14554文字
1日目
「おい左文字、粟田口。お前ら、料理作れるか?」
同僚の長谷部国重がいきなりそんな事を言って来たので、左文字宗三は怪訝な顔をした。
「作れるか作れないかで言ったら作れますけど……」
「俺も作れるが、どうした急に」
首をひねったのは、同じく同僚の粟田口薬研だ。
昼時の社員食堂は人が多くがやがやとうるさい。少し早めに来て秘書課の3人でいつもの端の席を確保し、さあ食べようと思ったら、長谷部がやけに真剣な顔で切り出してきたのだ。
長谷部は鯖味噌定食の乗ったトレイを横にずらし、テーブルに付きそうな程頭を下げた。
「頼む。俺に料理を教えてくれないか」
「理由を聞いてもいいでしょうか」
「………………………………………………同棲中の恋人と喧嘩をした。仲直りのきっかけに、料理が作りたい」
恋人という言葉と目の前の男のイメージが結びつかず、宗三はしばらく固まった。
秘書課の鬼と恐れられるこの男に、恋人。しかも同棲中。
「は、え?貴方、彼女いたんですか?仕事と結婚してそうな貴方が?」
「長谷部の旦那、恋人がいたのか。初耳だ」
同僚2人がほぼ同じ反応を示すのだから、この職場における長谷部という男のイメージは推して知るべしである。宗三は脳内で、いつも「怠慢は許さん」「社命だ」とバリバリ仕事をこなす男の隣に想像の女性を置いてみようとした。無理だった。それくらい長谷部から恋愛というものは遠いものだと思っていた。
「…………2年交際して、最近同棲を始めた。3日前に喧嘩して、今日まで口を聞いていない」
2年、と小さく呟いて、薬研と顔を見合わせる。それなりに長い。
よくもまあこんな堅物とそれ程長く付き合える寛大な女性がいたものだ、と半ば感心してしまう。
「長い付き合いだが、あんなに怒るあいつを初めて見た。単に謝罪するだけでなく、何かしたいと思ってな。普段料理はあいつの担当だから、俺が作ってみようかと」
「いいぜ。俺で良ければ協力しよう。週末でいいか?」
「すまない、助かる。自宅だとあいつにバレる可能性があるから、悪いがキッチンも貸してもらえると嬉しい」
「土曜は弟が友人を連れて来るから無理だな。日曜の昼ならいいぞ」
「……うちの寺の庫裏なら、そこそこ広さもありますし、土曜でしたら構わないでしょう。兄に確認してみます」
日曜は寺で集まりがあるので、と付け足すと、長谷部が意外そうに何度か目を瞬かせた。
「左文字、いいのか」
「ただじゃありませんよ、勘違いしないで下さい。この間社長が行ったフレンチがあったでしょう。あそこの食事一回で手を打ちます」
「恩に着る」
宗三は無言で冷め始めたコロッケに箸を入れた。サクリと音を立てて黄金色の衣からホクホクのじゃがいもが溢れた。
結局、土曜に宗三の家で、日曜に薬研の家で特訓をし、日曜の夜には長谷部が自宅で恋人に特訓の成果を見せるという計画になった。
長谷部は実家の用事があるとかで、珍しく早めに帰って行ったので、19時現在で秘書室に残っているのは宗三と薬研だけだ。重要書類の入った棚や引き出しに鍵をかけ、来週の予定を再確認し、帰る準備をしながら宗三はため息をついた。
「今日はなんだか疲れましたね……」
「ああ、長谷部のことは意外だったな」
薬研も自分の分の鞄を持っている。そろそろ帰るようだ。
「左文字、この後営業の鶴丸と飲みに行くんだが、良かったら来るか?」
「鶴丸?粟田口、貴方知り合いなんですか」
鶴丸国永は自分より何個か上の代に当たる営業の有名人だ。奇抜で斬新なプレゼンをすることで有名で、社内・社外共にコンペでは負けなしだと聞いている。
「兄貴の友人でな。昔から良くしてくれているんだ」
