犬も喰わない三日間

短編
     

2日目

 土曜日の庫裏の使用許可は昨日の時点で簡単に降りていた。昼休み中に寺を継いでいる兄に電話で聞いてみた所、「宗三が友人を連れてくるなんて珍しいですからね」と笑いながら快諾されたのだった。家に檀家や僧侶以外の人間が来るのが珍しいらしく、弟まで今朝からそわそわしている始末だ。
 待ち合わせの10時10分前に寺の門の前まで出て待っていると、そう待たないうちに買い物袋を持った長谷部と薬研が歩いてきた。
「よう。食材は買ってきたぜ。今日は場所の提供ありがとうな」
「おはよう。今日はよろしく頼む」
「おはようございます。庫裏はこちらです」
 なるべく長谷部を直視しないようにしながら、宗三は寺の裏手にある庫裏の方に案内する。長谷部の衝撃的事実(未確認)が発覚した昨日の今日だ。挨拶ができただけでも褒めて欲しい。
 庫裏の玄関まで案内すると、薬研が感心したように言った。
「意外と普通の民家なんだな」
「寺にもよりますけど、うちはこんな感じですね」
 ただし、寺で炊き出しをやることもあるので、調理場は一般家庭のそれよりもかなり広めに作ってある。廊下を抜けて調理場の扉を開けると、背後で2人がおお、と声をあげた。
「荷物は椅子の上に置いてしまってください。食材は肉だけ先に冷蔵庫に入れましょうか。野菜はそこの台の上で結構です」
 宗三の指示に従って、2人がてきぱきと食材の仕分けをしていく。
「お前が料理ができるとは意外だった」
 肉のパックを冷蔵庫にしまいながら長谷部が感心したように言った。
「……家業が家業なので。炊き出しや寺での集まりの時に料理を出したりもしていましたから、ひと通りは作れますよ」
 動揺を悟られないよう、なるべく平静を装って返すと、薬研が「おーい、これはどこに置けばいいんだ」と尋ねてきた。近寄ると、長谷部から見えない位置で、口の動きだけで「落ち着け」と言われて笑われる。見抜かれていた。
 わかってます、と小さく返して、壁にかけてあったエプロンを手に取った。
 薬研も長谷部も持ってきたエプロンを着けたのを確認して、包丁とまな板を出す。今更ながらなんで自分がこんなことしているんだろう、という考えがちらりとよぎったが、深く考えないことにした。フレンチだ。これが終わったらフレンチが待っている。深く考えたら色々と負けだ。不毛なことを考えるのはやめよう。
 こほん、と宗三はひとつ咳払いをした。
「とりあえず、長谷部が初心者ということなので、今日はカレーライスを作ってみましょう。カレーさえできればルーを変えてシチューにもできますし、具材の切り方も肉じゃがなんかと一緒ですから、今後他の料理への応用も効きます」
「なるほど」
 長谷部が頷きながら包丁を持つ。長谷部の、言っては悪いが日曜日の父兄のような私服に比べて、ほぼ新品でセンスのいいシンプルなエプロンはやけに浮いている。恋人の選んだものなのだろうか。
 連鎖的に同期の男の顔を思い出してしまい、宗三はぶるぶると首を振ってよからぬ想像を振りきった。
「大丈夫か、左文字」
「ええ、大丈夫です。いけます……!」

 こうして、秘書課3人衆による土曜の料理教室が開催された。

 そして1時間後。宗三は目の前の惨状に頭を抱え込んでいた。
「いい加減にしてください!こんな物犬でも食べませんよ!」
 長谷部の料理の腕は想像以上にひどかった。
 まず、包丁が使えない。
 次に、火加減の調節が壊滅的にできない。
 さらに、勝手にレシピからかけ離れた調味料を入れようとする。
 結果、試作品第一弾としてできたものは、切れずに繋がった黒焦げの野菜たちが浮かぶ粘土色の液体だった。所々に浮いている黒とピンク色のまだらの物体は、ぶつぎりの焦げた生肉だ。
 最初は料理の腕を見る為に、できるだけ長谷部の自由にさせようと思っていたのだが、長谷部がカレーと思しき物体の中に苺ジャムとコーヒー豆を入れようとした辺りで、薬研と2人でとうとうストップをかけた。よく我慢したものだと自分でも思う。
「貴方、学生の頃家庭科で一体何をしてたんです?」
「一度家庭科室で小火を起こして以来、俺は何もするなと周りから言われていた」
「……旦那、料理のさしすせそって言えるか?」
 長谷部が首をひねった。
「……………………さっぱり、しっかり、すっきり、」
「粟田口!もうこの人手遅れですよ!僕達の手には負えません!」
「俺も今少しばかり危機感を覚えてる……」
 宗三と薬研は揃って顔を青くして、目の前の物体Xとその生みの親を眺めた。およそ人の食べ物ではない。全て食べられる筈の食材からこんな物を生み出すのは、もはや才能なのではないだろうか。
「…………料理って難しいんだな」
 難しくしているのは貴方です、と言いかけて、長谷部の真剣な顔を見て思いとどまった。
 長谷部は俯いてじっと散らかった調理器具を見つめている。
「……あいつはいつもこんなに大変なことをしてくれてたのか」
 ぽつりとここにはいない相手への愛情を噛み締めながら長谷部が言う。あの仕事の鬼、長谷部国重の初めて見る一面に、宗三は言葉を失った。
 長谷部が深く頭を下げる。あのプライドの高い男が、腰を曲げて、低く低く頭を下げている。

