【ニ】
事前に申請していたゲートに訪問先の本丸のIDを入力してくぐると、そこにはうちとよく似た作りの本丸の門があった。
本丸同士を繋ぐゲート、と言っても、防犯上さすがに門の前までしか道は繋がらない。
僕が門の脇に取り付けられたインターホンを押すよりも数秒早く、内側から門が開いた。
「いらっしゃい。生憎と主は留守だけど許可は取ってるよ。どうぞ上がって」
中から出てきたのは毎朝鏡の中で見慣れた姿、
「僕は燭台切光忠。ようこそ、燭台切くん」
燭台切光忠、その人だった。
「見事な椿だね」
門をくぐって真っ先に目に入ったのは、庭のあちこちに植えられた艶やかな寒椿だ。つやつやと光沢のある緑の葉、紅や白、桃色の花びら。雪を乗せてもなおその鮮やかな色を失わない彼らは、色彩の乏しい冬の庭で自分たちが主役だと言わんばかりに咲き誇っている。
「ありがとう。うちの主の趣味でね。日陰でも立派に咲いて、潔く散るところが好きなんだそうだよ」
「うちは椿はなかったと思うな。山茶花ならあったと思うんだけど」
「縁起が悪いと嫌う人もいるからね」
庭に積もった雪は、人が歩けるスペースの分だけ丁寧に雪かきされている。砂利の上だからそこまで気を使う必要もないが、滑らないようできるだけ踏まれて押し固まった部分を避けながら自分と同じ姿の男の後ろをついていく。
雲の隙間から現れた日光に、眼帯の留め具がきらりと光った。
演練でも思うけれど、自分の後ろ姿を見るというのは不思議な気分だ。後ろから見ると僕の後頭部はあんな風に見えるのか、とどうでもいい発見をしてしまう。
そうして通された客間は母屋から少し離れた庭の隅にひっそりと佇む離れの中にあった。
「……君のところの長谷部くんは?」
差し出された紅茶のカップを手に取りながら尋ねると、ああ、と燭台切がすまなさそうに眉を下げる。
「うちの長谷部くんは所用で遅れるみたい。むさ苦しくて申し訳ないけど、しばらく僕と二人きりで我慢してもらえるかい」
むさ苦しいも何も、これから来る長谷部くんも男だ。
しかし目の前の燭台切は長谷部くんが来れば空間が華やかになると本気で考えているらしく、なるほど、たしかにそれは話に聞く惚れた欲目というやつなのだろう。どうやら僕は無意識に惚気られてしまったようだった。
僕は出された紅茶に口をつけた。この本丸のへし切長谷部は近侍だと聞いている。審神者が留守だというのなら、おそらく外部の会議にでも出席しているのだろう。忙しいだろうに初対面の僕に時間を割いてくれることがありがたかった。
ここの燭台切はどうやら話好きなようで、僕が2人の馴れ初めを聞けば、頬を染めながら嬉しそうに付き合うまでの経緯を話してくれた。
自分ではない燭台切光忠と、彼ではないへし切長谷部が恋をして付き合うようになるまでの経緯を聞くというのは、なんだか不思議な気分だった。
「それで、僕がもうやけくそになって何十回めかの告白したら、長谷部くん『こんな俺でいいなら』ってようやく首を縦に振ってくれてさあ。その時はどんな彼でも大好きなのにおかしなことを言うなあと思ったんだけど、今は、まあ、うん……。でも好きなものはしょうがないしね」
最後の方は自分に言い聞かせるようにして語ると、そこで話は一段落したようだった。注いだ紅茶をごくごくと飲み干して、それで、と燭台切がこちらに身を乗り出してきた。
「君も長谷部くんと付き合ってるんだよね? どういう経緯で付き合ったの?」
「告白は長谷部くんからで」
「へえ! いいなあ」
「僕は特別好いた相手もいなかったし、せっかくひとの身を得たのだから恋人を作ってみるのもいいかと思って了承した」
目の前の燭台切の動きがぴたりと止まり、ぱかっと口が開かれる。歌仙くんといい、この燭台切といい、皆同じような反応を返すのは何故だろうか。
「きっ、きっかけはそうでも、今では長谷部くんを愛してるんだろう? そうだよね?」
「生憎と、そういう感情が未だによくわからないんだ。僕はどうも情緒の薄い個体らしくて」
僕はカップの底に残る紅茶を飲み干し、告げる。
「ねえ、僕。誰かを好きになるってどんな気持ちだい?」
燭台切がぱしりと片手で顔を覆ってうなだれた。
「…………これは思ってたより重傷だ」
「悪い、光忠。遅くなった」