口元に手を当てて少し考える。普段ならあまり飲み会には行かないのだが、今日はなんだか飲みたい気分だった。噂の鶴丸国永とやらにも少し会ってみたい気もする。
「行きます」
スマートフォンを取り出して家に夕飯を食べて帰る旨を連絡すると、宗三は鞄を掴んで立ち上がった。
「よう!俺みたいなのがいて驚いたか?営業の鶴丸国永だ。ああ、さん付けはいらないぞ。鶴丸でいい」
薬研に連れて行かれた居酒屋では、既に席について飲み始めていた鶴丸がいた。
ぺらぺらとよく回る舌で自己紹介をすると鶴丸は手を差し出してきた。宗三は戸惑いながらもその手を握り返す。
「秘書課の左文字宗三です。よろしくお願いします」
「さっきも話したろ。俺の同僚だ」
薬研が口を挟む。どうやら事前に簡単に紹介はしてもらっていたらしい。鶴丸の前の椅子に薬研と隣合わせで腰を下ろす。金曜の夜で店内は仕事帰りと思しきサラリーマンやOLで賑わっていたが、半個室になっているテーブル席だったので安心した。これなら落ち着いて飲めそうだ。
「つまみはサラダと串焼きの盛り合わせを適当に頼んでおいた。他のが食べたければ好きに注文してくれ」
メニューを渡しながら鶴丸が説明する。この辺りのソツのなさはさすが営業と言ったところか。
「じゃあ僕は生で」
「俺も。それと軟骨の唐揚げ」
「生2つと軟骨の唐揚げだな」
鶴丸は手早く店員を呼び止め、注文を伝える。振る舞いは軽いが、かなり気配りのできそうな男だというのが鶴丸の印象だ。
お通しと注文した品が届き、お互いの仕事の話や趣味の話をしながらしばらく酒盛りを楽しんでいると、鶴丸がそういえば、と切り出した。
「うちの長船知ってるか。長船光忠」
「同期ですよ。新人研修の時に一緒でした。目立つ男でしたからよく覚えてます」
長船光忠も、鶴丸と負けず劣らず営業の有名人だった。華やかな甘いマスクに、柔らかな物腰、気遣いの細やかさ、隙のない立ち居振る舞い。
今はどうか知らないが、研修当時同期の女子社員はほぼ全員が彼狙いだったし、OJTの指導役の座を狙って、先輩女子社員達の中では熾烈な争いが繰り広げられたと聞く。たしか、あれは結局この鶴丸が指導役をやることで落ち着いたのではなかったか。
そんなことを考えていると、鶴丸が面白げににやりと笑った。
「あいつ、一緒に住んでる恋人がいたらしい」
「へえ、まさかあの伊達男がな。聞いたら卒倒する女子社員が出そうだ」
薬研が唐揚げを噛じりながら眉を上げた。何せあのルックスだ。彼女がいても全くおかしくないが、この歳で同棲となると結婚も視野に入れているだろう。そこまで行くと付け入るのも難しそうだ。
「その伊達男がここ数日ミスが多くてな。問い詰めたら3日前に同棲中の恋人と喧嘩して、まだ口を聞いてないって言うから、さしもの俺も驚いたぜ」
「意外ですね。そういうの、器用に解決する男だと思ってましたが」
「それだけ本気なんだろうさ。聞いたら2年も前から交際してるって言ってたからな。同棲は最近らしいが」
そうなんですか、と言いかけて、聞き覚えのあるキーワードに宗三の箸が止まる。
『2年前から交際』
『最近同棲を開始』
『3日前に喧嘩』
『まだ仲直りをしていない』
隣の薬研に目を向けると、まったく同じ表情を浮かべていた。
「…………………………粟田口、」
「…………………………たしかに、彼女とは一言も言ってなかったな」
宗三は箸を置いて、混乱する頭を押さえる。
「ちょっと待って下さい。え?え!?長谷部が?長船と?嘘でしょう?」
「偶然にしても出来過ぎてるな……」
「どうしたどうした。何の話だ?」
「鶴丸の旦那、聞きたいんだが、長船は彼女だと名言していたか?」
「ん?そういえば恋人としか言ってなかったが……それがどうかしたか?」
