祖父の愛人、長谷部国重を譲り受ける長船光忠の話

短編
     

16086文字(全3ページ合計)

しあわせなおとなたち

 ぽちゃん、と天井から落ちた湯気が湯舟に落ちた。

「やっぱり日本人は風呂だよなぁ」
「そうだねぇ」

 長谷部の就職とともに手狭になったマンションを引き払い、ふたりは広めの2LDKに引っ越した。当然風呂も以前の狭いユニットバスではなくなり、大人ふたりでも優に入れる大きさの風呂になったので、光忠はことのほか喜んだ。
 引っ越しの荷物の片づけも早々に切り上げ、一緒にお風呂に入ろうと長谷部の腕を引いて浴室のドアを開けたのが十分前。交代で体を洗って、湯舟に浸かる。後ろから光忠に抱きしめられる格好になってるのはなんとなく解せなかったが、まあ、幸せだから良しとする。

「長谷部くん、僕と同じシャンプーの香りがする。いい匂い」
 濡れた髪にそっと唇を寄せられて、顔が赤くなる。
「……おまえも同じ匂いだろうが」
「長谷部くんは特別いい匂いなんだよ」
「…………ソウデスカ」

 なんだか反論するのも馬鹿馬鹿しくなって長谷部はぶくぶくと湯舟に顔の下半分をつけた。
 誤解が解けてからの光忠の態度は、それはもう甘い。角砂糖の山に蜂蜜と黒蜜をどっさりかけたよりもなお甘い。言動や視線や、ちょっとした仕草から、長谷部が大好きで大切なんだと訴えてきている。そろそろ溺れそうだった。

「何してるの、長谷部くん。かわいいなぁ」

 ざばっと湯舟から両脇を持って引き揚げられる。長谷部の肌からぼたぼたと垂れる水滴が光忠の手を濡らす。

「…………あ」

 光忠の白い肌が水を玉のように弾いていた。
 人間の肌は年を取ると水気がなくなっていき、水を綺麗に弾くことはなくなってしまう。三十代半ばの長谷部の肌も例外ではない。
 まだ二十代半ばの光忠の若く瑞々しい肌の輝きに、長谷部は思わず目元を緩ませた。

「……やっぱり、おまえ若いよなぁ」

 この前途洋々たる若者の未来を奪っている自分のことをふと思い返し、自嘲まじりに呟くと、背後の温度が数度下がったような感覚がした。

「………………ねえ、それ、おじいちゃんと比べて言ってる?」

 ぞっとするほど温度のない声で囁かれ、長谷部の背中がひやりとした。一瞬で自分の失言と光忠の勘違いに思い当り、風呂の中にも関わらずどっと冷や汗が出てくる。
「……いや、待て。違う。落ち着いて話を聞け」
「やだなぁ落ち着いてるよ? ねえ、長谷部くん」

 ゆっくりとした口調で、長谷部の首筋から唇までをすっと指先でなぞられる。長谷部の薄い唇をぷにぷにとつまみながら、光忠は口ぶりだけは楽しげに言った。

「君の今の恋人はだあれ?」
「光忠、」
「そうだよね。僕が君のこの世でただひとりの恋人だよね?」
「……ああ、そうだ。間違いない。おまえが俺の恋人だ」

 気分は爆弾処理班だった。ひとつでも返答を間違えたら長谷部の身は無事では済まないだろう。薄く開いた唇から光忠の指が侵入してきて、長谷部の舌先をくちくちと弄んだ。

「ん、ふふ。嬉しいな。ねえ、長谷部くん」
「なんだ」
「えっちしたくなっちゃった。しよ?」

 ぐり、と硬くなった腰を押しつけられて、長谷部は内心溜め息をついた。この展開はどうやら避けられないらしい。

 後ろから伸びて来た左手が長谷部の乳首をやわやわと刺激する。

「っあ、ん、みつただ、」
「そうそう。いっぱい名前呼んでね」

 長谷部の心はもう光忠でいっぱいなのに、時折こうして光忠は不安に駆られて長谷部に言葉や体を強請る。
 やきもち妬きには困ってしまうが、そこが可愛くて心地よいと思ってしまうあたり、自分も相当キている。欲しいと求められることには昔から弱いのだ。
 どうしたら伝わるだろうか。長谷部がこの先の人生を共に生きていきたいと思っているのが、光忠以外にはありえないということが。

「……愛してるよ、光忠」
「僕も、愛してる」

 きっと一生お互いこんなやり取りをし続けるんだろうなぁと予感があった。それはとても幸福な予感だった。

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