夏色センチメンタル

短編
     

65862文字(全14ページ合計)

【十】

 外は台風が近づいている影響だとかで、朝から雨だった。机に頬杖をついて窓からぼんやりと外を眺めていると、コンコンと部屋がノックされる。一拍置いてドアノブが回り、がちゃりとドアが開く。
「光忠」
 ドアの方に視線をやると、難しい顔をした母さんと父さんがそこに立っていた。
「……長谷部さんのご両親と、話をしてきました」
「…………うん」
「金輪際、国重くんと会わないようにって。スマホも全部替えるから、連絡もよこさないでくれって言われた」
「……………………そっか」
 はあ、と大きな溜息が聞こえる。
「光忠、あなたその、ゲイだったの?」
「……好きになったのは長谷部くんが初めてだから、わかんないよ」
「いつから付き合ってたの?」
「先々週くらい」
「ねえ、どうして、」
 さらになにか言おうとした母さんの肩を、父さんが掴んで止めた。
「なあ、光忠と二人で話をさせてくれ」
 いつもより強い語調で告げる父さんに根負けしたらしく、母さんは渋々と部屋を出ていった。ドアが閉められてから、父さんはすこし屈んで僕に視線を合わせる。

「…………なあ、光忠。父さんたちは光忠が同性愛者ならそれでもいいんだ。驚いたけど、光忠が好きなひとと幸せなら、それで満足なんだよ」
「なら、なんで僕は長谷部くんと引き離されなきゃならないの」
「君たちが、まだ子供だからだ」

 ぐ、と言葉に詰まる僕に、父さんが淡々と告げる。

「君たちは学生で、まだ親の庇護下にある年齢だ。保護者には子供に悪影響だと思ったら、子供からその対象を引き離す権利や義務がある。そして、世の中はマイノリティに理解のある親ばかりとは限らない」
「好きな相手と一緒にいるのが、そんなに悪いことなの?」
「光忠、そういうことじゃないんだ」

「こっちだって好きで子供やってるわけじゃないのに、なんでそんな、どうにもならないこと言うんだよ!」

 バン、と机を叩く。
 どうして、なんで、と疑問ばかりがぐるぐると頭の中で暴れ狂う。なんでもできると思っていたのに、己の非力さを突きつけられてやるせなかった。父さんたちが悪いわけでも、僕たちが悪いわけでもないのは本当はわかっているのに、どうにもできない苛立ちをぶつけてしまう。それこそが子供の証なんだって僕ももう気づいていた。それなのに、どうしようもできない。どうすることもできない。自分の無力さが情けなくて、腹立たしくて、悔しい。
 父さんはまだなにか言いたそうだったが、僕の様子を見て諦めたようで、「また話そう」と部屋を出ていった。

 ようやく静かになった部屋の中、僕は机に突っ伏して、あの日のことを思い出す。
 あの日、僕たちのキスの現場を目撃した長谷部くんのお母さんはその場で卒倒し、すぐ後からやってきた長谷部くんのお父さんに仕方なく事情を説明したところ殴られそうになった。それをすんでのところで止めてくれたのは野村さんだった。
 すぐにその日のうちに僕の両親の元にも連絡が行き、学校には連絡せずにお互いの家同士で今後のことを取り決めることになって、その話し合いが今日だった。
 当事者不在の話し合いで決められたのは、僕たちを二度と会わせないこと、連絡を取らせないことだった。

 あれから長谷部くんはスマートフォンを替えられたらしく、いくらメッセージを送っても既読にはならなかった。
 机の上で低い唸り声を上げて振動するスマートフォンを見れば、鶴さんから連絡が来ていた。そこには、たった一言。

『今、出てこれるか?』

 慌てて窓の外を見ると、ビニール傘を差した鶴さんが僕の家の前に立っていた。僕はカバンを引っ掴んでばたばたと家を出ていく。後ろから「どこに行くの!」と母さんの声が追いかけてきたので、「鶴さんと会ってくる!」と怒鳴りつけるようにして返す。スニーカーを履いて傘を掴んでドアを開けてすぐのところに鶴さんは立っていた。
「よう、光坊。ちょっと散歩しようぜ」
 てるてる坊主みたいなロングパーカーを着た鶴さんは、チェシャ猫みたいな笑みを浮かべていた。

