夏色センチメンタル

短編
     

65862文字(全14ページ合計)

【三】

『来週から夏休みだけど長谷部くんは?』
『平日は毎日学校の夏期講習が午前中にあって、午後は塾だ。平日夜か土日のどっちかなら会える』
『僕平日午前中は補講で、月水金の午後は塾。土日は暇』
『了解。なら今度の土曜ここに行かないか』

 長谷部くんの送ってきたURLをタップすると、ここからすこし遠い博物館のページに飛ばされた。国宝や重要美術品の日本刀がいくつか期間限定で公開されると書いてあって、長谷部くんの目当てはこれだろうなとなんとなくぴんと来た。

『日本刀の展示? 長谷部くんってこういうの好きなの?』
『ああ』
『僕もちょっと興味あるから行ってみたい。色々教えてよ』
『わかった』

 アプリ上でそんな会話をして、日々のやるべきことをこなしていたらあっという間に一週間が経った。
 家から電車を乗り継いで大きなターミナル駅の改札を出ると、夏休みシーズンだからか、親子連れの多い人混みの中にひょろりと背の高い長谷部くんの姿が見えた。
 多分僕に着いたと連絡を入れるところなのだろう、スマートフォンをポケットから取り出そうとしているところを後ろから声をかける。

「はーせべくん」
「わっ!? ……なんだ、長船か」 
「お待たせ。着いたよ」
「見ればわかる」

 苦笑する長谷部くんを改めて見下ろす。長谷部くんは今日は白地に紺のボーダーのTシャツの上にアイボリーのリネンのシャツを羽織っている。
 対する僕も似たり寄ったりな格好で、白のTシャツの上にネイビーのシャツを重ね着していて、ボトムは黒のスキニーだ。

「なんだ、人の格好をじろじろ見て」
「いや、私服の長谷部くんって新鮮だなーと思って。その服どこで買ってるの?」
「さあ? 今度じいやに聞いてみる」
「えっ」
 声を上げて固まった僕を長谷部くんが怪訝そうに見返してきた。
「どうした?」
「嘘でしょ……未だに人に買ってもらってるの? あの野村さんに?」
「? それがどうかしたか?」
「長谷部くん、今度一緒に服買いに行こうね」
「は? まあ構わんが」

 話しながら公園内の大通り沿いに歩いていくと古めかしい大きな建物が見えてきた。博物館だ。
 入り口脇でチケットを買って、二人で正門をくぐった。中央に四角く区切られた池を回り込むようにして本館に向かう。
 本館の中は冷房が効いていて寒いくらいだった。思いがけず鳥肌の立った腕をそっとさする。収蔵品の保護のためなんだろうけど、もうすこし人間に優しくしてくれてもいいと思う。

「一応日本刀の鑑賞について僕もすこしだけ勉強してきたんだけどさ、結構難しそうだね」
「最初はそんなものでいいと思う。俺も未だに沸と匂いの区別がつかん」
「長谷部くんでも?」
「おまえ、俺をなんだと思ってるんだ」
「刀剣マニアかなと」
「おまえと同じ、ただの男子高校生だ。……でもまあ、わかる範囲で鑑賞ポイントくらいは説明する」

 仏像や絵画などの並ぶゾーンの鑑賞はそこそこに、日本刀の飾られてるエリアに足を進める。土曜の博物館の中はそれなりの人がいたけれど、おおむねみんな静かに鑑賞しているので、展示室内はひそひそとした話し声と衣擦れの音しか聞こえない。
 日本刀のあるエリアに入ると、なんとなく背筋を伸ばしてしまった。上手く言えないけれど、部屋全体にぴりっとした緊張感があるような、気がする。

「あれが、国宝の三日月宗近だ」

 長谷部くんがこっそりと耳打ちしてきた。一番人が集まっているその中央のケースの中には、泰然と鎮座する一振りの刀があった。
 刀剣の鑑賞はまず姿から見るのだという付け焼き刃の知識を元に全体の形を見てみる。すごく優美でたおやかで、それなのに奥底に力強さを秘めているような不思議なうつくしさの刀だった。

「刃紋の、ほら刃の白いところあるだろう。あそこの縁にいくつか白く弓なりになっている線が見えるか? あれが三日月に見えるから、三日月宗近。宗近は打った刀匠の名前だ」

