庇ったのも長谷部くんだった」
 思わず柄頭に手をかけた長谷部へ、燭台切は顔の前で手を振り慌てて訂正する。
「勿論、僕の長谷部くんと、今ここにいる君は別の個体だってわかってるよ。でも、へし切長谷部としての笑顔を知っているから、無愛想な君を見て勿体無いなって思うんだ」
 長谷部は「馬鹿か」と返す。
「貴様がここにいる限り無理だな。自分の立場をわかっているのか?」
「それとこれとは話が別だろう」
「別じゃない」
「そういう頑固なところも、へし切長谷部って感じがするね」
 おかしそうに肩を揺すった燭台切の背中を、長谷部は苛立ち紛れに拵でごつりと小突いた。
「痛い!」
「切られなかっただけ感謝しろ」
「その場合君は燭台切切になるのかな」
 煽りにも似た冗談を受け、何故か唐突に馬鹿らしくなった。長谷部は眉間の皺を深くしつつもようやく本体を下ろす。
「これ以上珍妙な名前は勘弁だ」
「お互いにね」
 じっとりと睨みつけると、燭台切はまたからからと快活に笑い声を上げた。
「せっかくなんだから僕がここにいる間くらい仲良くしようよ。それに僕、君とは気が合うと思うんだよね」

 その日以来、前にも増して燭台切から長谷部に対するちょっかいが増えた。菓子の差し入れに始まり、食事では隣の席に座り、出陣先で休んでいる時も近くに寄ってこようとする。
 強引だが絶妙な距離感でもって仕掛けられる交流を、一月も経つ頃には長谷部も半ば諦めの境地で受け入れざるを得なかった。長谷部の態度を見かねた審神者から「せめて表面上だけでも仲間として振る舞ってほしい」と頼まれたことも大きい。主命だから、と渋々と態度を軟化させた長谷部へ、燭台切はさらに話しかけるようになっていった。

 ある日のことだ。
 誉を取ったので祝って欲しい、という燭台切の誘いを断りきれず、長谷部は仕方なしに燭台切の部屋で酒を飲んでいた。
「多分、君も好きだと思うんだ」
 そんな言葉とともに注がれた酒は、悔しいが美味だった。
 燭台切の活躍のおかげで部隊の進行も進み、あれから太刀や槍、大太刀も増えた。その功績は認めざるを得ない。
 酒に唇をつけた瞬間眉間の皺が薄くなった長谷部を見て、燭台切は満足げに微笑んだ。悔し紛れにぐい呑みを空にすると、心得たとばかりに新しい酒がなみなみと注がれる。
「おいしいだろう?」
 問いには応えず、長谷部は手の中の小さな水面に視線を落として尋ねた。静かな声だった。
「まだ、元の本丸に戻りたいのか」
「そりゃあね」
「審神者の通り名も覚えていないのに?」
「ひどいなぁ。たしかに、しっかり覚えていることと言えば長谷部くんのことぐらいだけど、やっぱり僕の居場所はあそこだから」
「……悔しいが、他の連中は貴様を慕っている。いなくなれば士気にも関わるだろう」
 わかりにくいもののたしかな賞賛の言葉に、金の隻眼がきょとりと見開かれた。