その時ちょうど応接室のドアが開いてへし切長谷部が入って来た。彼がここの近侍で燭台切の恋人のへし切り長谷部なのだろう。彼が抱えていた紙の束をサイドテーブルに降ろし、自分の分のカップを用意していると、燭台切はぽんぽんと自分の隣のソファを叩いて示した。
「長谷部くん、ちょっと。早くここ座って」
「どうした」
「あっ、君またダイキリくんのところに行ってきただろう」
「仕事だ、妬くな。俺だってできれば行きたくない」
「それにしたって頻度多すぎない?」
「向こうの本丸じゃないと見られない資料も多いんだ。おい、それより客人はいいのか?」
「……今僕たちの馴れ初めを説明してたところだよ」
そうか、と頷いてここの長谷部くんは僕に向かってきっちり三十度のお辞儀をしてから、顔を上げてにやりと笑う。
「この本丸の近侍を務めるへし切長谷部だ。よろしく頼む。……それにしても、わざわざ他人の惚気話を聞きに来るとは酔狂なやつだな」
呆気にとられていると、ここの長谷部くんはソファにどかりと座り、興味津々といった様子で質問を投げかけてくる。
「で、貴様はそっちの長谷部と何やらかしたんだ」
「長谷部くん、もう少し言い方とか順序とかさあ……」
「まどろっこしいのは好かん」
はあ、と燭台切が大きくため息をつく。
「わざわざよその本丸まで来たんだ。何かあったんだろう? 僕たちでよければ相談に乗るよ」
僕が事情をあらかた説明し終わると、やはり二人は歌仙くんと同じく眉間にしわを寄せたまましばらく黙りこんだ。いまいち実感はないが、僕の話は人を困惑させる類のもののようだった。
「……そういうわけで、そっちの僕は感情豊かなタイプらしいし、少しでも参考になればと思ってこうして訪ねてみたんだけど」
ふう、と息を吐く。二杯目の紅茶はすでに温くなっていて、僕は一口だけ残ったお茶請けのフィナンシェを紅茶で一気に流し込んだ。
「でもやっぱりよくわからないな。君たちを見る限り恋ってきっと素敵なものなんだろうけど、僕から彼にそれを返してやれないのは、なんだか申し訳ないように思うよ」
「…………ちょっと待っていろ」
しばらく黙っていた向こうの長谷部くんはおもむろに立ち上がると、応接室を出ていく。どうしたんだろうと燭台切と顔を見合わせ首をひねっているうちに、すぐに長谷部くんが戻ってきた。その両手にはなぜか一抱えほどのダンボール箱が収まっている。
テーブルに置かれたそれの蓋が開かれると、燭台切の顔色がさっと変わった。
「は、長谷部くん!! それっ、それは!!」
「おまえが昔俺に送ってきた恋文の数々だが?」
「なんで取ってあるんだ!! いや嬉しいけど!! どうして今ここに!?」
「これほど赤裸々におまえの心が綴られた品もあるまい。文の参考にもなるはずだ」
「そうだけどさあ…………」
「なんだ。おまえは俺への気持ちに恥じるところがあるとでも?」
「ないよ。ないけど、それとこれとは別だろう?」
口論をする二人を尻目に、僕は箱の中を覗き込む。燭台切光忠がへし切長谷部に宛てた恋文。これは、今の僕にとってなによりの助けになる気がした。
「これ、借りてもいいかな」
「……どうぞ。恥ずかしいから、なるべく他の人には見せないでもらえるかい」
ため息混じりにそう言い、燭台切はふっと笑みをこぼす。
「いい手紙、書けるといいね」
長谷部くんへ。そう書き出してから、僕の筆――実際には万年筆だが――はぴたりと止まった。昨日もそうだったが、この先どう書いていいかわからない。
そのまま屑籠に放り込もうとして、すんでのところで思いとどまる。これはまだ練習なのだ。次に書く手紙の参考に取っておいた方がいいかもしれない。
僕は握って皺が寄ってしまった紙を丁寧に伸ばし、今度はきちんと折りたたんでから文箱にしまう。次いで昨日練習で書き損じた紙を屑籠から取り出し、同じように広げて箱に入れる。
恋文の文面の参考にするべく、今日預かったよその本丸の燭台切の手紙を開いてみる。中には「かわいい」「かっこいい」「綺麗」「好き」というような言葉が手を変え品を変え何度も登場していて、第三者である僕もなんだか熱気に当てられる心地のするような、それはもう情熱的な内容だった。僕にはとてもじゃないが無理そうな文面である。
しかし相手のいいところを褒めるというのはいい考えかもしれない。長谷部くんのいいところをどう書いたものかと考えていると、突如部屋の外から声をかけられた。