 小声での説明を聞きながら腰を曲げ伸ばしして色んな角度で三日月宗近を見てみる。言われた通りたしかに刃紋のところに短い曲線が見えた。なるほど、これを三日月とはよくいったものだ。昔の人は想像力が豊かだなあと感心してしまう。
「天下五剣、日本刀の中でも五本の指に入る刀の中で、もっともうつくしいと言われる刀なんだ」
 そう言うと長谷部くんはポケットからなにかのケースを取り出して中から黒っぽいカメラのようなものを目に当てた。
「それは?」
「単眼鏡。おまえも使ってみるか?」
 手渡された単眼鏡のレンズを恐る恐る覗いてみると、肉眼では見えなかった細かい刃の模様のようなものまでばっちり見える。
「へえ……! すごいね!」
 ライトに照らされて冴え冴えとした光を弾く青白い刀身からは、うつくしさの他になにか凄味のようなものまで感じられた。
「だろう? ほら、この先も名品揃いだぞ」
「それは気合いを入れなきゃ」
 長谷部くんに単眼鏡を返しながらそう言うと、「楽しみにしてろ」と長谷部くんは歯を見せて笑った。

「いやー、凄かったね」
「だろう。三日月宗近は毎年公開されるけど、やっぱりいつ見ても綺麗だ」
「僕と同じ名前の刀があって驚いたな。すごく格好良かった。三日月宗近もそりゃあ綺麗だったけど、僕はあの長船派? とかいう刀のシリーズが派手で、でもよく切れそうで好きだな」
「実は俺と同じ名前の刀もあるんだ。ここの展示物じゃないけど」
「本当に? 見てみたいな」

 博物館の正門を出て噴水広場を通り抜け、大きな池の方に向かうとカラフルな屋台がいくつも並んでいた。夏祭りらしい。

「長谷部くん門限何時までだっけ」
「両親には十八時までには帰ると言ってある」
「せっかくだしなんか軽く屋台のもの食べてく?」
「いや、でも、夕飯が……」
「食べたい? 食べたくない?」
「……食べたい」
「よし」

 望む答えを長谷部くんから引き出して、僕はふふふと笑った。
「軽くなら大丈夫だって。なににする? たこ焼きイカ焼き焼きそばりんご飴チョコバナナにクレープ、なんでも一通りあるみたいだけど」
 そう言うと長谷部くんは慌てたようにわたわたと周りを見渡した。きょろきょろと落ち着きなく動く目はきらきらと期待に光っていて綺麗だ。
 広島風お好み焼きを焼くおじさんの手つきに感心したような溜息を漏らしたかと思うと、クレープを包むお姉さんのパレットナイフさばきに「おお」と声を上げている。
 僕もどれにしようかなと悩みつつ、あちこちの屋台を覗きながら歩いていると、長谷部くんが「あ」と声を上げて急に立ち止まった。不思議に思ってその視線の先を見やると、そこにはアイスキャンディを売っている移動式のワゴンの姿がある。
 じいっとそちらを見つめて立ち止まる長谷部くんに、僕が思わず「あれがいいの?」と聞くと小さな頷きが返ってきた。

「……アイスキャンディ、食べたことがなくて」

 長谷部くんの暮らしを考えると、きっとお高いカップアイスか、レストランで食べるグラニテだかソルベだかジェラートだか、そういうのしか口にしたことがないんだろうということは簡単に想像できた。
「おじさん、それ二つちょうだい」
「あいよ。味はどれにする?」
「長谷部くんどれがいい? 僕オレンジにしようかな」
「え、えーと、バニラで」
「バニラとオレンジ一つずつ」
 代金とアイスキャンディを交換して、バニラの方を長谷部くんに渡す。
「はい、これ」
「おまえも、これ」

 差し出された代金を見て僕は驚いた。実を言うと単眼鏡を貸してもらったお礼にアイスは奢るつもりだったのだ。
「気にしないでよ。さっきの単眼鏡のお礼だよ」
「……友達、なんだろ。そういう貸し借りは無しだ」
 長谷部くんはそう言って不満げに唇を尖らせた。ここで突き返すのもなんだか忍びなくて、僕は大人しく代金を受け取ることにする。

 ちょうど空いていたベンチに座って、二人並びながらアイスキャンディを頬張った。柑橘系のさっぱりとした甘さと、舌に触れる冷たさが心地よい。
「長谷部くん、そっちの味どう?」
「美味い。ミルクセーキみたいな味がする」
「一口ちょうだい。僕のもあげるから」
「ああ」
 お互いのアイスキャンディを交換して食べ合う。たしかに、バニラというかミルクというか、ちょっと練乳に近いようなもったりとした甘さだった。

