こころなしとて春を知る

こころなしてとて春を知る
     

25349文字(6ページ合計)

【一】

 恋文を書かなければならない。それも、彼が思わず顔を綻ばせてしまうようなものを。

 しかし僕は生まれてこの方恋文などという雅なるものをしたためたことがなく、しばし逡巡した結果、本丸一の文系名刀の部屋の戸を叩くことにしたのである。
 初期刀で近侍でもある歌仙くんの部屋は主の住む離れにほど近い、閑静で庭の景色を一望できる位置にある。朝食の当番の時に部屋を訪ねてもいいかどうかの了承は取ってあった。ひとつ咳払いしてから部屋の前で一声かけると「どうぞ、入ってくれ」と声がかけられた。
 歌仙くんの部屋に入るのは初めてではない。きっちり整理整頓された、けれどけして殺風景ではない部屋に入り、勧められるまま座布団に座る。目の前に彼ご自慢の茶器と螺鈿の散りばめられた漆塗りの菓子盆が置かれた。その上にちょこんと鎮座しているのは寒牡丹を模したうつくしい練り切りだ。

「それで、今日はどうしたんだ? 君から訪ねてくるなんて珍しいじゃないか」

ああ、うん、と相槌を打って僕は本題を切り出す。

「長谷部くんに恋文を書きたいんだけど、アドバイスをもらってもいいかい」

そう言ったときの歌仙くんの驚きと喜びようったらなかった。喜色満面とはこのことを言うのだろうという顔でガシっと僕の手を握り、「よく……よくぞ僕を訪ねてくれたね……! 恋文! いいよ雅だよ!」と目を輝かせた。
 そのまま押し入れを開けて目当ての物を取り出すと、歌仙くんは楽しそうな顔で僕の目の前に次々と物を積み上げた。色とりどりの和紙に筆、硯、それと何故か香炉や香木まで。

「和紙の色目は今の時期だと梅重うめがさねや莟紅梅つぼみこうばいがいいね……ううん、濃蘇芳こきすおうの和紙はあったかな……そうだ、香は使うかい? 良ければ一式貸すけど」

僕が答える間もなく目の前にどんどん並べられていく道具一式を見て、僕は早々に人選を間違えたことを悟った。僕が教えて欲しかったのは、そういうことではないのである。
 しかし既に歌仙くんはうっとりと目をつむり、自分の世界に入っている。

「そろそろ梅の咲く頃だし、文に花のついた枝を添えるのもありだなあ。『君ならで誰にか見せむ梅の花』――いいねえ、実に風流だ」

ああ、これは完全に人選ミスだ。
 僕が菓子を食べながらどうやってここを切り上げようかと思案していると、ぐるりと歌仙くんの顔がこちらを向く。ようやくまともに会話をしてくれる気になったらしい。

「それはそうと君、長谷部に懸想していたなんて知らなかったぞ。交際を申し込むのかい?」
「いや、彼とはもう交際してるんだ」
「ええっ!?」

歌仙くんの手の中で文箱がミシリと軋んだ。

「この僕というものがまったく気づかなかった。一体いつから付き合ってたんだ!?」
「一、二ヶ月ほど前からかな」
「年の瀬からか。長谷部のことは前から好いていたのか?」
「いいや。告白は彼からだよ」
 僕の返答を聞いて、歌仙くんは驚いたように目を丸くした。
「あの長谷部が君の心を動かすほど情熱的な告白をねえ。にわかには信じがたいが……それで君はそれに絆されたというわけか」
「絆されたというか……」

重量感のある茶器を持ち上げて、茶を啜る。

「別に他に好いた相手も付き合っている相手もいないからいいかなって」

ガラン、と歌仙くんの手から文箱が落ちた。
 文箱から溢れでた幾種類もの和紙や便箋が畳の上に広がるさまはさながら花畑のようだった。歌仙くんは拾い集める様子もなく、ぽかんとした顔で僕をじっと眺めている。