◆ ◆ ◆

「実は昨日、うちに長谷部の世話役だっていう爺さんが来てな。事情は大体聞いたぜ」

「野村さんが……?」
 怪訝に思って聞き返すと、「そうそう、そんな名前だった」と鶴さんが笑う。
「このあたりで鶴丸って名字してて、子供が高校の生徒会長やってるような家は一軒だけだからな。おまえの家に行くのはバレそうだからって、伝言を預かってきた」
 そこで鶴さんはちょっと真顔になって僕を見た。

「長谷部、明後日から海外に行くらしい」

 傘にぱたぱたと雨粒が落ちる音がする。立ち止まる僕たちの横を、ざあっと泥水を跳ね上げながら自動車が通り過ぎていく。
「元々決まっていた話なんだそうだ。夏休みが明けたら向こうの全寮制学校に留学する予定だったのを、今回のことですこし予定を早めたそうだ」
 僕は、そこでようやく長谷部くんがどうして僕の誕生日にあんなにこだわっていたのかに思い至った。長谷部くんは、全部最初からわかっていたのだ。夏休みが明けたら僕とは会えなくなることをわかっていて、それで。
 くしゃりと顔を歪める僕の肩に鶴さんがそっと触れてくる。

「……長谷部から伝言だ。『楽しかった。今までありがとう。おまえのことは忘れない』」

 息が止まる。今まで長谷部くんと過ごした時間が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。初めて会った日のこと、生まれて初めてのハンバーガーを美味しそうに食べる顔、日本刀を語る時のきらきらした瞳、お好み焼きをひっくり返す時の真剣な眼差し、それから、それから。
「…………鶴さん、」
「なんだい」
「僕、もう一回長谷部くんに会いたい」
「会ってどうする?」
「わかんない。でも、会いたいんだ。会って、話がしたい」
 じわりと涙の滲む目を乱暴に擦る。最後に見た長谷部くんの顔が、あの悲しげな顔のままになるのはどうしても嫌だった。
「そうかぁ……」
 鶴さんはふっと微笑むと、一転、にかりと笑って力強くばしんと僕の背中を叩いてきた。
「じゃあ、鶴さんからとっておきのお知らせだ。長谷部の家の裏口だが、今日はなぜか『うっかり』開けっぱなしになってるそうなんだ」
 驚く僕に鶴さんは片目をぱちんと閉じてみせる。
「納得行くまで話をして来るといい。話をした末にそのまま逃避行するのも別れるのも、君たち次第だ。君の両親には俺からうまく誤魔化しておく」
 そう言って僕に一枚の封筒が押し付けられた。おそるおそる中を見ると、何枚かの紙幣が入っている。

「鶴さん、これ……」
「これは、俺と伽羅坊と貞坊からの餞別だ。食事代でも交通費でも宿代でも、なんでも好きに使ってくれ」
「…………鶴さん、ありがとう。伽羅ちゃんや貞ちゃんにも、お礼言っておいて。この借りは絶対、ちゃんと返すから」
 封筒をカバンに詰め込む。駅まではあと数分だった。
「行って来るといいさ。悔いの残らないようにな!」
「うん!」
 そうして僕はばしゃりと水たまりを蹴散らして走り出した。

◆ ◆ ◆

 いつか見たあの長い長い塀をぐるりと辿って家の裏手へ回り込むと、裏口らしい簡素な扉が見えた。僕は周りに人がいないことを確認してからそうっと手を伸ばして回す。カチャリと音を立てて、あっけないくらい簡単に扉が開いた。
 門の隙間へ体を滑り込ませるようにして中へ入ると、長谷部くんの家の裏手が見えた。万が一にも誰かに見つからないように慎重に進んでいくと、二階に見覚えのあるカーテンがかかった窓を見つけた。
 僕は足下に落ちていた小石を軽く窓に投げつける。カツン、と石は窓に当たって落ちる。しばらく待ってみて反応がなかったので、もう一度投げる。
 するとすこしだけカーテンが開いて、長谷部くんが顔を出した。怪訝そうに窓の外をぐるりと見回して僕の姿に気づくと、藤色の目をまんまるに見開いた。
 長谷部くん、と声を出さずに口を動かす。一旦傘を地面に置き、長谷部くんに向けて両腕を広げてみせると、小さな頷きが返ってきた。
 長谷部くんは一度部屋の中に戻って荷物を取ってきたようで、カバンを片手に持った状態で窓を開けた。
 窓枠に足をかけた長谷部くんはそのまま僕目がけて飛び降りてくる。僕はその体を重力ごとなんとか受け止めて支えた。軽いって言いたかったけど、結構しんどい。もっと筋トレをしなきゃなぁ、なんて頭の隅で考える。

