夏色センチメンタル

短編
     

65862文字(全14ページ合計)

【六】

 隣町の友達と夏祭りに行ってくる、と母さんに告げたら、「お父さんが若い頃来てた浴衣あるから、着ちゃいなさいよ」と返された。
「えー、父さんのお下がりとか嫌だよ」
「いいじゃない。ヴィンテージよ、ヴィンテージ。それに男物の浴衣に流行りの柄とかないんだからいいでしょ」
「気持ちの問題だってば。この歳で父さんのお古とか嫌だ」
「あら。小さい頃はお父さんの真似ばっかりしてたくせに」
「何年前の話だよ……」
 時々思うけど、母さんは僕をまだよちよち歩きの子供だとでも思ってるんじゃないだろうか。もう来年には選挙権も持てる大人なのに。
「でもいい浴衣なのよぉ。勿体無いから試しに着てみない?」
 絶対に折れる気がなさそうなのがわかってしまったので、僕は渋々母さんがクローゼットの奥から出してきた浴衣に袖を通した。悔しいことに丈もぴったりで、母さんが太鼓判を押すのもわかるくらいにいい生地でできた浴衣だった。柄も黒地に白の細縞が入ったもので、思ったより悪くはない。
「似合うじゃない! ね、着て行きなさいよ、それ」
「……まあ、悪くないけどさ」
 ここで素直に褒めるのもなぜだか癪だったので、僕はあくまでも仕方なくといった体で浴衣とボディバッグを身に着けたまま家を出た。

 長谷部くんの家までは直線にするとそんなに距離がないけれど、電車で行くとなると乗り換えが一回必要なのでちょっと面倒だ。こんな時、僕の家にもお抱えの運転手がいたらいいのに、なんて思う。
 長谷部くんの最寄り駅に着くと、やはり夏祭り目当てなのだろうか、浴衣姿のカップルや親子連れが多く行き交っていた。既に祭りから引き上げたらしい、ぴかぴか光る妖精の羽根をつけたちっちゃな女の子が僕の横を笑いながら走り抜けていく。
 指定された駅前のオブジェの前できょろきょろとあたりを見渡していると、聞き慣れた声が僕の名前を呼んだ。
「長船!」
「長谷部くん」
 振り返ると長谷部くんがすぐ近くに立っていた。

「あれ、野村さんは?」
「神社の周り、祭りの間は通行止めなんだ。道路も渋滞してるし、今日は俺一人で来た」
 そう言う長谷部くんは薄いグレーの地に黒で流水紋の描かれたシンプルな浴衣を着ていた。歩きやすいように下はスニーカーの僕とは違って、きちんと下駄まで履いている。
 浴衣を着てきてよかった、と僕は内心父さんと母さんに感謝をした。これで僕だけ普段着だったら、すこし浮いていたかもしれない。
「神社までの道はわかる?」
「馬鹿にするなよ。地元だぞ、ここ」
 む、としたように長谷部くんが唇を曲げる。ごめんごめんと謝り、二人で並びながら人の流れに乗ってゆっくりと歩き出す。

 駅からのんびり歩いて十分ほどで神社に着いた。暗闇にぽつぽつと提灯の灯る参道を抜けると広場があって、そこに夜店のスペースが規則正しく並んでいる。きっちりと並んだお店とお店の隙間には、沢山の人がうじゃうじゃと無秩序に蠢いていて、その様子に長谷部くんは隣で明らかに引いていた。

 じりじりと後ずさる長谷部くんが僕の腕を掴む。
「お、長船……」
 気づいたら、僕は二の腕に触れてきた長谷部くんの手を握っていた。
「行くよ、長谷部くん」
 軽く汗ばんでしっとりした手が、おずおずと僕の手を握り返す。
「……ああ」
 触れたところの温度が尋常でなく熱い気がするのは、きっと夏のせいだと、そう思いたい。

◆ ◆ ◆

 射的に輪投げにガラス細工のくじ。屋台の子供だましみたいな単調なゲームを、長谷部くんと僕はまるで小学生の子供みたいに夢中になって遊んだ。
「もうちょっとで千円貰えたのにな」
 型抜きで千円のピストルの型を引いた長谷部くんは最後の最後で焦ってしまってシートを欠けさせてしまい、残念賞しか貰えなかったのだ。不満げに頬を膨らませながら、貰った飴玉をコロコロと口の中で転がしている。

「でもあれ千円貰ってる人見たことないよ。百円二百円くらいならたまに見るけど」
「俄然燃えてくるだろ」
「長谷部くん、ギャンブルとか絶対手出しちゃ駄目だからね?」

 そんなことを言い合っていると、タイミング良く近くのベンチが空いた。すこし人酔いした様子の長谷部くんをそこに座らせて、僕は買い出しに出てくることにする。
「僕、ラムネ買ってくるけど、長谷部くんは何かいるものある?」
「俺もラムネ飲みたい」
「オーケー。任せて!」

 そう言って歩き出したはいいものの、飲み物を売っている屋台はなかなか見つからなかった。広場の一番端まで歩いて、ようやくラムネを置いているお店を見つけて二本購入する。氷でキンキンに冷やされたガラスの瓶のひやりとした感触が、火照った肌に心地よかった。
 せっかくなので、隣の屋台で売ってた牛串も買うべきか財布と相談していると、背後から声をかけられる。

「光忠くん?」
「……三浦さん?」

 見慣れた学校の制服姿ではなく、浴衣姿の三浦さんがそこに立っていた。
「あれ、一人?」
「いや、友達と」
「鶴ちゃん会長とか?」
「まあ、そのへん」
 適当に言葉を濁すと、ふうん、と三浦さんは耳横の後れ毛をくるくると指で巻いた。
「光忠くん、浴衣似合ってるね」
「そう? ありがとう。三浦さんもその浴衣、いいね」
「ありがと」
 三浦さんがふふっと笑うと、後ろで髪を纏めていたかんざしの飾りがしゃらしゃらと音を立てて揺れた。

 この間のこともあって、僕は三浦さんに若干の気まずさを感じていたのだが、彼女は違うのだろうか。
 どちらかといえば今の彼女は機嫌がいいように思えるから、もしかするとあの日はたまたま虫の居所が悪かったのかもしれない。ほら、女の子は生理とかそういう時期って荒れるらしいから。

「私も友達と来てるんだけど、良かったら一緒に回らない?」
「えっ……と、ちょっと向こうにも聞いてみないと」
 咄嗟に承諾できずにそう返したら、三浦さんは俯いてしまった。
「……やっぱり、彼女?」

 なんでそうなるんだよ。
 何回も否定しているにも関わらず、どうしてこう何度も同じ疑問を投げられるのかわからない。いい加減僕もちょっと苛々してしまう。

「……だったら、君になにか関係あるのかな」
「っ……私は!」
 三浦さんが浴衣の袖口をきゅっと握りしめる。

「…………私、光忠くんが好き」

 震える声で、僕の顔を真っ直ぐに見上げながら懸命に好意を告げられたにも関わらず、僕の頭に浮かんだのは「困ったな」の一言だった。

 困ったな。なんて断ろう。

 人から告白されるのはこれが初めてではない。高校に入ってから頻度は減ったけれど、中学まではしょっちゅう同級生や先輩後輩から告白を受けていた。僕は鶴さんたちやその時夢中になっているもの以上に女の子を大切に思えたことがなかったから、OKの返事をしたことはなかったけれど。
「ええと、ごめん。僕、」
 前の席のクラスメイトと微妙な仲になるのは嫌だな、となるべく穏便に断る言葉を探していると、反対側から涼やかな声が聞こえた。

「長船」
「……長谷部くん」
「帰りが遅いから、迎えに来た。……そっちの子は?」

 長谷部くんに視線を向けられると、三浦さんはびくりと体を震わせた。
「あの、私、帰るね」
 ぱたぱたと三浦さんが走り去っていった。人混みに紛れてその背中が見えなくなった頃、僕はようやく長谷部くんに向き直った。

「あ、待たせてごめんね。ラムネ、ちょっとぬるくなっちゃったかも」
「いい、気にしない。いくらだった?」
「三百円」

 ちゃりちゃりちゃりん。長谷部くんが百円玉を三枚、僕の手の中に音を立てて落とす。
 なにか言わなくちゃと思って口を開くのと同時、広場に設置されたスピーカーから場内放送が流れた。

『まもなく花火大会が始まります。皆様、夏の風物詩をどうぞご堪能ください』

 ざわざわと周りが場所取りに動き出す中、長谷部くんがぐいと僕の腕を引いた。
「こっちだ。じいやから、穴場があると聞いている」

◆ ◆ ◆

 長谷部くんが連れて来てくれたのは、祭り会場とは反対側の、神社の裏手の石段だった。
「みんな祭り会場で見ようとするから、こっちは空いてるって聞いてたんだが、本当だったな」
 ほとんど人通りのない石段に二人並んで腰を下ろす。
 二人でラムネをちびちび飲んで花火の開始を待っていると、長谷部くんは言いにくそうに口を開いた。

「…………なあ。さっきの、俺、邪魔したか?」
「邪魔だなんて!」
 咄嗟に否定する。
「なんて断ろうか迷ってたから、ちょうど良かった」
「彼女、作らないのか? モテそうなのに」
 よりにもよって長谷部くんからその台詞が飛び出してきて、ずきりと僕の胸が痛む。でも痛むのもおかしい気がして、素知らぬふりで「作らないよ」とごく普通に否定してみせる。

「今はほら、長谷部くんや鶴さんたちと遊んでる方が楽しいし好きだな」
「…………俺は、」
 長谷部くんが両手でラムネの瓶をぎゅっと握る。
「俺は、おまえの時間を奪ってるんじゃないのか」
 僕はびっくりして長谷部くんの顔を覗き込もうとしたけれど、肝心の長谷部くんは俯いていて視線が合わない。

「おまえは友達が多いし、モテるみたいだし、色んなところから引っ張りだこだろう。俺は、見ての通り世間知らずの箱入りで、つまらないやつだし、そんな俺が、おまえを独り占めしてしまっていいのかって、そう、思っていて……」

 長谷部くんの声が後半になるにつれ尻すぼみになっていく。
 なんだか喉の奥まで熱いなにかがつっかえているような、そんな心地がする。
「……長谷部くん、」
「なあ、もし迷惑なら言ってくれ。俺がこれ以上思い上がる前にちゃんと断ってほしい。そしたら、俺、ちゃんと諦めるから」

 ああ、と溜息が出た。

 ああ、長谷部くん。君は、なんで、そんな。そんなことを今までずっと僕の隣で考えていたっていうのか。

 いじらしさと、水臭いという気持ちと、あともうひとつのなにか。夏の熱帯夜よりどろりと熱いそれが胸の中から湧き出てくる。喉を伝ってつるりと口から飛び出てくる。

「僕、長谷部くんが好きだよ」

 ぱっと夜空が明るくなり、一拍遅れてどぉんと轟音が空気を震わせた。花火だ。
「長谷部くんが好きだ」
 もう一度口にすると、その言葉は不思議なほどすっと僕の胸に馴染んだ。
 そうか、僕は長谷部くんが好きなのか。

「長谷部くんと一緒にいると、すごく楽しい。だから好きだなって思うし、もっとずっと一緒にいたいなって思うんだ。ねえ、自分のことつまらないやつだなんて言わないでよ」

 白くなるくらい強く強く握られた長谷部くんの拳の上に、そっと手のひらを重ねる。
 どぉん、ぱらぱら。どぉん。
 頭上で咲き乱れる花火を見上げることもなく、僕はじっと長谷部くんの横顔を見つめ続けた。花火に照らされて薄い煤色の髪が鋼のようにきらきらと光っている。すっと鼻筋の通った綺麗な横顔だと、そう思う。
 長谷部くんは顔を俯かせたまま、ぽつりと零す。

「……長船は、優しいな」
「長谷部くん?」
「優しくて、でもひどいやつだ」

 僕の手をやんわりと払いのけ、長谷部くんはすっと立ち上がった。
「長谷部くん?」
「……悪い。今日はもう帰る」
 じゃあな、と言って長谷部くんは一度も僕の顔を見ないまま、カラコロと下駄を鳴らしながら足早に石段を降りていく。

 そのまますぐに追いかければ捕まえられたはずなのに、なぜだか僕の足はその場に根を張ったように動かせなかった。長谷部くんの去り際の顔が脳に焼き付いて離れない。
 たしかに笑っているのに、今にも泣き出しそうな、そんな笑顔だった。

 長谷部くんの姿がようやく見えなくなり、広場の方から『本日の夏祭りはこれで終了です』とアナウンスが鳴るまで、僕はずっと石段の上にいた。すっかりあたりから人の気配が消え、スマートフォンに母さんから何時に帰ってくるのかの連絡が来てから、ようやく我に返る。
 そろそろ帰る、と連絡を返し、そのままアプリを落とそうとして、トーク履歴の長谷部くんの名前を見つけて指が止まる。

 なにか声をかけたくて、でも今更なんて言ったらいいかわからなくて、苦し紛れに『おやすみ』とスタンプだけ送る。

 既読はつかなかった。

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