「君、そんな風に思ってくれてたの?」
「茶化すな。……主も、貴様がここに刃を埋める覚悟があるなら、受け入れる準備があると仰っていた」
「本当かい? それは光栄だな」
 にこにこと、それでもやんわりと拒絶の意思を示す燭台切に、長谷部は溜め息をついた。
「頑固者め」
「君がそれを言う?」
「俺はこれでも結構柔軟な方だ」
「君の部屋の鏡、きちんと磨いたほうがいいと思うよ」
 酒精の香る溜め息が深々と吐かれる。
「……元いた本丸のへし切長谷部も頑固者だったか?」
「うん。一度決めたことは絶対に貫き通す、まっすぐな刀だよ」
 ふふ、と懐かしそうに目を細め、燭台切もぐいと酒を呷った。
「真面目で頑固で主命に一途で、そして優しい。へし切長谷部という刀剣男士共通の特徴なんだろうね。僕はそういうところ、すごくいいなって思う」
「返答に困る解答だな」
 ふんと鼻を鳴らし、すこしだけ迷ってから、長谷部も燭台切の酒器に酒を注ぎ返した。
「それにしても不思議だよね。僕は自分のいた本丸の名前もろくに思い出せないのに、長谷部くんとの思い出だけははっきりと覚えているんだ」
 愛の力かな。燭台切はそう言って照れくさそうに笑い、ぐい飲みをひょいと持ち上げて唇をつけた。
「……本丸、早く見つからないかなぁ」
 初めて耳にする燭台切の弱音に聞こえないふりをする。燭台切も長谷部からの返答を期待しての発言ではなかったらしく、ふうと息を吐いてぐい呑みを手の中でくるりくるりと揺らした。凪いでいた水面がぐるぐると渦を巻いていく。
「きっと長谷部くん、僕が折れたと思って悲しんでると思う。だから、早く帰って安心させてあげたいんだ」
 常より燭台切がこころなし饒舌な気がするのは、きっと酒のせいなのだろう。長谷部は徳利の残りをそっと自分の杯に注ぎ尽くしてから、ぐい呑みの縁のぎりぎりまで盛り上がってふるふると揺れる酒をじゅっと一気に啜った。辛口の酒精が喉を滑り落ち、胸の奥でぼうと鈍く燃え上がるような心地だった。
「…………会いたいよ、長谷部くん」
 雫のようにぽつりと零れ落ちた言葉。燭台切がゆるゆると撫でている左薬指、手袋の下には指輪があることを長谷部はもう知っていた。顕現した時から燭台切の指に嵌まっていたものだ。
 酔いを逃がすように深く長い息を吐く。
「馬鹿め」
 窓から差し込む月光が、部屋の中を冴え冴えと照らしている。しんと冷えた光の中、郷愁の憂いを含んだ燭台切の横顔はどこか西洋の彫刻めいて美しかった。
 そう、美しい刀だと思う。強い刀だとも。それでもやはり長谷部は思う。馬鹿な刀だと、心底呆れてしまう。
 そう思う自らこそが一番の馬鹿なのだということもわかっている。
 ぐい飲みの底にわずかに残った酒を舐めるように飲む。きりりと澄んだ淡麗な味わいの酒が、そのまま胸の内の熾火を切るように消し去ってくれればいいと、そう思った。
 