「光忠、おまえ、なんで」
「長谷部くんともう一回、ちゃんと話がしたくて」

 そう言うと、長谷部くんは家の方をちらりと振り返ってから、「ちょっと待て」と言って勝手口らしきところからサンダルとビニール傘を拝借して戻ってきた。
「ここにいたんじゃ見つかる。いったん外に出よう」
 そうして僕達は手を取って塀の外へ出ると、そのまま足早に歩き出した。
 着いたところは駅前のハンバーガーショップで、初めて長谷部くんと出会った店の系列店だった。取り急ぎ飲み物だけ頼んで席に座る。

「……長谷部くん。この間は、ごめん」
「いい。同罪だろ」
 長谷場くんはゆるりと首を振る。すこし湿った髪が重たげに揺れた。
「俺こそ、留学のこと黙ってて悪かった。鶴丸から、もう聞いたんだろう?」
「……それは、ちょっと怒ってる」
「だろうな」
 苦笑が返ってきた。
「本当はもっと早く言うつもりだったんだ。でも、おまえといるのが楽しくて、言ったら楽しいのも全部終わりになる気がして、それで」
 煤色の睫毛が静かに伏せられる。長谷部くんの気持ちをなんとなく察することができて、僕はなにも言えなかった。きっと、逆の立場だったら僕もギリギリまで言い出せなかったと思うから。

「……結局、全部できなかったな」
「なにが?」
「TODOリスト。海だけ行けなかった」
 そうして悲しげに微笑む長谷部くんを見て、僕はぐっと拳を握りしめた。
「行こうよ!」
 え、と驚きの形に口を開く長谷部くんに告げる。
「今から行こう。海」
「光忠、」
「逃げちゃおうよ、僕と」
 そう言ってテーブル越しに手を伸ばす。長谷部くんは一瞬迷うように手を引っ込めかけたけれど、それでも最後にはしっかりと僕の手を取って頷いてくれた。

 電車を乗り継いで辿り着いたのは海辺の町だった。辺りはいつの間にかすっかり暗くなっていて、僕は長谷部くんと手を繋ぎながら反対側の手で傘を差し、知らない町を歩く。古びた街灯が灯るうす暗い夜道は、ほんのりと潮の香りがした。
 さっそく地図アプリを開いて海の方に向かおうとしたら、地元民らしき人に呼び止められる。
「おまえら、なにしてんだ! 波が高いから今日は浜辺は危ないぞ!」
 言われてみればその通りで、スマートフォンで天気を確認すると、今夜いっぱいは台風の影響でこのあたりに高波警報が出ていた。
「……どうする?」
「とりあえず、このまま帰るのもあれだし、どこかに泊まるしかないだろ」
 そうしてしばらく歩いていて目に入ったのは、ペンキの剥げかけたピンク色の壁をした建物だった。ギラギラと光る豆電球でぐるりと囲まれた看板には「ご宿泊」「ご休憩」と書かれている。ラブホテルだ、と気づいて二人で顔を見合わせる。

