夏色センチメンタル

短編
     

65862文字(全14ページ合計)

【二】

『今週の土曜空いてる?』
『午後なら空いてる』
『僕お昼まで生徒会があるんだけど、お昼ご飯一緒に食べない?』
『またあそこのハンバーガーでいいか?』
『長谷部くんが食べたいならいいけど、たまには違うところにしない?』
『例えば?』
『うーん、ファミレスとか?』
『行ったことがない』
『嘘だろ』
『本当だ』
『じゃあファミレスにしよう。待ち合わせは十三時でいい? 長谷部くん最寄り駅は?』
『□□駅だ』
『じゃあ中間の○○駅で待ち合わせよう』

 既読の通知とほぼ同時に『了解』とスタンプが返ってきたので、僕は思わずふふっと笑った。僕のあげたちょっと不細工な猫のスタンプを、長谷部くんは思いのほか気に入ってくれているらしい。
 うちの高校はサイレントモードにして授業中に使用しないのであれば学校にスマートフォンを持ち込み可能なのだが、この時間に連絡が取れるということは長谷部くんの高校も多分似たような感じなのだろう。
 紙パックのミルクティを飲みながら片手でスマホを操作し、『よろしく』とスタンプを送ってからトーク画面を閉じた。クラスメイトや家族のカラフルなアイコンの並ぶ履歴の一番上に、初期設定のそっけないアイコンが並んでいるのはちょっと面白かった。うちの両親なんて面白がって自撮り写真や旅行先の写真をアイコンにしているのにえらい違いだ。これも今度教えてあげた方がいいのかもしれない。

「光忠くんなに見てるのー?」
「ん? ちょっとね」
 前の席の三浦さんがこちらの机に腕を乗せて身を乗り出して来た。動きに合わせてやけに甘ったるいコロンの香りがする。
「彼女?」
「まさか」
 びっくりして答える。鶴さんといい、彼女といい、なんでこうみんなそっち方面の話に結びつけようとするのだろう。
「ホントに?」
「ただの男友達だよ」
 たった一週間前に会ったばかりの、と心の中で付け足すと、彼女は疑り深そうに「えー」と不満げな声をあげた。
「だって最近光忠くんずっとスマホ見てにやにやしてるから」
 僕はそんなににやついていた顔をしていただろうか。たしかに最近長谷部くんから時々連絡が来るようになって、休み時間の度にスマートフォンを確認するようにはなったけれど、傍目から見た自分の姿がどうなっているなんて気にしてなかった。迂闊だった。スマートフォンを眺めてにやついてるように見えるなんて、そんなのはかっこよくない。

「え、みっちゃん彼女いるの?」
「嘘、マジ?」
「いないって!」

 中途半端に話を聞きつけたクラスメイトたちがどやどやと周りに集まってきたので慌てて否定する。
「黒高の男子だよ。ただの友達」
「黒高の子? めっちゃお嬢じゃん」
「絶対美人でしょ。見たい。写真ないの?」
「いいな。俺にも紹介してよ」
「だから違うって!」

 僕の必死の否定に被るようにして教室前方のドアがガラリと開き、先生が入ってきた。
「授業始めるぞー」
 みんながバタバタと席に戻っていくなかで、僕はほっと息をついた。助かった。
 鞄から教科書とノートを取り出して机の上に広げる。今日の日付と僕の出席番号、それから先生の性格からして今日指名されることはないと思うけど、油断は禁物だ。
 カチカチとシャーペンの芯を出しながら気を引き締める。
 ふと、長谷部くんは今頃なんの授業を受けているんだろうか、と思った。

 約束の土曜日は生憎の雨だった。
 学校で他の役員や執行部員たちと今度の修学旅行についての打ち合わせを終えて、僕は足早に目的の駅に向かう。今日は雨が降っているのと、長谷部くんと待ち合わせているので電車通学だった。
 人がまばらに乗っている電車の中、傘から落ちる雫で濡れた床を、滑らないように慎重に歩いてつり革に掴まった。息を吸うと生乾きの洗濯物のような、なんとも嫌な匂いがする。雨の日の電車はこれがあまり好きではない。
 タタン、タタタン、と不規則にリズムを刻む電車に揺られていると、ブブ、とポケットが震えた。