「こっちのオレンジも美味いな」
「君なに食べても大抵美味しいって言ってない?」
「コーヒーソーダは不味かった」
「あれはヤバかった」

 頷いて再びアイスキャンディを交換した。日陰でもじっと座っているだけでじわりと汗ばんでくる気温の中、しゃくしゃくとアイスキャンディをかじる。とろりと手に垂れてきたアイスの汁を慌てて舌で舐め取っていると、長谷部くんが唐突にははっと笑い声を上げた。

「すごいな、俺たち男子高校生みたいだ」
「男子高校生じゃんなに言ってるの」
「うん、はは、そうだな」

 くすくすと長谷部くんが肩を揺らして笑う。夕焼け色に染まった横顔は僕よりもすこしだけ大人びて見える。
「……すごく、高校生の夏って感じがする」
 笑いながら放たれた言葉は、それなのになんだかとても寂しげな響きを孕んで聞こえた。
 家も厳しそうで、学校や塾で朝から晩まで勉強に追われているという長谷部くんにしてみれば、こんなありふれた日常ですら貴重な一時なのだろう。

「長谷部くん、夏休みっていうとなにを連想する?」

 僕の一見脈絡のない問いに、長谷部くんは一瞬驚いた顔をしたけれど、ちゃんと真面目に考え込んで答えてくれた。

「え、と、勉強……」
「勉強以外!」
「ええ……そうだな、水族館や遊園地に行ったり、色々食べに行ったり、ゲーセン行ったり、友達の家で集まって遊んだり、花火したり、海に行ったり……?」
「全部やろうよ。一緒にさ」

 これは同情心なのかもしれない。そう思って自分で自分がちょっと嫌になる。
 僕は長谷部くんに同情して、手を貸すことで優越感に浸りたいからこんなことを言ってるのだろうか。もしそうなら僕ってすごく嫌なやつだ。実際のところどうなんだろう。わからない。でも。

「僕、長谷部くんといるの好きだよ」

 長谷部くんと一緒にいると、見慣れたはずの日常の風景が、飽きるほど食べた駄菓子の味が、なんだって新鮮なものに感じる。くだらないことをぐだぐだとダベるのも、ファミレスのドリンクバーで謎のミックスジュースを生産するのも、みんな楽しいと思う。

「高校二年の夏って一回しかないんだからさ、めいっぱいやりたいことやろうよ。来年になったらどうせ遊べなくなるんだし」

 ね、と笑ってみせる僕とは反対に、長谷部くんは服の裾をぎゅっと掴んで俯いた。
「……でも、」
「やりたい? やりたくない?」
 さっきと同じように言い訳を封じると、長谷部くんはへにゃりと眉を下げて捨てられた子犬のような顔で僕のことを見上げた。
「…………やりたい」
「決まりだ」
 そう言ってスマートフォンを取り出して起動する。
「次はいつ会う? どれから始めようか」
 TODOリストのアプリを立ち上げて、水族館や遊園地、食事、ゲーセン、家で遊ぶ、花火、海、と次々に書き込んでいく。保存ボタンをタップしてから、共有用のアドレスをメッセージアプリのトーク画面で長谷部くんにも送る。
 僕の行動力に長谷部くんは呆気にとられたようにしていたが、送られてきたアドレスを見て決心―諦めともいう―がついたらしい。

「……来週の土曜の十五時以降なら空いてる」
「じゃあ水族館や遊園地は厳しいか。普通に食事とかゲーセンあたりから行っとく?」
「頼む」
「オーケー」
 お互いスケジュールにもちゃんと登録したところで、そろそろ長谷部くんの門限の時間が近づいてきた。
「帰ろうか」
「ああ」
 僕は立ち上がってアイスキャンディの棒をゴミ箱に投げた。縁に当たってカツンと跳ね返った棒に肩を落としつつ拾いに向かうと、僕の脇をすり抜けてもう一本の棒が綺麗にゴミ箱の中に吸い込まれて行った。

「…………ナイッシュー」
 驚きと照れと格好のつかなさで苦笑いしながら振り返ると、そこには長谷部くんが得意げにふふんと笑っていた。

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