「……光忠、」
「……その、他に民宿もなさそうだし、仕方ないんじゃないかな」
「仕方ない、よな」
「……うん。仕方ない」

 手の汗ばみを互いに感じながら、僕たちは自動ドアをくぐった。半透明のガラスで仕切られた受付に向けて、素知らぬ顔で「宿泊で」と告げてみる。学生、しかも男同士なんてなにか言われるかと思ったけれど、ガラスの向こうに座っている中年女性らしき人は「後ろのパネルで部屋を選んでください」と機械的に答えるだけでなんだか拍子抜けした。
 パネルから適当な部屋番号を選び、ボタンを押してエレベーターに乗り込む。目的の階で降りるまで、二人ともずっと無言だった。それなのに僕らの間に流れる空気だけは雄弁に互いの想いを伝え合っていた。今すぐ触れ合いたい。キスをしたい。もっと深く、お互いの熱を確かめ合いたい。そんな欲求が繋いだ手の熱からも伝わってくる。
 それでも、部屋に入って荷物を下ろし、交代でシャワーを浴びるだけの理性は残っていた。
 僕と入れ替わりでシャワーを浴びてきた長谷部くんが、先にベッドに座っていた僕の隣におずおずと腰を下ろす。長谷部くんも僕も、備え付けのペラペラのバスローブを身に纏っていた。くすんだピンク色のルームライトに照らされた、大きなベッドだけの部屋。そんな非日常的な空間の中で、ごわついたバスローブの感触だけがやけにリアルだった。
「光忠、」
 長谷部くんが僕の名前を呼んで手を重ねてくる。隣を見ると、長谷部くんがじっと僕を見つめていた。僕もその瞳を見つめ返して、するりと頬を寄せる。
 気づけば僕たちは吸い寄せられるように深く唇を重ねていて、薄く煙草の匂いの染み込んだベッドの上へもつれるようにして倒れ込んだ。男子高校生二人分の体重を受けて、ベッドからギシギシと安っぽいスプリングの音がする。

「ねえ、長谷部くん、」
「抱いていいかって聞いたら怒るぞ」
「ええ……」

 でもまあこの雰囲気でそれを聞くのはたしかに野暮だったかもしれない。僕としたことが。静かに反省していると、放っておかれたことに拗ねたのか、長谷部くんが唇を尖らせて僕の後頭部を掴み、こつんと額をぶつけてきた。
「いいから早く抱け、馬鹿」
 そう言って頬を染めた長谷部くんは不器用な触れるだけのキスをする。次第に深くなっていく口付けに逆らわず、僕は長谷部くんのバスローブの紐をしゅるりと解いた。お互いの唇から漏れる水音が部屋の中に響く。
 バスローブをはだけさせ、そこから現れた白くなめらかな肌に僕は感嘆の息を漏らした。

「長谷部くん、綺麗だ」
「……前も見ただろ」
「この間は下半身だけだったから」
 そう言って僕は長谷部くんの小さく色づいた胸の飾りに唇を落とす。
「ここ、自分で触ったことある?」
「ん……ない……っ」
「じゃあ僕が初めてだね」

 ちょっぴりの優越感を覚えながら長谷部くんの乳首に吸い付いて、空いた手でもう片方の乳首もくりくりと刺激する。
「ぁ、んっ、そこばっか、やだ……」
 小さく腰を揺らす長谷部くんにくすりと笑って、僕は放っておいた下肢に手を伸ばす。
「……こっちも、触るね」
 ズボンのジッパーを下ろして下着を脱がせて。現れた性器は既に立ち上がってこぷこぷと先走りを垂らしていた。そっと手を伸ばすと、長谷部くんは小さく喘いだ。
 そのまま先走りを茎全体に絡めるようにして手を上下に動かすと、長谷部くんが手の甲で口元を抑えるのが目に入る。
「長谷部くん?」
「っだ、めだ……出る、」
「出していいよ」
 そう言って亀頭を撫で回すと「んぁっ」と鼻にかかった声が漏れる。
「やだ、一緒が、いいっ……」
「……かわいい、長谷部くん」
 僕はちゅっと長谷部くんのおでこにキスをすると、長谷部くんの脚の間に手を差し入れ、後ろの穴へと手を伸ばした。ベッドヘッドに置いてあったパック入りのローションの袋を歯で噛み切って開け、片手に出してから穴の縁にそっと塗り広げていく。
「んんんっ」
「ごめん、冷たかったかな」
「だいじょぶ、だ」
 長谷部くんの反応を慎重に伺いながら、つぷりと指を一本侵入させる。
「ぅ、あ、」
 思ったよりも抵抗が薄い。まさか、と思い尋ねる。
「……もしかして、慣らしてきた?」
「…………一応」
「僕も呼んでくれればよかったのに」
「言えるか、馬鹿」
 長谷部くんが僕に蹴りを入れようとして足を上げ、その拍子に中に入れていた指がきゅうっと締めつけられる。中の異物感に呻き声を上げながらシーツに撃沈した長谷部くんを、僕はあやすようにぺちぺちと叩いた。
「ほら、おとなしくして」
「…………うぅ」
 ローションを注ぎ足しながら、くちくちと穴を慣らす。そろそろ指を増やしても良さそうかな、と思っていると、ある一点で長谷部くんの反応が変わった。
「あっ……!?」
 きゅう、と中を締め付けられて思わず唇を舐めた。男の体の中にそういう場所があることは、事前に調べて知っていた。
「……前立腺、てやつかな。気持ちいい?」
「わかんなっ……あっあ、や……!」
「……指、増やすよ」
 二本の指でそのしこりを挟むように動かすと、長谷部くんはふるふると首を横に振った。ぱさぱさと煤色の髪がシーツを叩く。

