夏色センチメンタル

短編
     

65862文字(全14ページ合計)

【五】

 夏休みなのに学校があるってどうなんだろう、とぼやいたら、耳ざとく聞きつけた母さんに「夏休みがあるだけでも感謝しなさい。子供の特権なんだから」とちくりと棘を刺された。
 基本的に放任主義で我が子に対してもドライな我が家の母でもそんな風に思うらしいので、世の中の親って大変だな、と他人事みたいに思う。

 退屈な補講の後、ショートホームルームが終了すれば、クラスメイトたちはがたがたと一斉に立ち上がって帰り支度を始める。
 そんな中、僕はスマートフォンを取り出して鶴さんに『HR終わったよ。今から行く』と連絡を入れた。今日の午後は生徒会の打ち合わせの予定だった。

「それって、噂の彼女?」

 話しかけてきたのは三浦さんだった。僕は驚いてスマートフォンを取り落としそうになる。
「は? 彼女?」
「黒高の」
 またか、と思って苦笑が漏れる。
「彼女じゃないって。それに今のは鶴丸会長宛て」
「鶴ちゃん会長?」
「そ」
「同中だっけ」
「うん、幼馴染」
「へえ……」
 彼女の望む答えをちゃんと返してあげたにも関わらず、三浦さんは立ち去る気配がなかった。
「なにか用?」
 促すと、「う、ん……」と歯切れの悪い返事をして三浦さんはもじもじとしている。
 辛抱強く次の言葉を待っていると、手の中でスマートフォンがブブッと震えだした。
「ちょっとごめんね」
 通知画面を見ると、長谷部くんからだった。急いで待機画面のロックを外してメッセージを確認する。

『今日、塾の講師が体調不良で休講になった。会えるか?』

 『マジで』とハムスターが驚いているスタンプを送り、次いでメッセージをフリック入力していく。
『生徒会があるから、十六時過ぎからなら会えるよ』
『了解。最初にあったハンバーガーショップにいる』
『君ホントあそこ好きだね』
『ほっとけ』
 画面の向こうにいる長谷部くんの照れた顔が見えた気がして、思わず笑みが溢れる。

「…………やっぱ、彼女なんじゃん」
「え?」
「もういい」
 気づけば三浦さんは机の上のカバンを引っ掴んで、すたすたとドアへ向かい教室を出ていった。
「……なんだったんだ……」
 急に捨て置かれて呆然とする僕に、残っていた男子たちがぽん、と肩を叩いてきた。

「長船も災難だよなぁ」
「女のヒスこえー」
「いやでも今のは長船もちょっと悪かったと思うぞ」
「イケメン有罪ってやつ?」
「えーと……?」

 よくわからないけど、僕らの年頃の女の子って面倒くさいな、と思った。

◆ ◆ ◆

「長谷部くん」
 店の二階、すこし奥まった席に長谷部くんは座っていた。
「長船」
 長谷部くんが広げていた参考書類を片付け、僕は空いたそのスペースにハンバーガーとポテトと飲み物の載ったトレイを置いた。

「あれ、もう食べ終わっちゃった?」
「飲み物だけ頼んだところだ。今から注文してくる」
「荷物見てるから行ってきなよ」
「ああ。助かる」

 そう言って長谷部くんはスマートフォンと財布だけを持って一階の注文スペースへと降りていった。ちゃんと一人で頼めるかな、と思ったけれど、程なくして長谷部くんがナゲット二箱と飲み物二つが載ったトレイを抱えて帰ってくる。
「またお子様セット?」
「おまけのミニ図鑑の種類が替わってたんだ」
 長谷部くんはきらきらした瞳でおまけの図鑑をぱらぱらと読み、それから大事そうにカバンへとしまった。
「そっちの学校、もう数ⅢCやってるの? 早くない?」
 テーブルの端に置いてあった参考書を見た時から気になっていた疑問を口にすると、「夏休みまでで高校三年分の授業終わらせて、それ以降は受験対策するんだ」と返ってきた。進学校って大変だなぁ、と他人事のような感想を抱く。
「そっちは今どこだ?」
「数学は三角関数とかその辺」
「へえ」
 ストローに口をつけながら長谷部くんが言う。

「俺、国語と違って数学って答えがシンプルでわかりやすいから好きだったんだけど、」
「うん」
「虚数とか『解なし』が登場するようになったから今はそうでもない」
「わかる! 散々人に考えさせておいて答えないのかよって僕も最初思ったもん」
「だよな。証明が大事だってのはわかってるんだが」
「でも追試とか受ける程やばくはないんでしょ?」
「道理に納得できないのと問題が解けないのはまた別問題だからな」
「わぁ、優等生の答え」
「さてはおまえ追試組か?」
「違いますー。これでも学年十番台には食い込んでるんだからね」
「そうなのか? あ、そっちのポテト一本くれ」
「じゃあ僕もナゲット一個ちょうだい」
「ポテト一本とナゲット一個って釣り合わなくないか?」
「じゃあプラスで五本あげるよ」
「ハンバーガーもひと口くれ」

 とりとめもない雑談を交わしているだけなのに、長谷部くんといると時間が経つのがいつもより早く感じてしまう。ふと気づけば、時計の針はあっという間に一周していた。
 お互いにひと通り食事を終え、残った飲み物をじゅうじゅうと吸っていると、そういえば、と長谷部くんが口を開く。
「長船はもう宿題終わったのか?」
「あとちょっとかな。今度鶴さんたちと読書感想文を書く会やるから、そこで感想文書いたら、あとは残ってる問題集ちょっとやって終わり」
「ふうん」
「長谷部くんも来る?」
「うち感想文ないんだ」
「え、いいなあ」
「代わりに千字の小論文を三本書かされる」
「よくなかった……」
 げえ、と口をひん曲げた僕を見て長谷部くんはくすくすと笑った。
「結構楽しいぞ」
「僕はやだなぁ」
「…………なぁ、」
「なに?」
 長谷部くんがすこし口ごもる。あー、うー、と唸りながら、言葉を探すように視線を泳がせる。僕はそれを辛抱強く待つ。

 変なの。僕は思う。クラスの女子が似たようなことをしたら段々イライラしてくるのに、長谷部くんだとちっとも気にならない。

 じっと彼の次の言葉を待っていると、ようやく長谷部くんが口を開いた。
「……一緒に、夏祭り行かないか?」
「夏祭り?」
「うちの近所の神社で毎年やってるんだ。今年は今週の土日にやってて。俺は一度も行ったことないけど、じいやが、せっかくだから友達と行って来いって」
「へえ、いいね」
「あの、あれなら鶴丸たちも誘ってくれていいから」
 ちくんと心臓を針で刺されたような心地がした。もやもやとしたなにかが僕の胸の中を覆い、気づけば僕はひとつの嘘をついていた。
「え、あー、鶴さんたち、来週は忙しいみたいだよ」
「そう、なのか」
「うん、だから二人で行こうよ」
「……わかった」
 頷く長谷部くんに、「約束だよ」と笑いかける。おかしいな。僕ってこんなつまらない嘘をつくようなやつだったっけ。
 長谷部くんに悪い感情はないはずなのに、この間から長谷部くんのこととなると時折黒い感情が渦巻いてしまう。
「ええと、じゃあ待ち合わせなんだが、」
 手元のスマートフォンで地図アプリを開く長谷部くんを眺めながら、僕はなんでだろうと疑問を繰り返し頭の中で投げ続けた。なんとなく答えの輪郭は見えている気がするのに、それをあえて見ないふりをしている僕がいる。

 だって、おかしいだろう。こんなの、まるで。

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