夏色センチメンタル

短編
     

65862文字(全14ページ合計)

【八】

「光忠、最近ちょっと無駄遣いが多いんじゃない?」

 母さんからそんなことを言われて僕はぎくりとした。
 うちは必要な時に必要な分だけ両親に説明してお小遣いをもらう形式なので、請求理由で両親を納得させられないとお金が貰えないのだ。

「しょっちゅう遊び歩いてるみたいだし。去年の夏休みは国永くんたちとそんなに遊びに行ってなかったでしょう?」
「……新しい友達ができたんだよ。黒田高校の子で」
「黒田の? 塾の友達?」
「……たまたま、この間駅前の店でハンバーガー食べてたら意気投合して」

 完全な嘘ではない。今では「友達」ではなく「恋人」であることは、なんとなく言いづらくて言えなかった。
「うーん……でもね、あなたも来年は受験なんだから、もうすこし自覚を持たないと」
 母さんが納得行かないというように腕組みをすると、父さんが横から口を出してくる。
「まあまあ、光忠も夏休みが終わったら勉強に本腰入れるもんな?」
「うん。ね、だから、お願い!」
 ぱんっと手を打ち合わせて母さんに頭を下げると、大きな溜息をつかれた。
「……わかった、わかりました。その代わり夏休み明けの試験で成績が下がってたら、しばらく塾と学校以外の外出は禁止だからね?」
「はぁい」
 母さんが渡してきた紙幣を押し頂くようにして受け取ると、僕はいそいそと財布を出してきて中にしまった。
 首を横に振りながら「本当にわかってるんだか……」とぼやく母さんの肩を父さんがぽんぽんと叩く。

 課題は毎日きちんとこなしてるし、学校も塾もちゃんと行ってるんだから、文句は言われたくないけれど、たしかに長谷部くんと出会ってからこっち、毎週のようにどこかに遊びに出かけているので母さんの言い分もわからなくはない。家計に迷惑をかけてしまっている自覚は、ある。
「……僕、お風呂洗ってくるね」
 とりあえず母さんの機嫌を取るために僕はそそくさと家事の手伝いをすることにする。
 なんせ、明日は長谷部くんと付き合い始めてから初めてのデートなのだ。ここでヘマをして水を差されるのは勘弁だった。

◆ ◆ ◆

 電車を何回か乗り継いで四十分ほどのところにある遊園地の最寄り駅に着くと、改札前に長谷部くんが立っていた。
「長船」
「長谷部くん! 待った?」
「全然」
 すごい。いつも通りのやりとりのはずなのに、なんだかすごくカレカノっぽい会話をしている。僕も長谷部くんも男なのでカレカノっていうかカレカレだけど。なんかゲームのキャラかローマ皇帝みたい。

 駅から徒歩五分ほど歩いたバス停から遊園地行きのバスに乗り、さらに数十分。到着した遊園地の中には大型のプールもあったけれど、激混みでヤバいと前情報を得ていた僕たちは、今回はおとなしく遊園地エリアのみで遊ぶことに決めていた。
「どこから行く? 長谷部くん、絶叫マシンとかって大丈夫?」
「乗ったことがないからわからん」
 開園待ちの列に並びながら、スマートフォンで遊園地の公式サイトやファンサイトを見ながら回る順番の相談をする。

「これとか気になるな。あと、こことか」
「じゃあまずは最初この人気アトラクショントップスリーを攻めて、そこからこういう感じに回る?」
「了解」
「開園ダッシュはマナー違反だから競歩で行こうね」
「そうなのか。わかった」

 素直に頷く長谷部くんがかわいくてぐしゃぐしゃとかき混ぜるように頭を撫でる。馬鹿、と小突かれたけれど、全然気にならない。小突かれた脇腹を押さえつつもにこにこと笑みを浮かべる僕を見て、長谷部くんは呆れたように「浮かれ過ぎだ」と半眼で釘を刺してくる。

「だらしない顔しやがって」
「いいじゃないか。初デートだよ?」
「デー……一緒に出かけるのが初めてってわけでもないだろ」
「気持ち的に違うものなの!」

 わからん、と長谷部くんは肩を竦めてタオルを取り出して汗を拭く。僕もバッグからペットボトルのお茶を取り出して一口飲んだ。真夏の太陽がじりじりと照りつけて肌と髪を焼く。日焼け止めは塗ってきたけれど、僕の髪は黒いので熱を吸収して既に熱くなっていた。帽子を被ってくるべきだったかもしれない。
 開演を告げる音楽が鳴り、人の波が徐々に動き始めていく。チケットは前売り券を事前購入していたので、発券機に並ぶ必要はない。
 隣でスニーカーの靴紐を結んで気合いを入れている長谷部くんの肩を叩く。
「なんだ」
「長谷部くん、今日はめいっぱい楽しもうね!」
 長谷部くんが僕を見上げ、一瞬目を細めて眩しそうな顔をすると、にかりと笑った。
「当たり前だろ」