「ぁ、っひ、や、やめ、おかしくなっちゃ、」
「大丈夫だよ、ちゃんと僕がここにいるから」
「あっ、みつ、みつただ、そこ、やらっ……」
「大丈夫、大丈夫」

 三本目の指を入れる頃には長谷部くんの性器からはとろとろと絶えず先走りが流れていて、後ろまで垂れてくる有り様だった。

「み、みつた、」
「なぁに?」
「も、挿れろ……!」
「んー、まだもうちょっと、」
「おまえと、早くひとつになりたい……ッ」

 これ以上ない殺し文句だった。

「……わかった。痛かったらすぐ言ってね」
 痛いほど張り詰めていた自身を取り出して穴にひたりと押し当てると、ごくりと長谷部くんの喉が鳴った。その瞳には、わずかな不安とたしかな興奮が浮かんでいた。きっと僕の瞳にも同じ色が浮かんでいるのだろう。
「……挿れる、よ」
 腰を押し進めると、わずかな抵抗のあとぐぷりと亀頭が飲み込まれていく。
「あ、ぁ、っふ……!」
「ぅ、わ、すご……っ」
 熱くて狭くてきゅうきゅうぐねぐねと締め付けてくる感触に知らず溜息を漏らしてしまう。ただただ訳がわからなくなるほど気持ちがいい。
 性急にことを進めようとする本能をなけなしの理性で押さえつけて、そのままゆっくりと腰を進めてようやく全部が埋まると、どちらからともなくキスをした。

「……入るもんだな」
「ね。痛くない?」
「大丈夫だ。死ななきゃ安い」
「あのねぇ……」

 苦笑を零すと、長谷部くんは泣きそうな顔で微笑みながら、いとしおげにその薄い腹を撫で上げた。
「……この中に、おまえがいるんだな」
 ひゅっと息を呑む。
「っ……長谷部くん!」
「うわ、馬鹿、大きくするなっ」
「無理。無理だよ。なんでそんなにかわいいかなぁ、もう」
 ぎゅうと抱きしめると、中で角度が変わったらしく長谷部くんが「ぁう、」と声をあげる。僕の理性はもうそろそろ限界だった。長谷部くんの腰を掴んで顔を覗き込む。
「動くよ。いいね?」
「……ん」
 小さく頷いたのを確認してから、僕はゆっくりと腰を動かし始めた。
「あ、ゃ、ッ、あん」
「はぁ……長谷部くん、長谷部くんっ……」
 最初はぎこちなかった腰の動きも、繰り返すにつれて要領を掴んで滑らかになっていく。押して引いて、回して捻って。その度に長谷部くんがあげる甘い声に僕の頭は沸騰しそうなくらい興奮した。

 今、僕は長谷部くんを抱いている。
 いとしくていとしくてたまらないひとと、ひとつになっている。

 その事実が涙が出るほど嬉しくて、滲む涙を振り払うように僕はすこしでも長谷部くんの性感を高めようと腰を振るう。
「ゃ、あ、ぁ、ッ! や、も、イきたっ……!」
 高くなる長谷部くんの嬌声と腰から昇る快感で、互いの終わりが近いのを感じ取る。
「っ、みつた、一緒に……!」
「うん、僕もイく……!」
 長谷部くんの性器を掴んで上下に扱きながら腰の動きを速め、一緒に高みまで上り詰めていく。
「ぁ、あ、あ、~~ッッ!」
「くっ……!」
 僕が長谷部くんの最奥へ思いの丈を吐き出すのと、僕の手の中で長谷部くんが弾けるのはほぼ同時だった。はぁはぁと荒い息を吐きながら、射精後の余韻からかびくびくと締め付けてくる長谷部くんの体内からなんとか己を引き抜いて、ごろりと横になる。