「…………君、今は長谷部が好きなんだろう?」
「実は好きとかそういうのが未だによくわからなくてね。別に嫌いではないよ」

歌仙くんは動く様子がないし、畳をこのままにしておくわけにもいかない。僕は畳の上に散らばった便箋や和紙を拾い集めながら答えた。手袋で花びらのような薄い和紙を拾うのは手間だったが、出来る限り手早くあつめてトントンと端をまとめていると、歌仙くんは何故か慌てた様子で僕の顔を覗き込んでくる。

「……で、でも、恋文をしたためる気はあると」
「長谷部くんが恋文を欲しがっているという話を聞いたんだ。普段彼には色々と世話になっているし、日頃の礼や詫びも兼ねて書いてみようかと……歌仙くん?」
「………………………………み、」
「み?」
「雅じゃない!!」

ダアン、と歌仙くんが傍らの文机を叩いた。

「恋文は手段であって目的じゃあないぞ。伝えるべき君の気持ちがないのに、恋文だなんて書けるわけがないだろう! 君はまず長谷部への気持ちを改めるべきだ!」

これは恋文への、いいや恋愛への侮辱、雅への冒涜だと意味不明なことを言いながら怒り出す歌仙くんをどうにかなだめ、僕がことのあらましをもうすこし詳しく説明し終える頃には、部屋の窓からは夕日が差し込み始めていた。
 なんとか僕の説明を最後まで聞いてくれた歌仙くんは眉間に寄った皺をぐりぐりと指で伸ばし、大きなため息をついてこう言った。

「……君の話はわかった。たしか主の知人の本丸に、燭台切光忠とへし切長谷部の番がいると聞いたことがある。僕から主に頼んでみるから、君はその二人に会って恋のなんたるかでも教わってくるといい。同じ刀の分霊同士、参考になることもあるだろう」

僕はありがたくその申し出を受け、ついでにいくつか執筆のための道具を借りることにして部屋を出た。

廊下はガラス戸で外と仕切られているとはいえ、やはり寒い。各自の個室と大広間には最新式の暖房器具が入れてあるが、これだけ広い建物の全てに暖房を入れるわけにはいかない。部屋と部屋を移動する間などは寒さに耐えなければならないのだ。
 僕は奥州にいた経験があるからか比較的寒さには強かったが、一部の刀剣男士からはこの隙間風差し込む廊下はひどく評判が悪く、近々断熱材入りの戸を入れる手はずになっているらしい。
 白くけぶる息を吐きながら、僕はガラスの向こうの夕日に染まる庭をぼんやりと眺めた。雪がうっすらと降り積もる庭を見る僕の頭に浮かぶのは、寒さに弱いくせにやせ我慢ばかりする一振りの刀のことである。

「では主、俺はこれで」
 聞こえた声に思わず振り返ると、廊下の突き当り、主の部屋から見知った人影が出てきた。主に向けて浮かべていたであろう微笑みが、僕を見て一瞬で強張る。
「……燭台切」
 僕はできるだけ不自然にならないように微笑んで返す。
「やあ。君は仕事?」
「ああ」
 そうして僕が腕の中に抱えていた荷物と、すぐそこの部屋の前にかけられた紋入りの名札を見て、長谷部くんはきゅっと眉根を寄せた。
「歌仙の部屋にいたのか」
「……うん。すこし用があって」
 歯切れが悪い返事になってしまったのは、今まさに彼に対する秘密を抱えているからに他ならなかった。
 長谷部くんはそれをどう解釈したのか、苦々しげに唇を釣り上げた。
「……歌仙なら、無様な醜態を晒すような真似はしないだろうからな」
 気づけば、早足で僕の前を通りすぎようとする長谷部くんの手首を掴んでいた。
「離せ。俺は部屋に戻る」
 僕も咄嗟に掴んでしまったものだから、自分の行動に内心慌てた。掴んだ手首は布越しでもわかるほど冷え切っていて、それを意識したら自分でも思いがけない言葉が口からするりとこぼれる。