◆ ◆ ◆

 結果から言って長谷部くんは絶叫マシンが得意で、お気に召したらしい。
 人気の急流川下りのアトラクションは待ち時間がエグかったので一回乗ったきりだったが、この数時間ほどでジェットコースター系だけでも四回は乗った。僕は別に絶叫系は嫌いじゃないし、むしろ得意な分野だったけれど、さすがに連続で乗ると段々三半規管がやられて頭がくらくらしてくる。

「は、長谷部くん、そろそろ休憩しない?」
「ん? そうか、そうだな。そろそろ昼食も食べないとだしな」

 スマートフォンの時刻を確認して長谷部くんが頷いたので、僕はようやく安堵の息を吐いた。
 八月も半ばのこの時期に外で食べるのは遠慮したかったので、屋内型のレストランに入る。ひやりとした冷房の風にほっと一息つきつつ席を探す。レストランはかなりの盛況で、プールの方から移動してきたらしい濡れた髪の人たちもまばらに見かける。どうにか隅っこに空いている席を二席見つけたのでいそいそとそこに席を取り、僕はトマトスパゲッティ、長谷部くんはビーフカレーを頼んだ。

「なんか、悪かったな。付き合わせて」
「いや、いいよ。長谷部くんが楽しめたなら、別に」
「……俺は、おまえと楽しみに来たんだ」
 ごろりとした牛肉の塊をスプーンでつつきながら、長谷部くんが言う。
「だから、午後はおまえの行きたいアトラクションに行こう」

 ああ、好きだなぁ。ごく自然とそう思った。長谷部くんのこういうまっすぐなところ、僕はすごく好きだ。
「僕、長谷部くんのそういうところ好きだよ」
 思った通りに口にすると、長谷部くんは目と口を丸く開いて固まった。と思ったら見る見るうちに真っ赤になってスプーンを握りしめる。
「…………恥ずかしいやつ」
 それだけ言うと、長谷部くんは再びスプーンを持ち直して黙々とカレーを食べ始めた。これ以上なにか言っても長谷部くんは取り合ってくれなさそうだったので、僕もフォークでくるくるとスパゲッティを巻いて口に運ぶ。お互い無言だったけれど、ちっとも嫌な沈黙じゃない。なにかふわふわきらきらしたものが僕たちの間を満たしていた。

◆ ◆ ◆

 朝のうちに整理券を取った、オリジナルカップ焼きそばが作れるブースや、レーザーを避けながら進む大迷路、その他いくつかのアトラクションを回って乗っていると、あっという間に時間は十八時になっていた。

「最後どうする?」
「めぼしいのはあらかた乗ったもんね……観覧車は?」
「いいな。乗ろう」

 軽くライトアップされたゴンドラに乗り込むと、むわりとした熱気が僕らを包み込んだ。
「うわ暑っ」
「長船、ここ、うちわついてるぞ」
「うちわより冷房つけてほしかったなぁ!」

 ぎゃあぎゃあと言い合いながらゴンドラ内の椅子に向かい合わせになって座る。日中の熱をすべて内包したようなゴンドラは夕陽に照らされながら、熱気と僕たちを乗せて一周十数分の旅に出た。
 長谷部くんがシャツの胸元を掴んでばたばたと動かし、服の中になけなしの風を送っていたので、僕は備え付けのうちわで彼を扇いでやる。熱風だって、ないよりマシだろう。

「ありがとう、長船」
「……それなんだけどさ、」
「なんだ」
「『光忠』って呼んでよ」
「は」
「僕、名字で呼ばれるより名前で呼ばれる方が好きなんだよね。長谷部くんがいいなら『みっちゃん』とかでも構わないから」

 煤色の長い睫毛が大きく上下する。何度かもごもごと口を動かし、長谷部くんは観念したように唇を開いた。
「…………み、つただ」
「なに?」
 自分でも甘ったるい声が出た気がする。頬が緩むのが抑えられない。好きな子に名前を呼ばれるだけでこんなに嬉しいだなんて、夏休み前の自分じゃ絶対に考えられなかったと思う。

「ああ、僕も名前呼ばないと不公平かな。ねえ、国重くん」

 夕焼けの中でもわかるくらい長谷部くんの顔が真っ赤に染まる。
「……長谷部でいい。俺は、名字の方が落ち着く」
「そう? ならいいけど」
 僕が長谷部くんの隣に座るために立ち上がろうとすると、長谷部くんにがつんと脛を蹴られた。
「いっっっっった…………」
「馬鹿! おまえの図体でこっち来たらゴンドラが傾くだろ。そのまま座ってろ」
「観覧車ってカップルでいちゃいちゃするものじゃないの?」
「景色を楽しむものだろ。俺は本でそう読んだ」
「えー……」