「は、ぁ…………大丈夫? 長谷部くん」
「……おまえこそ」
「……とうとうやっちゃったね」
「やっちゃったな」

 そう言って額を合わせ、くすくすと笑い合う。
「中に出しちゃったから、後でお風呂で洗おうね」
「っ……そういうこと、よく恥ずかしげもなく言えるな」
「ええ……こんなコトしといて今更そういうこと言う?」
 指でつうっと背中を撫でると、やめろ馬鹿、と長谷部くんにその手を叩き落とされた。
 スマートフォンを見ると時刻は既に零時を回っていて、台風が温帯低気圧に変わったことがニュースサイトに記されていた。
「台風、なくなったみたい」
「そうか」
「うん。良かったね、今日は晴れるみたいだよ」
 そう言いながら枕元の充電器にスマートフォンを挿していると、長谷部くんが僕の着ていたバスローブの裾をくいと引いた。

「……あのな、風呂に入って、一眠りしたら、」
「うん」
「海を見に行こう、光忠」

◆ ◆ ◆

 翌朝精算を終えてホテルから出ると、そこには澄み渡るような青空が広がっていて、晴れた空の下で海は次から次へと波をこちらへ送り続けていた。
 靴と靴下を脱いでちゃぷちゃぷと波打ち際を一緒に歩く。すこし動くだけでじわりと汗ばむような気温に、ほどよく冷たい海の水は心地よかった。
 時折ふざけて水をかけ合いながらじゃれていると、不意に長谷部くんが僕の名前を呼んだ。

「なあ、光忠」
「なに?」
「帰ろうか」

 静かな声だった。

「っ……なんで……!」
「おまえだって分かってるだろう。逃げ続けるだけじゃなにも解決しないって」
「でも、」
「ホテルでおまえの寝顔を見た時、まだ子供だなぁって思ったんだ」
 そう言って長谷部くんはぱしゃりと打ち寄せてくる波を蹴った。
「俺たちはまだまだ子供で、親の庇護なしでは生きられない」
 ざあと音を立てて波が引く。足の裏で波の動きに合わせて砂の動く感触がする。足を取られないように気をつけながら、僕は黙って長谷部くんを見つめた。

「昨日から使ってる俺のお小遣いだって、親の稼いだ金だ。おまえのだって似たようなもんだろう。おかしいよな、親から逃げてるはずなのに、親のものに縋って生きてる」
「……それ、は」

 わかっている。父さんにも言われたこと、僕だって本当はわかっていた。
 僕たちはまだ子供で、子供ふたりが親の庇護なしで生きていけるほど、この世の中は単純じゃないってこと。鶴さんたちがくれたお金だって、多分元々は鶴さんたちの家族が一生懸命働いて稼いだお金なんだってこと。

「だから、光忠、俺はやっぱり海外に行くことにした。誰にもおまえとの交際を止められないくらい立派な大人になって、必ずおまえの元に戻ってくる。それまで、待っててくれるか?」
 長谷部くんの視線が真っ直ぐに僕に突き刺さる。僕のことを信じて疑わない瞳だった。

「…………長谷部くんは、かっこいいなぁ」

 いとおしさと情けなさとが同時に溢れてきて、歪んだ顔を見られないように僕は長谷部くんを抱きしめた。
「僕がいなきゃ、ハンバーガーの食べ方もわからなかったくせにさ」
「今はもんじゃ焼きだって作れるぞ」
 全部、おまえが教えてくれたから。そう言って、肩越しに長谷部くんが笑う気配がした。
「返事はどうした、伊達男」

 ああ。僕は思う。僕の好きな人は綺麗で、かわいくて、この世で一番かっこいい。
 だからこそ、僕は彼の隣に胸を張って並び立てるようになりたい。長谷部くんが自慢の恋人だと誇れるような自分で在りたい。