『着いた。今どこだ?』
 長谷部くんからだった。
『電車に乗ってるとこ。あと五分くらいで着く』
『わかった』

 それからすぐに電車は駅のホームで緩やかに停車した。電車を降りてあのじっとりとした空気から解放されるかと思いきや、外も同じように湿った空気が肌に纏わりついてきた。むしろ冷房があった分電車の方が体感的には過ごしやすかった気がする。
 うまくいかないなぁ、と思いながらホームの階段を降りて改札を出た。
「長船」
 声をかけられて顔を向けると、改札を出てすぐのところに長谷部くんが立っていた。
「ごめんね、待った?」
「大丈夫だ」
「長谷部くんも学校あったの?」
 僕も他人のことは言えないが、土曜日だというのに長谷部くんは制服姿だった。ちなみに、今日は眼鏡はかけていない。

「補講があったんだ」
「まだ二年だよ?」
「うちは特進クラスだから一年の時から補講があるんだ」
 長谷部くんはお金持ちというだけでなくて頭も相当にいいようだった。
「へえ、大変だね」
 うちの高校は校風的に割とのんびりしてるというか、二年前半までは部活や委員会に打ち込んで、二年後半から受験に本腰を入れるという生徒が多いように思う。塾だって通っている人はまだまだ少ない。この先夏休みが終わったら色々環境も変わるのだろうけど、気持ち的にはまだちょっと余裕がある。

「長谷部くん大丈夫? あれ気をつけてね、ほら、受験ノイローゼってやつ」
 今からなってたんじゃ大変だよ、と付け加えると、長谷部くんはすこし驚いたように目をぱちぱちと瞬かせて、ぷっと吹き出した。
「……大袈裟だな」
「だって長谷部くん真面目そうなんだもん」
「頑固で融通が効かないとはよく言われるな」
「ほら。じゃあ、今日はしっかり息抜きしよう」
「ああ」
 雫がぽつぽつと滴る傘をぶつからせながらそんなことを話し、駅を出てすぐのところにあるファミレスへと向かう。
 緑のペンキで塗られたドアを、長谷部くんはおっかなびっくりといった様子で開けた。

「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「に、二名で」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 店内の真ん中近くの席に案内されたので、僕は「やった」と声をあげた。
「ドリンクバーが近い」
「ドリンクバー?」
 ここまで来ると僕も長谷部くんの言動にいちいち驚かなくなっていた。
「ドリンクをね、自分で取ってくるやつ。そこに機械があるだろう? あそこで好きな飲み物を取ってくるんだ」
「へえ、面白そうだな」
 既に目をきらきらと輝かせている長谷部くんにメニューを渡すと、彼はそれも珍しそうにしげしげと眺めた。
「写真が沢山載ってるな……」
「えっ驚くところそこ?」
「俺が家族で行くレストランや料理店はメニューに写真が載ってないところの方が多いな」
「マジかー……」
 改めて住む世界の違いを感じてしまう。もしかしなくともあれだろうか。長谷部くんの言っているのはソムリエとかギャルソンとかシェフとかがいる三ツ星の高級レストランなんだろうか。グルメサイト評価四点以上の超人気店とか、いっそグルメサイトには載ってない、一見さんお断りみたいな会員制のレストランの可能性すらある。
 そんな殿上人のセレブ男子は、今僕の前で数百円のドリアに温泉卵をつけるかつけないかで悩んでいる。多分彼の懐事情的にはメニュー全品頼んだっておつりが来るくらいだろうに。でも温玉つきドリアは魅力的だよねわかる。

「……フォカッチャにバニラアイスつけるのも美味しいよ」
「本当か? 悩むな……」

 結局長谷部くんはそれからたっぷり五分ほどうんうん悩みつつ、温玉つきのドリアとバニラアイス乗せフォカッチャを、僕は同じく温玉つきドリアにスパイシーチキンを頼んだ。注文してから十分ほどで料理が来たのにも長谷部くんは驚いたようだった。

