こころなしとて春を知る

こころなしてとて春を知る
     

【三】

「燭台切、進捗はどうだい」

 朝食の席で歌仙くんがそんなことを聞いてきた。
「駄目だね。書いては消し、の繰り返しだ」
 僕は鰤の焼き物に箸を伸ばしながらそう答える。文句のつけようのない完璧な焼き具合で、そういえば今日は歌仙くんが厨当番だったことを思い出す。
 あれから手紙の執筆は一向に進んでいなかった。非番の時や出陣の合間に書こうとはするものの、書き始めれば何を書こうかと手が止まり、そうだと思いついて書き出せば書くべきことと書きたいことがごちゃごちゃに絡まってくる。政宗公は手紙を書くのが好きな方だったけど、よくもまああんなに書いていたものだと改めて感心する。
「燭台切、いいことを教えてやろう」
 歌仙くんは自分が味付けしたであろう蓮根の甘酢漬けを満足気に咀嚼し、頷いた。
「手紙はなるべく夜に書くといい。本来なら筆が進みすぎて余計なことまで書いてしまいがちだが、君は多分、その余計なことを書いたほうがいいように思うよ」
「余計なこと?」
「感傷的な心の内さ」
 そういえば歌仙くんの前の主も筆まめな人だったと記憶している。歌仙くんは僕とは違ってその影響を多分に受けているんだろう。
「……恋文ってそういうの、書いたほうがいいのかい」
 思ったよりも困り切った声の出てしまった僕に、歌仙くんは周りをちらりと見回し、すこしだけ声をひそめて告げる。
「好みだけどね。長谷部が喜びそうなら書いてやればいいんじゃないか」
「書ければいいんだろうけど、僕そういうの、よくわからなくて」
「先日も思ったが……君は存外鈍い男だな」
「昔主にも言われたことがあるよ」
「だろうな」
 僕はなにも言えず椀に口をつけた。柚子の香る海老真丈入りの吸い物は悔しいけれど体中に染み渡るような美味だった。
 ふと視線を感じて顔を上げると、遠くから藤紫色の双眸がこちらを見ていた。視線が合いそうになった瞬間、長谷部くんはおもむろに立ち上がり、食器を下げてどこかに行ってしまった。
 一体なんだったんだろう。

 今日は夜の遠征まで特に予定がない。歌仙くんに勧められた夜ではないが、僕は今日こそまともな恋文を書くため、あの燭台切の恋文入りの箱を取り出した。
 箱の中にはぎっしりと詰められた便箋が入っている。もうどれも目を通してしまっていたので、どの封筒がいつのものなのか大体覚えてしまっていた。僕は参考にするため一番新しい封筒に手を伸ばす。一番最近のものは、付き合って一周年に渡したものらしく、告白して受け入れてもらったときの嬉しさや、これまでにあった出来事などが簡単に書かれ、相手のことが変わらずに好きだということ、そしてこれからもよろしくというような言葉で締められた手紙だった。
 好き。いつか長谷部くんにも言われた言葉だ。この燭台切の「好き」と長谷部くんがかつて僕に告げた「好き」はきっと同じ気持ちなのだろう。しかし、僕のこの気持ちはどうだろう。
 歌仙くんに言ったとおり、長谷部くんのことは嫌いではない。むしろ好ましいと思っている。僕のこの「好ましい」と長谷部くんの「好き」は違うもののような気がしてならない。僕には相手を包むような慈愛の心も、はたまた捨て身でぶつかっていくようながむしゃらさも、ない。僕の心にきっと恋は宿っていない。
 だけど僕は恋文を書かなければならないのだ。
 長谷部くんから告白された日。あの日のことを僕は思い出す。

◆ ◆ ◆ ◆

 あれは銀杏の樹から葉が舞い散り、地面を見事な金色に染め上げた頃のことだ。
 今思えばその日の長谷部くんの様子はどことなくおかしかった。なにか物言いたげに僕を見ては視線をそらすという振る舞いばかりしていたのである。僕は不審に思いつつも向こうから話しかけてこないのをこちらから踏み込むのも悪いかと放っておいたのだが、内番の手合わせを終えて自室に戻る途中、誰もいない廊下でとうとう長谷部くんから呼び止められた。
「燭台切、おまえのことが好きだ。俺と恋仲になってくれ」
 長谷部くんなら、いいかな。
 告白されてまず僕はそう思った。
 長谷部くんのことは正直好ましいと思っている。戦場での鬼神さながらの戦いぶりも本丸での凛としたたたずまいも、いつか見たあどけない子供のような寝顔も、僕は結構気に入っている。
 特に他に好いている相手や、交際中の相手もいない。せっかく人の身を得たならば一度くらい恋愛というものをしてみるのも面白いかもしれない。
 恋愛もできて、長谷部くんの希望も叶えられて、そのうえこれからもあの笑顔を隣で見られるなら、それはとても良いことのように思われた。
「いいよ。他に付き合っている相手もいないことだし」
 そう言うと、長谷部くんはしばらく俯いた後、そうか、と呟いて顔を上げる。くしゃりとした笑顔がそこに貼り付けられていた。
「……これからよろしく、燭台切」
 その笑顔はあんまり好きじゃないな、と僕は思った。

◆ ◆ ◆ ◆

『君が僕に想いを告げたあの日、君がどうしてあんな風に笑ったのか、僕は未だにわからない。尋ねたら、君は教えてくれるだろうか』

『僕は、君の事がもっと知りたい』

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