◆◆◆◆

 燭台切が顕現してから半年も経ったある日のことだ。
「君に尋ねたいことがある」
 真剣な面持ちの燭台切がそんなことを言って長谷部の部屋を訪れた。ただならぬ気配を纏った燭台切を、長谷部は拒まずに室内へと招き入れる。
 勧められた座布団には見向きもせず、燭台切はつかつかと長谷部に詰め寄り、一呼吸してから問いかける。
「……ここの審神者は、いや、君達は僕を騙しているんじゃないのか」
「何の話だ」
「とぼけないでくれ。近侍の君が知らないはずがない」
 今にも鯉口を切りかねない剣幕である。
 普段浮かべている笑みが完全に消えたことで、燭台切の作り物のような造形が際立っている。皮肉だな、と長谷部は思った。激情に駆られれば駆られるほど、燭台切は無機物に近づいて見える。
 
「いくら僕の記憶が虫食いだらけとはいえ、刀剣の構成や最後の出陣記録は覚えているんだ。半年にも渡って僕がいた本丸を特定できないのはおかしいんじゃないか」
「……本丸の数は膨大だ。類似の条件を持つ本丸も多数あり、そのひとつひとつを政府が調査して――」
「じゃあこれはなんなんだい」
 ばさりと机に叩きつけるように置かれたのは、書類の束だった。
「昼間、審神者の留守中に執務室で見つけたものだ。持ち出せたのは一部だったけど、ここには僕の本丸の調査結果が載っていた。報告日は数ヶ月前のものだよ。とっくにわかっていたんだろう」
 温度を感じさせない藤色の瞳がちらりと書類を一瞥し、再びその焦点を燭台切へと戻す。
「一体何が言いたい?」
「君達は貴重な戦力である僕を元の本丸へ返すことを惜しんだ。だからこの調査結果を僕から隠し、今もここへ留め置いている。君達は僕との約定を破ったんだ。違うかい」
「違うといっても耳を貸すつもりはないんだろう。その問いかけに意味はあるのか?」
 長谷部の喉元に燭台切の刃がつきつけられる。紙一枚隔てた距離に切っ先を置かれていても、長谷部は眉一つ動かさなかった。
「……僕を元の本丸へ帰してもらう。君にはその交渉のための人質になってほしい」
 くっと長谷部の唇が歪められる。
「随分強引な策に出るじゃないか。伊達男が聞いて呆れる」
「本来の主と愛する刀のためだ。僕だって本意じゃない。できれば抵抗しないでくれ」
 それを聞いて長谷部はじりっと燭台切へにじり寄った。鋭い鋒がいともたやすく長谷部の薄皮を切り裂き、ぷつりと赤い粒が浮いた。
「っ……長谷部くん、」
 わかりやすく動揺を顔に浮かべた燭台切へ、長谷部はふんと鼻を鳴らしてみせる。
「人質を手にかける覚悟もない腑抜けが、威勢だけはいいようだ」
 白い手袋を纏った指先が、突きつけられた刀の峰をすっとなぞり、人差し指と親指でついと摘まんで横にどかす。
「……いいだろう。俺からの温情だ。今から転送ゲートで貴様を元の本丸へ帰してやる」
 予想外の返答だったのだろう。その言葉を聞いて燭台切は目を丸くした。
「え、っと……いいの? 本当に?」
「くどい」
 そう吐き捨てると、長谷部は喉から流れた血をぐいと手の甲で拭う。白の手袋に鮮やかな朱色の染みが広がった。
「そもそも、俺程度人質に取ったところで、主への交渉材料になどならん。側役の歌仙に手討ちにされるだけだ。俺達に代わりなどいくらでもいるんだからな」

 転送ゲートを抜けた先、懐かしい本丸の空気に燭台切はほうと息を吐いた。半年ぶりに踏む本丸の土は、記憶の中よりもしっかりと固かった。
「このことが発覚する前に、まずはここの審神者へ会いに行け。後のことは俺から主にうまく取りなしてやる」
 そう長谷部から言われるが早いが、燭台切は駆け出した。愛する長谷部はよく審神者の部屋へ出入りして事務仕事をしていた。そのわずかな記憶を頼りに進んで行く。
 廊下の奥から人の気配がした。咄嗟に物陰に身を隠すと、やって来たのは眉間に皺のない長谷部だった。ひと目で燭台切にはわかる。長い間再会を待ち望んでいた、恋仲の長谷部だ。
  長谷部くん、と声をあげかけた燭台切は、しかしその向こうからやって来た人影を見てひゅっと息を呑んだ。

「長谷部くん」

 そう言って長谷部に親しげに声をかけたのは、紛れも無い燭台切光忠であった。

「光忠、どうした」
「リハビリに付き合ってほしくて」
「またか? 一時は破壊寸前まで行ったんだぞ。もっと養生したらどうだ」
「そういう訳にもいかないよ。また給金を貯めて指輪を買わないといけないしね」
「……戦場で失ったこと、まだ気にしているのか」
「当たり前だろう。僕らの愛の証なんだから」
「俺はおまえが無事だったならそれでいいんだがな」

 そう微笑みあいながら二人が元来た道を戻っていくのを、燭台切は呆然と見送った。
 どういうことだ、とずきずきと痛む頭を押さえる。どうして自分がもう一振り存在しているのだろうか。一度心を落ち着けるために左手の薬指、顕現した時から着けていた指輪に触れようとして、恐ろしい可能性に思い当たってしまう。
 虫食いだらけの記憶の中、恋仲の長谷部のことはしっかりと覚えていたこと。戦場で失われたはずの指輪と、今自分がつけている指輪。そして、審神者の持つ、審神者が審神者たるための能力。

 審神者には、物の心を励起する力がある、、、、、、、、、、、、

 つまり、今ここに立っている自分は、あの燭台切の指輪に込められた想いが励起された存在なのではないだろうか?