 僕は長谷部くんの両肩をそっと掴み、その瞳の一途さに負けないくらい真っ直ぐに見返した。

「……僕も、君のこと自信を持って迎えに行けるくらい立派な大人の男になってみせる。だから、待ってて」
「ああ。待ってる」

 そうして互いに唇を重ね合わせた。

 ほんのりと塩っぽい味がしたのは、海風のせいか、涙のせいか、どちらにもわからなかった。

◆ ◆ ◆

 殴られる覚悟で長谷部くんの家へ戻ると、門のところに野村さんが立っていた。僕たちを見つけて、ほっとしたように胸を撫で下ろしてくれる。長谷部くんは野村さんに足早に近寄り、躊躇いがちに口を開いた。
「……じいや、あの、すまない。その、」
「なんのことですかな。昨日坊ちゃまは私の家に、長船様はご友人方と鶴丸様の家に泊まっておりましたが……」
 そうですね、と野村さんがウィンクしてみせる。それだけで僕たちはすっかり事情を把握してしまった。僕のスマートフォンにも、長谷部くんのスマートフォンにも両親からの連絡が来なかったのは、野村さんや鶴さんたちがうまく立ち回ってくれていたおかげなのだろう。
 僕たちが戻らない可能性も考慮して、それでもこうして信じて待ってくれていたみんなの信頼が嬉しくて、その反面申し訳なくて泣けてくる。
 なんでもできるだなんて、本当に思い上がりだった。僕は、こんなにみんなに助けられていたのに。

「光忠、またな」
 長谷部くんが僕の手を両手でぎゅっと握ってくる。僕もその手を握り返す。これがしばらくの別れになることはお互い承知の上だ。だからこそ、僕はとびっきりの笑顔を長谷部くんに向けた。
「うん、またね」
「ああ」
 最後に見た長谷部くんの顔は笑っていて、僕はその笑顔をしっかりと胸に刻みこんだ。

 その後電車を乗り継いでひとり帰宅すると、リビングにいた母さんとさっそく鉢合わせた。
「おかえりなさい。国永くんたち、元気だった?」
「あ、うん。ただいま。鶴さんたちならみんな元気だったよ」
 野村さんや鶴さんの気遣いを無駄にしないようにそう告げると、母さんはふうんと言って手元のリモコンを弄ってこう言った。

「随分磯臭いけど、海にでも行ったの?」
「え、と、うん」
 一瞬だけ口ごもった僕を見て、母さんは大体察したようだった。
「…………ちゃんと、お別れできた?」
 静かにそう尋ねられて、僕はまた泣きそうになってしまった。
「……できたよ」
「そう。良かったね」
 そう言うと母さんはすこし笑って、それ以上はなにも聞かずにテレビへと視線を移した。

 僕は自分の部屋に戻ってエアコンのスイッチを入れ、カバンからスマートフォンを取り出す。きっとこのスマートフォンに長谷部くんから連絡が来ることは当分の間ないだろう。
 TODOリストを開いて、「家で遊ぶ」「海」の項目にチェックを入れ、全て項目が埋まったリストのスクリーンショットを取って、ロックをかけて保存する。いつか長谷部くんと一緒に見られたらいいと、そう思う。
 メッセージアプリの、長谷部くんとのトーク画面を開く。今までの会話を最初から順に眺めては、その懐かしいやり取りに微笑ましくなってひとりでひっそり笑う。
「…………はは」
 微笑ましいはずなのに勝手に涙がこぼれる。ぐいと手の甲で目元を拭い、どさりとベッドに体を横たえた。今朝まで海風に晒されていた髪からぱらぱらと細かな砂が落ちてくる。これは、あとでシャワーを浴びた方がいいかもしれない。
 次から次に溢れてくる塩辛い水を拭いながら、僕は長い長い息を吐いた。
 僕は長谷部くんとの約束を思い出す。「さよなら」ではなく、「またね」を僕たちは誓いあった。だから大丈夫。またきっと、僕たちは会うことができる。

「……長谷部くん、」

 長谷部くん、長谷部くん、長谷部くん。心の中で何度も大好きなひとの名前を呼ぶ。

 今度会った時は必ずもっと大人の男になってみせるから、だから。今だけは、君を想って泣かせてほしい。

 そうして僕の高校二年生の夏は終わりを迎えたのだった。

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