「……生姜が」
「…………は?」
「厨の戸棚に生姜の蜂蜜漬けがあるんだ。お湯に入れて飲むと温まるから、良かったら飲んでくれ」

ぽかりと口を開け、長谷部くんがぱちぱちとまばたきをする。何を言っているんだこいつ、という顔をしている。僕も自分で何を言ってるんだろうと思った。言うに事欠いて生姜湯のことだなんて。
 長谷部くんは完全に面食らった様子できょときょとと視線をさまわよせた。

「え? あ、生姜……生姜か。そうか。うん、寝る前にでも飲んでみる」
「ああ」

そう言って手を離すと、長谷部くんはちらりと一度だけこちらを見て、あとは振り返らずに廊下の先へと消えていった。
 ふう、とため息をついて、僕は自分が思いがけず緊張していたことに気づいた。革手袋の中が汗でじっとりと湿って気持ちが悪い。
 今の長谷部くんの反応と手の中の荷物の重みを思い出し、冷たい空気を肺まで吸い込んで、吐き出す。
 強張った顔、ぎこちない会話、冷たい手。
 僕は恋文を書かなければならない。

◆ ◆ ◆ ◆

「感情が薄い」

 主からそう評されたのは、僕が顕現して1か月ほど経ったある日のことだった。
 庭に咲かない梅の木があるのだという雑談をしていた時だったと思う。「日当たりも水はけもいいところの木なのに不思議だ」とこぼす主に、僕は「なら切るか植え替えるかすればいいんじゃないか」という提案をしたところ、主はなんとも言えない表情でこう言ったのだった。
「燭台切は、心底刀なのだねえ」
 言われた意味がわからずにことりと首を傾げていると、主は困ったように眉を下げて笑った。
「責めているのではないよ。刀剣男士の中にはそういう個体がいるというのは話に聞いている」
 どういうことかと訪ねると、ううん、と腕を組まれて首を傾げられた。
「燭台切、きみは大声で笑ったり、悲しい話を聞いて泣き出したりという経験はあるかな」
「ないね」
 きっぱりと言い切る。
「大口を開けて笑うのは格好が悪いし、泣き出すというのも……なんだかなあ」
「喜んだり、悲しんだりは?」
「そりゃああるよ。出陣先で誉を取った時は嬉しいし、せっかく育てた野菜が病気や虫で駄目になると残念だ」
「道端で鳥や猫が死んでるのを見たら、どう思う?」
「生き物はいつか死ぬものだろう? 不憫だとは思うけど、それだけかな」
 主はそれを聞くと納得したように頷いた。
「そうか。燭台切は感情の振り幅が少ないんだな。感情が薄いんだ。それとも単に鈍いのかな」
「なにか問題があるのかい」
「ない……と言えばないのだろう。だけど、すこし寂しいように思うよ」
 おかしなことを言うなあ、と僕は思った。でも仕方のないことかもしれない。彼は槍や刀を振るって敵を切り裂いたことどころか戦場に立ったこともない、平和な時代の生まれだ。本物の刀すら審神者になってから初めて見たのだというから、彼の目には僕たちは未だ刀ではなく人に見えているのだろう。
 僕は表情を笑顔の形に整え、やんわりと主の言葉を否定した。
「主、僕たちは刀だよ。主の敵を斬るためにあるんだ。感情なんて薄かろうが濃かろうが構わないんじゃないかな」
 すこしだけ眉をひそめ、主はゆっくりと首を横に振る。
「でも今は人の身を得ている。せっかくだから、心のままに笑って、怒って、泣いてほしいよ」
 よくわからないなあ。
 しかしこれ以上主の言葉を真正面から否定するのもどうかと思って、僕は曖昧に笑いながら「善処しておくよ」と返した。

「長谷部くんは、喜んだり悲しんだり、心が強く動かされたことってある?」
「……ある。おまえはないのか」
「ないねえ」

僕がそう尋ねたのは、翌日の畑当番でのことだった。朝とはいえ葉月、動けば汗でシャツが肌に張り付く季節だというのに、首元まできっちりとファスナーを上げた長谷部くんを見て疑問に思ったのである。
「いきなり何の話なんだ」
 長谷部くんは怪訝そうに作業中の手をいったん止めて僕の方に向き直る。動いた拍子に真っ赤に熟れたトマトの山が崩れ落ちそうになり、長谷部くんは慌てて籠を抑えた。