 そう考えれば辻褄が合うことが多すぎた。嘘だ、と小さく呟く。たった今まで持っていた目的も想いの正体も何もかもわからなくなってしまう。足下がさらさらと崩れ去り、深い穴底に落ちていくような心地が恐ろしくて、その場から走り去ることしかできなかった。
 燭台切が今まで支えにしてきた郷愁や思い出の何もかもが偽物だった。記憶が虫食いだらけなのも当然だ。だって、自分には最初から指輪に込められた分の想いしか存在しなかったのだから。
 わけもわからずがむしゃらに走り回って辿り着いたのは、本丸の裏にある小高い丘の上だった。遠くに見える本丸の姿を見て、とうとう張り詰めていた糸が切れたように、その場にどさりと膝をつく。
 ぼたぼたと涙がこぼれる。内側から張り裂けそうなほど胸が苦しいのに、この想いだって本物の絞りかすのようなものだと思うと笑いさえこみ上げてくる。
 本物の燭台切光忠が存在している以上、もう元の本丸に自分の居場所などない。かといって、仮にも今の主たる審神者の部屋を荒らしておいて、今更この半年を過ごしたあの本丸におめおめと戻れるはずもなかった。

 ざり、と背後で足音が聞こえた。ゆるゆると緩慢に振り返ると、そこに立っていたのはいつにも増して仏頂面の長谷部であった。ついに自分の前で一度も笑わなかった彼に、燭台切は震える声で尋ねた。
「……君は、最初から全部知っていたのか」
「ああ」
 短く返された答えに、燭台切は、はは、と力なく笑う。力の抜けた右手から、黒鞘の太刀がするりと抜け落ちた。がちゃん、と金属質の乾いた音が鳴る。

「君から見た僕はさぞかし無様で滑稽だったろうね。本体の搾りかす風情が、馬鹿みたいだ」

 くつくつと狂ったように笑い声をあげる燭台切の左目から、絶え間なく涙が流れるのを、長谷部はじっと眺めていた。ひとしきり嗤ったあと、燭台切は涙の跡も拭わずに長谷部へと告げる。
「……主の部屋を荒らして重要書類を盗み、逃亡まで企てたんだ。罰を受けさせてくれ。僕を刀解してほしい」

「それはできないことになっている」
 そう言って、長谷部は燭台切と初めて出会った日のことを思い出す。「刀解などとんでもない」と言った主の言葉の真意を。政府から通達された注意事項のいくつかを。
 長谷部が目付け役に選ばれたのも、すべてこの日のためであった。

「貴様はあらゆる本丸の中でも例外中の例外だ。刀解の術を使い輪廻の輪に戻すことで、燭台切光忠の本霊に対し悪影響を与える可能性も否定出来ない。だから、今ここで俺が貴様を折る」

◆◆◆◆

 本丸に燭台切以外の太刀が増え、戦力も充実して来た頃、審神者が長谷部を呼び出したことがあった。
 曰く、太刀が一振り消えてもそれほど大きな損害にはならなくなってきた。もし燭台切が真実を知れば祟り神となり、最悪の場合遡行軍側に与する可能性もあるかもしれない。データも規定量を収集できたし、そろそろ出陣中の事故に見せかけてあの燭台切を『処理』してもいいのではないか、と。

「……お言葉ですが、主」
 長谷部が主に異を唱えるのは、その時が初めてだった。審神者も歌仙もわずかに瞠目した。
「燭台切光忠は、他の刀剣たちからの人望を集めています。突然いなくなれば、短刀や伊達の連中を始め、本丸全体の士気も下がるかと」
「……それでは、もし燭台切がここに残ることを決めたなら、折るのはやめにしましょう」
 万が一の可能性も信じていない口調で審神者が言ったのを、長谷部は深い礼をして承った。
 脳裏に浮かんだのは、こちらに真っ直ぐ向けられる、けして自分の物にはならない笑みだった。

 顕現から半年も経つと、燭台切が審神者へ疑いの目を向け始めるようになった。当然だ。いくら何でも結果が出るのが遅すぎる。誤魔化し続けるのにも限度があった。それでも、真実を知らせれば、きっと燭台切は壊れてしまうだろう。
 葛藤し続ける長谷部がとうとう審神者に呼び出されたのは、ほんの三日前のことだった。
 主の隣には、全ての事情を知る歌仙も座っていた。
「燭台切光忠を処分しようと思います」
 声をあげようとした長谷部に、歌仙がピシャリと言い放った。
「これは既に決定事項だ、長谷部。わかるだろう」

 燭台切の主への疑念は周囲にも伝わり、本丸に不穏な空気を振りまいていた。折ったとしても放置したとしても、どちらにしろ影響が出るなら前者を取ろうというのが審神者の結論だった。
「君にできないのなら僕がやる。僕の名の由来を知っているだろう。こういうことには慣れている」
 そう告げたのは歌仙だった。
 半年間、この本丸で燭台切の一番近くにいたのは長谷部だった。歌仙なりに気遣ったのであろう申し出を、しかし長谷部はきっぱりと断った。
「いや、俺がやる」
 やらせてくれ、と絞りだすようにして発した声は、畳の目に吸い込まれて消える。