「頼む。もう一回教えてくれ」

 宗三はさっきまでの自分を引っ叩きたい気分に駆られる。些事に囚われていた自分が馬鹿みたいだった。
 何か言わなくては、と思い口を開く。
「……長谷部、」
「宗兄上」
 調理場の入り口の扉がカラカラと開いた。全員でそちらに視線をやると、入り口に見慣れた弟の姿が立っていた。
「小夜、どうしたんです?」
「江兄上が、これ、皆さんでって」
 小夜が大福の入った箱を差し出してくる。客が来て嬉しいのだろう、いつもより頬が紅潮している。
「ありがとうございます、小夜。兄上にも礼を言っておいてください」
 大福を受け取って頭を撫でると、歳の離れた弟は小さく頷いて、はにかんだようにきゅっと唇を結んだ。愛らしい様子に思わず顔が綻ぶ。自分も兄もこの弟には甘いが、思わず人目をはばからず抱きしめたくなった。
「なあ、左文字、」
「「はい」」
 宗三と小夜が同時に返事をしたので、薬研がああ、と頭をかいた。
「悪い、兄貴の方だ。茶菓子ももらったことだし、一回茶でも飲もうぜ。仕切りなおしだ」
「ええ、そうしましょう」
「小夜って言ったか。大福ありがとうな」
 薬研の礼に、小夜がぺこりと頭を下げて部屋を出て行く。気兼ねなく調理場を使ってくださいと、兄が今日の家族の昼食には出前を手配してくれているらしい。これから皆で蕎麦でも手繰るのだろう。後で2人に改めてお礼をしなくては。
 大福の箱をテーブルに置く。お茶用に茶筒と急須と湯のみを出していると、長谷部が神妙な顔で話しかけてきた。
「…………左文字、世話になってる礼に茶くらいは俺が淹れる。茶道具を借りてもいいか」
 秘書課ではいつも交代で淹れているので、長谷部のお茶の腕は知っていたが、宗三は首を横に振った。
「仮にも客人にそんなことさせられませんよ。……あと、僕のことは宗三で結構です」
 うちは全員左文字なので、と付け足すと、薬研がにやりと笑った。
「じゃあ俺も薬研でいいぜ。明日の会場は粟田口が大勢いるからな」
 2人して長谷部を見やると、長谷部はいつもの顰め面で言い放った。
「俺は長谷部で構わん。身の回りで長谷部は一人だけだからな」
「……貴方って、本っ当にどうしようもない人ですねぇ」
 呆れたような、それでいて何もかも笑い飛ばしたいような気持ちで、宗三は薬缶を手に取ってお茶の準備を始める。
 長谷部の作った謎の料理は見なかったことにして生ゴミ入れに放り込んだ。

「どうしてそこでアレンジを加えようとするんですか!レシピ通りにやって下さい!」
「手を加えた方が気持ちが伝わるかと……」
「そういう事は一品でもまともに作れるようになってから言って下さい。PCに初めて触れた幼児がExcelでマクロを組もうとするようなもので、つまり無謀です」
「長谷部、宗三の言う通りまずは何事も基礎からだ。焦りは禁物だぜ?」
「薬研!この馬鹿にもっと言ってやってください!」

 そんなこんなで、ようやく食べられるものができたのは、14時を回ってからだった。実に4時間をかけた大作は、空腹という最高のスパイスと共に3人の胃袋へとあっという間に吸い込まれていった。
 空になった皿と鍋を見ながら、長谷部がぼそりと呟く。
「……なんというか、腹が減ってると何でも旨く感じるな」
「……身も蓋もないことを言わないで下さい。否定しませんけど」
「……復習のために明日も作るのはカレーにして、サラダ辺りの副菜も一緒に練習するか」
「ああ、今日はありがとう。明日もよろしく頼む。宗三、薬研」
 殊勝に頭を下げる長谷部に、宗三と薬研は顔を見合わせてくすりと笑った。

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