「この間主がね、庭の木が咲かないことを気にしていて」
「あの梅か。そういえば今冬は咲いてなかったな。いつもだったのか」
「そうその梅。それで僕が咲かないなら植え替えるか切るかしてしまえばいいと言ったら困らせてしまったようで、そんな話になったんだ。僕は感情が薄いって」
「……そう簡単には、割り切れんものだろう」
「そうかな。庭木なんて持ち主を楽しませるためにあるんだから、花を咲かせないなら意味がない気がするけど」

僕の言葉にため息をついた長谷部くんは、どうやらたしかに主の感慨を正しく理解しているようだった。
 長谷部くんはこの本丸の古参だ。
 戦場では小柄な短刀たちと変わらぬ速さで地を駆け、多少の傷などものともせずに真っ先に敵へ切り込んでいく。陽の光を受けて鈍くぎらつく皆焼の刃が敵の胴を横薙ぎに切り払ったときの鮮やかなまでの断面。一瞬遅れて宙に舞う血飛沫を浴びて獰猛に笑い、また次の敵へと刃を向けるさまは同じ刀として惚れ惚れする。とても格好がいい。
 あれだけ刀として強く美しい彼が、人の心を解しているというのはなんだか不思議な心地だ。
 パチン、と長谷部くんが手に持ったままだったトマトを鋏で切り落とす。

「感情が薄いから、それがどうした」
「別にどうってわけじゃないんだけどさ、主は僕に心の底から笑ったり怒ったりしてほしいようだから、理解する努力だけはしてみようかなと。それで君はどうなのかと思って」

パチン、パチン。

「馬鹿馬鹿しい。刀は斬れれば充分だ」

僕の考えとまるきり同じことを彼の刃に似た鋭さですっぱりと言い切るさまは好ましい。やはり、彼とは気が合う。

「……何を笑っている」
「うん? 僕笑ってた?」

特にそう意識していたわけでないので、おかしいな、と呟きながら口の端にむにむにと触れてみる。たしかに口角がいつもより上がっている気がした。自分の体が自分の制御下にないというのはどうにも不気味だった。何か不具合でもなければいいんだけど。
 顔に泥がついたぞ、と長谷部くんから濡らした手ぬぐいを投げ渡されたので、ありがたくそれで顔を拭く。
 僕の持っている籠の中には枯れた花の残骸と青く瑞々しい棘のついたきゅうりが山と積まれている。雲一つない青空の下、湿った土の上で、僕たちは汗と泥とにまみれながら野菜を収穫している。収穫した野菜は主や僕らの活力の源で、これを食べて僕たちは戦に出る。育てて、収穫して、食べて、戦って、そうして毎日が過ぎていく。僕にとってはただそれだけの日々だけど。
 刀であり人である長谷部くんの目には、世界はどんな風に見えているんだろうか。
「……俺は心などなければ、と思うことがあるがな」
 長谷部くんがふとそんなことを言い出すものだから、僕は意外に思って声の主を見た。

「そうなんだ?」
「心乱されることがなければ判断を謝ることもないだろう。そのぶん主命が果たしやすくなる」
「君でも心乱れるようなことがあるんだね」
「おまえ、俺をなんだと思ってるんだ」
「素晴らしい刀だと思ってるよ」

長谷部くんは再び大きなためいきをついて僕から手ぬぐいを受け取ると、乱暴にごしごしと自分の顔を拭き、またトマトの収穫に戻っていった。

 僕らはどちらも刀は切れればいいと思っていて。
 片や、持った心をいらぬと言い
 片や、持たぬ心に思いを馳せる。
 世の中はどうにも複雑怪奇でままならないものらしい。

◆ ◆ ◆ ◆

『長谷部くんへ』

『    、 』

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