「燭台切、起きているか」
よりにもよって長谷部くんだった。
この手紙未満たちを送り先の本人に読まれるわけにはいかず、僕は慌ててバサバサと机の上のものを文箱にしまい始める。
「ああ。いや、ごめん。今ちょうど寝るところで……何?」
「そうか。ならそのまま聞いてくれ」
一呼吸の間があった。
「生姜湯を飲んでみたんだ。あたたまったし、美味かった。ありがとう」
僕はそれを聞いて立ち上がりかけ、再び腰を下ろした。今すぐ障子を開いて長谷部くんの顔が見たかった。けれど、まだ手紙もどきたちは僕の周りに散乱しており、とてもじゃないが人を入れられる状況ではない。先日の光景が一瞬頭をよぎったが、首を横に振って散らした。別にそのせいで入れたくないわけでは、ない、と、思う。
「……役に立ったなら、よかったよ」
「それだけ言いたくてな。おやすみ」
長谷部くんは本当にそれだけを言いに来たらしい。障子に映る遠ざかる様子の人影に、僕は柄にもなく大きな声を出してしまう。
「長谷部くん!」
「……………………なんだ」
咄嗟に呼び止めてしまったけれど、なぜかなにも言葉が浮かばずに僕はありきたりな言葉でお茶を濁した。最近こんなことばかりだ。
「……その、おやすみ。早く部屋に戻って、きちんとあたたまってくれ」
「ああ。そうする。夜分遅くにすまなかった」
足音がすっかり遠ざかってから、僕はとっとと紙束を片付けてこのあたたかい部屋に招き入れてやればよかったと今更ながらに後悔した。
長谷部くんの部屋は厨から遠い。いくらすこしばかり温まったとはいえ、廊下で立ち話なんかしては自室に戻る頃にはすっかり冷えているだろう。
僕にお礼なんていいから、すぐ部屋に戻って暖を取ってほしかった。
彼は、いつも、そうだ。
そして僕も。
◆ ◆ ◆ ◆
あれは金木犀の香る季節の頃だったように思う。
風が甘くまろやかな香りを届け出す頃、長谷部くん率いる第一部隊が傷を負って戻ってきた日があった。
その日は傷の処置に長けた薬研くんが遠征で出かけており、残った面子で比較的手先が器用な者が怪我人の処置にあたることになった。僕はその駆りだされた一人だった。
僕は簡単な止血をして手入れ部屋に寝かされた長谷部くんを見下ろしていた。長谷部くんは部隊の中でただ一人の重傷だった。普段働き詰めな長谷部くんにはこの際ゆっくり休んでもらおうという主の意向で、敢えて手伝い札は使われていない。一晩ゆっくり寝れば治る見込みだ。
血のべっとりついたシャツやカソックは早々に脱がされ、白い着流し一枚で横たわる彼は、その血の気のなさも相まってまるで死人のようだった。僕は手袋を外して長谷部くんの口元に手をやった。じんわりと手のひらが湿る。息は、ある。
「……ん……」
「長谷部くん、気がついた? ここ、手入れ部屋だよ」
「……あるじは……ほう、こく」
「さっき骨喰くんが代わりに報告していたから大丈夫。君にはゆっくり養生しろって主命が出てるよ」
「……しゅめい」
あからさまにほっとしたような顔になる。彼はこんな時でも主命が大切らしい。
「何か入用なものはあるかい? 水でも持ってこようか?」
以前僕が手入れ部屋に篭っていた際、薬研くんが薬湯を淹れてくれて非常に助かったことを思い出しながら尋ねる。僕に医学の心得はないが、水や白湯を持ってくるくらいならできる。
「…………さむい…………」
聞こえているのかいないのか、長谷部くんがぶるりと体を震わせる。この顔色で熱があるということはないだろうから、おそらく血が足りないのだろう。毛布をかけてやりながら、念のため長谷部くんの額に手をやる。
「うん、熱はないみたいだ。ちょっと暖房入れてくるよ」
立ち上がりかけた時、手にひやりとしたものが触れる。長谷部くんの手だった。
「どうしたの?」
「て、」
「て?」
「おまえのて、あったかい……」
そう言って長谷部くんは僕の手を額に載せたまま瞳を閉じた。
しばらくして寝たのかと思って立ち上がろうとすると、眉間に皺が寄って無言で抗議される。おそらく本人に意識はないと思われるのに、ぬくもりが消えることだけはわかっているらしい。
どうしたものかと途方に暮れていると、突然背後から声をかけられた。
「なんだ、長谷部の看病してくれてたのか」
薬研くんだった。遠征帰りの戦装束にそのまま白衣を羽織ってこちらに近づいてくる。