 口を尖らせながら外を眺める。すこしずつ外のアトラクションがライトアップされ、ぴかぴかと輝き始めていた。夕陽が沈んでいくのと反対側の空には、もうすっかり紺碧の色が広がっている。気休め程度に開けられていた窓の隙間から入る風も、こころなしかすこしだけ涼しい。夜がすぐそこに迫って来ていた。

 僕達の高校二年の夏休みもあと二週間ほどで終わりだ。この夏休みが終わったら、本格的に受験期間になる。僕と長谷部くんはこれまでのように気軽には会えなくなるだろう。
 ちょっぴり寂しさを感じていると、長谷部くんが声を上げた。

「……光忠。おまえ、課題は?」
「問題集の答え合わせが残ってるけど、それ終わったら終わり。長谷部くんは?」
「俺も、小論文をあと一本書いたら終わりだ」
「へえ」
「家に、来るか」

 今度は僕が驚いて目を丸くする番だった。思わず顔を長谷部くんの方に向けると、長谷部くんはバツが悪そうに頬をぽりぽりと掻いている。
「来週の土曜、うちの両親が夜遅くまで出かけてるんだ。よかったら、家で勉強会しないか?」
「えっと……」
「嫌ならいい」
「嫌じゃないよ! 行きたい!」
 腕を伸ばして長谷部くんの手をがしりと掴んで握る。
「…………そうか」
 長谷部くんがはにかむように微笑んだので、僕はもう居ても立ってもいられなくなってしまう。

「ごめん、ちょっと傾くかも」
「え?」

 身を乗り出して長谷部くんの体を抱きしめる。急な体重移動でゴンドラが大きく傾いた。驚きに固まる背中を左手で安心させるように撫で下ろし、うちわを椅子に置き、目の前の白くやわらかな頬に触れながら、噛みつくようにキスをする。
「――っ、!」
 がち、と歯がぶつかる音が響くのと同時、鉄の味が口いっぱいに広がった。性急に唇を塞いだものだから、歯をぶつけてしまったのだ。
 お互いに口元を押さえて悶絶していると、長谷部くんが涙目で僕の体をぐいと押し返してきた。
「おまえなぁ……!」
「ごめん、今のは超かっこわるかった……」
「……まったく……」
 長谷部くんが置いてあったうちわで僕の頭をぺしりと叩く。

「…………次は、もうすこしうまくやってくれ」
「次も、してくれる……?」
「案外察しの悪いやつだな、おまえ」

 呆れたようにくすりと笑われる。すぐにでも唇を塞いでしまいたい欲求に駆られたものの、観覧車はそろそろ地上に着く頃だった。もう時間がない。
「……続きは今度、な」
 それが長谷部くんからのお誘いだとわかって、僕の心臓は胸の中でどくどくとうるさいくらいに跳ね回った。顔が熱い。きっと僕の顔は窓の外の夕焼けに劣らず真っ赤なんだろう。だって長谷部くんも同じ色をしているんだから。

 ゴンドラを降りた僕達は、あの密室内よりは涼しい夕方の新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。そのまま退園ゲートに向かって歩いていると、ふと長谷部くんがその場にしゃがみ込んだ。
「おい、ちょっと待ってくれ」
 振り返ると、どうやら長谷部くんの靴紐が解けてしまったようだった。僕は長谷部くんの顔を覗き込むふりをして、掠めるようにその唇を奪った。

「おい!」
「いいじゃない、もうみんな帰るみたいだし、ゲートしか見てないよ」
「……恥ずかしい奴」
 ぎゅっと眉間に皺が寄せられているけれど、長谷部くんのこれは照れ隠しだろう。その証拠に、髪の毛から覗く薄い耳朶が真っ赤になっていた。

◆ ◆ ◆

「……じゃあ、またな」
「うん。またね。夜にトーク送る」
「ああ」
 そうして長谷部くんは野村さんの待つ駐車場へ、僕は駅行きのバス停へと向かい、別れた。
 バスを待つ列に並んでいると、ブブッとバッグが振動した。長谷部くんからのトークだ。

『今日は楽しかった。来週も頼む』
『来週は歯をぶつけないようにするね』

 しばらくの間を置いて、あっかんべーをする猫のスタンプが返ってきた。照れているらしい。
 長谷部くんの名前のトークルームのタイトルを指でなぞりながら、僕はふふっと笑みを零した。

 こんな些細なやりとりが幸せでたまらなかった。このまま僕たちは色々とぶつかりあいながらも、順調に交際を続けていけるのだと向こう見ずにも信じていた。二人ならどんな困難だって乗り越えられると、傲慢にもそう思っていた。

 それが全部僕の勘違いに過ぎなかったことを、僕はこの一週間後思い知ることになる。

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