◆◆◆◆

 夕陽の差す丘の上で、長谷部は鞘から本体を抜き放った。紅の光を弾いてぎらりと光る刀身を見て、燭台切が「ああ、」とどこか安心したような声をあげる。
「君が折ってくれるのかい」
 それには答えず、長谷部は己の拵の先で燭台切の顎をぐいと上向けた。金の隻眼が力なく長谷部の姿を正面に捉える。今この瞬間、燭台切の瞳に映っているのが自分のみであることに、長谷部は仄暗い喜びを覚える。覚えてしまう。
「……ようやく、俺を見たな」
 薄い唇の端を歪めただけのそれは笑顔にはほど遠かったが、それでも何かと聞かれれば、笑顔と呼ぶ他はない表情だった。

 審神者が留守中の執務室の中、書類を比較的わかりやすい場所に置いたのは、長谷部の計略だった。これを見つけた燭台切がおそらく長谷部を問い詰めに来るだろうことも、元の本丸へ帰してほしいと訴えるだろうことも予測していた。元の本丸で運良く本来の燭台切とへし切長谷部の二振りと鉢合わせたことは予想外の僥倖だった。事の全ては想定以上にうまく進み、長谷部はとうとう燭台切からの視線を手に入れた。
 どうせ折らなければならないのだ。それなら最期くらい、自分だけの燭台切にしたってバチは当たらないだろう。
 全ての真実を突きつけられ、どこにも居場所をなくした燭台切光忠は、今この瞬間、正しく長谷部だけのものであった。
 狂っているというのなら、きっと燭台切ではなく自分の方だ。日頃向けられる、けして自分のものにはならない優しさに焦がれていたのは、一体いつからだったのか。
 燭台切が本物のコピーだろうが搾りかすだろうが構わなかった。目の前の男が絶望する程ちっぽけな正体が、こんなにも自分を惹きつけてやまないのだ。

 ――それでも、主の命であれば斬るしかない。

 燭台切ははらはらと涙を流しながら、断罪の刃を待っている。それが他ならぬ自分のものであることがこんな状況にも関わらず、たまらなく嬉しかった。
 構えた本体を頭上に振り上げる。炎の揺らめきにも似た皆焼の刃が夕暮れの中で鈍く光る。燭台切は穏やかに微笑み、そっとこちらへ首を差し出してきた。祈るような仕草だった。

「恨みは無いが、主命だ。死ね」

 今まで共に過ごした時間ごと断ち切るように、長谷部は一息に刃を振り下ろした。


 真っ二つにぱきりと折れた刃と、残された指輪の残骸を丁寧に布で包み、長谷部は静かに丘を降りていく。
 今回の件は遠征先の不幸な事故ということで処理される手筈になっていた。この破片たちは政府に提出した後、貴重な検体として保管されることが決まっている。
 本丸には既に二振りめの燭台切光忠の刀が用意されている。先日、第二部隊が出陣先で拾ってきたものだ。事故としての処理が終わり、騒動が収束すれば、早晩あの燕尾服を着た眼帯の男が新たに本丸へ現れるのだろう。今度こそまっさらな状態の、正しくこの本丸の『燭台切光忠』として。
 しばらくは周囲も折れた燭台切を悼むのだろうが、すぐに新しい燭台切光忠を受け入れていくはずだ。
 人の身を得ても、所詮自分達は刀である。人に使われることに意義があり、折れたり欠けたりした所で、いくらでも替えがきく存在。そんな事は鋼の髄まで染みついている。
 けれど、この半年を共に過ごした燭台切光忠の付喪神はもういない。
 さく、さく、と地面を踏みしめていく。足元で潰れた草花が青臭い香りを立てる。
 長谷部は手の中の欠片を握りしめながら呟いた。ごろりと歪な形をした指輪と、布越しにもわかる刃の鋭さがいとおしい。このまま指輪を飲み込んで、この刃で喉を掻き切ってしまえたら。
 頬を伝い顎から滴り落ちる雫の色は、きっと血の色をしているのだろうと長谷部は思う。

「俺も貴様も、愚か者だ」

 

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