喉が乾いてきたので、何杯目かのジョッキを煽ってビールを流し込む。十分に喉を潤した筈なのになぜか口の中が乾いている気がする。宗三は覚悟を決めて口を開いた。
「……うちの長谷部が今日、2年前から付き合っていた恋人と最近同棲を始めて、3日前に喧嘩して、まだ口を聞いていないと言っていたんです」
鶴丸はぽかりと口を開け、箸からミニトマトを取り落とした。ころころと転がったミニトマトがグラスにぶつかって止まる。
「………………………………こりゃ驚いた」
わあ、と声を上げて宗三が机に突っ伏した。
「あの堅物が、社内一モテるあの男と?長船は気でも狂ってるんですか?引く手数多でしょうに、なんでわざわざ長谷部と!彼社畜ですよ、社畜!というか男です!」
しかし、昼間想像しようとした幻の彼女よりは、脳内で長谷部の隣に並べても違和感がなかった。それが余計に嫌だった。
薬研が宗三の背中を宥めるようにさする。
「いや、そこは個人の好みだからとやかく言えんが……まだ決まった訳じゃないだろ?」
「…………粟田口、これ明日どうやって長谷部の顔を見ればいいんです…………僕もう無理です…………この世は地獄です…………」
「生きろ左文字。あと飲み過ぎだ」
すかさず鶴丸がお冷3つ、と注文を入れた。
◆ ◆ ◆
久々に甥と食事をしてから家に帰ると、三和土には革靴があった。恋人は既に帰宅しているらしい。
いつもならリビングのソファでくつろいでいる時間なのに姿がないということは、既に自室に引っ込んでいるのだろう。
水でも飲もうと長谷部がキッチンに向かうと、ダークグレーの冷蔵庫の扉に朝にはなかった筈のメモが貼られていた。
『鍋に朝食用のポトフが入ってます。温めは電子レンジで 光忠』
メールやSNSで連絡すればいいものを、光忠はこういうアナログなやり取りを好むところがある。
コンロに近寄って耐熱ガラスの蓋を開けると、黄金色の透き通ったスープに、よく煮えた野菜とソーセージが沈んでいる。コンソメのまろやかな香りを嗅いで、既に夕食を食べてきた筈なのに腹が減ってきたような錯覚を覚えた。
口を利かなくなってかれこれ3日が経つが、光忠が食事の用意を欠かしたことはなかった。怒っていてもマメな男だ。そういうところも好ましいと思う。
部屋を選ぶ時に光忠が重視したキッチンは、光忠らしく見栄え良く効率的に調味料と調理器具が並べてあり、きちんと掃除が行き届いている。
コンロ側の壁だけが少し焦げているのは、同棲し始めの頃に一度、長谷部が料理をしようとして小火を起こしかけたことがあるからだ。あの時はいつも冷静沈着で笑顔を欠かさない光忠が、珍しく引き攣った顔で注意してきたので、それ以来長谷部はキッチンの特定の家電以外にはほとんど触れたことがない。
帰宅時間や出社日がずれた時の為に、光忠は日保ちのするおかずを冷蔵庫や冷凍庫に欠かさずストックしていて、一緒に食事が取れない時でも、長谷部はそれらを電子レンジで温めて食べるだけで良かった。
甘えすぎていたな、と思う。光忠の愛情に胡座をかいてしまっていた、とも。
そんなことだから、今回光忠と初めて喧嘩して、仲直りをする方法とタイミングが掴めずにみっともなく足掻いている。
そうして、どうしたらいいか考えに考えた結果が今回の作戦だった。いつも自分のために料理を作ってくれる光忠に、何か返してやりたい。
明日のことを考えて気を取り直し、長谷部はペンを手に取ってメモにメッセージを書くと、先にあったメモの隣にマグネットでぺたりと貼り付けた。
『了解。ありがとう。土日は秘書課の連中の家に遊びに行ってくる。夜には戻る』
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます