夏色センチメンタル

短編
     

65862文字(全14ページ合計)

【十一】

「光忠! 光忠、起きろ! そろそろ時間だろ」

 重い瞼を開けると、朝の爽やかな光に照らされた愛しいパートナーの姿が真っ先に目に入って、僕はほう、と息をついた。
「おいなんだ、人のことじろじろ見て」
「……長谷部くんだなぁと思って」
「変なやつだな。あとその呼び方いい加減やめろ。今は同じ名字だろうが」
「ええー、だって長谷部くんは長谷部くんだし」

 最近ようやく同性婚がこの国でも認められて、僕と長谷部くんは解禁日すぐに役所へと書類を提出しに向かった。ちょうど取材に来ていたテレビ局に捕まってしまい、日本初の同性婚カップルとして取材を受けたのも、今となってはいい思い出だ。
「……懐かしい夢をね、見てたんだ。君と僕がまだ出会ったばかりの、」
「はいはい、帰ってきたらゆっくり聞いてやるから、とりあえず支度しろ」
「つれないなぁ」
 そう言いながら手早く身支度を整えネクタイを締めると、僕は長谷部くんにキスをした。
「それじゃ、行ってくるよ」
「ああ、待ってる」
「そうだ、今晩なにが食べたい?」
 振り返って聞くと、しばらく口に手を当てて考えていた長谷部くんがにんまりと笑う。もうその笑顔を見ただけで、僕は彼がなにを食べたいのかわかってしまった。
「久々にハンバーガーが食いたい」
「ふふ、オーケー。久々に駅前の店にでも行こうか」
「早く帰ってこいよ」
「わかってる」
 たかがファストフードを食べに行くのに、こんな風にわざわざ待ち合わせて、おまけに仕事前からわくわくするなんて、きっと小さい子供か僕たちくらいなものだろう。
 長谷部くんが手を振る。僕も手を振り返す。お互いの薬指につけられたリングが、燦々と降り注ぐ日光を弾いてきらりと光った。

◆ ◆ ◆

『まもなく当機は着陸体制に入ります。座席の背とテーブルを元の位置にお戻しになり、シートベルトをしっかりとお締め下さい』

 無機質な機内アナウンスでふと目が覚めた。眠い目を擦りつつ、シートベルトがきちんと締まっているのを確認して、かけていたブランケットを畳み始める。狭いエコノミーの席の上、できる範囲で伸びをすると、ごきりとあちこちの関節が鳴った。まあ約十二時間の長旅だ、当然と言えば当然の疲れだ。

 いい夢を見た。長谷部くんと僕が二人で仲睦まじく暮らしている夢だ。
 僕と長谷部くんが再会を誓って別れてから五年が経ち、僕は二十二最になった。長谷部くんは両親から僕との接触を禁止されてしまったものの、野村さんの計らいで、時々手紙を野村さん経由で渡し合うことができていた。
 今回、僕がこうして飛行機に乗って長谷部くんの元へ行く決心がついたのは、野村さんのおかげだった。

 ――坊ちゃまに、会いに行ってあげてください。

 初めて会った時より随分と細く小さくなった体を病院のベッドに横たえながら、野村さんは僕に微笑んで言ってくれた。
「坊ちゃまが、ようやく旦那様を説得されたようです」
 長谷部くんから貰っていた手紙にはそんなことは一言も書いてなかった。『新しい学校で友達ができた』とか『こっちのケーキって本当に青いんだな』とか、そんなとりとめもないことばかりだったのに。
 きっとずっと長谷部くんはその裏でご両親と戦っていたんだろう。心配させまいと気を遣ってくれたんだろうか、と思いながらも、水臭い、と苛立ってしまう。そんなに頼りないと思われていたことも地味にショックだった。
 複雑な表情を浮かべる僕に、野村さんは安心させるように手を握って来た。
「……言いたいことは色々おありでしょうが、坊ちゃまに直接言いに行ってやってください」
「……野村さん、」
「長船様、国重坊ちゃまをどうぞよろしくお願いします。老い先短いこの爺に、どうかお二人の幸せな姿を見せてくださいませ」
 皺だらけのかさかさした手は温かく、野村さんのこれまでの思いが全て籠められているかのように力強かった。

 そうして、僕は大学の夏休み期間と貯めていたバイト代をどうにか駆使しつつ、長谷部くんの待つ海外へと飛んだのだった。
 飛行機を降りて入国手続きを終えてから空港を出る。空港の駐車場には事前の連絡通り鶴さんが先に来て車を手配してくれていた。
「よう、光坊! 久しぶりだな」
 オープンカーの運転席でサングラスをかけた鶴さんがこちらに親指を立ててにかりと笑う。
「久しぶり。出迎えありがとう、鶴さん。これお土産」
「おう、気が利くな。ありがとう。それで、長谷部の住所はわかったんだろうな?」
 野村さんから預かったメモを鶴さんに渡すと、白い指が慣れた手つきですいすいとナビに住所を打ち込んでいく。
 車の中で僕と鶴さんは色々な話をした。お互いの近況や、伽羅ちゃんや貞ちゃんの様子。鶴さんは大学卒業後、世界放浪の旅と称してバックパッカーのようなことをしているので、話題には事欠かない。
 鶴さんがアマゾンの奥地で首狩り族と共に遺跡に住み着いた巨大ヘビを退治する話が佳境にさしかかったあたりで、車は郊外のアパートメントの前に停まった。カーナビが目的地に着いたことを英語で知らせてくる。

「おっと、話はここまでだな。行って来い、光坊」
「……ああ。ありがとう」
「話の続きは、二人で聞きに来いよ」

 サングラスをずらし、鶴さんがぱちんとウィンクをしてみせる。昔から変わらないその笑みになんだか安心する。
「うん。約束するよ」
 互いに握手を交わし、車から荷物を下ろしてから、僕は重いトランクを引きずりながら簡素なアパートメントの階段を登り始める。

 長谷部くんとはあれ以来一度も直接顔を合わせていない。僕があれからすこし背が伸び、筋トレの甲斐もあって体に厚みが出たように、長谷部くんもきっとあの頃とは随分変わっているのだろう。
 驚くだろうか。それとも「俺から迎えに行くつもりだったのに」と拗ねるだろうか。
 あの別れの日から、僕はすこしは成長したと思う。まだまだ子供だなあと自分が情けなくなることも多々あるけれど、自分の未熟さに向き合って、周りのひとたちに助けられて生きていると自覚できている分、あの頃よりは前進していると思いたい。

 何度もメモで確認した部屋番号の前で足を止め、深呼吸をする。よし、と気合を入れて、ドアのチャイムに指をかける。あの夢を夢で終わらせたりなんかしないと心に誓いながら。
 リンゴン、とベルが鳴る。部屋の奥から人が近づいてくる気配がしたかと思ったら、バンと勢いよくドアが開けられる。

「光忠!」
「久しぶり、長谷部くん」

 こんな風に、僕たちは実に五年ぶりの再会を果たしたのだった。

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