「温玉はいいな」
 ドリアの上でふるふると揺れる卵の表面をスプーンでつぷりと割りながら、長谷部くんはほうと溜息をついた。
「温玉が乗ってると大抵のものは三割増くらいで美味しくなるよね」
「俺は温玉だけ食べるのも好きだ」
「あ、旅館の朝食みたいなやつ? だし入りの。僕も好き」

 そんなくだらないことを皮切りに、僕は長谷部くんといろんな話をした。お互いの家族構成、学校のこと、得意な科目、苦手な科目。
 長谷部くんのお父さんはこの辺りじゃ有名な大病院の院長で、長谷部くんはその跡を継ぐために小さい頃から勉強をしているのだということも話してくれた。あの日ハンバーガーショップにいたのは、いつも塾帰りに送迎してくれるじいやが急な体調不良で来られなくなってしまい、一人で帰るついでに初めての買い食いというものを経験してみたかったのだそうだ。

「昔から習い事や塾ばかりの生活であまり友人がいないのをじいやから心配されていて。おまえのことを話したら喜んでくれてな。たまには羽を伸ばしてきてほしいと言われている」
 そこまで言われてしまうとなんだか責任を感じてしまう。長谷部くんとは軽い気持ちで友達になったわけだが、僕ごときではたして彼の羽を伸ばしてあげることができるんだろうか。

「が、頑張ります……?」
「おまえがなにを頑張るんだ」
「えーと、なんかこうトークとかジョークとか……?」
「そのままでいい」
 紙ナプキンで口を拭いながら、長谷部くんがふふ、と笑った。
「おまえはそのままでいてくれ」
「はあ……」
 よくわからずにむしゃりとチキンに齧りついた。
「それより、長船、ずっと気になってたんだが」
「なに?」
 ちょっと口ごもるようにしてから、長谷部くんが恥ずかしそうに口を開いた。
「ドリンクバーのやり方、教えてくれないか?」

「まさか長谷部くんがアレンジャーだったとは……」
「なんだそのアレンジャーって」
「コーヒーに炭酸ぶちこんだりする人のことだよ」
「あれは不味かったな……」
「君結構見た目によらずチャレンジ精神旺盛だよね」
「せっかく自分でドリンクが注げるなら色々試してみたいだろう」
「でもコーヒーに炭酸はない。ないから」
「ティーソーダとかあるしいけると思ったんだがな……」

 そんな軽口を叩き合いながら駅まで歩いていくと、路上駐車場に黒塗りの高級車が停まっているのが見えた。その脇に身なりの良いおじいさんが傘を差して立っている。
「じいや」
 長谷部くんが声をかけると、おじいさんはにこにことした笑顔を向けてこちらへ向き直った。
「坊ちゃま、お帰りなさいませ。彼がご友人の?」
「あ、長船光忠です。よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げて自己紹介をすると、おじいさんは「国重様のお世話役をしております、野村です」と綺麗な一礼を返してくれた。

「長船、良かったら途中まで乗っていくか?」
「いや、帰りに本屋寄りたいし大丈夫」
「そうか、じゃあまたな」
 そう言って長谷部くんは開いていた傘を閉じ、野村さんの開けたドアから後部座席に乗り込んだ。無駄のない所作でドアを閉めて運転席に乗り込む際に、野村さんが小声で僕に耳打ちをした。
「坊ちゃまのこと、どうぞよろしくお願いします」
 そうして皺だらけの顔で芸能人のようにウィンクをキメると、野村さんは長谷部くんを乗せて車を出発させた。

 なんだか今までのことが全部映画の出来事のようで、あまりの非現実感にぼんやりしてしまう。走り去っていく車の影がすっかり見えなくなったあたりで、ぶるぶるとポケットが震えた。スマートフォンのバイブレーションだった。
 慌てて我に返ってスマートフォンを取り出して見ると、通知は長谷部くんからだった。
『今日はありがとう。楽しかった』
 不細工な猫がお辞儀をしているスタンプも一緒だ。
『僕も楽しかった』
 送るとすぐに既読がついたのがなんとなく嬉しい。

 初期設定のままの無愛想なアイコンと、おどけた調子の猫のスタンプのギャップが長谷部くんらしくて、なんだかおかしかった。

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