「悪かったな。あとは俺が見てるから、旦那は戻っていいぜ」
「そうかい? なら……」
そう言って離れようとすると、長谷部くんが低い呻きをあげて猫の子のように僕の手に顔をすりよせた。それを見て薬研くんが吹き出す。
「なんだ、随分懐かれてるな」
「……カイロ代わりにされてるだけだと思うけどね」
「はは。まあでも、そこで一晩そうしてるってわけにもいかないだろ。代わるぞ」
たしかにそれはその通りなのだが、不思議なことに僕はこのままでもいいかな、という気分になっていた。普段顰めっ面ばかりしている長谷部くんの、珍しい様子を目の当たりにしてしまったからかもしれない。
「うーん……とりあえず乗りかかった船だし、もうしばらく僕が見てるよ。薬研くんも疲れてるだろ」
そう言うと、薬研くんは「そうかい、悪いな」と部屋を出て行った。薬研くんの部屋は手入れ部屋の近くで、万が一何かあったら呼べる距離だ。僕がこのまま見ていても問題はないだろう。
僕は長谷部くんの顔を見下ろす。煤色のまっすぐな髪と同じ色の睫毛は、こうして見ると存外長いのだな、と不思議な感慨を抱く。長谷部くんとはまだたった数ヶ月の付き合いだけど、そういえば寝顔を見るのは初めてかもしれない。普段の厳しい印象に反して、寝顔は子供のようにあどけない。だからなんとなく側を離れ難いのかもしれない。弱っている仲間を見捨てるのは、格好が悪い。それは僕の流儀に反することだ。そうに違いない。
時折長谷部くんのひやりとした額を撫でてやると、ん、と声をあげて気持ちよさそうにする。時折皺の寄る眉間は今は真っ平らで、いつもきりりと上がった眉も安心したように下がっている。
結局、僕は長谷部くんの隣に自分の分の布団を敷き、その後丸一晩、看病という名の添い寝をしたのだった。
翌朝、隣で眠る僕の姿を見て、顔を真っ赤にした長谷部くんが僕に土下座をした。そのまま床にめりこんでいきそうな勢いだった。
「すまん! 本当にすまん! そんなつもりじゃなかったんだ!」
「いや、いいよ。わざとじゃないのはわかってるから」
「それではこちらの気が済まない。なにか埋め合わせをさせてくれ」
と言われても困る。僕としては怪我人の看病という当然のことをしたまでで、特にわざわざ礼をされるようなことでもない。しかしこのままでは長谷部くんの頭が畳と一体化しそうだった。
「そうだな……。なら、今度の買い出しの荷物持ちを手伝ってくれるかな。ちょうど人手がほしかったんだ」
「荷物持ちだな。承知した」
まるで主から主命を賜る時のような真面目な顔で頷くものだから、僕はなんだかおかしくなって吹き出した。吹き出してしまったあとに、そんな自分が不思議で首をひねる。これが笑いのツボというやつだろうか。
長谷部くんはそんな僕を藤色の瞳を丸くしてきょとんと不思議そうに僕を眺めていた。その顔がさきほどの寝顔のようにあどけないものだと思ったら、なんだか胸のあたりがぽかぽかして笑いがこみあげてくる。やはり長谷部くんは僕の笑いのツボというやつらしい。
「長谷部くんっておもしろいね」
「はあ? 何言ってるんだ」
そう言いつつも僕の止まらない笑いが感染ったみたいに長谷部くんの顔にも笑みが浮かぶ。
「……おまえ、変なやつだな」
普段の凛々しい顔つきに気を取られていたが、こうして笑うと彼が随分優しい目をしていることに僕はいまさらながら気づいた。
やっぱり長谷部くんはおもしろい。
「君だって」
◆ ◆ ◆ ◆
『長谷部くんへ
君に日頃の感謝とあの日のお詫びを言いたくて、こうして恋文を書いている。
僕はいまだに恋というものがよくわからないから、これがきちんと恋文になっていて、君がすこしでも喜んでくれるといいんだけど』
『君のいつでもまっすぐ伸びた背筋はとても綺麗だと思う。実は僕はあれを見るのがいっとうお気に入りなんだ』
『いつも厳しい顔ばかりしているけれど、時折君が笑うと、君の瞳が優しい色をしているのだと気付かされる。いつもそうしていればいいのにと、時折もったいなく思っている』
『長谷部くんを看病したあの日、僕は一晩中子どものような君の寝顔を見て実は満足していた。悪くない気分だった』
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